第拾壱話 エゴ瞬く街・2
7年前。
その頃、まだ壱野夜は普通の子供だった。
壱野太陽の娘である事以外は、ごく普通であり、
ごく普通の小学校に通い、ごく普通に友達と遊び、日々を過ごしていた。
そんな日々の中、当時の彼女はクラスメート達と共にある遊びに興じていた。
ソレは身近にある面白いもの、珍しいものを探して集め、
最終的にタイムカプセルに入れて何処かに埋めようという、子供らしい発想の”遊び”。
提案者は他でもない夜自身。
切欠については記憶にないが、おそらくタイムカプセルにまつわる漫画か何かを見たのだろう。
その他の理由である可能性もあるが、そこはさして重要ではなかった。
当時の夜としては楽しければそれでよかったので、何が切欠の発想かなどどうでもよかったのだ。
そうして、タイムカプセルという遊びを始めた彼女達は、
最終的にカプセルを埋める場所を壱野邸の庭内にする事を決め、丘葦水市を駆け回った。
時に一緒に、時に個人で。
決まっていた事はたった1つ。
5時になったら夜の家、その門の前に集まり、沖実の車でそれぞれの自宅まで送ってもらう事。
その日々はごく普通に過ぎていった。
ごく普通に楽しい日常が続いていた。
そんな、ごく普通の日々が続く、ある日の事だった。
友達の1人が、5時になっても門に帰って来なかったのは。
最初は『ただ戻るのが遅れているんだろう』と皆気楽に考えていた。
その1人……少女は、おっとりぼんやりのんびりした子だったが、
時々突拍子もない事をしては皆を驚かせていたので、今回もそんな感じになるのだろうと思っていたのだ。
そんな彼女が何処からか持ってくる石はとても綺麗で、
いつも彼女はソレを誇らしげに自慢して、その後はその石を皆に配っていた。
その時の彼女は優しげで楽しげな表情をしており、皆そんな彼女の笑顔が大好きだった。
そして、彼女もそうして喜ぶ皆が大好きだった。きっとそうだった。
だからこそ、彼女はいつも綺麗な石を探していたのだろう。
皆と自分が笑顔になれる宝物を。
今回もきっと、
皆が笑顔になるようにその石をカプセルに入れる事を考えていて、
たくさん手に入れるのに時間が掛かっているのだろう。
皆そう思っていた。
だが、そうではなかった。
空が真っ黒になっても彼女が帰ってこなかった事で皆がその事に気付いた時から、騒ぎは広まっていった。
お姉ちゃんっ子だった少女の妹が家に連絡した事から、警察も動き出し、捜索も開始された。
壱野家に勤め始めた頃の瑞樹、運転手の実や関係者の家族達も街中を捜索した。
しかし、彼女は一向に見つからなかった。
どれだけ時間が過ぎても、見つからなかった。
そんな中、夜は怖くなっていた。
自分が始めた”遊び”が大事になってしまっている事が。
大人達のあまりに真剣な様子が。
友達や彼女の妹の、それまで見た事のなかった不安げな表情が。
そして、なにより。
(……もし、あの子の身に何かが起こっていたら)
そう思うと怖くてたまらなかった。
あの笑顔が二度と見られなくなるのは、とても嫌な事だった。
そんな恐怖の中、夜は考えていた。
騒動を聞きつけて家に帰って来ていた父に頼めば何とかしてくれるのではないか、と。
たくさんのお金を使って、色んな人に……こういう捜索を得意とする多くの誰かに手伝ってもらえるのではないか、と。
しかし、それを言い出す事が夜には出来なかった。
これもまた怖かったからに他ならない。
たくさんのお金を使って見つからなかった時はどうなるのか。
元々の言いだしっぺの自分はどうなってしまうのか。
迷惑を掛けたたくさんの人に、たくさんたくさん怒られてしまうのではないか。
彼女の両親や妹に、どんな事を言われてしまうのだろうか。
そんな色々な考えに縛られて、夜は何も言えなかった。
少女の突拍子の無さを良く知っていたので、
もしかしたら予想外に自分達の近くにいたりして、
