Fate/DEAD COPY prototype 《destiny》02











「で、どういうことなのよ?」
「……話したとおりだと思うんだが」

 翌日、金曜日の放課後、俺は花に詰問されていた。
 俺達がいたのは彼女の父親が経営している不動産事務所の一つ。
 その応接室にて、俺達……俺とロックフィールドさんは並んでソファーに座っていた。
 正確に言えば、ロックフィールドさんは座っている、というより資料を確認していた。
 彼女が見ている資料は、この近辺にある屋敷なり家なりの物件についてのあれこれが書かれている。
 時折プリントされたそれを目を細めて凝視する彼女の姿は、なんとなく微笑ましく見えた。

『日本の様々な場所を探訪し、レポートする』ために来日したとの事で、
 この辺り一帯を調べるに当たって、暫く住み込むための場所がほしかったらしい。
 
 彼女は昨日から俺の勧めを受けてうちの旅館に宿泊しているのだが、
 なるべく一人きりになれる空間が欲しいとの事で、
 それならばと親子共々付き合いの長い長谷部家を頼る事になり、今に至る。

 その事は朝から花にも話したし、
 今回忙しい時間を縫って同行してくれた母さんも旧友たる彼女の父に伝えていたはずなのだが。
 ……ちなみに、親達は後は若い者にとか何とか言って別室に移動している。
 まぁ、子供は子供だけの方がいいだろうという気遣いなのだろうが、もう少し言葉を選んだ方がいいと思う。
 
「というか、昔からよくある事だろう?」

 俺が絡んで、ということはこれまで殆どなかったが、
 うちに泊まったお客様で、鈴清市を気に入ったという人に長谷部不動産を紹介するという事は、そこそこある。
 今回も今までとそう変わりない事のはずなのだが。

「アンタが付き添いでやってきて、連れて来たのがこんな子なんて、よくあることじゃないでしょうが」
「……こんな子って、彼女に失礼な物言いじゃないか?」

 日本語の資料に悪戦苦闘している彼女に代わって、苦言を呈しておく。
 そういう意味でも心配になったからこそ俺は付き添いでここまでやってきたのだ。

「失礼じゃないわよ。むしろ褒めてるんだから。
 何処の子なのよ、こんな可愛い子。
 しかも外人で……あー……宗二はこういうのが好みなわけ? 初耳だけど」 
「慣れない土地を案内する為についてきただけだ。
 他意はない」
「えー? ホントにそれだけなの?」
「そのつもりだ。……ロックフィールドさん、大丈夫? 分かるか?」

 話を打ち切る事と、彼女の様子を調べる二つの意味を重ねて尋ねる。
 すると彼女は必死に書面を確認していた顔を上げて、たどたどしく答えた。

「はい大丈、ブです、ハイ」
「分からない所があったら言ってくれ。俺と花が確認するから」
「……いいん、デスか?」

 何故か花の方を見て確認するロックフィールドさん。
 すると花はどこか気まずげな、というかバツが悪そうな表情で答えた。

「いいに決まってるじゃない。
 お客様を無碍にするつもりはないわよ。
 というか、アリスさんって、いいところのお嬢様なの?
 提示された資金の額にビックリしたんだけど、私」
「そういう、訳じゃありません。
 奨学金のようなもので、ハイ」
「そういうもんか」
「そういうものデス」

 人にはそれぞれ事情や都合がある。
 ましてそれを外国人に説明するのは難しいだろう。
 その辺りは、花はちゃんと分かってる奴なので、それ以上は突っ込まなかった。
 
 話が落ち着き、手持ち無沙汰になった俺は、懐から携帯端末を取り出しつつ、席を立った。
 二人から距離を置いてドアの辺りに立つ。
 ……華やかな二人の側に居ると、どうにも落ち着かなかったからだ。
 花だけならまだしも、ロックフィールドさんも加えるなら尚更に。

