世界は広い。
そんな事、言われなくても分かっているとは思うが、あえて言う。
物語の舞台は、そんな広い広い世界の片隅にある、平赤羽市。
さらにその片隅にある県立慶備(けいび)高等学校。
これは、そこにいる『嘘吐き』な少年と、
『嘘を吐かない』機械仕掛けの少女、その周囲にいる人々の物語である。
第1話 おかしな二人のおかしな関係・前編(というか前フリ編)
9月。
夏の終わりであり、学生にとってはうんざりする新学期の始まり。
ここ、県立慶備高等学校も例に漏れず、生徒達の半数は若干うんざり気味な面持ちで登校していく。
そんな生徒達の中に、浪之歩二(なみこれ ふじ)という一人の男子生徒がいた。
夏休み明けでイメージチェンジや日焼けにより面変わりして派手になっている生徒も少なくない中、彼の外見は極めて没個性的だった。
一学期最後と変わる事のない、校則に違反する事のない胸に校章が入った白い半袖制服で、傷もそんなにない学生鞄を持って、ほけー、と歩いていく。
変わっているのは、精々少し伸びた為に近所の1000円カットの店で切った、これまた校則に違反しない、手入れのされていない普通の髪型ぐらいである。
「おはよう、浪之君」
「ああ、おはよう草薙君」
多少短くなった髪に寝癖がないか気にしつつ歩いていた歩二に声を掛けたのは、彼のクラスメートにして同じ同好会に所属する草薙紫雲。
校則違反をしない、あまり特徴のない外見は歩二と同じだが、彼の顔は歩二よりも造形が良かった。
ぶっちゃけると、結構な美形なのである。
ちなみにどれほどかというと、さして親しくない女子生徒数人から十数人単位でバレンタインのチョコを貰う位。
別に運動部などで目立っているわけではないのに(同好会と掛け持ちで美術部所属)貰う数としては多い事を考えれば、モテているのは明らかであろう。
あと、優男な外見とは裏腹に家が古武道っぽいものを伝承しているため、やたら強かったりする。
その外見と中身のギャップがモテる秘訣なのではないか……彼を知る人間達はそう思っているらしかった。
閑話休題。
中性的に整った顔を隠すように眼鏡を少し押し上げながら、紫雲は尋ねた。
「夏休みはどうだった?」
「どうもこうも……何もなかっ」
なかった、そう言おうとしたのだろう歩二の口が止まる。
その表情はなんとも苦々しい……おはぎだと思って口に入れたものが泥団子で、その上、中に苺大福の苺のノリで石が入っていたような、そんな顔だった。
「……なかったわけじゃないんだね。
もしかして、スギナさん絡み?」
「んー……まぁ、そうかな。
楽しい事もあるにはあったんだけど、
色々あったせいで帳消しというかむしろマイナス?」
「なんというか……お疲れ様」
シミジミと呟く紫雲。
その呟きは同情や哀れみも混じっているのかもしれないが、それ以上に相手の事を思いやる声音だった。
そんな優しい声と紫雲の表情を受けた歩二は、はぁ、と溜息を吐いた。
その溜息に込められた意味は本人にしか分からない。
ともあれ、それで気を取り直したらしい歩二は紫雲に答える形で言った。
「まぁ、さっきも言ったけど、悪い事ばっかりじゃなかったから。
…………でなければ、あのアマとっくにポンコツにしてやるっての。ケッ」
なかったから以降の言葉は、自身の周囲の空気に話しかける程度の小声。
なので、紫雲には聞こえなかったらしく、
彼は「?」と小さな疑問符そのもの表情で首を傾げた。
「今何か言った?」
「あー、なんでもない。
なんにせよ、新学期か……色々あるんだろうなぁ、今学期は」
「ウチのクラスは色々濃いからねぇ。
イベントてんこ盛りの二学期は盛り上がるの確実だよね」
「今学期の学級委員になる二人が可哀想な気がするよ」
「だねー」
はっはっは、と二人は笑った。
自分達にお鉢が廻ってくる事はないだろう……そう考えての冗談交じりの笑いだったのだが。
