第拾四話 エゴ瞬く街・5
威風堂々とした体で西木慧悟は現れた。
壱野夜にとっては確信していたそれは、鶴素子や伴戸友二には予想外……予想を超えたものだった。
慧悟がデッドコードになる為に必要なRDA及びE・G・Oを盗んでおいた。
万が一の時の為にエゴイストの使い手も周辺に配置していた。
にもかかわらず慧悟がここに現れた事に、二人は……特に素子は驚きを隠せなかった。
「な、なんでっ!!? なんで先輩が来れるの?!」
「助けが必要な人がここにいる。だからここに来た。それだけ。
手助けもしてもらったけれど」
「……っ!!
助けが必要な人……それは、この女の事を言っているの?!」
「ああ」
「先輩は知ってるの?! コイツのクソッタレの過去を。
私のお姉ちゃんを殺した事を!!」
「君の言っている事と一致しているとは言い難いけど、知っているよ。
そうか、白鳥智子さんの妹さんか。
で、察するに伴戸友二は智子さんの事を恨みに思っている鶴さんのお仲間で、俺のRDAを盗んだドロボーか」
「そうだ。でもドロボーはひどいな。あとで買って返してやるからさ」
素子を守るように半身前に出ながら友二が言う。
それを前髪の隙間からぼんやりと、それでいて何処か鋭い視線で眺めながら慧悟は言葉を続けた。
「……そうか、それは助かる。
でもそれは、夜さんを助けて、あるいは返してもらって、君らのE・G・Oを渡してもらったあとでだ」
「返す……? 助ける……? ふざけないで!
コイツは、自己弁護ばかりのクソ女!
助けられた命を助けなかった! 自分の事ばかりのエゴイスト!
貴方が倒してきたエゴイストたちなんかとは比べ物にもならないクズなのよ?!
こんな奴に正義の味方が守る価値なんかないっ!」
「エゴイストだから守る価値はないと?」
「ええ、そうよ」
そうして語気強く主張する素子に、慧悟は小さく溜息のような息を吐いてみせる。
何処か不満げに、何処か呆れ気味に。
「……君が勘違いしている事が、幾つかある。
俺は、エゴを、エゴイストを否定するつもりはない」
「はぁ!? 散々エゴイストを倒してきたその口で何言ってんの?!」
「それが俺のエゴだ、というのは言うまでもないが。
俺がエゴイストを倒してきたのは、
彼らのエゴが人を傷つけたり、傷つけかねないものだったりしたからだ。
エゴの力を、制御できてなかったからでしかない。
エゴは、個人の形。ソレを失えば、個人は個人たりえない。生きる屍、人形だ。
大きすぎるエゴは人を傷つけるが、小さすぎるエゴは自分自身を追い込む。
エゴは、必要なものだ。少なくとも俺はそう思っている」
「それが人を殺すようなものでも必要だっての?」
「……いいや、それはそう思わない。人を殺すようなエゴは認めない。
だが、夜さんは、彼女のエゴは、人を殺すようなものじゃない」
「ふざけないでよ!! 実際にコイツは……!!」
吊り下げられた夜を指差して叫ぶ素子。
夜は指差された瞬間、僅かに震えた。
何かに突き刺されたような痛みが夜の胸を締め付ける。
慧悟はそんな夜を守る為か、素子の言葉を遮るように……いや、意思を持って遮った上で、大きくはないが確かに響く声を上げた。
「死んだ人間がいた。それは紛れもない事実なんだろう。
でも、それを夜さんは望んじゃいなかった。出来なかった事があった。助けられなかった。
それを今でも心底悔やんでいるって事は、
夜さんが、白鳥智子さんの死を望んでいなかった事の証だ。
ずっとずっと、悲しんできた証拠なんだ」
「じ、じゃあ、どうして何もしなかったのよ! 何もしなかった事が許されるっていうの!?」
「それは俺には分からない。
真実は、彼女の胸の内にしかない。
何もしなかった事が許されるかどうかは……多分、許されないんだろう。
何故なら、他ならない壱野夜が自分自身を許していないからだ」
「!! ……だから、どう……」
「だからどうしたとか、彼女が自分を許そうと許すまいと関係ないとか言いたいんだろうが、それこそ今は関係ない」
