世界を護るもの。
本当に護る事が出来るもの。
それは正義の味方?
それは抑止力となる兵器?
それとも優れた一部の『リーダー』達?
いいえ、違います。
それは……
世界を護るもの
その日、ワシは孫と並んで縁側に座っていた。
「…」
「…」
ワシが住むのは、娘夫婦の家すぐ近く。
そもそも娘夫婦は同居していたのだが、いつまでも世話になっていられないと家を建てたのでワシは一人でこの家に住んでいる。
話をする為に呼び出した高校生の孫は、退屈そうに足をぶらつかせていた。
その顔面には大きな痣が出来ていた。
怒った娘夫婦に殴られたものらしい。
なんでも、遊ぶ金欲しさにクラスメートを脅して、それがままならないとみるや殴りつけたんだとか。
偶々そこに居合わせた人が割り込んだお陰でどちらも怪我は無く済んだらしいのは、不幸中の幸いだった。
今時、ちゃんとモラルを持っている娘夫婦が怒るのも無理はない。
にもかかわらず、孫がこの様なのはワシの遺伝なのかもしれないなどと思ってみたりもする。
だから、ワシは孫を此処に呼びつけたのである。
「……なんだよ、爺さん。
アンタが呼んだんだろうが。説教はしないのかよ」
その思考の中、不機嫌そうに孫は言った。
やれやれ、と呟いてワシは言った。
「勘違いするなよ。
ワシは別に説教する為にお前さんを呼んだんじゃない。
それはお前さんの両親がやったんだろ?」
「……」
「ワシはな、昔話をする為に呼んだんだよ。
約束どおり、それが終わったら少し遊ぶ金くらいくれてやる」
「昔話ぃ?」
「ああ、ワシもお前と同じような事をしていた時期があったからな」
そう言って、ワシは話し出した。
あの日、あの時の、不思議な物語を。
そして、思い出す。
あの不思議な少女の事を。
それは「ワシ」が「俺」で。
「俺」が高校生だった時代。
「じゃあ、まあ、退屈しのぎにこれするか」
「あ、うん」
「ほれ、金出しといてくれや」
「う、うん……じゃあ両替してくるから」
夕暮れ時のゲームセンター。
クラスの中でも目立たない、大人しげな奴を引っ張り出して俺は遊んでいた。
正直、金が欲しかったわけじゃない。
ここで遊びたかったわけでもない。
ただ、やる事が無かった。
やる事が無かったから、やる事を探したかっただけだ。
退屈だった。
代わり映えのしない日々を過ごす事が。日常とかいう奴が。
それを紛らわせるために、最近こんな事をしている。
別に暴力を振るってるわけでもなし。
別に強制してるわけでもない。
ただ、できるならやってくれ、と言っているだけだ。
だから別に悪くないだろ。
悪くないのは、断りきれないコイツだろ。
そんな事を思いながら、両替を待とうとしていると。
「…退屈だからと、悪い事をしてはいけませんよ」
「?」
唐突な声に振り向くと、そこには金髪の女のガキが立っていた。
まあ、ガキと言っても、背格好から考えて俺とそう変わらない年頃なんだろうが、なんとなくそう思った。
金髪だから外人なのかと思ったが、よく分からない。
どちらかと言えば日本人な顔立ちだが、外人とも言えそうだ。
眼の色は茶色じゃないから、ハーフか何かだろうか。
まあ、その曖昧さも含めて、顔は可愛いと認めてやらなくも無い。
だが、服のセンスは良くない。
夏だというのにコートを羽織っているのもそうだが、そのコートも白と黒二色が交じり合うように配色された妙なものだ。
そんなガキを軽く睨み付けながら、俺は言った。
「ワルイコト? いつ誰がそんな事をしたよ」
「今、貴方が」
「証拠は?」
どうせ、見てたとか、あのクラスメートの顔を見れば、とか言うんだろうな……そんな事を思ってると、ソイツは言った。
迷いなんか微塵も無い……そう感じさせる眼で。