「……はい?」
その数時間後。
始業式や担任からの色々な話・連絡事項の後始まった、この日最後の時間となるホームルームの最中。
あまりにも意外過ぎる決定に、歩二は若干裏返った声を上げていた。
首を傾げたり、廻したり、眼を細めたり瞑ってみたり、様々な方法を試してみたものの、黒板に記された結果は一ミクロン程度さえも(当たり前だが)微動だにしなかった。
だが、その決定は他のクラスメート達にとっては意外でもなんでもなく、むしろ望ましい結果であったらしく、教室の中には拍手が響き渡っていた。
「おーし、決まりだな。
今学期の学級委員は浪之と貫前だ。
二学期はイベント多いから、しっかりやれよー」
「任せてよ、センセ」
このクラスの担任の声に答え、ポンッ、というには力強く胸を叩いて立ち上がったのは、歩二の斜め前の席にいた一人の女生徒。
強く叩き過ぎてむせるが、それは愛嬌と言うべきか。
ともあれ、彼女こそ、たった今学級委員に決まった内の一人、貫前紘音(ぬきまえ ひろね)その人だった。
「成績優秀、文武両道、才色兼備なアタシと、万事そこそこで生真面目一直線な浪之クンのコンビなら万事オーケー問題無しよっ!」
そう自信満々に言うだけの事はあって、紘音は自称に過不足なく、むしろお釣りが出るほどの人間だった。
多少……というか、かなり性格に粗い所があるものの快活で優しく、成績は常に上位をキープ、運動は万能、その容姿は学年でも三本の指に入ると言われている。
「そうでしょ浪之クン?」
自身の魅力を自覚しているのかは定かではないが、長く軽いウェーブが掛かったポニーテールを揺らしつつ、彼女は歩二に笑い掛けた。
「い、いや、そんな自信満々に言われても」
紘音の、一分の不安さえ感じさせない笑顔とは対照的に、パタパタパタと、歩二は気弱そうに手を振った。
ちなみに、その顔は若干赤らんでいる。
その様子に気付いているのかいないのか、紘音は笑いを含んだまま冗談っぽい不機嫌顔……漫画のデフォルメ誇張表現と言えばわかりやすい……で口を尖らせた。
「えー、浪之クンノリが悪いよー」
「ノリが悪いのは謝るけどさ。
それはそれとして、貫前さんもだけど、皆もこの結果でいいの?」
クイクイッと、親指で黒板を指す歩二。
その先には、先程歩二自身穴が開いて向こう側が見えてさらにその向こうまで穴が開きそうな位凝視した投票結果がある。
昨今の科学技術の発展による恩恵は県立高校の黒板にはあまり関係なく、白チョークで書かれたソレは、男子側の結果だった。
そこには歩二の名前と並んでもう一人の生徒の名前が記されている。
まぁ、並んでいたのは名前だけなのだが。
「いや、見たまんま浪之クンの大勝じゃない。文句なんか出ない出ない」
歩二の名前の下には『正』の文字が7個。
守臣浩(もりおみ ひろし)と書かれた名前の下には『正』の中途が二画分描かれている。
紘音の言う通りの、民主主義的な意味で言えば、これ以上ない明らかな結果がそこにはあった。
だが、その結果は歩二的には首を傾げると言うか、今一つ納得いかないものだった。
「だって、さっき山本先生も言って……おっしゃってたけど、二学期はイベントが多いんだし、皆を引っ張れる人の方がいいと思うよ」
真面目な性質ゆえか、丁寧な言い方に直しつつ、歩二はもう一人の候補だった守臣浩に視線を送った。
「……あっれぇー、俺ってこんな人望なかったんだぁー、知らなかったなぁ」
中性的な紫雲とは違った方向で整った顔を持ち、いつも朗らかでクラスの中核にいる浩だったが、現在その顔は、というか目が凄まじく虚ろで普段の容姿も雰囲気も見る影もない。
そうしてガックリと机に突っ伏している浩に対し、何処か冷ややかな……声が掛かった。
「当然の結果よ。世界には適材適所という言葉がある事を学ぶべきだわ。