「したっての……って、関係ないってどういう事よ!」
「分かり難いか? 簡単な事だ。鶴素子。伴戸友二」
言いながら慧悟は前髪をかき上げた。
そうして、露になった眼で真っ直ぐに2人を見据える。
「っ!?」
「……なんだ?」
慧悟の強い視線に僅かにたじろぐ素子を庇う為か、言葉と視線を慧悟へと返す友二。
自身に負けじと睨み返したそれを確かに受け止めながら慧悟は語る。
「罪の比較について、俺はたまに考えるんだ。
明確に特定の誰かを傷つけようとする人間と、
望まず結果として深く傷つける人間はどちらが罪深いか、どちらの傷が深いかとか。
意図しない事の方が、深く傷つける事は多々ある。
傷つけない、傷つけたくないと思う事が、却って傷口を広げてしまう事がある。
それは、とても悲しい事だ。
でも、それは事故でしかない。
事故だからこそ、許せる許されないは当事者達が語り合って、話し合って求めていく事だと、俺は思う。
その果てに何が起こるか、何があるかは分からない。そこには明確な答はないからだ。
でも、今回は違う。明確な答がある。7年前の事とは違って」
「……なんですって?」
「お前達は、ただの悪意を持って、壱野夜をいたずらに傷つけた。
彼女を裁きたいなら、貶めたいなら、正しさを持って断罪したいのなら、他にいくらでも方法はあったはずだ。
なんでもっと早くに彼女に面と向かって許せないと言わなかった?
なんでこんな方法しか取れなかった!?」
「……っ」
「夜さんだけじゃない。お前達は巻き込んだ。
外で警戒をさせていたエゴイスト使い、
エゴイストを持って俺達に襲い掛かった連中、世田大、俺の妹、
多分俺が考えているのと同等か、それ以上の人間達の日常を奪った。
壱野夜への過剰な復讐、それを果たす為に」
「待てよ。エゴイスト達がお前らを襲ったのはあいつらの選択だ。
強制はさせてない。俺達は興味を持った奴だけしか引き込んでない。
現に話し合いで済んだ奴等だっているだろ?
各自の選択の結果なら、俺らの責任は軽いだろ」
「確かにそうかもしれない。
だが、その理屈でお前達を許したら、お前達は夜さんを許すのか?」
「はぁ? なんでそうなる?」
「各自の責任、選択の結果。
それは7年前、森の中に入り込んだ白鳥智子さんと同じじゃないのか?」
「ふ、ふざけんな!! お姉ちゃんはまだ子供だったのよ!?」
「じゃあ、彼女と同い年だった夜さんは子供じゃなかったと言うのか?」
「ぐ、ぎ……!! 揚げ足を取りやがって……!!」
「そうか、揚げ足取りか。これは失礼した。
だが、それらを全て抜きにしたとしても、明確な事が1つある。
もっと明確に、許されない事が、目の前で起こっている。
お前らがそれをしようとしている、あるいは既にした結果、夜さんが泣いている。
そうして夜さんを泣かせ、傷つける事で、悲しむ人たちがいるんだ」
言いながら慧悟が思い浮かべるのは、篠崎瑞樹や沖実をはじめとする壱野家にいた人々、自身の妹・流理……そして、もしかしたら、他にも。
繋がりの形はそれぞれだが、夜の事で悲しむだろう人間達。
(そう言えば2人に連絡するの忘れてたな……申し訳ない)
気が急いていた為とは言え、連絡を忘れていた自身に腹が立つが、とりあえず今はそれはさておこう。
そうして刹那で気を取り直した慧悟は静かに、淡々と、だがそれでいてどこか熱の篭った言葉を繋げていく。
「だからこそ、見逃せない。
どんな理由があろうとも、見逃すわけにはいかない。
だからこそ、夜さんは返してもらう。助けさせてもらう」
「く、う、ああああああああああっ!!」
真っ直ぐな慧悟の宣言と視線を受けた素子は、近くにあった空き缶を蹴り飛ばした。
生まれた苛立ちを、反発心をそのまま叩きつけるように。
蹴られた空き缶が跳ね回り、乾いた軽い音が反響する中、素子は叫んだ。
「なんで今更なのよっ!!? あの時誰もしてくれかった事を今更!!
