第拾五話 エゴ瞬く街・6
「あっけない事」
倒れ伏した男達三人の手からからRDAを奪い、素手で破壊した後、永久は呟いた。
何処かつまらなさそうな、それでいて哀れんでいるような、そんな視線を男達に向けながら。
「起源を話してあげたんだからもう少し考えてくれるかと思ったんだけど。
甘かったかしらね」
そうして永久が溜息を吐いていた時だった。
「……大きな力?」
自身が呟いた通りの”何か”が近くで動いている事を永久は感じ取った。
動いている何かの方に顔を向けた瞬間、慧悟が向かったはずのビルの上部が吹き飛んだ。
直後、そこに巨大な黒い陰が立ち上がる……いや浮かび上がるのが見えた。
「あれは……エゴイスト……ううん、そうであってそうでないもの、か」
アレは通常のエゴイストとは一線を画している。
いかなデッドコードと言えども、苦戦は必至だろう。
助けたい所ではあるが、自分は現状色々な制約上動けない。
ここまで動いただけでも、おそらくかなり目立ってしまっているのだ。
これ以上目立つ事で現状位置を特定されれば面倒な事になる。
だがしかし。
正直な所、放ってはおくわけにはいかない。放ってはおけない。
「となれば、フォローくらいはしてあげるか」
言いながら、左腕の手袋を外す永久。
左手も右腕同様に黒い穴が幾つも開いており、そこからヒビが入り広がっていた。
「出でよ、我が断片」
永久がその穴に向けたかのように呟いた直後。
彼女の左手の穴から三本の白いナイフのようなものが姿を現し、宙に浮かび上がる。
「いい? あの周辺に落ちる破片を、存在消去しつつ全て地面に落ちるまでに粉々になさい」
永久の命令に頷くように、何度か体(?)を傾けさせると、
ナイフは空へと舞い上がり、慧悟達のいるビル周辺を旋回し始めた。
「さて、後は任せるしかないわね。
……いや、もう1つフォローがいるか」
そう言って、永久は歩き出した。
彼と彼女を助ける、その為に。
「なんだ、あれ?」
突如街中で鳴り響いた爆音に、道行く人々は足を止め、顔を見上げた。
そうする事で、そこに浮かぶ黒いものを彼らは確かに見た。
「風船か?」
「なんかのアトラクションじゃないだろ」
しかし、それを彼らはあまりの非現実ぶりに理解できなかった。
非現実が自分達の間近にある事を、今まさに自分達に襲い掛からんと広がっている事を知らなかった。気付かなかった。
「大丈夫か、夜さん……」
「う……」
土煙が渦巻き、辺りが崩れ続ける音が少なからず響く中、夜は目を開く。
どうやら、慧悟……デッドコードに庇ってもらったようだ。
周辺の様々なものが崩れ落ち破壊されていた中で自身が無傷なのはそういう事なのだろう……夜はそう理解した。
すぐ近くに倒れていた、同様に守られたのであろう友二の無事を確認・安堵しつつ、夜は周囲状況を確認する。
素子が引き起こしたのだろう破壊は予想以上に大きなものだったようだ。
辺りにはビルやその中にあったものの破片が転がり、瓦礫が積み重なっていた。
何より目に付いたのは、あったはずの天井が、屋根が、崩れ落ち、消え果てて、頭上には空が広がっていた事。
そして、そうして広がった赤い空に。
「な……!!」
ボロボロの黒い布を纏ったような巨大な塊。
一見するとそうとしか言えないものが浮かんでいた。
異様なそれに夜が呆気に取られていると、突如その黒い塊が回転しひっくり返る。
そうなる事で布が翻り、中から丸い球体が姿を現した。
そうして成った形は、言うなれば照る照る坊主だった。
球体を頭とし、棚引いている布が身体なのか……そう夜が思った矢先に再びひっくり返る”照る照る坊主”。
だが、今度は布が球状の物体を隠したりはしない。
黒いボロボロの布のような部分は黒い炎が燃え上がるように空に向かって棚引いていた。
そして、頭部と思われた箇所の黒い球体の中央には。
「素子ちゃん……?!」
意識を失っているのか、目を瞑った鶴素子の顔が浮かび上がっていた。
そんな彼女を夜同様に観察していた慧悟……デッドコードは夜に視線を向けつつ呟いた。
「……多分、彼女はエゴイストに取り込まれたんだ」
「エゴイストに、取り込まれた?」
「デッドコードに近いものに彼女はなっている。
多分彼女の願いが、彼女のエゴの形に限りなく近かったんだと思う」
「エゴの、形」
「人は皆エゴを持っている。エゴ、自我であり、エゴイズムを。
そして、それには人それぞれの形がある。
今の彼女のエゴはおそらく……自己否定のエゴ」
「え?」
「彼女は知っているんだ。自分がやっている事が、方法が、間違っている事を。
さっきの言葉も、やけくそになっただけじゃなくて、
それを認識したが故の心からの叫びだった。
だから、だからこそ、RDAなしでエゴの力を発揮出来たんだろう」
言いながら再び空を、そして”彼女”を見上げる慧悟。
黒いエゴイストの大きさは今までの比ではない。
かつてのエゴイストは人間大サイズから、ちょっとした家サイズまであったが、そのどれよりも”彼女”が大きいのはどう見ても明らかだった。
「どう、するんですか?」
油断無く”彼女”を見据えるデッドコードに問い掛ける夜。
デッドコードは淡々とそれに答えた。
「戦って、止めるしかない。いや、止める。それが……俺のエゴだから。
多分、俺が君の立場だったとしても、そうすると思う」
「え?」
視線を下ろし、再び夜に向き直るデッドコード。
自然、当惑する夜とデッドコードの視線が絡み合う。
通常状態のデッドコードの顔に眼は存在していない。
だが、夜は慧悟が確かに自分の目を見ている事を何故か確信出来た。
そんな確信の下に夜が見つめる中、デッドコードは穏やかに言葉を続けていった。
「さっきも言ったけど、俺は、君が悪いとは思えない。
少なくとも、君は悔いている。
全くの第三者が言ったところで無意味かもしれないが、
それが間違っているとは俺には到底思えない」
「でも、私が汚いのは、事実です。
私は、結局のところ、別の所で償おうとしていただけ……」
「そうか。
正直、夜さんがそう思う事を俺は否定できない。
……でも、俺はそれでもいいと思う」
「え?」
「それが、当たり前なんだと思うよ。
一度取り返しが付かない事をしたら、それはその事そのものでは取り返せない。
取り返せなくなったものを何かで挽回しようと思った結果、代償行為に見えても仕方ないんじゃないか?