 ニュースでも見ていようか、とも思ったが、ふと思い出す。
 朝野から勧められてインストールしていたアプリをまだ起動すらいなかった事に。

 サモンズティスティニー、だったか。
 最近この街の、主に若い連中に流行っているソーシャルゲームらしい。

『お兄ちゃん、遅れてるなぁー』

 存在すら知らなかった頃、家で話題に昇ると迎にそう言って笑われた。
 ……まぁ、俺の交友関係は狭いので、仕方がないのだ。

 存在を知ったのは、この街でさまざまな企業へと協力を行っている、
 うちの旅館のお得意様から聞かされた時だ。
 
 というか、そのお得意様がこの街の活性化の為に作らせた、この街限定のアプリらしい。
 いずれは全国展開の予定もあるとの事だが。
 
 さておき。
 起動してなかったのは、こういうものにはなるべく興味を持たないように距離を置いているからだ。
 だが、フレンドになってくれ、という朝野に悪いし、そろそろある程度内容を進めておかねば、そう思っていた。

 最近はあの事件について色々な人に尋ねつつ、
 街に異常がないか歩き回っていたりしていたので中々時間がなかったから、
 少し手をつけるには今が丁度いいかもしれない。

 概要については朝野から詳しく聞いている。
 ちゃんと聞いてるのか何度も釘を差されたが、ちゃんとはじめて聞いた段階で把握している。
 人の話はちゃんと聞くものだろう、うん。

 内容は、キャラクターを『召喚』し、それを育てて強化し、プレイヤー同士で競い合うというありきたりなもの。
 基本無料、という点についても昨今のソーシャルゲームと変わらない。

 特色としては、キャラクターの召喚が課金によるものではない、というもの。

 画面に表示される魔方陣を自らタッチ、なぞって描く。
 そうする事でキャラクターを召喚するための陣を自ら形成する、そういう設定らしい。

 その際の速度、描き方、その他様々な要素で召喚されるキャラクターが変化。
 なんでも100以上のキャラクターがいるとかいないとか。
 実際どれほどのキャラクターが実装されているのかはまだ誰も把握し切れていないらしい。
 
 召喚は一日一度だけ、だが、課金する事で何度もチャレンジできる。
 その課金が一回につき1円程度という破格の安さなので、
 暇を持て余しているこの街の若者達は皆こぞって参加しているそうだ。

 更に言えば、その魔方陣形成速度ランキングも行っており、
 そのランキング上位者には他のソーシャルゲームの課金へと転用可能な『コイン』が賞品として贈られるらしい。

 そりゃあ、まぁ、皆プレイするわけだ。
 特にやる事がないなら尚更に。
 まさに今の俺がそんな感じ。
 花なんかはそういうのに興味がないらしいが。

「ふむ」

 かんたんなチュートリアルを、架空の教会のシスターから聞いた後、魔方陣が画面に展開された。

 やるからには全力だ。
 まさにロボットのような正確性と速度で陣を描いて……。

「お兄ちゃん、ずるいんじゃん、私も誘ってよー!」

 というところで、突如ドアが開き、乱入してきた迎の足が俺の脚を踏み付けた。

「んっぐっっ!?」

 なので、ほぼ綺麗になぞれた線は最後の最後であらぬ方向へと飛んでいった。
 ……く、ちゃんと出来たと思ったのに。
 ……ランキング上位を狙っていたのにっ。

「迎……」

 そんなアレコレを込めて迎を睨む。
 すると迎は、手を合わせつつ、素直に謝罪を口にした。

「ごめんごめん、そんなところに足があるとは思わなかったから」
「正論ねー。そんな所に立ってる方が悪いじゃない」
「……座ったままじゃ不都合だったんですか?
 私、何か変な匂いでもしてました、カ?」
「……」

 何故かこの場の全員に突っ込まれ、俺は言葉を失った。
 いや、それでも、これだけは言って置かねばなるまい。

「ロックフィールドさん、俺が席を立ったのは、その、なんとなくだ。
 別に君の匂いが変だとかそういう事はない。
 むしろ君は、花のような良い匂い、いや、香りをしていると思う」
「そ、そうですか。それならよかったですけど」