あの時お姉ちゃんが待ってた時は誰も助けなかったくせにっ!」
「……」
「わたしが、私達が悪いってのっ!? 悪いのはこいつ!! コイツなのよ!!」
「違う。さっきは色々理屈付けたが、俺は少なくとも思ってる。
夜さんは、悪くない。
ただ、良い事を、出来なかっただけだって」
「……っ」
それまで呼吸さえ忘れていたかのように、言葉無く状況を見守る事しか出来ずにいた夜は、響いた慧悟の言葉に弾かれるように息を零した。
悪くない。
良い事ができなかっただけ。
その言葉は、自分が求めていたものだったのだろうか?
誰かにそう言って欲しかったのだろうか?
だから今息を吹き返す事が出来たのだろうか?
いいや、多分違う。
その言葉は、今まで瑞樹や実達、友二……演技とは言え……が与えてくれていた。
その度にそう言ってくれる事に感謝しながら、素直に受け取れずにいた。
では、他ならぬ慧悟が言ってくれたから、なのか?
あるいは、この状況での言葉だったから、なのだろうか?
分からない。
今の夜には、分からない。
だから、夜はただ見つめる事しかできなかった。
自分の為に言葉を紡いでいく慧悟の姿を。
「行動しない事を善か悪かなんて計れない。
そうじゃない時もあるかもしれないが、計れない事の方がきっと多いと俺は思う。
だが、お前達は行動した。
自分の行動が何をもたらすのか理解した上で。
なら、悪だろう。お前達は」
「はっ!! はいはい、そりゃあようござんした」
「醜い正義の味方もいたもんね。見損なったわよ、先輩。
先輩はもっとまともな人だと思ってた。アンタは姿も心も醜いのね」
「ああ。個人的な価値観で善悪を決め付け、勝手に裁いてやがる。クソみたいな人間だな」
友二と素子が口々に慧悟を罵る。
表情や言葉に凶器さながらの鋭さをのせて。
しかし、慧悟はソレらを向けられても動じず、間髪入れずに言葉を返した。
……そう言われる事など、最初から分かりきっていたかのように。
「知っている。そんな事は俺が一番知っている。
でもな。それは、お前たちを、エゴイストたちを止めない理由にはならない。
エゴイストだと言いたければ言えばいい」
「戯言はそこまでだ」
言いながら、友二はRDAを取り出す。そして、叫んだ。
「現れろっ!!」
『了解した……』
そうして友二の背中から吹き上がる黒い霧が一体のエゴイストを生み落とした。
地面に四つん這いで降り立ったそれは、カメレオンによく似ていた。
ただし大きさは実際のカメレオンとは全く違い、人より二周りは大きい……標準的なエゴイストの大きさだった。
「このまま、エゴイストでお前をボコボコにするのは簡単だ。
人質もあるしな。でもな、俺はそれなりに心優しい。
このままで俺本人がやってやってもいいぞ」
勿論、友二としては簡単に勝てるだろうと言う思惑からの言葉である。
それゆえの余裕であり、余興であり、優しさという名の傲慢だった。だから。
「……そうか、それなら助かる。
じゃあ、行くぞ」
「え?」
そう宣言して突っ込んできた慧悟の素早さに、彼は対応できなかった。
気付いた時には、慧悟の拳が眼前にあった。
「な、ぐぁっ……?!」
まともに殴り飛ばされ、友二は地面に倒れた。
「……本当にいいんだな? このまま行くぞ」
「ちょ……」
友二の返事を聞く事なく、慧悟が動く。
その動きは、友二の予想を遥かに上回る速さだった。
圧倒的な速さで襲い掛かる慧悟に対し、友二はどうにかこうにか立ち上がり、無様に逃げ惑う。
そうする事で、なんとか距離を取った友二は必死な様子で制止の声を上げた。
「ま、待て……!!」
「む? 何か?」
「西木、お前、弱いんじゃないのかっ!? そうじゃなかったのか?!」