でも、それでも、もう二度と繰り返したくないと思うのなら、それでいいじゃないか。
それが君のエゴなんだ。
俺は……そうして自分の汚さをちゃんと受け止められる夜さんを素敵だと思うし、綺麗だと思うし、尊敬するよ。
だから俺は君を嫌いになれない。友達だと思っている」
「……」
「何度でも言う。俺は君の味方だ。友達だ。
だから、生きて欲しい。だから、今は、逃げていてくれ。彼と一緒に」
そう言ってデッドコードが指を差した方には、気を失ったままの友二が倒れていた。
「で、でも……!!」
友二を守る事に異論はない。
だが、当事者である自分が逃げる事は許されない……そう思い、声を上げる夜。
「ここで出来る事があるのは、俺だ。だから、ここは俺に任せて」
しかし、それはデッドコードの強い言葉と意志に遮られた。
何よりデッドコードの言っている事はどうしようもなく正しい。
この状況の中、今の夜に出来る事は友二と共に逃げる事だけだ。
「……っ」
それでも何か出来る事はないかと探す思考による無言を肯定と認識したのか、あるいは返事を待っている暇はないと判断したのか。
「じゃあ、ちょっと行って来る」
そう言って慧悟は、デッドコードは、夜の言葉をそれ以上待つ事はせず、地面を蹴った。
「け、慧悟君っ!」
慌てて声を掛けるも、その声は届かない。
正確に言えば、届いた所で最早地面を蹴ってしまった後のデッドコードを停める事は出来なかった。
そうしてデッドコードは夜から遠く離れ、屋上だった場所、その残骸に着地する。
「こりゃ、大変だな」
デッドコードが立つ周辺以外に足場らしい足場は殆どない。
空を飛べるわけではないデッドコードとしては厄介な状況だと言わざるをえない。
「こっちも大変だが」
見上げた敵の大きさに改めて驚かされる。
空に浮かぶ様は気球のようにも思えるが、大きさは明らかにそれ以上。
これほどの巨大なものを相手取るのは始めてで不安はある。
だが逃げている暇はない。
「っ!!」
デッドコードの接近を感知してか、エゴイストが変化していくのを見て、慧悟は息を呑んだ。
黒い炎の中の至る所から、数十、数百の黒い何かが姿を現す。
それは、手であり、足であり、刃だった。
昆虫の足のようなソレらの先端には、剃刀のような形状の黒い刃がついていた。
『……っ!!』
球体の中にいた素子の目が開く。
次の瞬間、刃の手足とでも呼称すべきソレらが一斉に動いたかと思うと、デッドコードの立つ隣のビルが切り刻まれていった。
それは破壊。
怒りをただぶつけるような、八つ当たりのような、純粋な憎悪であり、純粋な破壊。
「鶴素子っ!!」
ただ只管な破壊を目の当たりにして、もうこれ以上の放置は出来ない、と意を決し、慧悟は叫んだ。
「俺は、君達の感情を否定は出来ない。悲しみや憎しみを嘘とは言えない。
でも、間違っている。それだけは言える」
『……』
「確かに俺は第三者で、君達に何かを言えるような立場なんかじゃない。
でも、それなら当事者はなおの事だろう?
当事者達は皆、苦しくて、悲しくて、何も言えないでいる。
なら、誰が君達を間違っているって言えるんだ?」
『……』
「同情から間違っている事を肯定したら、間違っている事が間違っている事じゃなくなる。
そうなったら、もう何が正しくて、何を守るべきか、あやふやになってしまう。
だから、言うんだ。
間違っているものは、間違っていると。
俺が、言う」
『……』
「そんな俺が間違っているのなら、
いつかきっと俺も間違っていると言われ、否定され、消えていくと思う。
だから。
その時までは……俺が、正義だ」
『……』
「それに不満があるのなら、掛かって来いっ!!
