evol”O”ve EPISODE 0,4 Going History







あの頃の事は、思い出したくないような、思い出したいような、複雑な気分だ。

でも、大事な事がそこにあるので、そこに触れられると、やはり思い出してしまう、というか思い出さなきゃおかしい。



というわけで思い出す事にした。



当時の私……つまり小学校に通っていた頃……には、友達が居なかった。

転校したてだった事もあるが、少しからかわれたり、悪口を言われるとすぐに怒ってしまうのがまずかったのだろう。

……昔から、感情の抑制は苦手だったのである。

そうして喧嘩をして、同性である女の子はおろか、男の子さえ泣かせることもしょっちゅうだった。

それで、元々からある垣根がもっと高くなって、一人きり。

んで、そんな奴らと仲直りなんかしてたまるもんか、と意地も張ったりしたから、なおさら一人ぼっち。

だから、その日も。

「あーあ……」

せっかくの土曜日なのに友達と遊ぶ事もなく。
家に篭って、ごろ寝していた。

……それでも、いままでなら、一緒に遊んでくれる母さんがいた。

でも、今はいない。
少し、というには少し遠い前にいなくなった。
そもそも『こっち』に転校してきたのはそれが理由だったりする。

『その事』を気に掛けてくれる『家族』も、仕事や学校に行っている間はどうしようもない。
私自身、それをあてにしていたわけではないけど(というか、あてにしたくなかったのだが)。

「あーもう、こんなの駄目駄目!!」

本来私はジッとしているのが苦手なのだ。

というか、沈んでいるのもゴメンだ。

そうして、退屈を持て余した私は、外に飛び出した。

「♪〜」

鼻歌を歌う。

何処に行くあてがあるわけでもなく、ただ路地を歩いて回る。

時に口笛を吹く。

――風が吹く『上』に『歌』を乗せれば、いつだって何処でだって楽しめる――

――そうして、明るく、楽しく、真っ直ぐに生きていきなさい――

そう教えてくれたのは、母さんだった。

だから、悲しみたいわけじゃない。
ただ、楽しく生きていたい。

――それが母さんの望みだったから。

でも。
やっぱり、母さんがいないのは辛くて。

もう結構経っているのに、時々すごくうじうじしてしまう自分がいて。

その事を言われると、むきになってしまって。

母さんが教えてくれた事だけじゃ悲しみや辛さを全て埋める事ができないのを、その頃の私は痛感していた。

……そんな事を考えていた、その時。

「……母さん?」

たまたま歩いていた路地の向こうに、一人歩いている女の人がいた。
……その人の後ろ姿は、何処か母さんに似ていた。

「……」

そんなはずはないのに、その背を追いかける。
分かりきっているのに、そうしないではいられなかった。

その気配を察したのか、その人が振り向いた瞬間。

「……!!危ないっ!!」

その人は、叫んだ。

気付けば、すぐ近くに車。

夢中になりすぎて、周囲が見えていなかったのだ。
今も続いている、私の性質。

それは、さておき。

車は、私の本当にすぐ側にあって。
びっくりしてしまった私は、足を躓かせて地面に倒れた。

(もう、駄目だ)