 花の何処か冷めた視線と、迎のニヤニヤした視線が突き刺さっているが、それは無視しておこう。
 これ以上、俺らしくない発言はしたくない。

 ので、そんな二人の視線から逃れるべく指が離れた後は放置していた端末を持ち上げて、そちらに意識を向ける。

「……?」

 そこにあったのは、前に見せてもらった召喚終了後の画面ではなかった。
 俺が記した魔方陣が、光を明滅させながら画面に記されたままだった。

 ……なんだか、疼く。
 明滅するそれを見ていると、何かが疼いているような、そんな感覚が薄く駆け巡っているような。
 頭と、右手が、何か。

「どうかしたの?」
「……っ、いや」

 少し、頭がぼうっとしていたようだ。
 そんな俺を不審に……いや心配してくれたのか、花が声を掛けてきた。
 なので俺はなんでもないと手を横に振った。 

 何か誤作動を起こしてしまったのか、そう思ってひとまずアプリを終了させる。
 もしかすると終了すら出来なくなったのではと不安だったが、ソレは杞憂だったようだ。

 通常の基本画面に戻ったのでホッと胸を撫で下ろす。
 買ったばかりのものを壊さずに済んだ。
 
「なに? 壊したりしたの?」
「お兄ちゃん、機械少し苦手だもんね」
「そうなんですか?」
「……そんなことはない」
「えー? 買いたての時は使い方につまりまくってたのに?」
「いまだにパソコンもおっかなびっくりで使ってるよねー」
「そんなことはない。ないったらない」

 少し渋い表情になっていたのを修正しつつ断言する。
 人より習熟期間が長いだけだ。少し。いやホントに少し。










「おはよう、ございマス」

 翌日の土曜日。
 旅館の方へと足を運ぶと、準備が出来たのか二階の、泊まっている客室の一つから降りてきたばかりと思しきロックフィールドさんと遭遇した。

 顔を合わせるやいなや彼女は少し小首を傾げるようにこちらを覗き込んできた。
 その表情は暗いとは言えないが、明るいとも言えないものだった。

「昨日は具合悪そうでしたけど……」

 ああ、こちらの事を気に掛けてくれていたのか。
 社交辞令だとしても申し訳ない。

 あの後、俺は急に具合が悪く……身体にエラーを起こしていた。
 問題なのは全く原因が思い当たらない事なのだが、分からないものは分からないので致し方ない。
 自分の身体の管理すら出来ていない、という事は極めて不本意だが。

「ああ、大丈夫だ」

 頭痛のせいか、何か奇妙な夢を見てうなされていた事以外、問題はない。
 むしろ身体の調子は悪くない。
 頭痛も嘘のように消えている。
 ただ、右手が疼いて、何か痣のようなものがぼんやり浮かんでいる以外は。
 ……どこかで打ったような記憶はないのだが、寝ている時、だろうか。

 さておき、これ以上心配させてしまうのは悪いので、プログラムを切り替えていこう。

「約束した街の案内に支障はない。
 朝食を食べたら予定どおりに出発するけど、そちらに問題はないだろうか?」
「私は大丈夫ですけど……本当に大丈夫、デスか?」

 少し距離を詰めてこちらを覗き込んで来るロックフィールドさん。
 ……昨日も鼻腔を擽った、彼女の香りが俺の領域に入り込んでくる。

 彼女はどうやらパーソナルスペースが狭い人間のようだ。
 俺とは違って。

 なので、少し身を退きつつ俺は答えた。

「ああ、何も問題ない。
 心配を掛けていたのなら申し訳ないが」
「そうですか。なら、よかった……デス。
 こちらの都合に付き合ってもらって、具合を悪くしていたら、心苦しい……です、カラ」

