エンド・ロール〜ひとつの始まりはひとつの終わり〜
「お疲れ様でした〜」
「お疲れ〜」
木曜日の放課後。
演劇部の部室から聞こえてくるのは、活動を終えた部員たちの声。
部長が変わって内容が厳しくなってから、部員の疲労は大きくなってはいた。
しかしその反面、充実しているのもまた事実。
間違いなく演技のレベルも上がっているから、悪いことだけじゃない。
「ふぅ…」
衣装の入った箱を片付けながら、風見日景(かざみ・ひかげ)は息をついた。
衣装担当になって半月。
雑用から始めて、ようやく型紙作りを最近になってやらせてもらえるようになった。
もともと彼女は演劇よりも映画が好きだったのだが、映研が演劇部に吸収されてしまい、やむを得ず入部したのだ。
だが、決して居心地は悪くない。
こだわりを持った部長のおかげで衣装作りも凝るようになってやる気も起きてくるからだ。
「お疲れ様、毎日頑張ってるわね」
「あっ、部長…」
目の前には、部長の影浪西華が立っていた。
凛としたたたずまいは、威厳すら覚えてしまう。
「あまり無理はしないことよ。
裏方は色々とやることがあるんだから、少しずつ片付けていきなさい」
「は、はい」
日景は西華がどれだけ部員のことを思っているか、分かっている。
だから、頑張れるのだ。
せっかくなので、これを運び終わったら今日は上がろう。
そう思って、段ボール箱を上げたその時。
「えっ?」
重さでバランスが崩れたのか、箱がそのままこちらに向かってくる。
支えきれない。
だが、両手がふさがっているので立て直すこともできなかった。
倒れる!
ガシッ
向こうから別の手が2本。
気が付くと、箱は平らになり、日景も何とかバランスを取り戻していた。
箱が大きいので、顔はよく見えない。
しかし履いているズボンで、男子生徒だということは分かった。
「あ、ありがとう」
「大丈夫?」
「う、うん…」
聞き覚えのある声だった。
2人で箱を下ろすと、「彼」が顔を見せた。
同じ学年の平良陸だった。
彼は演劇部では役者兼小道具のような役割をしている。
主立って目立ったところはないが、真面目なことだということは知っていた。
「ケガはなかったみたいだね」
「ありがとう、平良君」
日景は改めてお礼を言った。
もし彼が助けてくれなければ、間違いなく頭を床にぶつけていただろう。
「気をつけなよ。
ただでさえ、衣装は大変なんだし」
「うん。
ちょっと張り切りすぎちゃったみたい」
日景は苦笑するしかなかった。
そんな彼女を見て、陸も笑みを浮かべる。
あまり話したことはなかったが、思ったよりも優しくて、魅力的に思えた。
「そろそろ帰ろうか。
もう暗くなるし」
「うん」
2人でもう一度箱を持ち上げて、部室の隅に運んだ。
「空回りするときって、やっぱりあると思うんだよね」
「かもね。
俺も台詞に力が入っちゃうこともあるし」
「平良君もそういうことあるんだ」
「どこまで本気でやっていられるかっていうのがまだよく分からないから。
でも、いずれはコントロールしたいとは思ってるよ」
「あたしも、ドジしないようにしなくちゃ。
スタッフロールに出られるように」
陸と話をしているときは、それで楽しかった。
それぞれ役割は違うけれど、何か同じものを持っているかのようで。
だから、彼女が彼に興味を持つことに、それほど時間はかからなかった。
それから1ヶ月が過ぎた。
最近になって、陸があまり部室に顔を見せなくなっていたことに日景は気になっていた。
ここにきて膨らみ始めていた思い。
いずれは伝えたいとは思ったが、なかなか言い出せずに日を過ごしている。
だが、彼は木曜日の通常活動日にしか姿を現していない。
以前なら毎日来ていたにもかかわらず、だ。
1人だけ残された部室の中、日景は衣装を片付けていた。
窓から差し込んでくる夕日は、あの日と全然変わっていないのに。
やっていたことは、何ひとつ変わっていないのに。
ただ、1人しかいない。
それがなぜか寂しさを誘う。
陸と話していた数週間前が、あまりにも遠く感じられた。
一緒に道具を片付けながら、話を弾ませていたあの日が。
…何があったんだろう?
日景は不安に包まれていた。
心の中の青空に、少しずつ雨雲が広がっていくように。
結局、その日も彼女は衣装箱を片付け終えると、1人で部室を出た。
辺りはすでに暗くなり始めていた。
「…ふ〜ん、平良君が」
そんな彼女がその話を耳にしたのは、帰り道のことだった。
昇降口で偶然、西華の声が聞こえたのだ。
彼のことを考えていたときに、彼の話。
日景は息を潜めて、下駄箱の陰で耳を澄ました。
西華の話し相手は、女の子…。
日景も見たことはあった。
西華の従妹だという、月穂由里奈だ。
「私も信じられなかったんだけど。
姉様にも意外だったみたいね」
「それはそうよ。
まさか、そういうことになってたなんて。
木曜の活動日にしか来なくなってたのはそういうわけだったのね」
西華と由里奈は驚きの色を見せつつも、笑っている。
意外?
そんなこと?
陸が一体どういうことなっているのか?
日景には何もつかめない。
「姉様、嬉しそう」
「まぁ、いいじゃないの。
かわいい後輩のことだから。
いいニュースであることには違いないでしょ?」
「そうよね」
いいニュース?
何が「いいニュース」なのか?