一つ一つの歯車の役割があってこその世界なの。分かる? 分からない?」
明らかに落ち込んでいる浩に追い討ちをかけているのは、彼の隣に座る(ちなみに歩二の隣)銀色のストレートな長髪を微かな風に揺らす、異質な少女だった。
いや、厳密に言えば少女ではない。
その存在のカタチは限りなく人に近い。
違うのは制服の下から覗かせる肌の違い。
その肌は、人の肌のように柔らかくもなければ、それなりの温かみもない。
何故なら、ソレの肌は『作り物』だったからだ。
彼女は、ロボット。
世界でもそう多くない、人権を認められるほどの人間と同等……いや、ある意味ではそれ以上の自立思考を持つ高スペックの人型ロボットだ。
彼女は、その自立思考から『自分は学校に通う必要がある』と考え、現在この学校……県立慶備高等学校に通っている。
あまりにも人間らしい外見や『キャラクター』もあり、ロボットだからと言う差別を受ける事はなく、ごく普通に学生生活を送っている。
その彼女(製造番号その他は長過ぎるので割愛)……スギナと自らを名乗り、名称登録している存在は、呆れ気味な表情を作り(顔の部分と幾つかの部分は特殊ラバー製)言葉を続けた。
「学級委員のような仕事は、浪之クンのような真面目であろうとする人間がいいの。
貴方の様な、時折いい加減で、何をするか分からない、ランダム性に溢れ過ぎる人間を二人も配置するべきではないわ。
理解できる? できない?」
「うう、そうスね。
俺みたいな二十面サイコロ野郎が真面目な仕事をしようなんて甘い考えでした」
「あ、いや、守臣君。ソコまで気にしなくていいと思うよ」
スギナの追い討ちに黙っていられなかったのか、突っ込みたかったのか、座ったままの歩二が声を上げる。
「それに、その……スギナ、さん。
今学期はイベントが多いんだから、イベントごとを盛り上げるような、それこそ何をするか分からないヒトこそ適役だと思うんだけど。
仮に守臣君が駄目だとしても、今日休んでるはで波出君とか、他にも……」
歩二がそう言うと、スギナは、フッ、と鼻で笑った。
それを見た刹那、歩二の口元が引き攣るが一瞬だけなので誰も気付かない。
「話を聞いていなかったのかしら?
二人も配置する必要はないと言ったでしょ。
その役は紘音が担当しているから、これ以上は混沌というか地獄を招くだけ……」
「ちょ?! スギナちゃん、ソレどういう意味よ?
アタシがヒー君と同じ何も考えてない馬鹿で阿呆だって言いたいの?」
腕を組んで立ったままだった紘音が言う。
ヒー君というのは言わずもがな浩の事で、幼馴染ゆえの愛称である。
「ちょ、ヒー子っ!? お前、ソコまで言うか?!」
同じく幼馴染ゆえの愛称で呼びつつ、落ち込んでいた浩が立ち上がる。
「俺は確かに阿呆で馬鹿だが、謝れ!!」
「……阿呆で馬鹿なら謝る理由はないと思うけど、浪之クンどう思う?
貴方なら謝る? 謝らない?」
「うーん、俺なら謝るかなぁ。悪口には違いないし」
「論理的ではないけど、倫理的にはいい答だわ。……偽善的だけど」
「……やかましい」
本人達にしか聞こえない程度の小声で言葉を交わした後、小さくスギナは付け加える。
「でも、この場合は多分駄目ね」
「何が?」
「浪之クン?」
「は、はい!!?」
「誰がいつ悪口を言ったの?
アタシは事実をそのまま言っただけよ。
キミに悪気とかないのは分かっているけど訂正しといてよね」
『えぇぇぇっ??!』
滅茶苦茶な事を言い出す紘音にクラスのあちこちから声が上がる。
言われた当人である浪之は、紘音の視線に負けて、不安げに視線をあちこちに彷徨わせた後、小さく頭を下げた。
「いや、その。ごめんなさい」
「謝らなくてもいいって、浪之。
おい、コラ、ヒー子。
お前の言った事は事実はどうあれ悪口だって言ってるんだよ、浪之は。
謝れ! 浪之と俺に謝れっ!!」
「だ、か、ら、悪口じゃないってばっ!!