 なんというか、彼女は感情が顔に出やすい人間らしい。
 喜怒哀楽がハッキリしている、というか分かりやすいというか。
 
 俺は、他者のそういった機微、人柄を意識して観察している。
 そうする事で、どういった人種が何に困っているのかを即座に脳内で導けるようにしているのだ。
 そのテストとして、実践としてそれなりに人の出入りがある我が家……十深旅館は申し分なかった。
 旅館の手伝いにもなりつつ、俺のプログラムも練磨できる、言う事なしだ。
 ……長年そうしている割に、読み取れない、理解出来ない事も多々あって情けない限りだが。

 そんな俺をして、というより俺でなくても、彼女の人の良さは伝わって……いや、理解出来た。

 社交辞令でも申し訳ない、そう思っていたのだが。
 そうしてホッとした様子で小さな笑みを浮かべられると、どうにも、より困る。

「気にする必要はない。
 俺は俺のするべきことをしてるだけだ」

 なので、そう言って背を向けて歩き出す。
 彼女が俺の事を気にする事がないように。
 可能な限り感情を込めない、抑揚のない声で。










「ここはねー、私達が通ってる学園」

 良く晴れた空の下、迎が胸を張っているような調子の声で説明する。
 その相手は、ロックフィールドさん。

 今日俺達兄妹は、休日という事もあり、この街の事を知りたいという彼女に案内を買って出ていた。
 人懐っこいというか、悪人を除く人間全体大好きというかである迎と、
 人間に従事したい俺が、ロックフィールドさんの手助けをしない理由はないのだ。

 そうして幾つかの名所や買い物に便利な商店街を案内し、今に至る。
 現在、ロックフィールドさんは何処か呆気に取られた様子で門の前から学園を眺めていた。

「綺麗で、大きいですね……
 私の故郷の学校とは全然違う……」
「そのアリスさんの通ってた学校は、どんな感じだったの?」
「ザ田舎、田舎オブ田舎、そういう学校でした……。
 現在社会から取り残されすぎじゃないかって思うくらいの」

 妙にゲッソリした顔でロックフィールドさんが呟く。
 ……そんなに田舎だったのか。

 というか、だ。
 ロックフィールドさん、実は普通に日本語ペラペラなんじゃないないだろうか。
 時々妙に流暢だし。

 だが、そこをいちいち詮索するつもりはない。
 そもそもそんな事をする理由が思いつかないし、
 もし彼女なりのそうする理由があるのなら、そこに踏み込むこちら側の理由はない。

 とは言えそれはそれ、これはこれ。
 『観察』はいつのように行っていたので、
 その視線が気になったらしく彼女は何処か困惑した様子で言った。

「な、なんですか宗二君? 私、そんな田舎臭い、デスか?」
「いや、それはこう、思い込みだろう。そんな事はない」
「でも、その、昨日といい、今日といい、私と時々距離を取ったりしますよね?
 それもひとえに私が田舎娘だからなのではないかと……」
「……どうしてそう思うんだ?」
「私の今いる学び舎で、私をそういう扱いする人がよくいるというか何というか。
 古臭いとか黴臭いとか言われるんですよ。色んな意味で」

 ……そういう思い込みはよくない。
 自分を追い詰めるような思い込みなどするべきではない。
 それは自分だけでなく、周囲の人間をもいつの間にか追い込んでしまう類のものだ。

 だから俺は、それを少しでも払拭できればと自分なりに気遣いらしきものを紡いでみる事にした。

「……少なくとも、俺は君をそうは感じない。
 俺が距離を取るのは、あれだ、その」
「照れてるんだよー。アリスさん綺麗だから」
「えっ!?」
「……まぁ、そうだな。
 下心その他は全くない。
 ただ、文字どおりの金髪碧眼の綺麗な女の子に慣れてないだけだ」
「き、きれっ?!」
「その事で不快に感じさせたのなら、申し訳なかった」
「あ、あぅ、そのっ、頭を、頭を上げてください……分かりました、分かりましたから」

