このSSはAIRの二次創作小説です。
AIR本編のネタバレに加え、作者の偏った考え方も含んでおりますので、原作のイメージが第一と考える方、まだAIRをプレイしていない方……多分、今ここにいる方の大半はクリアなさっていると思うのですが……は読む事をご遠慮ください。
以上の事に関する苦情などは受け付ける事ができない事をご了承の上、それでもいい、それでも読んでみたいという方のみ、下の方へとお進み下さい。
それでは、どうぞ。
眼が覚める。
そこは霧島診療所、その待合室の長椅子の上。
考え事をしているうちに、いつの間にか寝入ってしまっていたらしい。
気がつけば、朝になってしまっていた。
かけられていたタオルケットに苦笑しながら、俺……国崎往人は、起き上がって窓を開いた。
空は、青い。
夏の空。
もう少しで終わろうとしている、夏の空。
「あー……」
なんとなく。
掌をそんな空に翳して、光を遮りながら呟く。
「結構寂しいもんだよな」
空は、何処までも広がっている。
だからこそ、余計に寂しい。
「今まであったモノが無くなるっていうのは」
夏の終わり、旅の終わり
「ボス、掃除終わったぞ」
日課となった……もとい、仕事となったモップ磨きを終えて、俺が厄介になっている霧島診療所の主、霧島聖に告げる。
その彼女はいつものように、うむ、と鷹揚に頷き返した。
「そうか、ご苦労様」
「まあ、仕事だからな。……佳乃は?」
霧島佳乃。
この診療所のもう一人の住人であり、俺にとって……大切な少女。
そんな事を考えている事を努めて封じながら俺が問うと、彼女は困り顔で答えた。
「学校だ。今日は特に何もない筈だが……まだ君に顔が合わせづらいんだろう」
「そうか……」
「国崎君、気を悪くしないでやってくれ。あの子は……」
「ああ、分かってる。……ところで、だ。
それはそれとして、少し出掛けて来たいんだが、いいか?」
「ああ。別に構わないぞ。
午前中は患者もあまり来ないだろうし……」
「午後も来ないだろ」
「……」
「じゃあ、出掛けて来る」
物言わず懐のメスを握る気配を察して、俺はダッシュで診療所を後にした。
一ヶ月ほど前、俺はこの街に降り立った。
そうして、彼女達と出会い。
その果てに、この街に住み着くことを決意して……幾許かの時が流れていた。
その中で、一人の少女を助ける代償に、俺は『力』……法術を失った。
それは、生まれ持った力。
受け継がれてきた力。
翼の少女を見つける道標。
母親との微かな絆。
そして俺の存在意義。
「って、そんな大層なもんじゃなかったか」
神社の本殿への階段に座り込んで、呟く。
聖にはああ言ったが、別にこれといって用事はない。
やる事もないが、やらなければならない事もない。
自由。
今まであったようでなかったそれを、俺はある意味手に入れているのかもしれない。
「まあ、悪くないか。後はアイツが……」
呟きかけて、俺は首を振った。
「いや、問題ないな。アイツは、もう大人だ」
数日前の事を思い出す。
俺は、佳乃に法術を失った事を話した。
話の流れで、話さざるをえなくなってしまったのだ。
別に隠すような事じゃなかったが、話しそびれていた事だ。
そして、どの道、いずれ話す事になっていただろう事でもある。
だから、躊躇い交じりにだったが、俺はそれを話した。
アイツは、少しショックを受けていた。
『魔法』を自分のせいで失わせてしまったという事実に。
そんな佳乃に、俺は言った。
「きっとそのために必要な力だったんだ。
俺は気にしてないし、お前が気にする事はないんだ」
その言葉に、アイツは頷いた。
それ以上の会話は無かった。
でも、頷いたという事は確かだった。
だから、俺から話す事はもう無い。
後はアイツがアイツなりに整理をつけるのを待つだけだ。
心配はしてない。
今のアイツにはそれができる事を、俺は知っていたから。
むしろ。
俺は、自分自身の在り方について考えなければならなかった。
「……何もないからな」
法術を失った俺には……国崎往人という人間には何も無い。
ショックを受けた佳乃を見て、改めて俺は思い知った。
学校に行った事がないから、教養がある訳もない。
何かの資格を持っているわけでもない。
愛想は悪いから、人に好かれるわけでもない。
残ったのは……少しばかりの体力自慢くらいだろうか。
「そんな俺は、アイツらに何がしてやれる……
アイツらは、幸せになれるのか……?」
もう動く事は無い人形に呟く。
「んで、俺はお袋になんて言えばいいんだか……」
俺自身に後悔は無い。
だが、母親を裏切った事が少しだけ重荷だった。
「って、それが後悔なのか」
……そんな弱気な考えも再び頭に浮かんでくる始末。
それにうんざりしながら、やれやれ、と俺は板張りの階段に寝転がった。
辺りは、馬鹿みたいに暑い。
そのはずなのに、目を瞑っただけで、俺の意識はあっという間に遠ざかっていく。