ただし、俺だけだ!! 俺にだけ攻撃しろっ!!」
『いいわ……!! 望みどおりにしてあげる、先輩!!』
沈黙を破ったその瞬間、球体の中の素子の顔が歪な笑みを浮かべた。
そして、その直後。
黒い攻撃の雨がデッドコードに降り注いだ。
「なんで……っ!?」
肩を貸すような形で運んでいた友二を地面に下ろし、
隠し持っていたオペラグラスで屋上の光景を……デッドコードが一方的に攻撃を受ける姿を見て、夜は思わず声を上げた。
心の何処かで躊躇いながらも、
慧悟の言葉と願いに従い、必死に友二を運び、夜は下に降りようとしていた。
だが、頭上の揺れと衝撃音で状況の変化に気付いてしまった以上、状況を確認せずにはいられなかったのだ。
そうして攻撃を受けるデッドコードの姿を目の当たりにして、呆然としていると。
「多分、可能な限り彼女の怒りや悲しみを晴らしてあげたいと思ってるんでしょうね」
自分以外誰もいなかった筈の場所に声が響く。
突然の声に驚いて夜が振り向いた先には、
ただ一度だけ会っただけの、捉え所のないおぼろげな空気を漂わせる女性……にもかかわらずどうしようもなく記憶に残る存在である永久が立っていた。
「永久、さん……? それは、一体……」
夜自身、何を言っているのか、言いたいのか、言おうとしているのか分からないままの呟き。
そんな夜の呟きに、永久は空を……攻撃を受けるデッドコードを見上げたまま答えた。
「あの子は、馬鹿だから。
色々な矛盾とかに気付いていても、そうせざるをえなかったのよ。
ちゃんと自分のやるべき事は分かっている。
彼女を、エゴイストを破壊する事で、彼女を解き放つ事。
そうすべきだって、あの子は分かってる。
でも、その前に少しだけって考えなんでしょう」
「……っ!!」
永久の言葉を聞いて、夜は唇を噛み締める。
それは自分のすべき事なのではないかと、ただ噛み締めた。
「……気は、少しは、晴れたか?」
最早完全に原形をとどめていない屋上の一角で、デッドコードは問い掛けた。
その身体は数え切れない傷跡が付き、血が流れていた。
彼女の刃では装甲表面を削り、中身に届く程度がやっとなのが不幸中の幸いだが。
それにしても傷は多く、出血多量になりつつあるのは否めない。
それでも、彼は立っていた。決して膝を付こうとはしなかった。
そんなデッドコードの問い掛けに対し”彼女”が咆哮する。
『晴れるわけない!! 晴れるわけなんかない!!』
エゴイストの口と素子の口が同時に動き、その声もまた同時に響き渡る。
辺りが咆哮によりビリビリと震える中、それを更に押し流す咆哮が津波のように押し寄せていく。
『言った筈!! 私の望みはこんな世界を壊す事っ!!』
「やめろ……!! これ以上は、駄目だ……!! 攻撃するなら俺だけに……!!」
『うるさいうるさい!! 自己満足を見せるな!!
お前には分からない!! 分かるはずなんかない!!
正しさを振りかざすだけのお前には分からないぃぃぃ!!』
「……っ!!
ああ、その通り。その通りだ。分かってるんだよ、本当に」
痛い位知っている。
自分の正義は、自分ひとりの正義だと。
でも、だからといって、やめられない。やめるわけにはいかない。
「……だから、俺は、君を、止めるんだ」
『ハッ! ざぁぁぁんねんっ! それは、無理よっ!』
嘲笑するような言葉の直後繰り出された、これまでとは質の違う攻撃に、ボロボロの慧悟は反応が遅れてしまった。
「これは……縄?」
不意を突く形でデッドコードの首に掛けられたのは、死角から繰り出された、足の一本が変化している黒く太い縄。
それは何処かで見た事がある。
漫画やアニメ、ドラマで見られる、首吊りの……。
「く、ああああああああああっ!!」
そう思考・認識した瞬間、縄が急激に締まり、デッドコードは空へと引っ張り上げられる。
抵抗しようとするも如何ともしがたく振り回され、振り回され、振り回された果てに。
『苦しいでしょう!? ざまぁないわね正義の味方っ!!
しゃしゃり出てくるからこうなるのよぉっ!!
私もいずれ死ぬからアンタが先に死ねぇぇぇlっ!!』
思いっきり、地面に、道路に落とされるデッドコード。
隕石が落ちたかのような傷痕と轟音が、周辺に響き、刻まれた。
「かはっ! ごはっ!!
くっ、はぁっ……良かった、とりあえず、誰も、巻き込まなかった……」
ダメージから咳き込みながらクレーター状になった道路からどうにか這い出すデッドコード。
「な、なんか落ちてきたぞ……!?」
「ば、化け物……?!」
「って、事は上の奴も……」
「いやいや、そんなわけないだろ……」
落下してきたデッドコードや上空の異物、付近の状況を精神的には遠巻きに眺めつつ、騒ぐ野次馬達。
そんなざわめきの中、屋上だった場所から叩き落されたせいで、先程よりも遥かに遠くなった目標を見上げながら、デッドコードは呟いた。
「……なるほどというかやっぱりというか、確かに自己否定の塊だな」
剃刀はリストカット。縄は首吊り。両方とも自殺をイメージしている。
自己を、否定しようとしている。
「もう少しポジティヴになってほしいもんだ……」
デッドコードはそんな事を呟きつつ、足を引きずりながらも歩き出す。
その動きでデッドコードが健在な事を認識してか、上空の”彼女”の様子が変化した。