「貴方の顔が、そう言っています」
「俺の?」
「ええ。貴方自身、気づいている事なんでしょう?」
「……」
いつもの俺なら逆ギレして、女だろうが気に食わない以上殴り倒していただろう。
だが、その時の俺は完全に呑まれていた。
そのガキの、海や、空のような青い眼に。
そこに、クラスメートが帰ってきた。
「両替、してきたけど」
「……あー……もういい」
なんとなく、その言葉が口から零れた。
「え?」
「今日はもう飽きた。帰っていいぜ」
眼を瞬かせるソイツにシッシッと手を振ってやる。
「……いいの? 遊びたかったんじゃ…」
「いいから帰りやがれ」
凄みを利かせて言うと、ソイツはカクカク首を縦に振って、ゲームセンターから出て行った。
「ワルイコト、やめてやったぞ」
ハッ、と笑いながら言ってやる。
するとガキは呆れ顔で息を吐いた。
「……やれやれ。
表面的な事だけを解決しても仕方ないんですけどね」
「フン。しかし、お前覚悟できてんのか?」
「……」
何が、とは問わない所を見ると分かってはいるんだろう。
「全然関係の無い赤の他人様が、お節介にしゃしゃり出て、何も痛い目見ないと思ってんのか?」
腕の骨を鳴らしながら言ってやる。
実際、深くは考えていなかったから、ポーズだけだったりしたが。
しかしガキは全く焦りを見せる事無く、ふむ、と呟いて言った。
「まあ、そうですよね。
じゃあ、少しお付き合いしてくださいな」
「なに?」
「退屈をしているんでしょう?
それと遊ぶお金が欲しいなら、退屈しのぎにちょっとしたバイトはどうです?
少し危なげですが、身の安全は保障しますし、お給金もはずみますよ」
そのガキはそう言って笑うと、ついてきなさいとばかりに歩き出した。
俺は胡散臭さや面倒臭さに少し躊躇いながらも、ソイツの後についていった。
理由は簡単。
実際、退屈していたからだ。
この下らない日常が続く毎日に。
金髪のガキが漂わせた非日常の薫りに酔って、俺はゲーセンを後にした。
ソイツの後についていくと、駅に辿り着いた。
ガキが言うには、電車で二駅ほど先の所に用事が……退屈しのぎがあるらしい。
という事で二人して電車に乗った。
ちょうど目的地を通る電車が来ていたので、少し慌て気味に。
そうして駆け込んだ夜の電車には、サラリーマンがぐったりとした顔で吊革にぶら下がったり、席に座ったままだらしなく寝ている。
「……」
そういうのを見ると、うんざりする。
退屈な人生の象徴みたいな連中。
俺もいずれああなるのかと思うとたまらなく嫌な気分になる。
そんな事を考えていると。
「……そんな顔であの人たちを見ないでください」
ガキが、冷たい声でそんな事を言った。
「皆、世界の平和を護る為に戦えるし、戦っているんですよ」
「世界を護る?
あれが?
お前、妄想狂か何かなのか?
どう見てもただのサラリーマンじゃねえか」
「はい。彼らはサラリーマンでしょう。
ですが、彼らは戦っているんですよ」
ガキの顔は真面目そのもの。
そして、何かが狂っているとも感じられない。
ただ、事実を告げている……そんな顔だった。
「ハッ……じゃあ、俺も戦ってるってのかよ」
「貴方は……どうでしょうね。
今は、逃げているように思えます」
「逃げる?
何言ってやがる。
そもそも、あいつらにも俺にも、敵なんかいないだろうが」
「いますよ」
「なに?」
「敵は、自分自身。
それに負けずに、心穏やかに生きていく事。
そうして戦う事が、世界の平和を護るんです」
「はぁ? どうしてそうなるんだよ」
思いっきり馬鹿にした口調でそう言ってやる。
だが、ガキは微塵も揺らぐことなく答えた。
「今の世の中、自分が欲しい物の為に、盗んだり、騙したり、傷つけたりするでしょう?