心が休養を求めていたのかもしれない……そんな事を考えているうちに、俺の意識は黒く染まっていった……
「……ん」
なんとなく、目を開く。
そこには露店……いや夜だから夜店というべきか……が並んでいた。
少し前、佳乃や聖と訪れた、夏祭り。
その場所も、空気も同じ場所。
ただ違うのは、そこには誰もいない事。
いや、それは正確じゃない。
其処にはただ一人、女性が佇んでいた。
それは、今はもう存在しない筈の人間。
そして、俺はその女性に見覚えがあった。
羽の記憶……いや、佳乃の記憶なのかもしれない……に居た女。
「アンタは、佳乃の」
そう。
佳乃の……母親。
彼女は、穏やかな目で俺を見詰めていた。
そんな目で見られた事は余り無いので、落ち着かず、俺は自ら話し掛ける事にした。
この『場所』が、法術を失ったあの日の『延長』だと、心の何処かで気付きながら。
「あー……何か、用か?」
「ええ。貴方にお礼を言い損ねていたから。
貴方の力と羽の残滓も限界で、もうその機会は無いだろうと思っていたけど、貴方がここに来てくれたから繋げる事ができた。
だから、この機会に意識の隙間にお邪魔させていただいたわ。
ごめんなさいね」
「それは別に構わんが……俺はアンタに礼を言われるようなことをしたか?」
「ええ。
佳乃を救ってくれました。
何より、あの子と共に生きていく事を決意してくれた。
だから、ありがとう」
「……別に礼を言うような事じゃない。
俺は、俺の好きにやっただけだ。
というか、アンタはそれでいいと思うのか?」
「それで、とは?」
「俺みたいなろくでなしが、娘と一緒にいる事が、だ。
アンタの娘、不幸になるかもしれないぞ」
そう言うと、彼女は可笑しそうに、それでいて穏やかなままで笑みを形作った。
「それは、娘が決める事よ。
とは言っても、私は心配してないわ。
あの子は、貴方と一緒だと笑顔がより輝いているから。
そして聖もそれをよく知っている。
だから、あの子もいつかは幸せになれる……
あの子達を縛るものは、もう何も無いから。
貴方が、全てを解き放ってくれたおかげでね」
彼女の微笑みは、語っていた。
『だから、貴方が不安になる事は何も無いのよ』と。
少なくとも、俺にはそう思えた。
「……よく分かるな、そんなの」
「母親だから」
その言葉で、不安の一つが解消された。
確証じゃない。
でも、信じられる言葉。
彼女達は、幸せになれる。
『今の俺』としては、それ以上に望むものはない。
ただ。
その代わりに、その言葉で……母親という言葉で一つ思い浮かぶ事が、この機会に尋ねたい事が生まれていた。
「……そうか。
ところで、それとは別に一つ訊きたいんだが、いいか?」
「なに?」
「あーその、なんだ。
親から見て、不出来な子供ってどうなんだ?」
それは、立派な母親である、目の前の女性なら答えてくれるのではないか、そんな期待から生まれた言葉だった。
「例えば、だが……自分が叶えてほしかった事を叶えない子供ってのは……自分の思い通りに育たなかった子供ってのは……やっぱり、腹が立つモノなのか?」
「……それは私の娘達が不出来だと?」
そう言って、彼女は指をワキワキと動かした。
其処に灯る殺気は、紛れもなく聖と同一。
そして浮かべる笑顔は殺気を除けば佳乃によく似ていた。
ああ、なるほど。
この人は、確かにあの二人の母親だ。
心底、納得。
……って、そうじゃなくて。
「違う。そうじゃない。
例えばの話であって、少なくともあんたの娘たちは該当してない。
ただ疑問に思っただけだ」
「具体的には?」
いまいち伝わっていないらしく、彼女は少しだけ首を傾けた。
……ここまで話した以上、全部話さないでいられるほど、俺は我慢強くはなかった。
「あー、もう……分かったよ。
……此処だけの、いいか、本当に此処だけの話だが……
俺は、アンタの娘の力になれて、心からよかったと思ってる。
だが、それとは別に、情けないにも程があるっていうのがあるんだ。
アンタも知ってるだろう俺の力は、母親が望んだ道を歩く為の力だったから」
「……」
「いやなんだ。別に恨み言を言いたい訳でもないんだ。
ただ、俺の母親はいなくなっちまったから、もう謝る事ができない……
多分、それが引っかかってるんだと思う」
そう。
『今の俺』はそれでいいと思っている。それに間違いは無い。
だが『昔の俺』は……母親と過ごしていた頃の俺は、それでよかったのかって囁いている。
その言葉を受けて、彼女は数瞬瞑目した後、微かに頷いた。
「そうね……もしも、私が貴方の母親だったなら、正直、少し腹が立つかもしれないわね」
「……」
「でも、一番腹が立つのは、貴方が幸せに生きない事じゃないかしら」
「……!……」
「親としてはね、子供が幸せに生きていてくればいい。
そう思うものよ。
親が子供に望む、一番のモノはそれなの」
「……」
「例え、子供が親が願う生き方から離れたとしても、