「……っ!?」
数十、数百、いやもしかしたら千にも届くかもしれない異形の手足を大きく広げようとしているのか、手足を戦慄かせる”彼女”。
高度を維持したまま攻撃を仕掛けるつもりなのか、あるいは接近の前準備なのか。
いずれにせよ、このままでは辺りにいる人々を巻き込む可能性が高い……そう判断したデッドコードは周辺に向けて叫んだ。
「み、皆さん、ここから、に、逃げてくださいっ!!」
ボロボロながらも、懸命に声を張り上げるデッドコード。
だが。
「おい、どうなってんだ……?」
「なんかアイツ叫んでるような……」
「逃げろって、マジなのか、これ?」
「いや、撮影か何かだろ」
「リアリティなさすぎだしなぁ」
「いやいやいや、これヤバいって」
「じゃあ逃げろよ」
「え、でも、俺一人ってなぁ……」
その声は、混乱に彩られている人々の耳には彼の望む形では届いていなかった。
彼らはデッドコードが、自身の周囲で起こっている事が『現実』だと思えないでいた。
デッドコードの醜さや空に浮かぶもの、そういった現状が『日常』からかけ離れすぎていたがゆえに。
もしも、デッドコードに遭遇した”だけ”なら異形を恐れて立ち去ったのかもしれない。
もしも、爆発を見た”だけ”なら驚いて逃げていたのかもしれない。
もしも、空に浮かぶ彼女”だけ”なら恐怖していたのかもしれない。
それらが単体であったのならば、彼らは恐れて逃げ出していたのかもしれない。
だが、それらが複合された事により、今ここに広がっている世界からは現実感が乖離していた。
ゆえに、彼らは動かない。
慧悟が声を張り上げても、彼らを動かす決定的なものにはならなかった。
「皆さん、早く逃げて……! くそ、どうして……!? 俺の、姿のせいなのか……?」
慧悟はこの状況を自分の醜さゆえの事だと思った。
同じ事ではないが、今まで何度か似た事はあった。
それゆえの事ではないのか……少なくとも慧悟はそう考えていた。
醜さゆえに怖がられ、思うように助けられなかった。
醜さゆえに動揺され、その事に慧悟自身がショックを受けて動きが鈍った事もあった。
醜さゆえに。異形ゆえに。
今回もまた、そういう事なのか。
そう思考し、慧悟は仮面の奥で歯噛みした。
こんなにも、醜い姿を悔やみ、悩んだ事はない。
慧悟が声無き叫びを上げつつも、それでもなお現実の声は皆の避難を呼び掛けようとしていた、そんな時だった。
「す、すみません、どいてください」
「……?」
そんな現実と虚構の境界にある群集の中を掻き分けて、一人の女性とその子供と思しき少年が現れた。
彼女達はおそるおそる、それでいて慌てた様子でデッドコードに近付いていく。
そんな状況に戸惑って言葉を失っているデッドコードにある程度近付くと、一部の人間の注目を浴びながらも女性は言った。
「だ、大丈夫ですか?」
如何にもおっかなびっくりという風の女性。
近くにいる少年も同様にこちらを窺っている。
その様子に首を傾げつつ、そんな場合でもないのかもしれないと思いながらもデッドコードは女性に尋ねていた。
「……? 貴方は、一体」
「あの、その、とりあえず、こ、この間は、ありがとうございました」
「さ、サンキューな」
「……?? って、ああ、あの時の」
自分を見上げる子供の視線で慧悟は気付いた。
以前助けた……初めて夜と組んでE・G・O回収に臨んだ時の、あの親子だと。
「お、お怪我は……?」
「もしかして、心配してくれるんですか……?」
「そ、その、以前は、失礼なままだったので、迷ったんですけど、何も言わないのは、出来なかったので……」
女性の言葉は乱れていたが、慧悟にはその意図がなんとなく理解出来た。
時折分かり難い文章を組み上げる慧悟だからこそ即座に理解出来たのかもしれない。
詰まる所、彼女達は以前庇った事について気に掛けてくれていたのだ。
気に掛け続けていたからこそ、今こんな状況だと言うのに、自身を心配してくれた。
未だデッドコードの姿に恐れを抱いているというのに。
そんな慧悟の解釈は、大枠は正しかった。
実際には助けられた存在を否定するような思考への罪悪感や、
そんな自分自身の醜さを認めたくないという自己愛染みた思考などが絡み合った複雑なものではあったが。
しかし、その行動は、軽い自己不信に陥り掛けた慧悟にとって、心を正の方向に揺り動かす刺激となった。
「……ありがとうございます。
って、そんな場合じゃなかった。
ここは危険です。早く逃げてください。
あと、出来れば、逃げるついででいいんで、ここにいる人達にも呼び掛けて下さい。
俺じゃ説得力ないみたいなんで」
「……ほうほう。そうか、ここから逃がせばいいんだな?」
「え?」
母親とのやり取りの後、新たな声が聞こえたかと思った次の瞬間。
パンッと、乾いた音が、銃声が辺りに響いた。
デッドコードのみならず皆が注目した先……銃声がした場所には、制服姿の警官が立っていた。
「えっ!?」
「警官……?!」
「はい、本官は紛れもない警察官でありますっ!」
警官は空に向けた銃をこれ見よがしに見せながら、空いた手で敬礼のような仕草してから堂々と叫んだ。
「私は和歌浦町署勤務巡査長、多田士です!
今の銃撃は怪獣へのものです!
これはアトラクションなどではありませんっ!!