 少なからずの誠意が少なからず伝わればいいと深く頭を下げると、
 ロックフィールドさんは慌てた様子で声を掛けてきた。
 そんな彼女を宥める意味と、駄目押しを含めて俺は言葉を重ねる。

「……もう一度言うが、君は田舎臭くなんかない。
 少なくとも俺達からすれば十分に都会人だ。
 だから、君を悪く言う人間の感性は理解できるものじゃないが、
 もし今後そういった事を言われた時は、
 そう感じた俺達がいた事を思い出しで、
 自分とは違う人間を許容できないその連中を鼻で笑えばいい」
「要は他の奴の言葉なんか気にしなくていいぜ、って事。
 回りくどいなー、お兄ちゃんは」
「……悪かったな」

 なんというか、居たたまれない上、これ以上の適切な言葉や表情が思い浮かばない。
 なので、明後日の方向を向いておく。
 
 でも、それゆえに。

「……うん。ありがとう、二人とも。
 そうですね。そうできたら、いいんですけどね」

 何処か悲しげにそう呟いた瞬間の彼女の表情を、俺は見る事が出来なかった。

「いえ、そうします。そうしますとも。ハイ」

 ただ、直後改めて向き直った彼女の表情は、明るかった。
 それが俺達を気遣っての虚勢なのか、判断がつかないほどには。

「うんうん、そうするといいよ。
 じゃあ、ここからは気分を変えて……」

 これはそっちに置いておく、的なジェスチャーをする迎。
 その動きの大仰さは、強引だが場の空気を変えてくれた。

「案内の続きだけど、学園の中も見せる? こっそりと」
「それは……」
「それは許可出来ないな」

 突然第三者の声が響く。
 僅かな驚きと共に振り向くと、そこには学園の制服を着た長身の男が立っていた。

 事件のこともあり、
 瞬間的に緊張と警戒をしたが、
 制服である事と顔見知りである事、彼の立場もあって、それは即座に解いた。

「ふむ。十深か」
「……こんにちは。法冴会長」

 法冴堅(ほうごけん)。
 ここ、学園の生徒会長を勤めている人物だ。
 質実剛健、頑固一徹、冷静沈着、それらの言葉が纏まって生まれたような人間、
 というのが、学園生の大半の印象であり、おそらく概ねは間違っていない、そんな人だ。

 容姿も端麗で、偉丈夫という言葉に全く違和感を感じさせない人物。
 迎の言葉を借りれば、ちょっと冷たい感じのするイケメン、だったか。
 ゆえに、この田舎では目立つ。

 創作物とは違い、現実においては自身の通う教育施設の生徒会長の容姿がすぐ思い浮かぶ、なんて事は稀だろう。
 だが、彼は違う。
 それだけの強い印象を与えるほどには整った容姿を持っているのだ。

「あ、会長さんだ。お兄ちゃん会長さんと知り合いだったの?」

 迎もそのかっこよさは素直に認めているのか、彼が会長だとすぐ認識できたようだ。

「……一応、そのつもりだ」

 そう肯定できる程度には知り合いだが、親しい間柄というほどでもない。
 ちょっとした事で個人的に知りあい、その時に互いにジュースを奢り合った。
 以後少し話す機会が何度かあった、ぐらいだろう。
 だが、それらの際に多少なりとも意気投合した、というのは否めない。

「そうだな、私も一応そのつもりだ」

 向こうもそう思ってくれているようで、小さく同意の笑みを浮かべてくれた。
 その事への感謝を込めて、俺は極小の会釈の意味を含めて、小さく頷いておく。

「さておき、私の立場上、余程の理由がなければ私服では学園に入らせないぞ。
 部外者なら尚更だ」
「いえ、街の案内ついでに通りすがっただけなので、入るつもりはありません。
 妹にも会長と同じ事を言おうと思っていました」
「察するに、十深の旅館のお客様か?」
「そうです」
「そうか。また面倒なお節介をしているようだな。
 機械的な合理主義を目指すのなら、妹に任せておけばいいだろうに。
 君は女子に慣れているとは思えんし」

