最終話 星の名前

 














 鶴素子達が起こした事件から1ヶ月が過ぎ。
 あの事件は、一般的に言う所の世間においてはそれなりの収まりを見せ始めていた。
 奇跡的な事にあの事件による怪我人等は発生・存在しなかった……世間一般においてはそう認知されているのが大きい。
 
 しかし実際にはそうではない。
 関係したごく一部の人間は傷を負っていた。
 心にも、身体にも。

 そんな事件が起こった街の中心部近くにある、大学病院。
 現在そこには、そんな関係者にして中心人物が入院していた。
 ……自分自身が事件の中心人物だと思い出す事が出来ないままに。

「……」
 
 その人物を訪ねていた壱野夜が暗い顔で病院から現れる。
 自動ドアを潜り抜けた直後、熱い夏の日差しが容赦無く夜を突き刺していたが、彼女は意にも介していない。
 それほどまでに彼女の気は重く、それゆえに意識は他の所を向いていた。

「……お嬢様」
「お待たせしました。行きましょう」

 しかし、それでも完全に意識を世界から切り離していたわけではなかった。
 夜を迎えに来ていた、心配げな表情の瑞樹に対し、その心配を和らげるような微笑みを返しながら、夜はリムジンに乗り込む。

「こんちは」
「慧悟君……こんにちは」

 そうして乗り込んだ車内には慧悟が座っていた。
 元々夜に今日壱野邸に来て欲しいと声を掛けられていたのだが、
 壱野邸に直接赴かずこちらの方に来ていたのは、今日も彼女がこの病院に行くのを確信しており、そんな彼女を心配しての事であった。

 そんな慧悟の身体に包帯等の怪我を覆うものは無い。
 あの事件での傷は、デッドコードに纏繞している影響なのか、異常なほどの回復力を発揮した結果、1週間経たずに完治していた。

 その慧悟は、何処か少し躊躇うような、おそるおそるといった様子で夜への問いを口にした。
 
「……今日は、どんな感じだった?」
「ようやく、話が出来ました」

 話。
 それはこの間の事件の事。
 彼女が、そして彼女の面倒を看ている彼が失ってしまった記憶の事。

 肉体的なダメージはさほどなかった彼女が意識を取り戻して1週間。
 それについて話す機会や、状況を作り上げるのにそれだけ掛かっていた。

「……で?」
「彼や彼女にしてみれば寝耳に水ですからね。驚いてました」

 それはそうだろう、と慧悟は思った。
 エゴイスト関連の記憶を失った彼女達にしてみれば、他ならぬ夜の口から『自分達の怒りを知っている』と聞かされれば驚くのは当然の事だ。

「それで?」
「復讐や恨み憎しみについては、この前と同じ事を伝えました。
 そして、その上で話したい事を……彼女の事を語り合いたいと、伝えました。
 それで……最終的に、拒絶されました」
「……そっか」
「分かりきった事です。
 身勝手な事を言ってるわけですから。許してもらえるはずなんかない」
「……」
「でも、きっと、それでいいんです。
 彼らの憎しみが私だけに向いてくれるのなら」
「…………その、なんだ」
「はい?」
「エゴイストを砕くって事は、そのある意味凝り固まった部分を壊すってことで、だから、きっと、その……」
「ありがとう、ございます」
「……あー、その。
 それはそれとして。夜さん、いつも付けてた髪飾りは?」











「……信じられるか?」
「信じられないけど……まぁ、知ってたしね。一部は信じてもいいんじゃない?」

 大学病院の一室で、少年と少女が……伴戸友二と鶴素子が言葉を交わしていた。
 彼らの交わしていた会話の内容は、つい先程までここにいた、彼女達にとっての憎むべき少女の事に他ならなかった。

「それで、どうするんだ?」

 ベッドの上、彼女が置いていった髪留めを拾い上げて、素子は呟く。

「……アイツは、クズよ。こうして許されようとしてる。こんな事で、許されようとしてる。
 殺す価値なんか……私達が殺して背負うような価値なんか、ない。
 二度と、顔を見る事はないでしょうね」
「……俺は割と顔を合わせるんだが」
「それはなんとか頑張って。……お兄ちゃん」