そう思った瞬間。
私の身体が、浮き上がった。

「……やれやれ」

……気付いたら。

そこには、白衣を着た女の人。
私は、その人に抱きかかえられていた。

おずおずと見上げる。
厳しそうなその顔は、あまり母さんに似ていない。

母さんは、もっと優しそうだった。
似ているのは、後ろ姿だけだった。

そこで、私は車が衝突する直前に、その人に助けられた事を認識した。

すでに車は遠ざかっている。
多分、逃げたのだろう。
その後ろを女の人は険しい目で睨みつけていた。

「ったく。最近の若い奴は交通法規どころか、人としてのルールさえ守れないのか。
 ……大丈夫か?」

険しかった目を幾分和らげて、その人は私に言った。

少なくとも悪い人じゃない……そう理解した私は、うんうんうん、と何度も頷いてから答えた。

「は、はい、大丈夫ですっ!
 助けていただき、ありがとーございましたっ!」
「ん。元気そうで何よりだ。怪我はないか?立ち上がれるか?」
「あ、はい」

私の返事を受けて、その人が私を地面に下ろした時。

「っ」

微かな痛みが走る。

痛みを感じた所に目を向けると、膝の所に擦り傷が出来ていた。
それに気付いた女の人……お姉さんは、私の傷を覗き込んでから、言った。

「ふむ……傷が浅いのはよかった。が、放っておくのもな」
「いえいえ。このぐらい、水で洗えば平気ですよ」

実際、このぐらいの怪我は慣れっこだったので、私は笑ってそう言った。

「しかし、まあ……消毒しておくに越した事はないぞ。
 そうだ。すぐ近くだから、私の家に少し寄っていきなさい」
「え……誘拐?」
「……」

ポン、と浮かんだその言葉に、女の人は一瞬呆気に取られたかと思うと。

「ぷ。あはははは」

楽しそうに笑った。

それは、すごく楽しげな笑い方で、私は、やっぱり母さんに似ているかもと思った。
記憶の中の母さんは、そんな笑い方をしていたから。

「いいね。
 思ったままを口にできるとは、子供ゆえか、それとも生まれ持った君の性質なのか……
 いずれにせよ、気に入った」
「……」
「そう、怪しげなものを見る目で見ないでくれ。
 私は医者だ。
 命を救いこそしても、危険に晒したりはしない。
 だから君の手当てをさせていただきたい……こんなものでどうだ?」

そう言って、その人はしゃがみこんだまま、私に畏まったお辞儀をして見せた。

「ぷ……ははははは。
 お姉さん、面白い〜」

私はそれが可笑しくて、思わず笑っていた。

――その後、私がその人についていく事を決めたのは言うまでもなかった。





「家に連絡したよ」

お姉さんの家だという雑居ビルの診療所で怪我の手当てを終えた後、お姉さんは私にお菓子を振舞ってくれた。
そして、私がそれを頬張っているその間に、家に心配を掛ける事がないようにと、連絡を入れてくれたのだ。

「夕方頃迎えに来るそうだから、ここで待っているようにとの事だ」
「えー?自分で帰れるのに〜」
「まあ、そう言うな。
 親御さんとしては、迷惑を掛けた私に何もしないわけにはいかないんだよ。
 が……まだ随分時間があるな」
「お姉さん、遊んでくれないの?」
「んー。そうしたいのは山々だが、私も少しばかり仕事が残っているし……」

そう呟いた後、白衣のお姉さんは、ポン、と手を打った。

「そうだ、漫画でも読むか?」
「漫画?」
「私の弟が、そういう物が大好きでな。
 上の階にある奴の仕事場に溢れかえるほど置いてあるのさ。
 まあ、もっとも弟はもっと子供じみた……というと怒られるが、特撮モノの方が好みらしいがな」
「???」
「……漫画、読んだ事ないのか?というか、TVとか見ないのか?」
「んーあんまり。ちょっと前まで貧乏だったから」
「――そうか。
 ならせっかくだ。暇潰しに読んでみるといい」