 ごもっともだ。
 さっきはつい警戒してしまったが、基本的に日中は例の行方不明事件も起こらないようだし、お客様に案内するような場所なら人の目もある。
 いざという時の連絡さえ徹底しておけば、俺がここにいる事こそ必要ない。
 ……それでも、心配だったからここにいるのだが。

「そうで……」
「そんな事はないですよ、会長。
 こういう時は人が多いほうがいいじゃないですか。
 やり取りしながら歩いて回るって楽しいですし」

 そうですね、と肯定しようとした矢先、迎が否定の声を上げた。
 チッチッチ、分かってないなぁと言わんばかりに一本立てた人差し指を振って見せながら。
 そんな迎に対して、会長はごく小さく肩を竦めてみせた。

「案内をするだけなら必要のない事だ。
 誰しも君のように誰とでも会話を楽しめるわけではない。
 特に彼はそうだろう?」
「そりゃあ、今のお兄ちゃ、兄はそうですけど……」
「なら、彼が普通の会話を心から楽しめるようになった時にそうすべきだ。
 ……だが、まぁ、家族にしか分からない事もあるか。
 というか折角の休日に無粋な事を言い過ぎたな。失礼した」
「いえ、そんな事は……」

 ない、と言いきりたかったのだが、迎の視線が痛い。
 なのでそれ以上は口に出来なかった俺に、会長は再度小さな笑みを口の端だけで形作った。

「気にするな。……そして、悪かったね」  
「いいですよ。別にあのくらいで気を悪くするわけないですし。
 アリスさんもだよね?」
「へ? あ、はい、そうです、ネ」
「あと、ご意見については前向きに善処させていただきまーす」
「それについては君達の判断に任せよう。じゃあ、良い休日を」

 そう告げた後、会長は俺達の脇を通り過ぎ、学園の中へと入っていった。
 会長ともなれば休日にもしなければならない事がある、のだろうか。
 あるいは、俺同様に【家の事情】に絡んだあれこれがある彼は、普段の会長業務が出来ていないのかもしれない。

 ただ、いずれにせよ、素晴らしい人だ。
 すべき事に邁進しつつ、他者との距離感を適度に保つ……中々出来る事ではない。

「なるほどねー」

 会長の姿が見えなくなった後、迎が呟く。

「何がだ?」
「お兄ちゃん、会長さんを尊敬してるんだなって。
 振舞い方がよく似てるというか似せてるというか。
 単純に似たもの同士の共感なのかもだけど」
「似たもの、かどうかは分からないが、尊敬はしてるな」
「ふーん。でもお兄ちゃん、会長さんみたいに、ううん会長さんになりすぎたら駄目だからね」
「……どうしてそう思う?」

 会長の在り方は、俺の理想にかなり近い。参考にさせてもらっている部分も多い。
 なので、それを否定されると俺を否定されているような、そんな錯覚に陥ってしまう。
 ゆえに、つい問い返してしまったのだが、それに迎はあっさりとこう答えた。

「お兄ちゃんは、お兄ちゃんじゃない」
「……」

 真っ直ぐにそう言われると、正直ぐうの音も出ない。
 迎の言葉には何も間違いはない。正論中の正論だ。
 だが、俺には俺の考えがある。
 しかし、そう答えれば迎の考えと衝突、ではないが軽く肩をぶつけ合うぐらいにはなる。
 