でも、そんな自分に負けずに心穏やかに生きていければ、
少なくともその人自身が世界の平和を乱す事はない。
一人一人がそうであれば……答は明白ですよね?」
「……」
「世界の平和を護るって、実はそんなに大仰な事じゃないんです。
一人一人が、ちゃんと戦えば……叶えられる事なんです。
でも、大仰じゃないにしても、それはすごく難しい事なんですよね。
貴方がさっきの友人にしたように。
あるいは……これから私が貴方にするように。
ささやかな事で、波は起き、日常は崩れるんですよ」
そう言って、その金髪のガキは笑った。
寂しそうに、悲しそうに。
その顔がなんとなく苛ついて、俺は言った。
「……ふん。日常が崩れる? 上等じゃねーか。
退屈な世界なんて、糞喰らえだ。
っていうか、馬鹿じゃねーの?
人間様は皆聖人君子じゃないんだよ、お前みたいな、な」
「私は聖人君子じゃないですよ。
それに、別に聖人君子である必要はないんですよ。
やれる事をやれれば、それで」
そうして電車に揺られているうちに、俺たちを乗せた電車は目的の駅に到着していた。
「ここなのかよ?」
「ええ」
駅から少し歩いた後。
そこには『アニメの事ならお任せ!”めでぃあに”』と書かれている看板があった。
どうもアニメとか漫画の……オタクの為の店らしい。
「帰る」
あっさりと踵を返す俺。
退屈だからって、こんな店に用はない。
そんな俺の背中に、ガキは告げた。
「……それならそれで構いませんよ」
「ええいっ……行きゃあ、いいんだろ」
ソイツの、ガキの癖に悟った声が気に入らなくて、俺は店の中に入っていった。
ガキは、クスクス笑いながら俺を追い抜き、先導していった。
途中、ガキの容姿にオタク連中の注目が集まるが、ガキは意にも解さない。
いや訂正。というか逆にニコニコ笑いかけたりしている。
そうして奥に進むと、「店長」とやたらでかでかと書かれたプレートを胸につけた爺さんが、バイトの奴と一緒にレジに立っていた。
渋い髭面の爺さんは、こちらに……というかガキに気付くと相好を崩した。
そんな爺さんにガキも二コリ、と微笑みかけた。
「どうも、お久しぶり」
「ああ、か……じゃなかった。王様久しぶり。もうそんな時期なのかい?」
「ええ。そんな時期なの」
俺の時とは違う口調で、ガキは爺と話す。
なんか、少しムカツク。
「しかし、王様自らご出陣とは……そんなにヤバいのかな」
「ううん。そうじゃないんだけど……今回、手が空いてるのが私だけだったし、
たまには私自身でそういう事もしとかないと、心が腐っていくから」
「で、そちらの彼が……今回のヨリシロなのかい?」
王様?
ヨリシロ?
妙な単語が幾つか聞こえるが、場所が場所なだけに漫画か何かの話なのかと思う。
だが、冷静に聞けば、今から行う何かに絡んでいる事は明白だろう。
思わず疑問の目をガキに送る。
ガキはそれに気付いているのかいないのか、話を続けた。
「うん。事情説明はまだしてないけどね」
「ふーん……まあ、いいか。
君なら間違いを起こさないだろうし。
じゃあ、行っておいで。
そこの彼には後で私から給料を出しておくよ」
「ありがと。それじゃ失礼しますね」
そう言って、俺たちはさらに奥へ……店の事務所の方と進んでいった。
薄暗い事務所の奥は倉庫になっているようで。
ダンボールに梱包されたままの商品が幾つか詰まれいた。
「……こちらです」
ガキはそう言って、しゃがみ込むと床をなにやらいじくった。
すると、床に一つの穴が現れた。
よく目を凝らすと、階段が見える。
「なんだよ。この地下室の掃除か何かか?」