出て行きたいと思った。
直接訊いてみたいと思った。
だが、彼女にはそれを実行に起こすだけの勇気はなかった。
「で、相手の子はどんな感じなの?」
「元気だし明るいし、平良君を盛り立ててくれることは間違いなさそうよ。
ちょっと言い方がストレートすぎることが難点だけど」
「…ということは、もう色々と由里ちゃんも言われてるってことね?」
西華は少し意地悪そうな顔で笑う。
「ね、姉様!」
さすがにクラスでは委員長を務めている由里奈も西華の前では形無しのようだ。
「う…そ…」
下駄箱の裏側。
日景は力なく呟いて、その場に座り込んでいた。
幸い、声は小さかったので2人にはバレずに済んだが。
「相手の子」。
西華は間違いなくそう言った。
陸の「相手」。
それはつまり、彼の「彼女」であるということ。
いつの間にか、自分の好きな陸が誰かとつきあっていた、その事実。
日景の胸に大きく突き刺さった。
下駄箱の向かい側から聞こえてくる声がなくなっても、彼女はしばらくそこから動けずにいた。
空に浮かんだ月の影から落ちた流れ星。
それが、日景の瞳から流れる涙と重なった。
それからまた、少しの時が流れた。
日景はしばらくぶりに部室に姿を見せた。
ショックは消えていないけれど、この部が好きだから。
まだ、打ち込めるものがあるから。
この日は木曜日。
陸も部室に来ていた。
「やあ、風見さん」
「…うん」
だが、どうしても普通に話すことはできなかった。
もはや遠くに行ってしまった彼の心が、それでも彼女を縛り付けているかのようだった。
顔すらも合わせたくないような、そんな気持ち。
時間だけはただ流れていく。
日景がどんなことを思おうと、部室の中では全てが動いていく。
西華も、そして陸も。
一瞬だけ、時間が止まった。
部員の視線が一斉に部室の入り口に向いていたのだ。
そこにいたのは…。
西華の従妹、由里奈。
そして、陸の「彼女」だった。
日景は「彼女」の名前も知らない。
ただ、自分よりも明るくて、元気な女の子だということだけは分かった。
おとなしい陸には、明るい「彼女」の方が合うのだろうか。
そんな気持ちが、心の中で渦巻いていた。
わずかに聞こえる会話からひとつだけ分かったことがある。
霧里薫。
それが「彼女」の名前だということだ。
すでに日景が輪に入る余地はなかった。
西華、由里奈、そして薫。
その3人が取り巻く陸の中に飛び込めるか?
いや、それはできない。
彼女は唇をかみ締めていた。
練習は再開された。
由里奈と薫は部室の隅でそれを見ている。
日景は、それを横目で見つつ、自分の仕事をするしかなかった。
私は役者じゃない。
いや、役者にはなれない。
舞台に上がることすら許されない。
そんな存在にしかなれない。
虚しさだけが去来する。
「『それじゃ!!!!また明日!!!!』」
陸の声が響く。
しかし、端役である彼の声が大きく目立っても、話は盛り上がらない。
力が入りすぎてしまう彼の性格は、あの日から変わっていなかった。
それから何度も繰り返す陸だが、なかなかうまくコントロールできない。
そのうちだが、周りから笑い声が聞こえてきた。
…どうして彼は笑われないといけないの?
…どうして?
人の努力をそんなに笑っていいの?
別に本心からの笑いでないことは分かっていた。
だが、なぜか我慢できない。
日景の中で、怒りにも似た気持ちが湧き上がってくる。
それは抑えきれないくらいに。
すでに陸を素直に好きになることはできないけど。
でも、彼を笑うなんて許せなかった。
思わず、彼女は立ち上がってしまった。
だが、次の瞬間。
「何が、そんなに面白いんですか!?」
彼女より先に薫が叫んでいた。
その剣幕に驚いた日景は動けなくなってしまう。
明らかに自分を圧倒していた。
…勝てないんだな。
日景はそんなことを思った。
陸を気遣うあまりの薫の言葉。
そしてそれを撥ねつけた西華へ向けられた怒り。
部室を飛び出していった薫を追いかけていった陸。
もう、2人にはしっかりとした絆が出来上がっていた。
思った通り、自分の入り込む余地などなかったのだ。
そう思った瞬間。
日景の心に張り詰めていたものが、音を立てて切れた。
「…どうしたの、日景?」
「…いえ、何でもありません」
流れているのは、今まで抱いていた心なのだ。
彼女はそう思うことにした。
これは、涙じゃない。
西華の言葉を、日景は冷静に流した。
やっぱり自分は舞台には立てない。
脚本の消えた戯曲は、幕を下ろすしかないのだ。
だから、そうしよう。
こうしてエンド・ロールには、自分の名前しか刻まれず…。
ひとつの幕が下りた。
それから、いつの間にか日景は普通に陸と話せるような関係に戻っていたという。
もう、同じ舞台に立つことはないから。
だから話せる。
でも、それでいいのかもしれない。
またいずれ、違った舞台に立てる日が来るまで。
それがまた始まりになるのだから。
相手が陸じゃなくても。
新たな始まりに、日景はそんなことを思うのであった。
(Fin)
*tukiさんのコメント*
作品の面白みってのに引かれて、書いてみました。
人様のオリジナル作品を二次創作にしてみるという試みは初めてなのですが、楽しませていただきました。
情野さん、ありがとうございました。
・管理人のコメント
10000ヒット記念という事で、このHPで連載中の一次創作「えぼらぶ」の二次創作を書いていただいたわけなのですが・・・
えぼらぶ本編を凌駕する物語の綺麗さに圧倒されました。
風見日景はとても魅力的で、ここだけの出演がもったいないと心から思いました。
こちらこそ、素晴らしい作品をありがとうございました。