第八話 彼らの有意義な休日(中編)
「うわぁっ!?」
少年は、慌てて飛び起きた。
その日は土曜日。
学校はなく、少年は朝から友達と遊び回っていた。
折角の休日だから遊び倒そうと思っていた少年だったが、
食事の事を全く念頭に入れていなかった為、昼食時になって空腹に負ける形で帰宅。
家に帰った少年は、昼食を取り満腹になった事、遊び疲れた事で、自室でウトウトと眠り……今さっき飛び起きたという次第である。
少年がそうなったのは、眠りの中で見ていた悪夢のせいである。
夢の内容は、少し前に遭遇した出来事を悪夢気味にアレンジしたもの。
化け物に襲われた自分と母親を、誰かが助けてくれた。
だが、その助けた誰かもまた化け物だった、という夢だ。
あまりにも強烈な出来事だった為か、あれから時間が経ったと言うのにちょくちょく夢に見てしまう。
「どうかしたの?」
ノックの音と共に母親の声が響く。
どうやら心配をかけてしまったようだ。
思ったよりも声は大きかったのかと思いながら少年はドアの向こうへと答えた。
「あー、うん、なんでもない。またあの化け物夢に見ただけー」
「……そう。化け物って、お化け人形の?」
「……両方」
「そう……でも、片方は……」
母親はそこで言葉を途切れさせ、結果沈黙が訪れる。
しかしソレはそう長い時間ではなかった。
何を言おうとしているのか、少年が問おうとした瞬間、母親が別の事を口にした事であっさり破られた。
「……何もなかったんならそれでいいわ」
そう言った後、部屋の前から遠ざかっていく足音が少年の耳に届く。
……結局母は何を言いたかったのか。
「何だろな」
しかし、そう呟きながらも、少年はなんとなくソレが分かるような気がしていた。
化け物。
あそこにいたのは、二匹の化け物。
その片方は、もう一匹の化け物を倒した後から襲い掛かるわけでもなく、一緒にいた女性と去っていった。
多分自分達を庇っていたアレは、本当に化け物だったのだろうか。
「……寝よう」
まだなんとなく眠かった事もあり、少年はもう少し眠る事にした。
夢の続きを見たら、自分の疑問が少しは晴れるかもしれない……そんな事を考えながら。
「ここ。ここが俺んち」
慧悟達が勉強会のプランをまとめた翌日である土曜日。
とりあえず慧悟の家での勉強会が先行という事になり、彼ら……西木慧悟、壱野夜、伴戸友二は、西木家の玄関に立っていた。
慧悟が親指でさした方向に在る、というより間近、眼前に在る一軒家。
極端に大きくもなく、さりとて小さくもなく。古いわけでもなければ、新しいわけでもない。
そう。
あえて語るのであれば、それは何処にでもある普通の家だった。
「ふむ。普通に普通なんでコメントし辛い」
「……普通の感想ありがとう。じゃあどうぞ」
持っていた鍵でドアを開く慧悟。と、そこで彼は首を捻った。
その様子を疑問に思った夜は思ったままに尋ねる。
「どうかしましたか?」
「……知らない靴が一足。
いや知っていると言えば知っているけど、流理とはサイズが違う」
玄関には学校指定の靴が二足並んでいる。
一見大きさに差異はない様に見えるのだが……。
「違うか?」
「ああ、微妙に違う。流理の方が大きい。……やれやれ」
友二の疑問に、慧悟がそう呟いて答えた瞬間、上から降ってきた何かが慧悟の頭に当たる。
床に転がったのは、学校購買部で売っている消しゴムだった。
「その”やれやれ”は私に対して喧嘩を売ってるって事でいいの? 私が足デカ女だと?」
2階から顔を覗かせるのは、言わずもがなの慧悟の妹、流理。
慧悟は小さく息を零し、拾い上げた消しゴムを投げ返しながら言った。
「別に何も言っとらんし売ってもおらん。まぁ、お前が売りたいと言うのなら買うが。
で、それはそうと誰か来てるのか?」
「あ、その、お邪魔してます」
慧悟の疑問に答えたのは、
彼の妹・流理ではなくその隣にひょこっと現れ、顔を見せた、流理の友人たる素子だった。
「……ああ、こんにちは」
「すみません、その、先輩達も試験勉強なんですよね? お邪魔でしたら……」
「そんな、事はない。というか……まぁ、その、なんだ。お互い様だし」
「そうそう。少なくともお兄ちゃんに気を遣う必要は全然っないから」
「ああ、その通りだ」
「……ったく、お兄ちゃんってば、変な所で冷静と言うか大人と言うか」
「お前の言っている事はよく分からん」
「いや、私的には慧悟君の方が分からないです」