それに気付けていないだけなんじゃないか、とも夜が考えていたからでもあった。
……そうであるのなら頼む必要はないんじゃないだろうか。
……こうして悩んでいる内に見つかってくれるんじゃないだろうか。
夜がそうして迷っている内に、少女は発見された。
しかし、その発見は夜の望んだ形ではなかった。
少女は、丘葦水市の外れの森で遺体として発見された。
倒れていた彼女の周辺には綺麗な色と形をした石やどんぐりが転がっていたという。
死因は頭部に強い衝撃を受けた為。
転んだ拍子に、たまたま近くにあった石か木で頭を強く打ったことが原因だろうと推測された。
発見が早ければ、死なずに済んだのかもしれない。
だが、その森には、近々森である事を利用する形で自然溢れた公園にする予定が立てられ、立ち入り禁止になっていた。
それゆえに誰も少女の状況に気付けなかった。気付く事が出来なかった。
「それが、白鳥智子。ともちゃんって私が呼んでた子です」
朝ゆえの微かに涼しげな空気の中、セミの声が響く。
その中を縫うように、夜の声が慧悟の耳を通り抜けていく。
「私は、その事をずっと後悔して、生きてきました。
私があの時、父さんにちゃんと頼んでいれば。
私があの時自分の責任から逃げていなければ。
自分に出来る事をしていれば。
きっと、あの子は、ともちゃんは死ななかったから」
「……」
「だから、私はその後決めたんです。
もう、こんな事を起こさないようにしようって。
自分に出来る事で誰かが助かるのなら、なんだってやろうって」
言葉にこそしなかったが、この時点で慧悟は確信していた。
それが今彼女が……壱野夜が『何でも屋』をしている理由、原因なのだと。
直後、それを肯定する言葉が夜の口から零れ落ちる。
「それが、今の私が人助けをしている理由。お話した事が、理由です。
軽蔑、しますよね?」
「……それでも、人助けだろう。今は悔やんでるんだろう。
軽蔑なんかしない。絶対に」
「ありがとうございます」
そう言って、夜は笑ったが……それは酷く痛々しかった。
普段の夜を知っている慧悟だからこそ分かる、痛々しい、悲しい笑みだった。
そんな、慧悟への感謝と自身への侮蔑を込めた笑みを崩し、夜は言葉を続ける。
「さて話を元に戻しましょう。
リストに載っていた名前。これが彼女本人である事はありえません。
確かに、彼女は死んでいます。その筈なんです」
「……」
「でも、これがもし、万が一にでも、本当に彼女なら、私は会いに行きたい。私一人で向き合いたい。
何を言うべきなのか、やるべきなのか、わからないけど……そうしたいんです。
十中八九彼女本人じゃないとは思います。
ただ、彼女じゃないとしても、E・G・Oを所持しているのは彼女の関係者でしょうから、
やはり私一人が向き合うべきでしょう」
「なんで、そう言える?」
「リストの住所、彼女が亡くなった場所なんです。今は……公園になっていますが」
「……! なるほど。それなら、そうなんだろう」
「だから、私は……一人で行きます」
「気持ちは、分かるとは言えない。
でも言いたい事は、伝わってるし、理解してるつもりだ」
深く考え、慎重に言葉を選んでいく慧悟。
一つ間違えてしまえば、夜がいなくなってしまうような、そんな気がしていたから。
そんな思いで慧悟は自分の考えを丁寧に口にしていった。
「俺はその場そのものには行かない。
でも可能な限り近くには待機させてもらう。
そして君に何かあったらすぐにそこに行く。割って入る」
「……」
「それで譲歩してほしい。
危険な事が起こるのは、エゴイストが現れる可能性は未知数なんだ。
もしかしたら、そうなるのは万が一位の可能性でしかないのかもしれない。
それでも、俺は、君が傷つくのは見たくない。
だから万が一でも警戒する。
それはきっと、今の君と親しい人達も思っているはずだし、そうしたいと思うはずだ。