安全の為、避難をお願いします!!」
「ま、マジだ……」
「本物……?!」
「ほら見ろ、やっぱりヤバイんじゃねーかっ!」
「にげ、逃げろ……っ!!」
「うわぁぁぁっ!」
銃と警官。
これ以上ない説得力を持った”現実”の合わせ技の結果、野次馬達の殆どはまさに蜘蛛の子を散らすように、皆逃げていく。
その際、一部パニックを引き起こしてはいたが……。
(……あのままこの場に残留されるよりはよかった、か)
元々この場で野次馬していた人間は、たまたま通り掛っていた数十人から百人程度がそれぞれの小さな集まりとして点在していた状態だった為、パニックがパニックを呼び、互いの避難の足を引っ張り合うような事態までには至らなかった。
結果的に見れば、パニックを引き起こした事が功を奏したとも言える。
「貴方は、あの時の……」
そのパニックを引き起こした警官にも慧悟は覚えがあった。
確か、世田大のエゴイストを倒した後に自分を撃った警官。
撃たれた事は印象的だったのでなんとなく記憶していたのである。
そうしてデッドコードが何処か感慨深げに視線を送ると、彼は恥ずかしそうに帽子を目深に被り直しながら言った。
「あー、なんだ。あの時は済まなかったな。
冷静に見れば化け物を倒して女の子を守っていたのは明らかだった。
気が動転していたとはいえ、申し訳ない。
これは、あの時の謝罪代わりとしておいてくれ。
ああ、いや、警官としての職務でもあるんだが」
「あ、いえ……気になさらず。そんな事より……」
デッドコードは会話の合間合間にも上空の状況の推移を認識していた。
どうやら上空の”彼女”は完全に自分の能力や攻撃範囲を完全に把握しているわけではないらしく、手足の展開にまごついている様だった。
それにより近くにいた大半が避難する時間を得られたのは幸運な事だったが、いつまでもそれが続くはずもない。
そんな含みを込めたデッドコードの呟きの最中、その内容を直感で理解したらしく警官・多田士はデッドコードに頷いて見せた。
「分かっている。本官はこれから周辺にいる人間の避難を呼びかける。
近辺の警察にも協力を要請するつもりだ。
ですから、貴女はその子を連れて避難してください。
これは警察の……私の仕事です」
「は、はい。では、私達は、ひ、避難します。ほら、行きましょう」
「……」
彼の言葉は、途中から残っていた母親に向けての言葉になっていた。
その言葉に母親が頷き、少年と共に離れていくのを確認しつつ、デッドコードは警官に向き直った。
「あ、その、それは助かりますけど……命令無しにそんな事をして大丈夫なんですか……?」
「なぁに、それで仮に懲戒免職になったところで問題ない。
これで何もしないほうがよほど問題だ」
「……」
「心配すんなって。
流石に避難誘導したぐらいじゃクビにはならないさ。多分」
「……。すみません、お願いします」
「ああ。任せろ。
これが俺のやるべき、俺の仕事だからな。
で、お前は大丈夫なのか?」
「まぁ、なんとかしますよ」
「……そうか。じゃあ時間が惜しいから俺は行く。気をつけてな」
「貴方も、気をつけて」
少し自信がなくなってきたけど、と零しそうになりながらも、それを堪え、慧悟は警官の後姿を見送った。
そうした後、改めて空の”彼女”に視線を向け、観察する。
実際の所、慧悟は”彼女”の強さの底を測りきれないでいた。
デッドコード寄りのエゴイスト。
初めて相対するタイプの敵に正直不安は隠せない。
(なんとかなるのか……?)
内心自問自答するデッドコード。
そんな彼の前に。
「お、おい」
「……君は」
いつの間に駆け寄っていたのか、さっきの少年が立っていた。
少年は泣きそうな顔でそれでも懸命に慧悟を、デッドコードを見上げながら言った。
「お、お前、名前なんて言うんだ?」
「?」
「怖い格好だけど、お前、正義の味方なんだろっ?!
あの時、俺達、助けてくれたんだろっ!?」
「……っ!! ああ、そうだよ。そのつもり」
「なら、な、名前、教えろよ」
「デッドコード。デッドコードだ」
「でっどこーど……よし、覚えたぞ。デッドコード! 頑張れ!」
「……!!」
「い、いいか!? 絶対、負けんなよ! 正義の味方は負けちゃいけないんだからな!!」
「……」
「絶対、だからなっ!」
何度も念押しするように振り返りつつ声を送りながら、心配げにこちらを見守っていた母親と共に改めてこの場から離れ、避難していく少年。
そんな少年に向けて強く大きく頷くデッドコード……慧悟の胸はざわついていた。
(……昔なら、もっと、熱くなってたんだろうな)
もうこの胸は極限まで高揚する事はない。
正義を行う事への高揚は、不可能だ。それが代償だ。だけど。
「胸が、ざわついてる。それで、十分だ」
そうして、デッドコードはもう一度飛び上がり、エゴイストに向かっていった。
それに気付いたエゴイストは地上へと降りる事を放棄したのか、先程までと同様の攻撃を再開する。
『っ!! ちっ、懲りない男!!』
「悪いね、諦めが悪いんだ!!」
「慧悟君……!!」
大きく跳躍し、再びエゴイストに立ち向かっていく慧悟の姿を、夜は見上げていた。
下や近くのビル内の状況……人の存在……を確認しつつ、彼を追って動き回るエゴイストをビルの壁面を蹴って足場にして立ち向かっている。
しかし、一定の高度から決して降りてこないエゴイストにデッドコードは苦戦を強いられていた。
だが、それでも。何度叩き落されようとも、切り刻まれようとも。
デッドコードは向かっていく。
さっきの、あの時と同じだ。
デッドコードになれなくてもあがいていたあの時と。
一体何が彼を支えているのか……いや、分かっている。
彼を支えているのは……。
「慧悟は、強いわね。ううん、強くなった」
「……永久さん」
「私が彼に最初出会った時、彼がこうまで戦えるようになるとは思っていなかった。
彼は、何処にでもいる、普通の子だとそう感じていた。