 どうしたものかと少し言葉を失っていると、迎はニッと笑って見せた。

「さて、私は喉が渇いたのでジュースを買ってまいります。
 ついでに二人の分も買ってくるね。お兄ちゃんはいつものコーヒーで、アリスさんは紅茶ね」
「ああ、頼む」

 そうして迎は少し離れた自販機へと駆け出していった。

「はぁ」

 なんというか、駄目である。
 いつも俺が気を遣うように、今日は迎が遣った、それだけなのだが。
 俺としては……兄貴としては情けない。

 そんな思いで口から零れた息に、ロックフィールドさんが反応した。

「気持ち、分かりマス。
 年上たらんとする者は自分勝手に苦労したつもりになるものです」
「……まったくだ」

 そんな事を家族は望んでいないのに、自分勝手な年上の誇りで……俺の場合プログラムだが……思い悩む。

「ロックフィールドさんも、弟か妹が?」
「両方デスね。そして私自身妹でもありました。
 結構大きな家族だったもので。
 なんというか、我が侭で難儀な妹達でした。
 我が家の妹達に比べると……迎は、素敵な妹さんです」
「そう思う?」
「ええ。
 家族をありのままで受け入れる、というのは、簡単そうに見えて難しいものです。
 妹達は幼さと、自分自身の都合でそれができなかった。
 受け入れてくれる家族を、受け入れる事が出来なかった。
 それがどんなに尊いものか、わかっていながら。わかっていたつもりで」
「……」
「だから、宗二君はそうならないように……喧嘩しすぎないように気をつけてくださいね。
 こういうの拗れると結構果てしない拗れ方しちゃいますから。
 経験者のアドバイスです」
「……」
「……って、私、ナンテ、偉そうな事を――っ!」

 表面的には無反応だったからか、彼女は俺の気を損ねたと思ったらしい。
 わたわたと頭を抱え、慌てて謝罪らしき言葉を続けようとする。
 だが、その必要はない。
 だから俺は、大きめの言葉で彼女の名前を呼んだ。

「ロックフィールドさん」
「ごめ、っ……え?」
「アドバイスに感謝する。そうならないように努力するよ。ありがとう」

 いつもより強めの音量で、努めて端的に告げる。
 それが俺に出来る精一杯の感謝だった。
 正直それが伝わるか心配だったが……。

「……んん。ええ、そうしてください」

 俺の表情か、声音か、あるいはもっと別のものか。
 いずれにせよ、何かしらは最低限伝わったらしい。
 ロックフィールドさんは、恥ずかしさを誤魔化す為か咳払いのような動作の後、穏やかな声でそう言った。

 ……そんな彼女の様子に少しこみ上げるものがあったが、あえてそれは無視して、押さえ込んだ。
 失礼だし。俺はロボットだし。

「ん。
 で、話は変わるんだけど。
 そのアドバイスの代わりじゃないが、君に話しておかなくちゃいけないことがある」

 それを誤魔化そうと、俺は別の話題を口にする事にした。
 いつか言わなければ、伝えなければと思っていた話題なので丁度いいといえばいい。

 今するタイミングかどうかは微妙なのだが、まぁいいだろう。

「最近この街で、奇妙な、おかしな事件が起こってる」
「――!」
「折角この街に来てくれた君を追い立てるつもりはないけど……」

 警戒だけはしておいた方がいい、そういった事を順序だてて説明しようとした、その時だった。

「それは……どんな、事件、ですか?」
「――っ」

 彼女の表情が……いや、もっと別の何かが変わっていた。
 何か、妖しげな香り、いや『匂い』が、何処からか漂っている。
 俺を見るその蒼い瞳は、薄く輝いている――?

 彼女の瞳に見惚れ、小さく息を呑みながら、思う。いや――思考する。
 
 やはり、俺の観察などまだまだ当てにはならない。
 彼女はただ、人が良いだけの女の子ではない。
 喜怒哀楽が分かりやすいだけの、女の子ではきっとない。

 いや、そんな女の子でもあるからこそ、今この時の彼女は『おかしい』――。

 そうして彼女の底知れなさに気圧されたのか、あるいはもっと別の要因なのか。

 俺は、今まで調べてきた、他の誰かに話す事はないだろう、そう考えていた事件についてあれこれをあっさりと口にしてしまっていた……。










……続く。