「掃除……言いえて妙ですね、それは」
話しながら降りていく。
思ったよりも短かったその先で……俺は一瞬だけ、言葉を失った。
「……な、なんだ……?」
失った言葉を取り戻してる間に認識した、広大な空間。
ドーム球場位はあろうかという広さと高さがそこにはあった。
光源がないにもかかわらず、闇だというのに周囲が見えた。
と言っても、満月ぐらいの明るさだが。
学校のグラウンドのような平らな地面が、透明と言うか不確かなのに何故か壁だと認識できる場所まで続いている。
都市のど真ん中にこんな地下空間がある筈がない。
この空間そのものも、ありえない。
明らかな異常……非日常だ。
「ははは……やっと、面白くなってきたじゃねーか」
驚きの余り、少しばかり掠れ声になっていたのには気付いていたが、そんなことはどうでもいい。
退屈を吹き飛ばす状況に、俺は興奮していたのだから。
「……」
「な、なんだよ」
「いえ、何も。
では、バイトをお願いしたいのですが、いいですか?」
「何やるんだよ」
「こちらに立っていてください。それだけで構いません」
広大な空間のほぼ中心……そこに引っ張り出された俺は、其処に立つ事を強制された。
「おいおい。こんなんで退屈……」
せずに済むのかよ、と言葉にしようとしたものは、ガキの眼を見て停まった。
今までとは打って変わった冷たさ……いや、違う、重さを感じた。
「少々肝を冷やすことになるでしょうが。退屈はさせませんよ。
というか、貴方が人間であるならば、退屈する事は出来ないでしょう」
「なに?」
「では」
そう言うとガキは、パンッ、と手を合わせて、なにやら唱え出した。
「我行うは増の法。
人の負を喰らいしを、集めん為の、凶事法」
(何だ……?)
ガキの呟きと共に、周囲が揺らめいた。
暑くもないのに陽炎が掛かっているような、そんな感じだろうか。
そして、先程までは何もなかった筈の地面に何かの複雑な黒い紋様が刻まれていた。
それは、その広大な空間の地面に余す所なく展開されている。
「我集めるは凶事。
世界を喰らいし灰の陰。
祓いし為に、呼び覚まさん」
「!? う、うわあああっ!?」
その黒い紋様から灰色の何かが滲み出て来る。
至る所から溢れ出たソレは、やがて一つに集まり……一体の灰色の巨人を生み出した。
「あああああああああああああ」
自分がそんな情けない声を上げているのを理解してるんだかしていないんだか分からないままで、ガキが退屈出来ないと言った理由を俺は悟った。
この空間の天井に届くほどの大きさとなった灰色の巨人は、見ているだけで根源的な恐怖を俺から引きずり出していた。
例えるなら、高層ビルの屋上から突き落とされるような感覚。
避けようのない、絶対的な死の具現。
それを形にしたものが、あの巨人なのだ。
根拠がないのに、俺はそう確信できていた。
ソンナモノ。
ソンナモノの顔の部分。
そこに、黒い穴が蠢く様に開き……その奥にある何かが、俺を見据えた。
ニタリ。
眼でも、口でも、何かの器官でもないであろうソレは、俺を見て確かに『笑った』。
それは……舌なめずり。
獲物を見つけた獣の、喜び。
俺の……人間の中の、獣の部分が敏感にそれを感じ取った。
「ひ、ゃああああああああああああ」
カクン、と腰が抜ける。
駄目だ。死ぬ。殺される。
そうして、巨人を見上げるしか出来なかったの俺の視界に。
金色のガキの背中が、入り込んだ。
「な? え?」
途端。
さっきまでの恐怖が嘘のように消える。
ガキを見たから安心した?
いや、最初から……そうなるように、なっていた?
「……どうですか?
