evol"O"ve another side a half







それは、ほんの少し未来で。
それは、ほんの少し違う世界かもしれない。
でも、いつかどこかにある世界。







「……ふう」

その黒いコートを着た『彼』は溜息をついた。
どうにもこうにも、最近の世の中は腐っている。
それが新たな『影』を生み、さらに世界を侵食していく。
新しい年を迎えようとも、誰かがどれだけ努力を重ねようとも、それは変わらないのではないか。

「新年だってのに、何でこんな鬱な気分になるんだろうなぁ」

呟いてみて虚しくなる。
考え方を変えるつもりは毛頭ないが、時々すごく辛くなる時がある。
ほんの少しの助けがほしい時がある。

「……我ながら後ろ暗い考えだな」

『彼』は息を吐いて歩き出した。

今日は新年。
今はとりあえず、新たな年の始まりを祝う事にしよう。







「陸君、あけましておめでと」
「あけましておめでとう、薫さん」

平良陸と霧里薫。
今日も今日とて、二人は一緒に歩いていた。
その足が向かう先は初詣。

普通とは少しずれている二人でも、一年の始まりにはそれらしい事をやるのである。

「薫さん、晴れ着……似合ってるよ。その、すごく」

神社への道の中。
同じ目的の人々、その流れの片隅で陸は呟いた。

薫は、桜の花が咲き乱れる柄の晴れ着を着ていた。
それを着た薫は、溜息が出るほど綺麗だと、陸は感じていた。
ちなみに陸は、新しく買ったとは言え普段着だったりしていた。

薫は陸の言葉を聞くと、穏やかに笑った。

「ありがと。陸君にそう言ってもらう為に着てきたようなものだから」

薫の思った事は口にする癖は、相変わらずだ。
お陰様で、陸は顔を赤くせざるを得なくなってしまった。
そして薫自身もそれで自分が何を言ったのかを把握して顔を赤くさせた。
紆余曲折を経て、それなりの関係になっていた二人だがこの辺りは相変わらずだった。

そんな感じになりながらも、二人は神社に辿り着いた。
この街唯一の神社には多くの人が集まり、賑わっていた。
鳥居の向こう、さらに階段の上まで、その人の流れは続いている。

「うわー人多いな……」

例年通りの人の多さに、陸は感嘆の声を上げた。
だが薫は特にどうという事のなさそうな顔で言った。

「そうでもないわよ。陸君数日前のこと、もう忘れたの?」

薫の言葉で、陸の脳裏に数日前の『イベント』の事が駆け抜けていった。

殺人的な人の奔流。
圧殺されるかどうかの瀬戸際。
何よりも誰彼からも沸き上がる熱気。

「……あれに比べればマシかな」
「でしょう?あたっ」

薫にぶつかった男がいた。
野球帽を目深に被っていたその男は、謝る事もせず、そそくさと離れていった。

「む……なんなのかしら、謝りもしないで」
「薫さん、大丈夫?」
「あ、うん平気だから」

不満の声を上げながらも、深く気にする事もなく二人は境内への階段を上がっていく。
その途中で、陸は呟いた。

「そう言えば、賽銭入れないとな」
「そうね……っと」

薫はそう言いながら、手提げから財布を取り出そうとしていた。
財布の中身を一応確認しようとしているのか、もう小銭を準備しようとしているのか、どちらかだろう。

「薫さんはいつも賽銭にどれぐらい入れてる?」
「基本は五円かな。ありきたりだけどご縁がありますようにって……ああっ!??」
「ど、どうしたの?薫さん」
「財布がないっ!!」
「え?忘れたんじゃ……」
「ちゃんと出る時中味確認したし、今の今までバッグは一回も開けてないのよ。
だとしたら……」
『あっ!!』

その瞬間、二人の思考か完全にシンクロした。

「すられたっ!?」

薫のその叫びは、少し大きめで辺りに響いた。
恐らくさっき薫にぶつかった男の仕業……そう考えた薫と陸は慌てて周囲を見回した。
すると、さっきの男が人ごみを掻き分けて、逃げていく様が見えた。
薫の大声で思わず焦ってしまったのだろう。
その所作では、自分が犯人ですと言っている様なものだ。