そして、何より。
それは、エゴイストとか関係無い場所で話し合い、語り合うべき事だと俺は思うから。
夜さんが悔やんでいるならなおの事、真っ直ぐに向き合って」
滅多にない、慧悟の長い長い言葉。
それは紛れもない慧悟の本音だった。
今まで慧悟の言動を見てきた夜だからこそ、それが分かる。
そんな慧悟の真摯な、自分を案じた言葉に対し、少し考え込んだ末に夜は静かに答えた。
「……ありがとう、ございます。
分かりました。
放課後、件の場所に行きますので、付いて来てくれますか?」
「勿論。いや絶対」
「重ねて、ありがとうございます。
では、放課後いつもの場所で待っていてください」
「分かった」
「じゃあ、そろそろ、行きましょうか。
まだ誰も教室に来ていないでしょうけど」
「その前に」
?と疑問符を浮かべて動きを止める夜に、慧悟は小指を立てた右手を突き出した。
「指きりだ」
「え?」
「約束を、破らないように」
慧悟の眼は、とてつもなく真剣だった。
今までで一番……夜にそう思わせるほどに。
自分の事をそれだけ深く心配してくれているのだと、夜は改めて理解出来た。
だから、夜は小指を伸ばした手を慧悟に差し出した。
慧悟は小さく頷いてから自身の小指を夜の小指に絡ませる。
「……指きりげんまん、嘘ついたら針1万本飲ます」
「指切った。……1万本はキツイですね」
「だから、ちゃんと守るように」
「はい。……じゃあ、教室に行きましょうか」
「ん……あ、いや先に行ってて」
「え?」
「まだ飲みきってないんで」
「分かりました」
渋い顔でジュースとの苦闘を再開する慧悟を置いて、他のジュースを袋に入れて教室に向かおうと歩き出す夜。
そうして、俯き気味に校舎へと歩みを進める夜の視界に影が1つ入る。
顔を上げると、そこには伴戸友二が立っていた。
「よう」
「どうして……?」
「たまたまさ。今日が終業式だって忘れて、いつもどおり早朝トレに来て、遭遇した」
「そう、ですか」
「あの事、西木に話したんだな?」
友二は事情を知っている。
何故なら、友二は幼馴染。当時も一緒に遊んでいた仲だから。
智子との親しさも自分に負けず劣らずだったから。
そして……。
「何故そう思うんです?」
それ以上の思考を苦しさから打ち切り、夜は尋ねる。
そんな夜に、友二は当然だと言わんばかりに即答した。
「お前が、あの時の顔をしてたからだよ。それで十分だ」
「……」
「何があったかは知らんけど。
もし、あの時の事を断ち切るんだったら、俺も手伝うぜ?」
「いえ、これは私がやるべき事です」
そう。
これは、他の誰でもない壱野夜がやらなければならない事だ。
当時を知り、今も自分と付き合いを続けてくれている友二と話す事で、夜は改めてそう決意した。
強く、強く。
「ふぅ」
終業式ゆえにいつもより数時間早い放課後。
慧悟はいつもの、馴染みの待ち合わせ場所となった裏門に一人立っていた。
勿論、夜と共に約束の場所に赴く為である。
一緒に行かなければ……そんな強い思いが慧悟の中に渦巻いていた。
今日の夜は、危ない。
それに、そもそもおかしい点がある。
あのリストは、永久がE・G・Oを製作した会社から回収してきたデータを元に作成したものだという。
慧悟は永久を全面的に信用しているし、信頼している。
ゆえに、永久がそのデータに悪意を持って手を加える事はないと確信している。
だが、その確信を抜きに考えたとしても。
そもそも永久にせよ、元々の会社の人間にせよ顧客データに手を加える……虚偽を行う理由がない。分からない。
だとすれば。
既にデータ以前の問題で仕掛けられていたと考えるべきだ。
そう、罠が。
これが何かしらの罠の可能性は決して低くない。むしろ高い。
しかも、恐らく自分の想像を越えるほど大きな罠。
であるならば、自分が行くのは……夜を一人で行かせないのは絶対だ。