貴方自身の中にあるものと同じもの、それをカタチにしたものを見た気持ちは」
振り返らずに巨人を見据える少女。
「な、に?」
「さっき話しましたよね。
皆が世界を護ってるんだと」
「あ、あ?」
「人は皆、アレを抱えながら、アレと戦いながら生きているんです。
それが、世界を護るという事……その一部なんですよ」
「……」
「先刻も話したように、本当はそうして世界を護れる筈なんですけど……
アレみたいに形を為してしまったものからは無理ですよね」
「お、おい!」
灰色の巨人が、俺達に向かって腕を伸ばす。
だが。
「そういうものから、世界を護る為にいるのが、私のような人間達なんです」
巨人の手は、ガキのコートに触れた途端、ボロボロと崩れ去っていった。
まるで、水に浸した紙の様に。
「では、お話はあとでゆっくりと。
今はこれを片しましょう」
ニッコリとこちらに笑い掛けて、ガキはコートの中から、金色の何かを取り出した。
「杖……?」
「いえ、剣です」
コートから取り出した細長いもの。
それは一見すると杖にしか見えなかった。
だが、ガキが引き抜くような動作をすると、杖、いや鞘よりも太い刃が徐々にその姿を現していった。
「デカ……」
完全に引き抜かれたソレは、ガキの身長の倍近い大剣だった。
そして、その刀身さえも金色に輝いている。
ガキはその剣の重さを感じさせない動きで、高々と掲げ、叫んだ。
「我が名、世界王……!
七つの力を従えし、世界の管理者……!
その名の元に、我は世界を守護する……!」
金色の剣が、更に光沢を増し始める。
その光は、光だけで灰色の巨人の輪郭を崩し始めていた。
「その意志の具現たる、我が刃。
世界を束ねて、虚無を断つ。
異邦のものよ、疾くと去れ……!!」
その輝きが最高潮に達した瞬間。
灰色の巨人は、粉の様に細かく分断され、消滅していった。
「大丈夫ですか?」
灰色の巨人が消えて、暫く経った後。
少し……天に誓って少しだけ放心してへたり込んでいた俺は、ガキの呼びかけの声でハッとした。
「見れば分かるだろうが。別に怪我はしてない」
「そうですか」
ガキは安心したらしく、ニコニコと笑いながら、『杖の鞘』に収めた剣をコートの中に仕舞い込んだ。
「どうですか?
退屈はしませんでしたか?」
「……ふん、まあ、そこそこにな。
っていうか、アレはなんなんだよ、アレは」
「言ったでしょう?
アレは貴方自身の中にあるものと同じものだと。
少なくとも、それで形作られたものです。
だからこそ、それを人々より多く抱える貴方を喰らおうとしていたんですよ」
「なに?」
じゃあ、あの巨人は俺を狙っていた……?
いや、というか……
「ガキ、お前……! そのために俺を此処に連れてきたってのか……?!」
「そうです。
だから少し危なげだと言ったでしょう?」
「テメェ……」
立ち上がって、ガキの胸倉を掴みたかったのだが、俺の腰は残念ながら上がらなかった。
代わりに睨み付けると、飄々とガキは答えた。
「それから、身の安全は保障するとも言いましたよね。
守れていませんか?」
「ぐ……」
さっき自分で怪我してないと言い切った以上、因縁を吹っかける事も出来ず、俺は口を閉ざした。
「じゃあ、説明を続けますね。
先程の灰色の巨人は、人の負の想念とこの世界を絶えず狙っているものが交じり合ったもの。
ゆえに、人が多い街……都会には生まれやすいのです。
場所にもよりますが、最低年に一度は祓わなければ、その土地は彼らのものになりかねない。
彼らは人の負を喰らって、より強く成長しますから。
そこで、あえて同じ負を増幅させ、おびき寄せた所で、祓うのです。
ここはその為に作られた、絶好の場所なんですよ」
「その絶好の場所に呼ばれた俺は……あれを呼ぶ為の格好の餌だった訳か」
ヨリシロというのは、そういう意味だったのだろう。
「そういう事です。
貴方の退屈への気持ちは、人が誰もが持つ『虚無』。
それは彼らの最も好むものであり、単純な悪意よりも高レベルな彼らの構成物」
「ってことは、俺はあいつらと同じだってのかよ」