「……阿呆だな。まあ、分かりやすくていいけど」
「なんて!なんてことなのっ!?あれにはお年玉が!コ○ケのショップ委託本を買うための資金が入ってるのにッ!!」

(……まだ買う気だったんだ……)

○ミケに付き合わされた陸としてはげっそり気分だった。
だが、それでも薫の楽しみをむざむざ奪わせるわけにはいかない。

「くぅぅっ!!捕まえる!絶対!捕まえる!!」
「薫さん、俺が追いかけるから薫さんは社務所か、近くの交番に連絡しておいて。
こっちはこっちで何かあったら携帯で連絡するから」
「私も追いかけるわよっ!!逃がしてたまるもんですか!」

必要以上に熱くなっていた薫に陸は冷静に告げた。

「晴れ着じゃ無理だよ。それに転んで汚したりしたら……もったいないじゃない……その、綺麗、なんだから」
「……陸君……」
「ここは、俺の出番だよ」

陸は普段着で待ち合わせ場所に来た事を、内心失敗したと思っていた。
何より薫に悪いと思っていた。釣り合わないと思っていた。
薫自身がそれを気にしていないのは分かっていたから、口にはしなかったが、もう少し考えておくべきだったと後悔した。
でも、この時だけは心からその失敗に感謝した。

捕まえられるかどうかなんて分からなかったが、黙ったままでいられるほど能天気でいられない。
他ならぬ薫に向けた悪意の報いを受けてもらわなければ……

「じゃ、行ってくるから」
「……気をつけてね」

薫の言葉に頷いて、陸は人ごみに突っ込んでいった。

だが。

「くっそ……」

陸は中々スリに追いつけなかった。
というか二人とも余り移動していない。
あからさまに人の流れに逆らっていたので、進めない状況だった。

昇り始めていた階段を完全に下ってしまっても、二人の距離は離れていた。
周囲の人間に協力を頼もうかとも思ったが、その混乱の中で更なる被害が起こりそうで陸はそれに踏み切れないでいた。

……そんな状況を冷静に観察していた人間が一人いた。

「……スリか」

黒いコートを着た『彼』は全てを見ていて、状況を把握していた。

今人ごみを掻き分けている二人の人間。
他にもそういう人間はいるが、あの二人は質が違う。

双方共に切羽詰った表情をしている。
さらに言えば、薫と陸の会話を『聞いていた』以上どちらに加勢すべきなのかは考えなくてもわかる事だ。

「……はあ……正月時ぐらい、何も起こらないで欲しいんだが。まあ、放ってもおけないか」

男はスッ……と移動した。
人ごみを掻き分けるでもなく、裂くでもなく、合間を縫って限りなく、かつ常識を超えて速く移動していく。
そうして、あっさりと男の前に立ち塞がった。

その男は『彼』が立ち塞がった事にさえ気付かない。
だが、後ろから追う陸には見えていた。
明らかに男に立ち塞がって、軽く睨みつけている『彼』の事が。

「極意死刀。効果、範囲ともに極小で」

その動きを、陸は目で追うこともできなかった。
ただ、気付いたらスリの男が気を失って『彼』に倒れ込み。
黒い男の手には、薫の財布があった。

「やれやれ」

気を失った男を支えたまま『彼』はぼやいた。

「……ありがとう、ございます」
「ん?別に気にする事はないよ。通りかかっただけだしね」

言いながら『彼』は陸に財布を手渡した。

「陸君っ」
「あ、薫さん」

そこに、警官二人を伴った薫がやってきた。
……どうやら思いの他時間が経過していたらしい。

「大丈夫!?怪我してない?!」

真剣な表情で薫は問い掛けた。

「大丈夫。俺は何もしてないから。この人が捕まえてくれたんだ。お陰で、助かった」
「ホントに、ホント?」
「うん。大丈夫だから」
「良かったぁ……」
「か、薫さん……?」
「もう、本当に心配したんだからねっ!」
「……ごめん。心配かけて」

『彼』はその様子を穏やかに微笑んで、見詰めていた……



「んじゃ。これが犯人だから。現行犯逮捕ということで」

簡単な事情を陸や薫を交えて説明した『彼』は薫が連れて来た警官にスリを引き渡した。
警官たちは気を失ったままのスリをしっかり拘束して、連れ去っていった。
その後ろ姿を消えるのを見届けてから、薫は声を漏らした。