子供が心からの笑顔を見せてくれるなら、親はそれでいいと思ってしまうのよ。
納得できなくても、納得しちゃう……親は、そういうものよ」
「……本当に、そう思うか?」
「貴方のお母様がどんな人なのかは私には分からない。
でも、貴方が知るお母様が、母親と呼べる人ならば、きっとそう思ってくれているはずよ」
その言葉で、俺は思い浮かべた。
在りし日の、記憶の底に眠る母親を。
あの人は……
『……自分の幸せを求めてもいいのよ……』
ああ。
そうだ。
あの人は、その生き方を認めてくれていた。
道を捨ててもいいと。
違う道を、幸せを求めてもいいと、確かに言ってくれた。
俺に望んでいる事は確かにあっただろう。
おそらく法術を使う事でしか進めない……その生き方をあの人は望んでいた。
でも、あの時の言葉も嘘じゃない。
何故なら。
自分の幸せを望んでいい、そう呟いたその顔は。
佳乃たちの事を語った時の、目の前の女性と、同じだったから。
「……そうか。そういうものなのか……」
「ええ。
いずれ貴方にも分かると思うわ。
貴方がずっと佳乃と歩いてくれるなら」
その、なんとも答えにくい言葉に、どう答えるべきなのか、と迷った瞬間。
風景が、揺れた。
それが、この時間の終わりを示しているのが、なんとなく理解できた。
「……じゃあ、そろそろ失礼するわね」
それを肯定するかのように、彼女は言った。
「……何処に行くんだ?」
「空の果て。
貴方が探した少女がいる、その場所に」
「……佳乃や聖に伝える事は、何かないのか?」
「それはもう、あの時佳乃に伝えたから。
貴方こそ、伝える事はないの?」
「ん。そうだな。
なら……これからの俺は、大地に根を張って生きる。
そう伝えてくれ」
謝る事はできない。
謝るくらいなら、俺は再び旅立つ。
そうしないのなら、後は決意を語るだけだ。
……その意味を汲み取ってくれたのか、彼女は深く頷いてくれた。
「分かったわ。確かに」
「頼む。……じゃあ、達者でな。
それから……感謝する」
俺の言葉に頷き返す気配。
それをを最後に、その風景は霧の様に散り、全てが白く……
「ん……」
そして、俺は目を開けた。
目を開けていたのに、もう一度開けてしまう様な不可思議な感触。
そう。
それは、夢の終わり。
「あ、やっと起きたよぉ」
その声が聞こえて、俺は思わず起き上がっていた。
そして、俺が横になっていたすぐ側には。
「佳乃……」
「うん、かのりんだよ」
そう。
霧島佳乃が座っていた。
彼女の後ろに見える空は、赤く染まっていた。
……かなりぐっすりと眠ってしまっていたらしい。
「なあ……佳乃」
「なに?」
「こう言うのは何だが、どうして起こしてくれなかったんだ?」
聖に断わりは入れていたが、それは午前中までだ。
午後も休んでいたとなると後で殺されかねないのは、佳乃も承知の事実だと思うのだが……
「往人くん、いい寝顔だったから。起こすのがもったいないかなって」
満面の笑顔でそう言われてしまうと、どうにも反発できない自分がそこにいた。
それで思い知らされる。
俺は、俺が思っている以上に、この少女を愛しく思っている。
……そんな事は恥ずかしくて口にはできないが。
「そうか」
だから、ただ頭を掻いてそう呟いた。
「そうだよ。
大丈夫、お姉ちゃんにはちゃんと言ってあげるから」
「……そうしてくれると助かる」
あのシスコン医者の事だ。
佳乃が頼んでくれるのなら、万事解決。
……とりあえず、そういう事にしておこう。今安心するぐらいバチは当たるまい。
「うんっ、任されたよぉ」
そう答える佳乃の顔には、満面の笑顔が続いていた。
……そこに無理をしている感じは無い。
ならば、もう大丈夫だろう。
そして、だからこそ。
今、改めて伝えたい事があった。
「……なあ、佳乃」
「なに?」
それは、夢で会った彼女の母親の事……じゃない。
「俺は、ここにいたい」
「往人くん……?」
「お前が掛けてくれた魔法で、この町が……あの『家』が好きになったからな。
だから、いていいか?」
それは、最後の確認。
全ての不安が無くなった今だからこそ問える。
俺がここにいる理由に向けた、本当に最後の確認。
そんな問いに、佳乃は。
「そんなの、わざわざ聞かなくてもいいよ」
そう言って、俺に手を差し出した。
「さあ、帰ろっ」
俺は。
迷う事無く手を伸ばし、迷う事無く掴み取り、迷う事無く握り返した。
「……そうだな。じゃあ、帰るか」
「うんっ」
そうして、俺は帰る。
ようやっと見つけた、俺の家に。
法術の力が無くても、もう寂しくはならないだろう。
補って余りあるものを、俺は見つけたのだから。
「………………じゃあな」
赤い空を見上げもせずにそう告げて。
地面を踏み締めながら、ゆっくりと、しっかりと歩いていく。
最後に振り向く。
神社の本殿への階段には、俺の代わりに空を見上げ続ける人形が転がっていた。
……END