「はい。同じものを持っていることは、事実です。
……だから、私は凄いと思うのですよ」
ウンウン、と頷くガキ。
何が言いたいのか掴めない俺は、思わず聞き返していた。
「何がだよ」
「人間が、ですよ。
あのサラリーマン達をはじめ、日々を精一杯生きている人たちが」
「は?」
いきなり出て来た場違いな言葉に、俺は目を丸くした。
だが、それが場違いではない事をすぐに知った。
「私達は、負の想念を形にしたものを相手に戦っています。
でも、皆さんは形にならないアレとさえ、毎日戦っている」
「……!」
「勝ちもすれば、負けもするでしょう。
それでも多くの人は、毎日を生きようと努力している。
それは、とてもとても凄い、価値のある事なのです」
「そうか? 俺はそう思わないぞ、ああ、欠片とも」
俺がそう言うと、クスクスとガキは笑う。
なんというか、言いたい事は分かってますよ、と言わんばかりでまたしても癇に障る。
「まあ、それはそれとして。
私が何故貴方をここに連れて来たか分かりますか?」
「……あぁ? 俺をびびらせようとかじゃないのかよ」
多分違うだろうと思いながらも、俺は言った。
すると、ソイツはもう一度クスリ、と笑いながら答えた。
「少しそれもありました」
「おい……」
「でも、勿論それだけじゃありませんよ。
出会った時、言いましたよね。
『貴方の顔が、そう言っています』と」
「……」
「あの顔を見て、貴方はちゃんと『話せば』理解できる人だと感じました。
だったら、放っておくよりお話したい……そう思ったんです。
だから、ヨリシロになってもらったんですよ。
そうすれば、私の言いたい事が伝えやすいかな、と」
つまり自己満足か。
そう言い掛けた口は、何故か動かなかった。
静かに、穏やかに微笑みながら、それでいて揺らぎのない眼差し。
それを見ていると、言葉の全てが失われていった。
「……」
「貴方が今日の事で何を思ったのか、思うのか、それは自由です。
私は、この先貴方がどんな生き方をしても、もう干渉はできないでしょう。
私の日々は、今日のような毎日の繰り返しで、貴方の言う退屈な日常からは遠いものですから。
ただ、言っておきます。
貴方の言う退屈な日常は、決して無意味ではないんです。
そして、貴方が言う『面白い事』も、
それを生業にするものにとっては結局は同じ事の繰り返し……日常に過ぎないんです。
ただ、種類や方向が違うだけで。
私は、貴方が退屈だと言うものが、逆に羨ましく、愛しい……そう思います。
それが……私の日常とは違う、壊れやすいものであるがゆえに」
「……」
「私は、貴方を咎めたい訳じゃない。
貴方のような人間は世界中、何処にでもいますから。
でも、できれば……」
ガキが、最後に俺に告げた。
その時の微笑みは、彼女の金髪よりも輝いて見えた。
それを告げ、少女は、まるで風のように消え去った……
「……と、そういう話だ」
「ホラ話かよ。呆れるぜ」
明らかに小馬鹿にする声で、孫は言った。
その声音が、記憶の中の自分と重なって、なんとも言えず可笑しい。
「何笑ってんだよ爺さん」
「いや、まあ、そう言うだろうと思ったがな。
でもな、ワシは思うよ」
「何を」
「あれが夢であれ現実であれ。
仮に、お前が言うようにワシのホラ話だとしても、だ。
人一人が世界に与えられる影響は、自分が思うよりもずっと大きく、深いんだとな。
人は、簡単に誰かを不幸にも幸せにもできる」
そう。
仮にアレが白昼夢だとしても。
どんな特別に見える人間でも……日常を生きている事に変わりはなく。
人一人が誰かの日常を壊すのは容易い。
そう気付いた事には変わらない。
この孫が、クラスメートにそうしたように。
かつてのワシが、クラスメートにしたように。
そして、あの金色の少女がワシに見せたように。
「ハッ……んで、臆病者の爺さんは真面目になったってわけか」
「真面目になったわけじゃないがな」
あの日以降。
俺は少し変わった。
別にクラスメートに謝ったりしたわけじゃない。
ダラダラとした、目的のない生活を改善したわけじゃない。
「ただ、面倒臭くなったんだよ。