そんなやり取りを交わした後、慧悟は2人を自室へと案内した。
「リビングでもいいんだけど……イチイチ教科書やらを取りにいくの面倒なんで」
「本音だな」
慧悟によって開かれたドアの向こう……そこは、彼の部屋。
(……慧悟君の部屋、か)
夜にとって、その部屋の第一印象はカオスの一言に尽きた。
ベッドの置かれた側の壁には音楽グループのポスターが張ってある上にアニメのポスター、更にその上に映画のポスターが張ってある。
その反対側には本棚と机が並んでいるのだが、
本棚の並びは適当で、
ジャンルも、漫画、雑学、法律、育児、スポーツなどなど雑多。
棚の横、部屋の端の一角には雑誌が積まれているが、
そのジャンルもパソコンや格闘技、ゲーム雑誌、料理、クロスワードや科学情報と同様に雑多。
ロボットアニメのプラモが飾っているかと思えば、
どこぞの球団マスコットのフィギュアがあり、
何処かの城のミニチュアや、お子様向けアニメの玩具が飾ってあったり。
「……統一性が微塵もないな」
「慧悟君って多趣味なんですね……」
「いや、そういうわけでもないよ。
興味があるモノを片っ端から集めたらこうなっただけ。
知識的にも時間的も積んでるものも結構あるし。だからまだ多趣味じゃあない」
「……前、私に言葉に厳格だって言いましたけど、慧悟君もそうじゃないですか?」
「ふむん? まぁ、そうだな。拘り所だからそうなってるだけって気もするけど。
ま、いーや。とにかく掛けてくれ。
大丈夫。部屋は昨日みっちり掃除したし、換気もバッチリ、座布団も洗濯してる。
今この部屋には俺の穢れ的なものは限りなく薄い……!!」
「自信満々に何を言ってるんですか。大体そんなの気にしませんよ」
「いいや、気にするね。俺の駄目な所とか空気感染とかするかもしれないしね」
「いやいやいや。それだったら私はもうとっくに感染してますよね?」
「……ぷ、はははは」
『?』
揃っていきなり笑い出した友二を見る2人。
2人の如何にも疑問符な表情にも笑いつつ友二は言った。
「いやぁ、お前ら仲が良いなぁ」
「っ?! ななななな、何を言ってるんです?!」
ニタニタ笑いながらの友二の言葉。
そこに込められた意図である冷やかしを解釈・理解し、夜は狼狽する。
しかし、一方の慧悟は『何言ってんだ?』と言わんばかりの表情を浮かべた。
「いや、仲が良いのは……というか良くしたいと思ってるのは当たり前だろ。
友達、だからな」
そう答える慧悟の、あまりに照れやその他の感情がない様子に、友二は苦笑する。
「ははは、なるほどなぁ」
「……むぅ。私だって友達だって思ってますよぉ。ええ」
「ふむん? どして微妙に不機嫌に?」
「……なんでそういう所だけ鋭いんですか?」
「いや、その、基本鈍感だけど、鋭くしてるというかなんと言うか。友達の事、だし。
それで、その」
「なんでもありませんよ。ええ」
「本当に?」
「ええ」
「そっか。それならいいんだ」
「……」
夜は、慧悟とのこのような会話を幾度となく交わした事、彼の人間関係を幾つか観察してきた事で、なんとなく分かった事がある。
慧悟は対人関係に関しては酷く臆病で、いつも何処か警戒している。
しかし、ある程度の線を越えてしまうと、警戒から逆転、頑固なまでの信頼のようなものに変わり、それまでの臆病さが嘘のような積極的な……というには少し歪だが……心遣いを見せるようになる。
言うなれば他人とそうでないものの境界線を越えた時から、慧悟のスイッチは切り替わる。
真逆の……他人と敵を認識した時の、敵に対する容赦の無さからもソレはうかがえる。
それは、逆に言えば、慧悟の懐に入り込んでしまいさえすれば、色々とやりやすくなる、という事でもある。
(……心配ですね)
慧悟の極端なその在り方はとても危うい。
そういう所に付け込む存在が現れないとも限らない。
しかし、個人的には、その在り方は好ましく思うし、今確かに慧悟から信頼されている事に関しては嬉しくも思う。
かと言って、多少なりとも異性として意識している存在に、意識されていないというのは少し頭が痛い所ではある。
夜はなんだかんだ言って年頃の少女であった。
……もっとも、その辺りをある程度冷静に見れるあたりに年頃の普通さがなく、そんな『普通でない自分』を冷静に理解・把握してもいるのが壱野夜という少女なのだが。
「夜さん? どしたの? ボーッとして」
「ああ、いえ、別に。そちらについても深い事は気にしないでください。