「……強い弱いはよく分からないけど。
一応昔から身体はずっと鍛えてる。
技については、何か格闘技を習うお金はなかったから、古本屋で買った本とかで独学で覚えた」
「じゃ、じゃあ、なんで!? なんでずっといじめられてた!?」
動揺を隠せない友二の言葉に、慧悟は、きょとん、とした顔でこう答えた。
「え? いや、だって。反撃する理由ないし」
『は?』
「自分が殴られたから殴り返すのは、なんか気が進まない」
そう言って小首を傾げる慧悟の心情……考えは、かつては理解出来なかった。
だが、今の夜には理解する事が出来る。
自分が傷つけられる事に心や身体が傷つき、痛みや憎しみを感じたとしても、それは拳を振るう理由にはならないし、決してしない。彼はそう考えている。
慧悟が拳を固める時。
それはあくまで他人の為にそうする事が必要になった時のみ。
そう思考し、動くのが西木慧悟。
正義というエゴを持つ人間なのだと。
(ああ、そうなんですね……)
心の内で納得の言葉を呟く夜。
あの時、中学時代に殴られていた時もそうだったんだろう。
いや、それ以前からずっと彼はそうだったんだろう。
夜が助けた……そう勝手に思っていた時の不思議そうな反応は、ずっとそれが『普通』だったという証なのだと夜は今こそ確信した。
「今も、あくまで夜さんを助けるのが目的だから。
夜さんを返してくれて、E・G・Oを渡した上で反省して、夜さんと話し合ってくれるのなら……まぁ、その、何発かは殴るけど、その後で俺を殴ってくれていい」
「……慧悟君、言ってる事が結構無茶苦茶ですよ……」
「あ、そう、かな? うーん。
でも、殴らないのは釈然としないというか。
お仕置き的な何かは大事だと思うし。
うん、やっぱり殴った後で、その分込みでいくらでも殴ってくれていい……」
「ふ、ざけやがって!! もう、許さねぇ……!! やれっ!」
RDAに向かって叫ぶ友二。
叫びを伴った命令に従ってか、エゴイストの姿が掻き消えた。
まるで始めから存在していなかったように。
「……やっぱそうなるか」
言って慧悟は身構える。が。
その体が、いとも容易く宙に舞う。前のめり気味に吹き飛ばされ……
「ぐっ……姿通りって……」
……地面を転がる。転がされていく。
「わけ、かっ」
「慧悟君っ!!」
まるでピンボールのようだった。
無様に地面を転がり、叩きつけられ、土埃に塗れ、体中擦り剥き、頭からは血が流れていく慧悟。
そんな姿を見て、夜は堪らず声を上げた。
それしか出来ない自分が情けなくて、悔しくて、それでも声を上げるしか出来なかった。
「やめてぇっ!! もう、やめてくださいっ!! やるんなら、慧悟君じゃなくてっ、私をっ!!」
「あはははっ! いい顔!! ほら見てよお兄ちゃん、コイツの顔……お兄ちゃん?」
そんな夜の悲痛な表情を哂う素子とは対照的に友二は笑っていなかった。
むしろ不愉快そうにソレを見ていた。
友二が見ているのは慧悟の顔。眼。ただ真っ直ぐに見据えている眼。
怯えや痛みもなく。只管に前を向いている眼。
「糞がぁっ!! なにやってんだ! ソイツのその眼をやめさせろ!!」
その命令によって、エゴイストの攻撃が更に加速する。
ピンボールの回転が早くなる。
だが、それでも。
「何の事を言ってるか、知らないけど。俺は……やめない。
俺は、助ける。泣いてる子を助ける。それまで、やれることを、やる」
慧悟の眼は、表情は揺らがない。変わらない。
ボロボロの体でも、慧悟は立ち上がる。立ち上がった。立ち上がっていく。
そんな慧悟の姿を目の当たりにし、友二は気圧されていた。
無意識に後ずさっている事にさえ気付かず、言葉を漏らす。
「何でだよ……赤の他人だろ? なんでだ?