というか、浪之クンには謝ってもヒー君には謝らないからねっ!!」
「てめぇ……」
そうして始まった白熱した口合戦を殆どのクラスの面々(担任含む)は生暖かい眼で見守っていた(放置とも言う)。
それと言うのも、浩と紘音が繰り広げるこの手のやり取りそのものは日常なのである。
もっとも、その内容については常に変動し、聞き手を退屈させないが。
ともあれそんな訳なので、イチイチ止めたり、間に入ったりするのは徒労にして時間の無駄……なのだが。
「……止めた方がいいかな?」
「貴方は気にするのよね、やっぱり」
はぁ、と溜息を付くスギナ。
「私に聞かなくても、止めたいなら止めたら?
個人的には無意味かつ無駄だと思うんだけど」
「う」
「まぁ……浪之クンとしては、その方がいいんでしょうね。
色々な、ある意味では単一の意味で」
「……」
「大体なんでお前が当選で俺が駄目なんだよ!」
「馬鹿じゃないの?
目立ちたいからの自己中立候補と皆からの願いを込めた推薦を一緒にしないでよね!!
そういう意味でも推薦同士アタシと浪之クンのナイスタッグで十分なのよ、
この三十面サイコロ男っ!!」
「勝手に数を増やしてんじゃねぇっ!! この気まぐれ猫女っ!!」
「猫上等じゃない!! 可愛いもんね!!」
「はっ! お前なんざ、お高くとまった血統書つきの可愛げのない猫だろうが!!」
「アンタ、今世界中の猫好きを敵に廻したわよ!?
そして私を敵に廻す事になるわ!!」
「ちょ、二人とも落ち着いてぇー! 今ホームルーム中!!
先生も見てないで止めてくださいよっ!!」
ヒートアップし続ける二人に歩二が割って入る事数分。
歩二の神経、精神、魂、プライド、
その他色々なものを磨り減らした激闘の果てにようやく二人の口論は終結した。
「あー……見苦しい所お見せしました」
「……いつものことじゃない?」
スギナの的確な突っ込みに、頭を下げたばかりの紘音が顔をヒクつかせた。
だが、大口論の後で体力を消耗したのか、事実だと認めることにしたのか、
スギナの言葉を聞き流す。
誤魔化すように咳払いをした後、紘音は歩二に向き直った。
「ま、何はともあれ、これから一学期の間よろしくね浪之クン。
こんな感じで迷惑掛けないように気をつけるからさ」
「う、うん。というか、迷惑だとか思ってないから。こちらこそよろしく」
「ホント、浪之クンはいい人ね。……誰かさんに爪の垢を飲ませたい位」
「同感だ。俺もそうしたい。心の底からそう思うぜ」
「ま、まぁまぁ」
「ふふ、冗談よ。
それに、流石に言ってすぐに迷惑掛けたりしないって。じゃあ、よろしく」
「うん、改めてよろしく」
立ち上がった歩二は、差し出された紘音の白い手に、恐る恐る手を伸ばし握手を交わした。
そうして彼女の手に触れたのはホンの数秒。
「よし、じゃあ学級委員も決まった事だし、そろそろしめるか。
明日は知っての通りの実力試験だが……」
そうして、担任のである山本和喜(49歳独身)のまとめが始まると、
紘音は席に戻っていった。
歩二はというと、座った後、
紘音と握手した手で小さく拳を作り、グッ、グッ と握り締めていた。
それは、さっきの感触を確認するような、
奥に押し込めて大切に仕舞うような、そんな所作だった。
「……いじらしいこと」
「っ」
小さく響いた声に振り向いた先には、当たり前のようにスギナがいた。
彼女は感情を感じさせない表情で、歩二にしか聞こえないように、それでいて少し大きめに唇を動かしていた。
「放課後、いつもどおりに」
「分かったよ」
そんなスギナに対し、歩二もまた唇を大きめに動かし、答えた。
声が届かなくても唇で内容を察する事が出来るように。
……続く。