いざとなれば夜と何者かの対話を邪魔しなければならない事も覚悟している。
それが夜との喧嘩、対立……最悪、別れに繋がるとしても。
そう思い、思考し、様々な状況シミュレーションを頭脳で行いながら、暫し立っていた慧悟だったのだが。
「……遅いな」
いくら待っても、夜は現れない。
それどころか、いまやすっかり乗り慣れ、見慣れたリムジンの姿も見当たらない。
近場ならまだしも、公園までの距離を考えればリムジンを使わない理由はないはずなのに。
そもそも、夜が遅れているのはともかく、
瑞樹や実が最初から予定された時刻に遅れる事など今まであまり、というか今までは全く無かった……と思考した所で、慧悟は気付いた。
「……まさか!!」
そう思った瞬間、慧悟の携帯に新規メールが1件送信されてきた。
そのメールは、一見何も書かれていないようだった。
だが、それはあくまで一見そのように見えただけ。
「下がある……?」
何も書かれていない、改行の続くメールをずっとスクロールしていった先には、ただ一言。
『ごめんなさい』
と、あった。
ソレを見て、慧悟はギリッと歯噛みした。
「くそ……針1万本じゃ足らなかったか……!」
間違いない。
夜は自分を置いていってしまったのだ。恐らく、瑞樹達も。
その事に改めて思い至った慧悟は、以前教えてもらった瑞樹の番号を即座にコールした。
基本的に慧悟はメール派なのだが、今回ばかりはメールでやり取りする時間さえ惜しい。
そんな一日千秋の思いで、コール音を聞いていると、3回ほどで瑞樹が電話を取った。
『慧悟様? 私個人に電話だなんて。
もしかして何かお誘いですか? だとしたら嬉し……』
「夜さんから、何も聞いてないんですね?!」
『は? 何の事……っ! まさか!?』
「多分想像通りです。すみません、俺もすっぽかされてしまいました。
ずっと彼女に張り付いておくべきでした……」
『っ!! それは私も同じ事です。
何度も念押しして、約束したのを信じ過ぎてしまいました……』
その言葉で、形は違うかもしれないが、瑞樹もまた自分と同じ様に夜を心配し、同じ様に約束していた事に慧悟は気付く。
そうして交わした言葉を、約束を信じたかった。
だからこそ、慧悟も瑞樹も夜に張り付かなかった。
夜の気持ちを可能な限り尊重した上で、妥協点を見出そうとした。
だが、それは裏目に出てしまった。
それは、夜が自分達を裏切ったとかそういう事ではない。
今回の事が、
夜にとってあまりにも『大きい』事を、
約束を破ってしまうほどの『大きさ』であり妥協点など存在しなかった、という事実を、
慧悟達が完璧には理解出来ていなかった……ある意味では、それだけの事だった。
『しかし、今はそれを悔いている暇はありません。
今すぐ沖さんと一緒にそちらに行きますので合流を……』
「いえ、俺はデッドコードになって公園に急ぎます。
沖さん、瑞樹さんも直接そっちに!」
『分かりました!』
「もし俺より先に現場についても、出来る限り無理は避けてください」
『状況次第です。なんにせよ努力します。慧悟様もお気をつけて』
「ええ」
瑞樹との電話を切った後、慧悟は鞄を開いた。
デッドコードになって、超特急で公園に向かう為に。
だが、しかし。
「……RDAが、ない……!!?」
そこにあるべき、纏繞の鍵であるRDAは、鞄の中に存在していなかった……。
「……ありがとうございます」
タクシーの運転手に礼を告げて、夜はそこに下りた。
茂梨自然公園。
普通に地名をプラスする形で名付けられたその場所は、元々あった自然をある程度利用した公園だった。
そして、壱野夜にとっては一生忘れる事の出来ない場所。
心と体が震える。
今日の朝、慧悟と絡ませた小指が、熱いような、痛いような、そんな錯覚に陥る。
いつもなら、そんな震えを察し、気遣ってくれる瑞樹がいて、実もいてくれただろう。