……! そうか、お前も、同じなんだなっ!?
誰かを助けられなくて……殺して……後悔してるんだろ?! だから……」
「……悪い、ね。
俺には、特別な、異質な過去なんて、何もない。
誰かを傷つけたり、自分も傷ついたりして、後悔は多かったけど、
多分誰にでもある、ありきたり事ばかりだったよ。
でもさ。そんな俺でも、ありきたりな事しか知らない俺でも分かってるんだ。
今ここで踏ん張らなかったら、夜さんを守れなかったら、守らなかったら、
俺が俺でなくなるのは、死ぬほど後悔するのは、分かってるんだ」
そう言って、慧悟は夜を視線を送った。
ウヒヒ、と声に出している訳ではないのに、そんな擬音が付きそうな……少しだけ不敵な笑みと共に。
前髪の隙間から覗くその眼が何を伝えようとしているのか、正確な所は夜には分からなかった。
ただ、心配はいらないと言っているような、実際必要ないと一瞬だけでも思わせるような、そんな気にさせる表情だった。
(あー、でも、流石にまずいかな)
夜を不安にさせない為に、慧悟は心の中だけで呟く。
流石に生身でこの状況は打破できない。頭で理解する。
相手もそれが分かっているからか、少しずつだが余裕を取り戻しつつある。
いざという時は夜を人質にする事も出来るのだから、当然だろう。
デッドコードにならなければ、彼女を救えない。
(我ながら非力だ)
苦笑している場合ではないが苦笑する。
ではどうにかする為にはどうすればいいか。
(方法、か)
もしかしたら『彼女が持っている』かもしれないが、互いに動き難い今の状況ではそれは当てに出来ないし、するべきではない。
となると、自分だけでなんとかしなければならないだろう。
RDA、及びE・G・O無しでの纏繞の方法、そんな方法は……。
(……あ)
ふと思い出す。十数分前の、彼女との会話を。
『心配は要らないわ。RDAを持っていなくても私は貴方に”真実”を伝えた女なのよ。
信じてくれるわよね? そして、分かっているわよね?』
あの時の言葉の意図を、理解する。
あの”分かっているわよね”が本当に伝えたかった事とは。
「そういう、事か」
ふら付く足をどうにか気合で持たせる。
「やって、みるか」
かつて彼女は言っていた。教えてくれた。
RDA、E・G・Oは補助器具に過ぎないと。
そして、彼女はそれら無しでもエゴの力を扱える事を、慧悟は知っている。
だが、それは自分に出来る事の証明ではない。
仮に出来たとして、補助器具無しでの纏繞が何を引き起こすのか。不安材料は多い。だが。
「……俺の、エゴ。すなわち、正義」
正義なら。
正義の味方なら。
かつて彼女が言ってくれたように、自身がそうであるのなら。
これぐらいやらなくて、やれなくてどうする。
「纏繞転化、デッドコード!!」
「っ!?」
そんな意志を込めて慧悟が叫んだ瞬間、ビクリ、と身を震わせる友二達。
しかし、何も変わらないし、起こらなかった。
「……びっくりさせてくれるわね。まぁ無理でしょうけど」
「お前のやってる事は、ソフト無しに本体だけでゲームをやるのと同じ事だ。
つまり、不可能って事だろ。諦めろよ」
「ああ、まぁ、そうだよ、なぁ……」
膝を付きそうになる。倒れそうになる。
でも。そうだとしても。
(……夜さん)
もう一度、彼女と眼が合う。
ついさっきまで、夜は泣いていた。涙を流していた。その名残が目を赤くしている。
今は止まっていても、その事実は変わらない。
泣いてる彼女は見たくない。それは理屈じゃない。ただ、そう思うのだ。
彼女が泣いたままなのが、正しい事だとは、思えない。
だから。
「でも、な」
膝を付きそうな足に力を込める。
倒れそうな身体と心に気合を込め直す。
「……お前らには、悪い、とは思わないけど。な。
これは……ゲームじゃないんだ……これは、俺の現実だ……。なら……」
ニヤリと笑う。精一杯に、不敵に笑う。
「現実なら!! 俺の心で! 俺の意思で! エゴで! 作り上げられるっ!!」
それは、この世界に生きる誰もが行っている事だから。
出来ない事では、不可能なんかじゃ、きっとない。
だから。
後はただ、揺るぎ無い確信の下に叫ぶのみ……!!