「よかったぁー。陸君は無事だし、財布も帰ってきたし」
「よかったね、薫さん」
「うん。……本当にありがとうございます」

ペコリ、と頭を下げる薫に『彼』は言った。

「いや。犯人を捕まえたのは僕だけど、君の声が聞こえたから動く事ができたし、彼の動きがあったから犯人がすぐ分かったんだ。
彼を捕まえたのは君達自身の手柄だよ。気にする事はない」
『おおー』

その言葉に、二人とも素直な尊敬の眼差しを送った。
自然にそんな事が言える人間は、そうはいない。
その眼差しに『彼』は微かに照れた様子を見せた。

「……じゃあ、君達二人にとって今年一年がいい年である事を祈ってるよ」
「それは私たちも同じですよ。いい年であるといいですね、お互いに」
「ああ、そうだね」

そう呟いて微笑むと『彼』は二人に背を向けて去っていった。
『彼』を見送った二人はその後、予定通りに初詣を済ませ、神社を後にした。

「そういえば、薫さん」
「なに?」

そう問い返す、薫の片方の手にはキャラクターのイラストが書かれた袋の綿菓子があったりするのが、彼女らしいといえば彼女らしい。
そう考えながら、陸は思ったままの事を口にした。

「賽銭……5円じゃなかったの?」

初詣の時、薫が入れた賽銭は500円玉だった。
それに薫は頭を掻きながら照れ笑いの表情を浮かべた。

「まあ、ね。ご縁はもういらないから」
「え?」
「金額が多いのは、去年の効果が出たからそのお礼という事で。
まあ、ちょっと傲慢なのかもしれないけどね」
「薫さん……」

そんな薫に言いたい事はいろいろあった。
本当にたくさんあった。
でも、言うべきことは唯一つだと、陸は思った。

「……こんな俺だけど、今年もよろしく」
「何言ってるの。こちらこそ、よろしくね。ま、それはそれとして」

薫は陸の手を開いた手で、グッ、と掴むと、すたすたと歩き出した。
釣られて歩き出す陸に、薫は言い放った。

「まずは”めでぃあに”初売りに行きましょー!」
「……その格好で?」
「何か問題でも?」
「はははは……はーい……」

乾いた笑みとは裏腹に。
繋いだ手は強く強く握られていた。

年が変わっても変わらないもの。
二人はそれを持っていた。








そんな二人を、見詰めるモノがいた。
誰もその存在に気付いてはいない。
灰色で、歪な、人でないバケモノ。

「……待て」

バケモノが、顔無き顔、瞳無き瞳で振り返る。
そこには黒いコートの『彼』が立っていた。

「……お前らが”向こう”に干渉する事は絶対に許されないんだ。消えろ」

刹那。
風が通り抜けた後、灰色の存在は、粉と化し、消えた。
そこにはただ、微かな紫色の残滓と、拳を握る『彼』がいるのみ。

「……相変わらず、速いなあんたは」

唐突に、そんな声がした。
振り向くと、『彼』の後ろに、白いマフラーを首に巻いた男が立っていた。

「よう。久しぶり」
「……ああ久しぶりだな。そして今日は久しぶりにいいものを見たよ」

『彼』の顔には笑みが浮かんでいた。

「僕たちが護る世界を確認できた。あんなにも綺麗で真っ直ぐな気持ちは、久しぶりだった」
「……あんたは大袈裟で能天気すぎるんだよ。あんなの、余りある人間たちの中の唯一つの気持ち、関係でしかないだろ」
「その唯一つがある限り、世界に護る価値はある。お前だって、分かるだろう?」

『彼』がそう言うと、もう一人の男は深い息を吐いた。

「……俺はあんたのそういう所が嫌いだよ、紫雲」
「僕は、自分のそういう所も、お前も嫌いじゃないが。まあ、いいか。
……じゃあな、凪。音穏によろしくな」
「ああ。伝えとくよ」



かくて、世界は巡っていく。
いつか彼らが重なり合う道を目指して。
その時、世界はどう変わり、その中で彼らはどう生きているのか。
まだ誰も、知る由はない。

そして、その時が来るのか、来ないのかさえ、まだ誰にも分からない。

それすなわち。

evol"O"ve another side……EV"o"LOVE
this program for the future,for the people



……END