もしかしたら……いや、確実に慧悟もいてくれた。
だが、それを断ち切ってきたのは自分だ。
皆が自分を心から心配しているのを知りながら、あえてそれを断ち切り、約束を破った。
それは、自分だけが向き合うべきだという思考の結果。
同時に、皆に自分の醜い部分を見せたくないという我侭なのかもしれない。
あるいはその両方か。
いずれにせよ、こうして一人で来たからには誰にも頼る事は許されない。
「……行かないと」
だからこそ、夜は胸を張って、歩き出した。
心はいつだってそう出来ていない、弱いままの自分自身を、いつまで経っても自身を肯定出来ない自分を知りながら。
なんとなく眺めていた、約束を交わした小指を名残惜しさを断つ様に折り曲げて、足を進めていく。
そうして向かうべき場所は、ただひとつ。
明確な待ち合わせ場所は決めていない。
無言の相手に決められるはずも無い。
だが場所は分かりきっていた。
「……」
少し歩いた先の公園の外れ。そこに小さな慰霊碑があった。
それは、白鳥智子の為だけに作られたもの。
夜は月に1度、必ずそこに花を供えているのだが。
「……!!」
少し前に供えていたその花は、無残に踏み荒らされ、乱され、散らされていた。
「……いい気なものよねぇ」
「っ!!」
突然、何者か……少女らしき声が響く。
その声がした方向に振り向こうとした瞬間、夜の体が、宙に浮かんだ。
「なっ!? ぐっ!!?」
何かに首を、身体を掴まれている。体の感触はそう伝えている。
だが、何も見えない。
夜を掴んでいるはずの何者かは、まるで見えなかった。
その見えない何かは、彼女の首を掴んで持ち上げながらも身体を支えている。
どうやら、すぐさま殺す気はないようだが、安心できる状況では決して無い。
「こうして碑があれば、花を供えれば、良い事をすれば許されると思ってる。本当舐めた物よ」
「ぎ、ぐ……」
息苦しさと痛みを感じながら、必死に顔を声の方に向ける夜。
そこには、夜にとって全く予想外の人物が立っていた。
「鶴、さん……っ!?」
そこには。
慧悟と知り合うキッカケとなった鶴素子が、ニタァ、と笑いながら立っていた。
彼女はその笑みのまま、夜に向けて……ではなく、他の何者かに向かって言った。
「うーん、見下ろされてるのは不愉快よね。地べたを舐めさせてやって」
自分を掴む何かに力が入ったと感じた瞬間、夜は大きく振り回された後、地面に伏されていた。
体と顔が擦り付けられ、日に焼けた地面の熱さと匂いと痛みが交じり合った感覚が夜に走る。
しかし、そんな感覚よりも優先すべきとしたのか、夜は自分でも驚くほどの声で疑問を叫んでいた。
「どうして……っ!?
どうして、貴女が……それに、RDAも持っていないのに……っ」
「簡単よ、あんたを抑えてるエゴイストは私のエゴイストじゃないもの。
私の協力者のエゴイスト」
「なっ!?
リストにある人間は『ともちゃん』のもの以外全て、回収したはずですっ!」
瞬間、素子の表情が動く。
それには気付かないままに夜は続けた。
「貴方が持っているのが最後に残されたソフトだとして、少なくとも、県内には、もう他に……」
「簡単よ、コピーしたの。
RDAのゲームソフト違法コピー問題については知ってるでしょ?
今の時代、コピーなんかお手軽簡単だもの」
「……っ!」
素子の言葉を聞いて、夜は自分達の失策に息を呑んだ。
出回っているソフトの数が一般的に流通されているものより少ないがゆえに、
その可能性をなんとなく思考から追いやってしまっていた事に、今更ながらに気付いたのだ。
世田大や一部の人間の名前がリストにない時点で気付くべきだったのに。
最悪の可能性をもっと考えるべきだったのに。
悔やんでも悔やみきれないが、まだ他にも疑問はある。
「くっ、それに協力者、って、どういう……」
「そうねぇ。
何度かアンタ達を襲ってたエゴイストいたでしょ?