「俺のエゴ、すなわち、正義っ!!」
「何度も言ってる!! RDAは無……」
「纏繞ォォォ、転化ぇぇぇっ!!」
「っ!?」
「……え!?」
「あ……!」
開いていく。
ゆっくりと。RDAを使ったときに比べれば遅い。だけど、確実に。
体中に黒い穴が、開いていく。穴から根が這い出て、慧悟を覆っていく……!!
「な、にっ!?」
「デッドッ、コォォォォォォォォドッ!!」
そうして、現れる。
夜にとって、見慣れた姿が。
初めて出会った時は醜く見えた、今はもう、そう思えない、頼れる姿が。
紛れもない正義の味方の……デッドコードの姿が。
「変わった……!!」
「く、くそ!! やれ!」
慌てて命令する友二。だが、しかし。彼は知らない。
「遅ぇっ!!!」
エゴイストは、デッドコードに敵わない事を。
「ハァッ!!」
デッドコードの右手の指から射出された糸がエゴイストに絡み付く。
慧悟はそれを強引に引っ張り上げ、そのまま投げ飛ばした。
地面に叩き付けられるエゴイスト……それに二人が気を取られた瞬間、デッドコードの姿が消えた。
気付いた時は既に時遅し。
解放された夜はデッドコードに抱えられ、デッドコードは二人と一体から距離を取った場所に立っていた。
「確かに……夜さんは、返してもらった」
「なっ!?」
「くっ!」
悔しさを露にする二人をよそに、慧悟は夜を地面に下ろす。
数時間ぶりの地面の感触もそこそこに、夜はデッドコードの姿の慧悟を見上げて呟いた。
「慧悟君……私……」
「今は、何も言わなくていい。
俺も、正直、その……大丈夫だったか、って言いそうになってるけど、
その、それを聞いちゃいけない気が……服破れてたり……」
「あ……」
破れた服の下からは歳相応以上の大きさであろう2つの丘が露になっていた。
指摘された夜は、赤面しつつ慌てて服を掻き寄せ強引に結び止めて前を隠す。
そうしてどうにか胸を隠せている事を確認した上で夜は言った。
「え、えと、その、だ、大丈夫ですからっ。はい、貞操はまだ何とか」
「……っ、ああ、そ、そうか、うん。色々良くはないけど、それは良かった」
「は、はい」
「……」
「慧悟君……ありがとう」
「……ん」
和やかな空気が二人の間だけで流れる。
先程までの緊迫した空気が嘘のように思えるものが、そこにはあった。
「ふざけんなぁぁぁ!!」
そんな二人の様子を見て、素子が叫ぶ。そこにある全てを遮り、否定せんと。
「壱野夜っ! お前にそうやって笑える資格なんかない!!
私はっ! お姉ちゃんはっ! それを許してない!! ずっと、ずっとだ!! 絶対にだっ!!」
「……そう、かもしれません。なら、私は、どうしたら、いいんですか?」
「……は?」
荒波のような激情を吐き出す素子に、何処か穏やかな凪のような言葉と視線を返す夜。
あれだけの仕打ちを受けたのに、こんなにも叫びを叩き付けているのに何故、と戸惑う素子に対し、
夜は静かに、地面にじっくりと沁み込んでいく水のような言葉を続け、重ねていく。
「許してもらえるとは、思ってません。許されなくてもいいです。
じゃあ、どうしたらいいんですか……?