ううん、基本的には彼は普通なの。
変な部分も多いけど、人間としては普通」
「……」
「多分、彼は私に出会う事がなければ、
内向的で少し変だけど、それなりに普通な人生を送っていたでしょうね。
でも、私に出会い、E・G・Oを渡され、託され、私を守る為に戦った事で、彼は気付いてしまった。
自分の中にある、どうしようもないエゴの形に」
「……正義」
「そう。正義という名のエゴイズム。正義という名の自我の形。
それが彼を唯一絶対的に突き動かすものだと。
西木慧悟という人間の根幹を支えているものだと。
狂っていたとしても。間違っていたとしても。それがある限り、彼は屈しない。
それが彼のエゴだという以外に、そこに理由はない」
「……」
「歪んでいると多くの人は言うでしょう。
個人で正義を語る彼を愚かだと多くの人は笑うでしょう。
彼の姿を醜いと、皆言うでしょう。でも、私は、慧悟を美しいと思うわ」
「……私も、そう思います」
「そう?」
「はい。誰に否定されても、自分自身を見失わない。まるで、星のよう」
「星、か。確かにね。
彼は星。
夜空でしか輝きを見つけてもらえない……それでも輝く事をやめない。やめられない」
人に何を言われようとも、なんと評されようとも、変わらずそこにあり続ける光。
きっと、そんな事を言えば、慧悟本人は首を傾げるだろう。
でも、その光は、確かにある。
自分を助けてくれた、導いてくれた、輝きだ。
自分ではどうしようもなかった、友二を、素子を揺り動かした強い輝きだ。
その光が、消えようとしている。
このままでは、遠からず消えてしまう。
そして、そうなってしまえば、素子もきっと救われない。
自己否定が彼女の望みであるのなら。
なにより、そうなってしまったら。
夜は、もう、全てが分からなくなってしまう。
そんな事は、許されない。許しちゃいけない。
西木慧悟を、死なせてはならない。死なせたくなんかない。
「……そんな慧悟君の強さに比べると、私は弱いんだな、って思います。
私は、自己肯定しか出来なかった、醜い女です。
ただの、エゴイストです。ですけど……」
例え、醜いと言われても。
例え、否定されても。
これ以上、見ているだけではいられない。
あの光を、消させるわけにはいかない。
「だからこそ、エゴを貫きます」
スカートの隠しポケットから取り出したのは、あの日……デッドコードに”出会った”頃からずっと持ち続けていたRDA。
刺さっているソフトは言うまでもなくE・G・O。
「ええ、そうしなさい。
彼の事は私に任せておけばいいわ」
「はいっ!!」
そうして、夜はゲームを起動させた。
『汝の願いを言え』
今までは何度も起動させては詰まっていた。
答え切れなかった。
コレを質問のままに答えるのは、エゴイストになるという事。
そうして間違えてしまえば、その果ては、デッドコードの、慧悟の敵になる。
そうなれば、慧悟や瑞樹、実との思い出が、記憶が壊され、失ってしまう。
それゆえに踏み切れなかった。決断できなかった。
これを使えば困難な状況を簡単に打開できる場面が何度もあったにもかかわらず。
だが、もう迷わない。
「貴方に願う願いはありません」
『もう一度問う。汝の願いを……』
「願いはありません!! 私の願いは、私自身で叶えてみせます!!
例え、それが私一人で叶う事がない願いでも!!」
例え、エゴイストになったとしても。
最終的に自分一人が思い出を失ったとしても。
それで慧悟を救えるのであれば構わない。
仮に間違えて、別の何かになったとしても。
慧悟を助けられればそれでいい。
そんな思いで夜が叫んだ瞬間、ゲームの画面が暗転する。
そうして暗転した奥底から、先程までとは何かが違う問い掛けが響いてきた。
『では、問おう。汝の願いの先にある、願いの奥にある、汝の形は何だ?』
「肯定」
それを告げる事、答える事が何を意味するのか。
今の夜には理解出来ていた。
「私は肯定する。
自分自身を肯定する。
どうしようもなく醜い自分自身を。そして」
そうする事で変わってしまえばどうなるか。
壱野夜には分かっていた。
「今、誰かを助けたいとっ!!
慧悟君の力になりたいとっ!!
そう思っている自分自身を、肯定するっ!! それが、私のエゴっ!!」
それは、自己肯定が出来なくなる、という事。
壱野夜はもう二度と自己肯定による十分な満足を得られない。
だとしても。
成すべき事は分かっていた。為すべき事は教えられていた。
貫くべき事がある。
だからこそ、宣言しよう。
貫く為の、姿と力の名前を。
「纏繞転化っ!! デッドコォォォォォォドッ!!」
叫びと共に、彼女の身体に黒い穴が開いていく。
黒い穴から這い出た根が、彼女を覆い尽くしていく。
不安がないと言えば嘘になる……そう思っていた。
だが、違っていた。
体が変わっていくというまさにこの瞬間、不安はまるで無くなっていた。
(だって、私は貴方と同じ……同じ存在になるんですから……!)
何があろうと変わらずそこにあり続け、美しい光を放ち続ける星。
そんな素敵なモノになれるのなら、恐れなどある筈もない。
そうして、星に手を伸ばす想いを描き、纏いながら、彼女は纏繞した。
「く、あ……」
一際大きな攻撃の雨を受けて、デッドコードが落下していく。
力尽きたとは思いたくない。
しかし身体が動かない。
せめてと射出した糸でさえ、断ち切られ、為すすべなく落下していく。
(叩きつけられたら、また痛いんだろうな。でも……)
それでも、立ち上がる。
そう考えていたのだが。
「っ?!」
突如、違和感が生まれた。
何かにぶら下げられている。
自分の手を、誰かが掴んでいる。
「っ……」
霞んでいた意識を束ねて、空を見上げる。
そこに、いた。
空に浮かぶ人型。蒼穹の、空の色の鎧を纏った、何者か。
ソレは、何かに似ていた。
「貴方は……?」
「慧悟、君っ……!!」