あいつらと、後、ソフトを元々持ってた奴等の一部。
あいつらもある意味協力者ね。
E・G・Oの本当の利用法を教えて、お金を払ったら協力してくれたの。
大人って馬鹿よね。
お金や、欲望を満たす方法をちらつかせたらあっさり尻尾を振るんだもの。狗以下よね。
同じ狗でも、西木先輩の方がいくらかましだわ」
彼女の言葉で夜は気付く。
今更ながらに気付いてしまう。
これまで彼女と自分は何度か会話を交わしていた。
その会話の中、素子は慧悟に対しては先輩ゆえか丁寧に接していたが、同様に先輩である自分に対してはそうでなかった事に。
そうして夜が様々な事に気付き、驚きの表情を浮かべる中、素子は楽しげに言葉を紡ぎ続けていた。
まるで、満を持して手品の種明かしをする子供のように。
「ああ、そうそう、お金についてはね、提供してくれる人がいたの。
元々ゲームソフトを作った会社……じゃなくて、それを委託したもっと上の人」
「なん、ですって?」
「元々RDAも、E・G・Oを使う為のツールなんだって。
凄いわよねー。スケールが段違い。
なんでも、エゴイストを増やして社会を変えたいとか世界征服がしたいとか。
詳しい目的は私も分からないんだけどね」
「……」
想像以上の出来事、並べられる事実に言葉を失う夜に、素子は更に続ける。
何処か冷え冷えと、それでいて熱の篭った言葉で。
「今回の事はテストケースらしいわ。
その為に協力したらしいけど、私にはどうでもいい事よ」
「どういう、こと、なんですか? 何故、貴方が、鶴さんがこんな事を……?」
結局の所、最初の疑問に戻る。
色々気になる事があるのは確かだが、それが一番夜の頭を支配していた。
そんな疑問に対し、素子は。
「何故か、ねぇ?」
と呟き、笑いながら、夜を見下ろした。
「……っ!!」
思わず息を呑む夜。
そうして彼女が自分に叩き付けた視線は、どうしようもなく冷たかったから。
それを夜が認識した瞬間、夜は自身の顔が歪む痛みを感じた。
自分が彼女に踏みつけれているという事実に気付いたのはその一瞬後だった。
「何故か? それを聞くの? 聞いちゃうんだ?
あはは。やっぱり死んじゃえばいいよ、アンタ」
素子の声音にゾッとする。
今まで、色々な事に首を突っ込んできて様々な感情を向けられてきた夜だったが、これは初めてものだった。
これは、そう。
どうしようもなく、自分だけに、壱野夜という存在にだけ向けられた憎悪だ。
「ああ、そう言えばハッキリ下の名前教えてなかったかもね。
鶴素子。これが私のフルネーム。
それと白鳥智子。この関連性で思い出すことは?」
「……っ!!」
そう聞かされて気付く。
素子と智子。この名前の並びを、夜は記憶していた。
「智子ちゃんの、妹、さん……?!」
「はい、正解。でも……」
離した足で夜の顔面を蹴りつける素子。
よく小説などで鉄の味、と表現される、血の味が口の中に広がっていくのを夜は実感した。
「許してはやらないけどね」
「っ……」
夜は、悟る。
今の状況は。彼女の目的は。
白鳥智子の妹である彼女の、自分への復讐なのだと。
「許すもんか。お姉ちゃんを殺したお前を、許してなんかやるもんか。
お前にお姉ちゃんをともちゃんなんて呼ぶ資格なんかないんだ。
お前に幸せを享受する資格なんか無いんだ。
お前に友達を持つ資格なんか無いんだ。
だから、今からお前の持つものを奪ってやるんだ」
「奪う……?」
「あえて、全部は奪わないわ。
お前が大事だと思うものだけを奪ってやる。
そうして心を殺してから、身体も殺してやる。
……じゃあ、その為のステージに移しましょうか」
その言葉を最後に、この場での夜の意識は途切れた。
それが自身を抑えつけていたエゴイストによるものだと知るのは、次に目が覚めてからの事だった。
……続く。