どうしたら、貴方の心は、友二君の心は楽になるんですか?」
そうして素子達を見る夜の眼には彼女達への憎しみは無かった。
他ならぬ素子にそう感じさせてしまうほどに、夜の眼は、視線は、真っ直ぐで、穏やかだった。
「……っ」
「その為に、私は、私は何をしたら……」
「……き、奇麗事を言って誤魔化そうとしてるんでしょっ?!
私は、だまされない!! 絶対にだまされないっ!!」
「素子ちゃ……慧悟君?」
尚も言葉を続けようとする夜を遮って、慧悟が前に進み出る。
そうして庇う様に前に出た慧悟は、夜の代わりにとばかりに具体的な”これから”を口にした。
「……エゴイストを消して、RDAを渡してくれ。
その後で不満があるのなら、それが少しでも晴れるまで俺がいくらでも殴られてやる。夜さんもきっと同じ気持ちだ。
そうして少しでも気が晴れて、冷静になれたのなら……そこからが本番だ。
三人で心と言葉を交わしてくれ。
どうするかを、暴力じゃない方法で考えてくれ」
「……それが出来ると本気で思っているのか? お優しい事だな」
そんな慧悟に対し、沈黙していた友二が口を開く。
直後自身に向いた慧悟と夜の視線に対し、友二は嘲笑って見せた。
「そんなんだから騙されるんだよ。お前も、壱野も」
「……騙される、か。1つ聞きたい」
「なんだよ、西木」
「お前は、本当に俺達を騙していたのか?」
「っ!?」
慧悟の問い掛けに友二は思わず息を呑む。
友二の動揺に気付いているのかいないのか、慧悟は淡々と呟きを続けていった。
「俺は……お前が語っていた全てが嘘だったと思えない。
夜さんを心配していた表情や言葉が嘘だったとは思えない。
だからこそ、騙されたんじゃないのか?」
「……っ……」
「お、お兄ちゃん?」
「や、やめろっ……」
素子の呼び掛けにも気付かず、反論さえ出来ず、友二は呻くような声を漏らした。
慧悟は、それしか出来ずにいる友二に向けて尚も言葉を重ねていく。隠されていた何かを暴かんと問い掛けていく。
「確かに、騙していたのかもしれない。
でも、それは俺達じゃなくて、自分の心だったりはしないのか?
本当は……夜さんの事を、許していたり、していなかったのか?」
「っ!! ふざけるなぁぁっ!! 行けぇっ!!」
そこが限界だったのだろうか。
友二は2人を指差した。
微かに震える指の先に立つデッドコード達に襲い掛からんとエゴイストが地面を蹴った。
その最中、その姿が固有能力により風景に溶け消えていく。
だが慧悟には、デッドコードには見えていた。
デッドコードの感覚を総動員すれば、姿が見えなくなる程度は無意味でしかなかった。
エゴイストの眼前にデッドコードが立ち塞がる。
その姿は既に強化形態へと移行していた。
「ルナティック、デバッガァァァッ!!」
地面を踏み締め、立ったまま放たれたデッドコードの一撃は、見えないエゴイストを確かに捉え、砕いた。
「ぐ、あああぁぁっ!?!」
「お兄ちゃんっ!!」
砕け倒れていくエゴイストと連動するように崩れ落ちる刹那、確かに友二は見た。自分に手を伸ばす、素子の姿を。
その姿を見て、思い出す。
『……お姉ちゃんを殺したアイツを、許せないの。協力してよ、お兄ちゃん』
再会した彼女にそう言われ、手を伸ばされ。友二は拒否しなかった。
夜に抱いていた感情は、嘘じゃない。嘘じゃない。だからずっと一緒にいた。観察した。見守っていた。
でも、何が嘘じゃなかったのかというと。
友情と、憎悪と。
どちらが本当だったのかと言うと。
(……あれ? どうだったっけ……?)