 素子の言葉に友二がなんとも言えない渋面を形作った直後。

「ちーすっ! 西木流理唯今推参ッ!!」

 素子達のいる病室に、スライディングタックルでもしてきたんじゃないかという勢いで一人の少女が入ってきた。
 そうして現れた彼女……慧悟の妹にして素子のクラスメートたる西木流理の顔を見て、二人は小さく溜息を吐いた。

「……また五月蝿いのが来たぞ。毎日毎日良く来るなぁ、お前」
「ねぇ、西木さん? 私達本当に友達だったの?」
「そうだよ? でもさ、仮にそうじゃなくても、今からだって友達だよ」
「なんか、凄いね。……流理は」

 そんな素子の言葉に、流理は満面の笑みを浮かべて見せた。















 それから少し時が流れて。

「で、今日俺を呼んだのはなんでだ?」
「ええ、実はコレを見て貰おうと思って」

 壱野邸内にある夜の自室に慧悟達はいた。
 室内のにベッドの上に大きく広げられた何枚かの用紙は何かの図面のようだった。
 夜と共にそれを覗き込みながら、慧悟が呟く。

「んー……よく分からん」
「コレはですね、この邸の地下の改造計画立案所です」
「はぁ??」

 夜の手により広げられた図面や夜の発言が理解出来ず、慧悟は首を傾げる。
 そんな慧悟に向けて、一度小さな笑みを浮かべた後、夜は穏やかな声で言った。

「確かに、県内のE・G・O所持者のソフトは回収終わりました。
 でも……エゴイストはきっとまた現れます」

 その通りだろう、と慧悟は納得した。
 鶴素子や友二を唆した存在は健在。
 その上、違法コピーというE・G・Oを増やす手段がある以上、いつ何処にエゴイストが現れるか分かったものではないのが現状なのだから。

「慧悟君は……戦うんですよね?」
「……ああ。という事は……」
「勿論、私も戦います。今や私もデッドコード、なんですから」
「……俺としては、夜さんには戦って欲しくないんだけど……」
「そういう訳にはいきません。それが私のエゴなんですから」

 そう言われると慧悟に反論の余地はなかった。
 自分も同様に……西木慧悟のエゴとして戦っているのだから。

「それで、ですね。
 地下室を改造して今度作ろうと思っているのは、そんな今後の助けになるだろう施設なんです」
「ふむん? 何を作るかは分からないけど、そのお金は何処から?」
「私が今までいろんな人に貰ってきたお小遣いの全てを投入しますよ」
「いや、お小遣いって……
 え、何です、いきなり耳打ちなんて瑞樹さん……うぇっ!? 
 ……いや、お小遣いって額じゃないよな、それ」
「でもお小遣いなんですよ。
 まぁ、お小遣いで秘密基地的なものを作るなんて、褒められたものじゃないですけど。
 私はまだまだ子供ですから。子供のアドバンテージ、存分に利用します」

 夜は自身の弱さを知った。醜さを知った。
 いや、正確に言えばずっと前から知っていたつもりだった。
 だからこそ、それを覆い隠そうと、否定しようとしてきた。
 今まではそうだった。
 
 だが、これからは違う。
 より深く理解した弱さを、醜さを肯定していく。眼を背けない。
 強く生きていくために。為すべき事を為すために。
 
 それは、デッドコードとして、西木慧悟の隣に立つために。
 星を見上げる人ではなく、共に在る星になるための、彼女の決意だった。 

「それに、そうする先にこそ見える気がするんです。子供の先にある、大人の姿が。
 だから今のうちに使えるものは使い切っちゃいます」
「ふむん。……まぁ、その。
 上手く言えないけど、それでいいんじゃないかって、思うよ」

 あれだけの事があったのだ。
 夜の心は圧し折れても不思議ではなかった。
 しかし、最終的に圧し折れる所か、彼女はそれでもなお正しくあろうとしている。
 そんな、星のように輝く夜の表情を見ていると『それでいい』と慧悟は思えた。