そうして案内された『弟さん』の部屋……事務所と書いてあったと思うが……には、漫画の本がたくさん置いてあった。

お姉さんのチェックを通して渡された漫画。

たぶん、はじめて読む事になるだろう漫画。

私は、ドキドキしながら、その扉を開いた。

「……」

……その中には、全てがあった。

大袈裟ではなく、そう思った。

……笑いも。

「あはははっ」

……涙も。

「う……ぐずっ……」
「――涙と鼻水は拭いておけ」

……絶望も。

「……」

……希望も。

「……わぁ……」

そして、キャラクター達がいた。

私の生まれや育ちなんか、比較にならないほど辛い状況……そんな中を駆け抜けていくキャラクター……主人公達。

彼らは『絵空事』だ。
それは子供の私にも分かっていた。

でも。

それなら、その絵空事の中の人物にさえ負けるように、うじうじしている自分は一体何なのだろう。

そして、その絵空事にこんなにもドキドキワクワクしている自分は一体何なんだろう。

今までに味わった事がない楽しさと、満足感を、私は感じていた。

だから、私は。

「そんなに、面白いか?」
「うんっ!!」

仕事を終えて様子を見に来てくれたお姉さんの問い掛けに、満面の笑みで頷いた。

そして、お姉さんはそんな私に。

「――そうか。よかったな」

そう言って、優しく微笑みかけてくれた……







「すみません、お世話になりました。その上、こんな……」
「いやなに。気にする事はありませんよ」

夕方。

私を迎えに来た父親が、お姉さんに頭を下げている。
お姉さんの手には、父親が買って来た菓子折りがあった。

……お姉さんは甘いものが好きだと言っていたので、すごく満足そうに見えた。

「あの、お姉さん」

そんなお姉さんに私は少し遠慮がちに言った。

「ん?」
「……これ、本当にもらっていいの?」

私は紙袋を持たされていた。
その中味は、読みかけの漫画の本や、トクサツのビデオ。

「弟さんのものなんでしょ?だったら……」

そう言い掛ける私にお姉さんは、手をパタパタと振りながら言った。

「気にするな。
 多分、弟は死ぬほど泣くが……事情を話せば、納得する。
 そして、喜ぶだろう。そういう弟だ」

その顔は、お友達に私を自慢してくれた時の母さんと同じ顔だった。
だから、その言葉に嘘はないと、私には思えた。

だったら、私にできる事は一つだけだ。

「……ありがとうございますっ!お姉さんの弟さんにもそう伝えてあげてくださいね」

ニッコリと笑って、お礼を言う事。
それで伝わると、私は心から思えた。

そんな私を見て、お姉さんは一瞬だけ目を伏せてから、笑顔を浮かべてくれた。

「ああ。
 よかったら、また遊びに来るといい。
 次は弟ともども大いに歓迎する」
「はいっ!!」

――そうして。

優しいお姉さんの笑顔に見送られ、私は家に帰っていった。





それから、何か大きく変わったか、というと特に何かが変わったわけじゃない。

すぐ怒るのは変えられなかったし、喧嘩したりもよくした。

ただ、私が悪いと思った時……やりすぎたと思った時は少し遅くなっても、ちゃんと謝るようにした。
そうして、誰かと仲良くなる努力を少しはするようになった。

悪い意味で意地っ張りな自分はカッコ悪いと、『絵空事』に教えられたから。

あ、そうそう。

お姉さんに会いたいと思って、再び路地を歩いた事もあったっけ。
でも、道を覚えていなかったので、辿り着けなかった。

少し大きくなって、地図を見る事を覚えた時には、その雑居ビルはなくなって……そこには、マンションが建っていた。

それは少し悲しい事だったけど――めげたりはしなかった。

『そういう事がある』ことを、私はもう知っていたから。

そして、それでも負けずに真っ直ぐに生きていくのが、かっこいい事も。

それは『絵空事』に教えられた事でもあり、母さんが望んだ生き方でもあった。

幼い私では不完全にしかなりえなかった母さんの望み。

それを、私は『絵空事』……『物語』で埋めた。

『物語』の登場人物たちに出来て、自分に出来ない事はない。
そう信じて。

『物語』の登場人物たちみたいに、優しく強くなりたい。
そう思うようになったから。

そうして、私は歩いていった。

自分の道を、進んでいった。







そして、今。

「しかし、薫さん本当に好きだね」

学校での休み時間。
教室で漫画を読み耽る私……霧里薫に、陸君は苦笑気味に言った。

陸君にそう言われたから、私は思い出していたのだ。

私が、この世界にはまったきっかけを。

……まあ、その。

この世界に傾倒する内に、あの時とは『愛する形』がやや変わってしまっているのは自覚している。

でも、一番大事なことを忘れたわけじゃない。

(だから、OKですよね?)

記憶の中の『お姉さん』に呼びかけながら。

陸君の言葉に、私は頷いた。

そりゃあもう、迷う事なんかありえない。

「あったりまえでしょー?」

そう言って、私は満面の笑顔を浮かべた。





……END



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