その声で気付く。
気付く事で、薄れ掛けていた意識が復活する。
「その声、夜さんかっ!? デッドコードに、なったのか……?!」
「はい」
女性的なラインを微かに残した青い鎧。
そこには確かにデッドコードの、慧悟の姿のイメージも混ざっていた。
ただ、共通点は顔の無貌、背中の排気筒……というより翼になっている……ぐらいで、あとは全くの別物。
彼女のデッドコードは全体が統一された姿を持つ、まさにヒーローの姿をしていた。
「……綺麗だ」
「いえ、醜いです。醜さを覆い隠す、嫌らしいエゴの形です」
醜さを露にする慧悟に比べて覆い隠そうとする自分のなんと醜い事か。夜にはそう思えた。
だが、その醜さこそが自分である事を今の彼女は理解し、受け入れていた。
「でも……その醜さも含めて、私なんです。
だから、もう、それを隠す為にあがくのはやめます。
私がこれからあがくのは、肯定するために」
「肯定……」
「はい。
私が私自身である事を。慧悟君の信じる正義を素敵だと思える私を。
そんな自分でもいいんだと言ってくれた慧悟君を。
胸を張って、肯定し続ける為に。
あがき、戦います。その相手が、例え誰であったとしても」
『はっ! 結局そうなのね壱野夜!! 臭いものには蓋をする!! それがアンタの……』
「貴方の事は、智子さんの事は、一生、背負います」
エゴイストと一体化している素子の言葉を遮りながら、夜は彼女を、変わってしまった彼女の姿を見据えた。
真っ直ぐに、眼を背ける事なく。
『?!』
「背負って許されるとか、そういう事じゃない。
ずっとずっと、忘れません。語ります。話します。
そして、二度と同じ事を繰り返しません。
私に出来る事を、やり続けます。
例え、代償行為だとしても、どう考えても、私に出来る事は、それしかない。
智子さんの事を背負うって、それしかない、そう思います。だから」
自分勝手だと、エゴだと、思う。
だとしても、それしかないのだ。
過去は、どうあっても覆せないのだから。
それしかないのなら、貫くしかない。
せめて貫いた結果が、歩いた道が、
同じように苦しむ誰かの誰かにとっての道になるように。星になるように。
「今は、貴方を止めます。
もうこれ以上、貴方が誰かと、何かと、貴方自身を傷つけないように。
それが今の私の出来る事で、私のエゴだから……!!」
いつかそのエゴが砕かれる時まで、飛び続けるしかない。
慧悟がいる、星の高さまで。
今の自分の姿が、その願いの具現だと信じて。
『ぎ、ぐ、うああああああああああああああっ!! 開き直りやがってぇぇぇえ!!』
咆哮の直後、今まで以上の攻撃の雨が二人のデッドコードに降り注ぐ。
「くっ、どうしたもんか……!?」
「慧悟君、私の背中に!!」
「っ!! 了解した!!」
その瞬間、夜は掴んでいた慧悟の手を離した。
当然慧悟は落下していくが……慧悟は繰り出されていたエゴイストの刃を蹴り飛ばし、足場にする事で、空中に僅かの間だけ留まった。
そこに刃を掻い潜って、夜が舞い降りる。
「慧悟君っ!」
「ああっ!!」
その瞬間を見逃すことなく、慧悟は夜の背中に飛び乗った。
「私が回避に専念します。慧悟君は、あの技を準備してください」
「分かった……!!」
もう、分かりきっていた。
この状況を砕くには、エゴを砕くあの技しかない。
最早、砕く以外に道はない。
他ならぬ夜も覚悟を決めたのだから。
そうして最後の決意を固め、慧悟は身構えた。
「行きます……!!」
そうして慧悟が身構えたのを察し、唸りを上げて、彼女が空を舞う。
その速度も、反応も、圧倒的だった。
間断なく降り注ぐ刃と縄を、潜り抜け,擦り抜け、切り裂き、天空へと、素子へと突き進んでいく。
それは、予想を遥かに上回る速度だった。
慧悟にとっても、エゴイストにとっても。
「く、ぅ」
ボロボロの慧悟は、夜の生む速度に痛みを感じていた。
一瞬でも気を抜けば振り落とされて地面に落ちる……それほどの速さ。
「だ、大丈夫ですかっ!?」
「ああ、大丈夫、このまま行ってくれ!!」
だが、泣き言は言えない。言っちゃいけない。
彼女が、彼女達が心の痛みを堪えているのに、そんな事は許されない。
だから、決意を、意志を力に変えて、叫ぶ。
「鶴素子ッ!! 我侭の時間は、終わりだッ!!」
慧悟のデッドコードの排気筒が展開し、眼に赤光が灯り、角が後頭部から前頭部へと移動する。
そして、頭部に、角に白い光が灯り始める……!!
『はっ!! 狙いなんてバレバレなのよっ!!』
素子の声に合わせ、彼女のエゴイストの”足”の全てがデッドコードの進行方向で編まれ、素子を守る幾重もの盾、もしくは壁へと変化を遂げる。
「慧悟君っ!?」
「いい、このまま突っ込めっ!! 小細工抜きで、ブチ破るっ!!」
「……はい!!」
更に速度を上げる蒼いデッドコードの上で、異形のデッドコードは上半身を反り返し……黒い壁へと頭を叩きつけた。
「う、おおおおおおおおおおおおおおおっ!!」
白い光が、貫いていく。黒い壁を引き裂いていく。
蒼い翼が突き進んでいく。黒い雲を抜けて、その向こうに辿り着かんと。
『させるかぁぁぁぁぁぁ!!』
黒壁を砕かれていくエゴイストはデッドコードの侵攻を食い止めんと、割かれた壁から縄を伸ばし、彼らの両手足に巻き付かんとする。だが。
「フルパワーだぁぁぁぁっ!!」
「はいっ!!」
二人のデッドコードの全排気筒から放出された灰色の光が、それを全て刎ね飛ばし、消し飛ばす。
そうなってしまえば、最早彼らを止めるものは、何も無い。
「ルゥナァティックゥゥゥゥ……!!」
蒼い閃光の最高速、その上に乗った異形の一撃。
「デェバッガァァァァァァァァッ!!」
一筋の光となったソレはまるで流れ星のようだった。
違うのは、上から下ではなく、地上から天空へと進んだ事。
そんな逆転の流れ星は、立ちはだかる全てを砕き裂き、砕き砕き砕き、砕き切った。