 そんな慧悟の肯定の言葉が嬉しかったのか、夜は薄く頬を染めながら笑みを浮かべる。
 そうして暫し頬を染めたまま、彼女は言葉を続けた。
 
「ありがとうございます。
 それで、地下の事も含め、これからの事を色々お話ししたいんですけど、その前に名前を決めたいと思うわけで」
「名前?」

 何の事かと再度首を傾げる慧悟。
 その疑問に答えたのは、ずっと二人の様子を穏やかな表情で見守っていた瑞樹だった。

「はい。お嬢様曰く、慧悟様も、お嬢様もデッドコード。
 姿は違うのに名前が同じなのは紛らわしいと」
「というか、デッドコードってどういう名付けなんですか? 永久さんが?」
「あ、いや、その……」

 そうして彼らは語り合っていった。

 これからの事を。世界の事を。自分達の事を。
 それが自分達のエゴだと分かっていても、その上で『誰かの為に出来る何か』を為していくために。

 














「今日は御送りしなくていいんですか?」

 夕焼けに染まる壱野邸門の前。
 リムジンを準備するか否か、という意味合いの瑞樹の問いに、慧悟は、はい、と答えた。

「今日はいいですよ。なんか、歩きたい気分なんです」
「……そうですか……はぁ」

 慧悟の答に、瑞樹はガックリと肩を落とす。
 
「どうしてそんな心底残念そうな顔する事するんですか、貴女は……」
「お嬢様。私だって、慧悟様と色々お話したいんですよ〜」
「??? 話すだけなら、いつでもいいですけど」
 
 よく分からないとばかりに三度首を傾げる慧悟。
 そんな彼の言葉に反応し、瑞樹の眼がキュピーンッと輝いた……ような気が夜にはした。

「……慧悟様。今の言葉に嘘偽りはありませんね?」
「まぁ、嘘つく理由も無いですし……」
「では今日は我慢いたします。いずれ、近い内に……ふふふ」
「はぁ、では、また。夜さん、沖さんにもよろしく伝えてくれると助かる」
「はい確かに。それでは」

 そうして、今日の用事を済ませた慧悟は、壱野邸を後にした。
 自分に向けて穏やかな笑顔を浮かべたままずっと手を振り続ける夜に、その姿が見えなくなるまで手を振り返しながら。
  
「……ぬぅ。瑞樹さん、どうしたんだろ。
 やっぱり、あれかな。
 ドタバタしてたとは言え、事態進行中に連絡もせずに放置してたのが悪かったのかな」

 呟きながら夕焼けの中、慧悟は遠くに見える街へとゆっくり歩いていく。

「だとしたら、ちゃんと謝らなきゃな。沖さんにも。
 ……しかしホント赤いなぁ、今日は」

 赤く染まった世界は、あの日を思い起こさせる。
 それゆえに、歩きたかったのだ。
 赤い赤い世界で、初めてデッドコードになった、あの日を。

「あの日も……」
「そう。あの日もこんな夕焼けだったわね」

 唐突な、そんな言葉と共に。
 何処からともなく、彼女が現れた。

「こんにちは、慧悟」
「永久、さん」

 永久。
 今の慧悟にとっての全てのはじまりと言える女性。
 彼女は薄い笑みを……穏やかという意味では夜と同じなのに、印象は何処か違う……浮かべながら、慧悟に話し掛けた。

「この間はお疲れ様。
 私の不手際や油断もあって、手間を掛けてしまったわね」
「いや、その。別に。それで今日は……?」
「何の用事もない、そう言いたい所だけど。残念ながらそういうわけじゃないわ」

 言って、永久は慧悟に何処からか取り出したソレらを手渡した。
 慧悟にとってソレらは見覚えのある、ある意味すっかり馴染んでいるものだった。

「これは……」
「新しいRDAとE・G・O。
 貴方がこれら無しで変われるようになったのは知っているけど、身体の負担は避けるべきだし、ね」
「……つまり、やっぱり、まだエゴイストは現れるんですね?」
「ええ、その通り。
 貴方の戦いはまだまだ始まったばかり。
 いえ、むしろコレからが本番。
 今までは所詮、子供のお遊び」
「……っ」
「あら、怒ったの? でも事実よ。
 1ヶ月前のあの戦いは、E・G・Oを、いえRDAを作った黒幕にとって、
 全てデータ取りの為のものでしかなかった。
 エゴイスト、デッドコードを効率良く生み出すためのね。
 あるいは、私を誘き寄せる罠。
 私にとっては、為すべき事の1%を駄目元で貴方達に任せた、その中で起きた出来事というだけ。
 今の所、貴方の戦いは全て誰かの掌の上なのよ」
「……貴方の、本当の目的は?」
「私の目的は……そうね。目を瞑りなさい」
「? 何を……」
「いいから。意味がある事なのよ」
 