本当の答を見つけるその前に、友二は地面に倒れ伏した。
そうして意識を失った友二の側に素子が駆け寄る。
「お兄ちゃん……っ!! お兄ちゃんっ!」
「知っての通り、命に別状はない。今の倒れ方で頭を打った訳でもない。
君は、どうする? まだ続けるのか?」
「……っ!! はっ!! 愚問ね!」
涙目で懸命に友二を揺り動かしていた素子が、デッドコードに対抗すべく立ち上がると共にRDAを取り出した瞬間。
既に強化形態を解除していたデッドコードは指から糸を射出、素子が持つRDAに巻き付かせると、まるで魚を釣り上げるベテランの釣り師のように、いともRDAを簡単に奪い取っていった。
「なっ!!」
「これで、話が出来る。こんなものがあったから、話がこじれたんだ」
友二にも同様の事を考えていたのだが、隙が上手く拾えなかった。
だが、その友二が倒れた事で動揺していた彼女の隙を拾うのは難しくなかった。
……慧悟としては、多少心苦しかったが。
「卑怯者っ!! 卑怯者ぉぉ!!」
「……後は、二人で話し合ってくれ」
「偽善者っ!!」
「ああ、そう思う。でも、これが俺の正義なんだ」
そう言って、慧悟は背を向けた。もう自分に出来る事はない。
「く、う、わぁぁぁぁぁああああああああっ!!」
泣き叫ぶ素子に自分が出来る事等何も無い。
後は当事者達の問題なのだから。そう思っていた。
……だが。
「……そうか、そうなのね」
長くも短くも思える悲痛な叫びの後。
叫びとは打って変わった素子の呟きに、慧悟は薄く寒気を感じた。
後は当事者達の問題だという結論を一瞬忘れてしまう”何か”と共に。
「素子ちゃん……?」
「……分かったわ。分かったのよ。
うん、そう、そうなのよ。
結局、私は1人だった。
認めるわ、間違っていたのは私」
「……?」
彼女は、笑っていた。だが、その笑顔は歪だった。
夜に向けていた憎悪による笑顔とも違う、
何処か諦めの篭った、それでいて視界に映る全てに挑みかからんと睨め上げるような視線を、視界に、世界に向ける、儚げでありながら不敵な……怒りと悲しみと自嘲が交じり合った、笑顔に見えない笑顔。
「私が、私一人が全部間違っていて、
あんた達が、お兄ちゃんが、世界が全て正しいのよね?」
「っ!? ち、違いますっ!! そうじゃないっ! 全部間違ってなんか……!!」
「ならぁぁっ!! そんな世界なんか知らないぃぃっ! 否定するっ!! 否定してやる! 全部っ!!」
「!!!」
素子の背中から黒い霧が吹き上がる。
数多くのエゴイストと相対してきた慧悟でさえ今まで見た事がないと即座に思える程の量の、黒い霧が。
そうして慧悟が動揺している隙を突いて、霧の一部が凄まじい速さで動いた。
黒い霧が慧悟が手にしていた素子のRDAにまとわり付く。
それを慧悟が認識した次の瞬間、慧悟の手にあった筈のRDAはなくなっていた。
黒い霧に、奪われてしまっていた。
「なにっ!!?」
力を抜いていたわけではなかった。
むしろ壊してしまって構わない位に握り締めていた。
だが、そうして込めていた力自体を無視したかのようにアッサリと奪われてしまったのだ。
それを為した黒い霧は、まるで素子の手足のように自由に動き、RDAを開き、電源を入れる。
直後、囁きが響き渡る。
ある意味では文字通りの、悪魔の囁きが。
『願いは何だ』
「私の願いはただ一つ!!
全てを、ここにある全てを壊す事!! 世界を、全てを! 否定しつくす事っ!!」
『了解した』
素子の願いを聞き入れたE・G・O……黒い霧は、彼女を取り込みながら巨大化、肥大化、実体化していく。
そしてそれは、このフロアそのものを飲み込みながら破壊していく。
「素子ちゃんっ!!」
「夜さん、危ないっ!」
素子に手を伸ばそうとする夜と、夜を守ろうとする慧悟。
そうして何かを守ろうとする二人の姿と声は、
全てを否定するという素子の願いを肯定せんとするかのような、容赦なく辺りを埋め尽くす瓦礫と破壊の轟音の中に消えていった……。
……続く。