『が、あぁっ!?』
「デバッグ……」
「……終了ッ!」
二人のデッドコードによる宣言の後に残るのは、
モーゼの奇跡の様に断ち割られた黒い壁の残骸と、貫かれて大穴を晒すエゴイスト、そして天に登る光の軌跡。
直後、何かが砕け割れる音が世界に響き渡った。
そうして砕けていく。崩壊していく。
巨大なエゴイストが。バラバラと。バラバラと。
その中で素子が地面へと落ちていった。
翼をもぎ取られた鳥のような無力さで。
そんな彼女に、その手に、夜のデッドコードの手が伸び、掴み、拾い上げた。
「よかった……間に合いました……」
「っ……」
素子を掬い上げた彼女が降りる先は、最初に彼女達がいたビルの残骸。
そこには素子を助ける際に彼女の背中から離れていた慧悟のデッドコードが立っていた。いや、跪いた。
「け、慧悟君っ?!」
最早立つ事もままならない素子を地面に横たえるように優しく下ろし、支えながら夜が叫ぶ。
「あー。しんどい」
「だ、大丈夫ですかっ?!」
「正直、結構ギリギリ……って、俺より、君達は?」
「私は平気です。……でも素子ちゃんが、まだ、意識を」
夜の言葉どおり、素子はエゴイストを砕かれながらもまだ薄く意識を残しているようだった。
意識と肉体の力を手放し掛けながらも、素子は夜の腕に支えられ、抱かれながら半ば横たわっている状態を嫌がるように身動ぎしていた。
「………? どういうことだ?」
「当然ね。アレだけ大きなエゴイストだもの。完全に砕け散るのには時間が掛かるわ」
『永久さん……』
何処からともなくの永久の登場に、二人は揃って声を上げる。
夜は、最早彼女に関しては、何時何処で姿を現しても驚かないような気がし始めていた。
慧悟の声にも驚きがなかった事からおそらく彼も基本そうなのだろうと夜は推察した。
そんな夜と慧悟の視線を払うように手を振りながら、永久は言った。
「私の事はいいから。彼女と話すべき事を話した方がいいわ」
そんな永久の言葉を受けて、慧悟は大きく頷いた。
そして、纏繞を解いて、夜にも頷いて見せた。
夜も慧悟達に頷き返し、纏繞を解く。
そうして、半ば抱きかかえたままの素子の重みを感じながら、彼女の顔を見据えた。
夜の視線には最早迷いはなく、彼女の眼はただ真っ直ぐに素子を捉えていた。
素子もまた、その視線に真っ向から立ち向かう。
そうして視線が確かに交差する中で、夜は告げた。
「……許して、なんて言えないし、言いません。
私を、憎み続けてください。でも、その憎しみに他の人を巻き込まないで。
お願い、します」
「……」
薄れ行く意識の中、ふと、素子の視界にソレが見えた。
彼女の、壱野夜の髪留めが。
それは……石。
かつて白鳥智子が綺麗だろうと自慢していた石。
それを加工して、髪留めにしている……。
ソレを見て、今更その存在に気づいた自分が情けなくて、素子の中では何かが決まったような、納得できたような、そんな気がした。
「憎んでやるわ……ずっと、ずっと、アンタを、アンタだけを、死ぬまで……!!」
「はい」
夜が頷くのを見届けて、素子は意識を失った。
今度こそ力を失った彼女の身体を、夜は優しく優しく受け止める。
少し悲しげな、それでいた穏やかな夜の表情を見て、慧悟は安堵の息を零した。
「ふぅ……とりあえずは、これでオワ……ぉぅ」
「け、慧悟君っ!?」
「やれやれ。締まらない子ね」
そう言って立ち上がろうとして崩れ落ちそうになった慧悟を抱きとめた永久は、コンッ、と彼の頭を叩いた。
「う。ちょっとヤバ……って、あれ。痛みが、引いた?」
「貴方の体内時間を生命活動支障がある箇所だけ一時的に停止したわ。
2時間後くらいに病院に行きなさい。それまでは持つから。
夜は……大丈夫そうね。もう1人のエゴイストは救急車もう呼んでるから感謝なさい。
……こんなところかしらね。じゃあ、私は行くわ」
「ちょ……もう行っちゃうのか?」
「ここに長く居過ぎたから。
これ以上いたら見つかっちゃうし。まだまだ連中に見つかるわけには行かないのよ。
そういうことで」
「あ、あのっ!!」
「? なにかしら、夜」
「ありがとう。ございました!!」
「ありがとう、でしたっ!!」
そう言って頭を下げる夜に、その後に続いて慌てて頭を下げる慧悟に、永久は苦笑して見せてから、言った。
「礼はいらないわ。
……だって。これが私のエゴだから」
楽しげでありながらも悲しげな、何処か曖昧でおぼろげな、そんな声。
それが通り過ぎた後、永久の姿はかき消えていた。
影も形も、もう何処にも見えなかった。
「……なんというか、ホント何を考えてるかよく分からない人ですね」
「まったくもって、そうだ、うん」
「でも、慧悟君が好きになったの、分かる気がします」
「……へ? あ、いやっ?! そ、そんな事は?!」
「冗談です。そろそろここから離れましょう。
素子ちゃんも病院に連れて行きたいですし、慧悟君も行かないと。
あと警察も来るでしょうし」
「あ、ああ、そうだ。そうだな。
んじゃま、もう一度」
「はい」
「俺のエゴ、すなわち正義」
「私のエゴ、すなわち肯定」
『纏繞転化……デッドコード!!』
その日、丘葦水市上空を不思議な流れ星が奔っていった。
まるで意思を持っているかのように暫く空を舞い、やがて何処かに消えていった灰色の流れ星の事は、一部の人間の間で一時的に話題となった後、いつしか、それこそ流れ星のように誰にも語られなくなり、消えていった。
そして、その日、世界に一つのニュースが放たれ、流れていった。
丘葦水市に化け物が現れ、ソレを化け物が倒したという、非現実的なニュースが。
人々は知らない。
この日、このニュース内で小さく伝えられた、子供が叫んでいたその名前が、やがて世界を震わせる名前になる事を。
『デッドコードだよ。あいつの名前は、デッドコードって言うんだっ!!』
この時はまだ、知る由も無かった。
……最終回へと続く。