 そうして言われるがままに慧悟が目を瞑った、その直後。

 唇に、感触が。

 驚きから思わず目を開くと、永久の顔がそこにはあった。
 刹那、視線が絡み合う。
 
 絡み合ったそれを離したのはどちらが先だったのか。
 慧悟がそれを思考する間も無く、唇も、視線もいつしか離れていった。

「え、あ、う……っ!? そ、あの、い、一体……?」
「ふふふ。まだまだね」
「え?」
「いつか、これで誤魔化されなくなったら、教えてあげるわ。
 強くなりなさい、慧悟」

 そうして、背を向けた彼女は、背を向けたままで1つメッセージを付け加えた。

「強くなって……いつか、私を守ってね。私が見つけた、私のヒーロー」

 少女のような儚さを一瞬だけ乗せて。
 またしても、永久は何処かへと消えていた。

「……まったく」

 敵わない、そう思う。
 弄ばされている。まぁ、事実そうなのだろう。

 確かに自分はまだまだ子供だ。
 今だって色んなものに守られてようやく立っていられるのだ。

 でも、いつかは。いつか、そう、いつかは。

 本当の正義の味方に。
 誰だって、どんなに強い人の事だって守れるヒーローになろう。

 西木慧悟は、そう強く、強く、改めて、決意した。















「……むぅ。またしても不覚ね。少しドキドキしたわ」

 永久は一人呟く。その顔はほんの微かな赤みを帯びていた。
 その火照りの元である、ゆっくり歩いていく慧悟の背中を少し離れた所から眺めていると、唐突に音楽が鳴り響いた。
 音楽の源は彼女の懐に仕舞っていた携帯電話の着信音。
 けたたましく鳴り響くそれに少し渋い顔をしつつ、永久は電話に出た。

「ああ……久しぶり。そっちは大丈夫?」

 電話の向こう側にいるのは、慧悟と同じようにE・G・Oを回収破壊している存在、そのリーダー。
 慧悟と違うのは、年季が違う、という所か。

 そんな人物との会話の中、
 永久は思い出したように装って、ある事柄についての決定事項を口にした。

「ああ、そうそう。今度から、あの姿の名前をデッドコードにするわ」
『……』
「え? どういう意味かって?」

 あの力には長らく名前はなかった。
 あの力は、エゴイストの一部でしかなかったからだ。
 便宜上の名前は幾つかあったが、どれもしっくりはこなかった。

 しかし、今回色々あった結果、気に入ったのだ。
 西木慧悟という少年が付けた名前と、彼が語ったその由来が。

「デッドコード。
 プログラムのソースコードに存在するけど、決して実行されないコードの事よ。
 ピッタリじゃない? 
 エゴイストという制御出来ない力を制御する、本来はありえない存在の名称として。
 欲望を破壊する、欲望の権化として。
 この世界に生きる人間達の中に確かに存在しながらも、本来は必要のない無駄な……削除されるべき存在として。
 まぁ、若干元々と意味は合わないけどそこはそれよ」
『……』
「え? よく分かったわね。
 発案者は私じゃないわ。
 ええ、そのとおり。発案者は、デッドコード・ファースト、西木慧悟よ」

















 デッドコード。

 それは、後に罵倒や怨嗟で呼ばれる事になる存在の名前。

 闇に巣食う悪から、憎悪を持って呼ばれる名前。

 存在を否定されながらも、為すべき事の為に存在しようとあがくものの名前。

 正義の味方として認知される事となる、星のような輝きを持つ、誇り高き人間達の名前である。

















 ……END









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