第拾話 エゴ瞬く街・1












 7月に入り、慧悟達が暮らす街にも本格的な夏が訪れつつあった。
 明確に変わっているのは、その暑さ。
 陽炎が立つようにもなっていた暑さの中、一台のリムジンが街中を走り抜けていく。

『……あー、疲れた』

 そんなリムジンの中でぼやいているのは慧悟と夜。

 車の中は完璧かつ適切な冷房が効いているが、2人は暑さとは違うもので疲れているらしく、ぐったりしている。
 瑞樹はそんな2人を見てクスクス笑いつつ、缶ジュースを差し出した。

「お2人とも、今日はいつにも増して疲れてますね」
「いつも以上に交渉に手間取りましたからね……」
「そうですね。
 こちらが提示した値段の10倍を吹っかけられた時はどうしたもんかと思いましたよ。
 慧悟様のお陰でなんとかなりましたけど」
「いえ、たまたまですし」

 今回のE・G・O所持者は偏屈な性格をしており、その性格ゆえに色々ごねて、夜達は交渉に大苦戦した。
 だが、慧悟が所持者の部屋の中にあった有名な映画シリーズのDVDに気付き、
 映画好きな夜と一緒に映画の話を展開させる事で、宥め(誤魔化し)、説得を無事終わらせる事が出来たのだ。

「あの様子だと後腐れもなさそうですしね」
「個人的にも趣味の友達が出来そうでありがたいけど、問題が起こらないのもありがたいなぁ、うん」

 エゴイスト顕現しない所持者の場合、
 エゴイスト破壊に伴うE・G・Oに関する記憶喪失が起こらない為、交渉後問題を起こす可能性が少なからず残ってしまう。

 それを防ぐ意味で、夜達は買取での交渉の際はネットその他に情報を流さない旨を条件の一つとして提示している。
 その際『もしソレが守られなかった場合、裁判も辞さない』など微妙な脅しを掛けてもいる。
 少なくとも、今の所はそれでどうにかこうにか上手く行っていた。

「まぁ今後の問題もそうですけど、今日はエゴイストが出なくて良かったです」
「……まぁ、そうだね」

 夜の言葉に、慧悟は素直に頷いた。
 荒事にならないに越した事はないからだ。

「……それにしても、あと一人か。長かったような短かったような」

 期末テストも無事に終了し、E・G・O回収作業はより順調に続いていた。
 慧悟達自身思う以上に慣れてきた為か、かなりスムーズに回収は進み、未回収の人間は残すところあと一人となっていた。

「色々な事がありましたね……って、思い返すのはまだ早いですね」
「うん。最後まで終わらせてからの方が感慨深い。
 その時まで取っておこう」
「さて、いよいよあと一人。最後は何処のどなたなんですか?」
「ん、ああ……」

 夜に弾んだ声で問われた慧悟は、横においていたバッグから、
 永久から送られてきた時と比較して随分皺が寄ってしまっていたリストを取り出した。
 そうして取り出したリストの、今日の交渉相手の箇所に赤線を引いた後、眼を凝らし、最後の1人の名前を口にする。

「えっと、名前は……白鳥智子。住所は丘葦水市茂梨町35‐1、かな」
「……え?」

 その名前、住所を慧悟が口にした瞬間、夜の表情が硬化した。
 そんな夜の様子を見て、慧悟は首を小さく傾げつつ、眼を細めた。
 夜の表情に、今まで見てきた中でも異質な、見た事のない暗さ、動揺を感じたからだ。

「どうか、したの?」
「慧悟君、その名前に、間違いはありませんか?」
「……ああ、間違いないよ」

 頷きながら慧悟はリストを夜に渡した。
 そのリストの最後に書かれた名前を見た夜は、思わず悲鳴染みた声を上げていた。

「そんな筈は、そんな筈はありません……!!」
「はい、そんな筈はありません。
 既に調べていますが、彼女は……お嬢様の知っての通りです」

 夜の言葉にすぐさま反応したのは瑞樹。
 ハッキリとした声音で呟いた瑞樹の方に、夜は顔を向けた。
 その表情に、驚きと、微かな怒りを込めて。

「瑞樹さん、知っていたんですか……?!」
「はい。勝手な行動、申し訳ありません」

 夜は瑞樹の言動に、なるほど、と今になって理解する。

 永久からリストが届いた時、自分でなく慧悟にリストを預けるようにしたのは、
 いざという時の為というより、自分の眼に『彼女』の名前を触れさせない為だったのだろう。
 思い返せば、初めて慧悟が壱野家に訪れた……リストを見ていた時、瑞樹は妙な動きをしていた気がする。