そもそもワシは波風を立てるのはともかく、立てられるのは嫌いだったからな。
だから、波風も立てなくなった……それだけだ」
「くだらね。
そんな与太話、誰が信じるかよ」
「信じなくても、理解できればいいさ。
まあ、今は分からないだろうな。
ワシも、分からなかったしな」
あの出来事があったとは言え、ワシは劇的に変わったわけじゃない。
あの出来事を踏まえて、少しずつ少しずつ少女の言葉の意味を理解できるようになったに過ぎない。
それを、今一から十まで分かれというのは、酷な話だろう。
「フン、分かるかよ。
っていうか、ほら、金をよこせよ」
「ああ。ほれ」
「じゃあな」
孫はワシの手から金を掠め取ると、バタバタと家を出て行った。
「……ふん。つまらんところばかりワシに似るな」
呟いた刹那、一陣の風が吹いた。
巻き上がった埃に、たまらず一瞬目を瞑る。
その直後。
「うーん。そうですね。意地っ張りなところはそっくりかも」
再び開いた目に映ったのは。
庭先に立つ、あの日のままの、少女だった。
「おま、え…」
「久しぶりですね」
問いたい言葉はたくさん浮かび上がった。
その中で真っ先に形になったのは、此処にいる事や、年を取ってない事といった現実的な事じゃなかった。
「ワシが分かるのか? ワシを……覚えててくれたのか?」
そう。
たった一日だけの。
多分、向こうにしてみれば瞬きのような時間を覚えてくれたのかが、ワシには気になった。
彼女は、あの時と変わらない笑みでそれに答えてくれた。
「勿論ですよ。
今日みたいに、たまに様子を見たりしてましたしね。
というか、貴方が覚えてくれていたのに私は驚きました」
「忘れんさ」
あまりにも、鮮烈過ぎたからあの記憶も。
あの時は認められなかった、少女の美しさも。
忘れられるはずがなかった。
「忘れ、られんよ」
思わず、苦笑する。
その笑みを見てか、少女は穏やかな眼差しをワシに送った。
「……とても、立派な人になられましたね」
「はは。どうだろうな。
孫があの様じゃ、そうとも……
そうだ。折角だし、アイツにも見せてやってくれないか? あれを」
「その必要は無いと思いますけどね。
あの子も、あの時の貴方と同じ顔をしていましたから。
でも、分かりました。次の機会にはそうしましょう」
「そうしてくれると助かる。……はぁ」
「どうしました?」
「アンタに出会ってから、ワシの人生は平々凡々になっちまったよ」
「……」
結局。
ワシは若い頃あれだけなるのが嫌だったサラリーマンになり、その会社で定年退職まで果たしてのけた。
他の生き方を考えなくもなかった。
どんな生き方でも日常なら、『退屈じゃない』生き方でも良い筈だと考えて。
だが、結局はサラリーマンだった。
何故なのか、自分でもよく分からないままで。
ただ、それでも……
「でも正直、今ではそれが悪くないと思う。
こんなワシ…俺を、アンタはどう思う?」
不安げなその問い掛けとは対照的に、少女は迷いなく答えた。
「私は、とても羨ましいです」
「……変わらないんだなぁ、アンタは」
「はい、残念な事に」
「なあ。俺も……世界を護れてるんだろうか?」
アンタと、同じ様に。
その言葉の方は、なんとなく言葉に出来なかった。
でも、少女はあの時と変わらず、俺の言葉をわかってくれていた。
だから、輝く笑顔で応えてくれた。
「勿論ですよ。
私なんかよりも、すごく立派に。
これからも、立派に戦ってくださいね。
そんな貴方を、私は素敵だと思います」
その声と共に一陣の風が吹いた。
風が通り過ぎた後には、誰も、何も、残っていなかった。
それはあの時と同じで、俺は思い出していた。
少女の、最後の言葉を。
「でも、できれば……貴方にも世界を護って欲しい。
貴方には、きっと、それが、出来るから」
世界を護るもの。
本当に護る事が出来るもの。
それは正義の味方?
それは抑止力となる兵器?
それとも優れた一部の『リーダー』達?
いいえ、違います。
その答は……もう分かっているでしょう?
さあ。
どうするかは、貴方次第です。
……END