 だが、それは。

「……私を気遣ってくれたんですよね。ありがとうございます」

 おそらく、いや確実に自分を心配して事。
 だから瑞樹は浮かんでいた僅かな怒りをそう告げる事で少しだけ無理矢理に霧散させた。
 
「すみません、気を遣わせてしまって」
「いえ……」
「……あのさ」

 二人のいつもより若干歯切れの悪いやりとりを慧悟は黙って眺めていた。
 しかし話が一段落ついたらしいと判断するや即座に声を上げた。そうすべきだと判断した。
 疑問を晴らす為に……というより、漂っていた重い空気の流れを変える為に。

「それが誰の事なのかはよく知らないけど、同姓同名の別人という可能性はないのか?」
「その可能性も多分にあるとは思います」

 慧悟の疑問に答えたのは、言葉を向けた夜ではなく瑞樹だった。
 彼女は目を伏せながら言葉を続ける。

「しかし、書かれている住所が……」
「瑞樹さん」

 薄く咎めるような夜の呼び掛けで瑞樹は一時言葉を切った。
 どう話すべきか思考しているのかの僅かな沈黙の後、瑞樹は歯切れ悪く再度口を開く。

「……その、なんというか、その人に関係のある場所なので」
「そうですか。……で、どうするんだ?」

 慧悟は夜の顔を真っ直ぐに見据えた上で問う。
 その視線、疑問について口にする事への躊躇いはあっても、言葉には迷いはなかった。
 問い掛けるべき事だと分かっていたから、迷わなかった。
 そんな慧悟の……夜が慧悟らしいと思える問い掛けに、夜は間を置かず答える。

「このリストの人には私だけで会いに行きたいと思います。
 行かせて、いただけませんか?」
「……納得は出来ないし、何より危ない」
「分かっています。けど、多分私だけで行かないと」
「……」
「何も言わずに行くつもりはありません。
 後日、納得していただけるよう、事情をお話します。今は少し、頭が混乱していて」
「うん。疲れてるだろうし。それはまた今度にしよう」
「すみません……」

 その後の車内は、無言で、ただただ静かだった。
 それは、この回収の日々の中で、一番の静かさだった。











 慧悟を家まで送った後の車内は輪を掛けて空気が重くなっていた。
 しかし、それでも口を開かねば、話は進まない。
 そう考えて、瑞樹は思い切って口を開いた。

「お嬢様」
「……不思議です。あの時の事は散々思い返して、忘れた事なんかないはずなのに。
 現実として直面すると、こんなに動揺するなんて」

 瑞樹の言葉に反応して、語りだす夜。
 言葉通り、夜は動揺を隠せていない。
 慧悟がいた時とは違い、僅かながらだが声が震えていた。

 無理からぬ事だ、と瑞樹は思っていた。
 それは、もう二度と現実として直面するはずのない事だったから。

「瑞樹さん、あのリストの電話番号は……」
「住所・持ち主など可能な限り調べましたが、時間も無く、結局現状割り出せていません。
 番号先に掛けても見ましたが、終始無言でした。
 向こうから漏れる音から情報を引きずり出そうともしましたが、ヒントになるものはありませんでした」
「そうですか。また後で私が掛けてみます。
 どのみち、近くリストの場所を訪ねる事を話さなくてはいけませんし」

 少なくとも、いずれその場所を訪れるのに触れる事で、何かしらのリアクションは返ってくる筈だ。
 例え何かの、誰かの思惑があったとしても、否、思惑があるからこそ、住所と電話番号が記してあるのだろうから。

「でも、瑞樹さん。あの子は……」
「はい。それは間違いなく。彼女……白鳥智子は、7年前に死んでいます」

 瑞樹は、その事実を迷いなく淀みなく言い切り。
 夜は、その事実に打ちのめされるように、顔を深く沈めた。










 そんな事があって2日後。

 その日は慧悟達の学校の1学期終業式。
 そんな日の朝早く……殆ど誰もいないだろう時間帯、慧悟と夜は既に登校していた。

 理由はただ1つ。
 事情を……白鳥智子についてを慧悟に話す為。
 早朝ゆえにひと気がない学校の中、かつて夜が素子と大に依頼を受けた中庭で2人は向かい合って座っていた。

「また買い込んだもんだな」
「ええ」

 2人の間にあるテーブルの上には山のようなジュース類が並べられている。
 かつて同じ様な光景がここにあった事を、慧悟は知らなかった。

「なんでも好きなものをどうぞ」
「ああ、うん、もらうよ」

 言いながら、慧悟は適当に一本取った。
 見ると、薬味臭い味が特徴的な炭酸飲料だった。
 あまり気は進まなかったが、折角取ったのだからと栓を空ける。 

「……それでは、お話します」

 その気の抜けたような音を切っ掛けに、夜は口を開き始めた。
 昨日、一昨日も思い出した事を、改めて思い返し、組立てながら。










 ……続く。







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