私の個人的な感覚なので」
「さっきの事、怒ってない?」
「怒ってません怒ってません」
「……子供か、お前ら。でも、まぁ、仲が良いのは確かみたいだな。西木」
「ん?」
「前にも似た事を言ったと思うけどコイツの事頼むわ。
お前になら頼めそうだ。本当の意味で、心から」
「友二君……」
「俺としちゃあ、心配なのさ。友達としてか、それ以外かは、お前に任せるよ」
「なっ!? ちょ、何を言って……」
「分かった」
「はいっ!?」
「それ以外とかの意味はよく分からないが引き受けた。むしろ引き受けている」
「いや、なんか意味分からないぞ」
「……。
まぁいいじゃないですか。
ほら、そろそろ始めないと時間が勿体無いですよ」
「む。確かに。ありがとう夜さん」
「わざわざお礼言うところか? そこは」
「そういうものかな? でも俺は……」
「は・じ・め・ま・す・よ」
『……はい』
色々な感情を織り込んだ夜の剣幕もあって、とりあえずお喋りは終了。
3人は勉強を開始した。
「ここは、こっちの解釈でいいんじゃない、かな」
「ふむ……合ってますね。慧悟君は文型なんですね」
「……現国は唯一最高評価を取った事があるんだ」
「古文は?」
「……最悪だったなぁ。昔の人の感覚なんて分かるわけないじゃん。俺ら現代っ子だし」
「ああ、分かる。分かるぞ。いとをかしとか知るかよ、なぁ」
「うむ。分かる、分かるよ伴戸。あんなの日本語じゃない。宇宙語だ」
「仲良く握手なんかしちゃってまぁ……罰が当たりますよ。
昔の人の怨念は恐ろしいんですよ? 特に……ああ、いや、やめておきましょう」
「えっ」
「なにそれこわい」
「えーと、重力加速度が、えーと……公式なんだっけ、夜さん」
「駄目です。すぐ頼らないでください。可能な限り思い出す努力を……」
「これだから生まれつき頭が良い奴は……。
おい西木。コイツ、こんな事言ってるけど思い出す努力を投げ捨てた事があるぞ。
そうあれは中学の……」
「わー!! ソレは駄目!! 駄目です!!」
「夜さんがこんなに動揺するなんて……ふむん。さては紅茶とお菓子の話っ!?」
「……何処をどうしたらそこに行き着くんだろうな」
「というか、どういう眼で私を見てるんですか、慧悟君は……」
「……と、ここは訳せるわけなんですよ」
「おお、流石海外との繋がりもある大企業の娘。英語もバッチリだな」
「なるほど……あれ? でもそうなると……」
「何か気になる事でも?」
「いや、確か映画の邦訳で、同じ様な感じで全然違う訳が……」
「慧悟君。そこはアンタッチャブルなんです。
そういう事もあるんです。気になったら負けです。調べるのに朝まで掛かるんです」
「……ち、血の涙……?」
「壱野、映画好きだもんなぁ……」
「いや、俺も好きだよ、うん……」
そうして休憩を交えつつ勉強を続ける事5時間。
窓の外はすっかり赤くなり、解散の時刻となった。
2階から手を振る慧悟と流理、素子に手を振り返しつつ、
夜と友二は西木家から遠ざかっていく。
「西木、面白い奴だな」
「……ええ、そうですね」
道すがら、友二の発言で色々思い出してクスリと笑う夜。
慧悟の部屋という、いわば彼にとってのホームグラウンドだった為か、今日は彼の新たな顔を幾つか見れた。
プラモデルの奥深さや、RDAゲームの違法コピー問題についての熱い語りは、中々興味深くもあった。
その他、最近パソコン関係に凝っていて、ネット知識はさほどでもないのに、何故かプログラムに詳しい、という新たな事実も知る事が出来た。
「色々面白いプログラム組んでたりとかさ、ゲーム作ってたりとかしてたのには驚いたな。
ああいうところ学校で見せたらもっと皆に好かれるだろうにな」
「ええ、全くです。
ホント、慧悟君は……もっと楽しく学校生活が送れると思うんですよ」
そうして顔を不満げに膨らませる夜。
そんな夜を見て友二は苦笑し、穏やかな声音で呟く。
「いや、安心した」
「……何が?」
微妙な声音の変化に気付いて、夜はその意図を尋ねた。
友二は、もう一度苦笑する。
「西木、良い奴なんだな、ホントに」
「……ええ、そうですよ。いい人なんです、ホントに。
というかまだ疑ってたんですか?」
「色々変わってるっぽい奴だから心配してたんだよ。でも杞憂だったみたいだな。
でも、もう一つの心配事は杞憂じゃないみたいだな」
「え?」
「お前は、まだまだ、あの時の事を、引きずってるんだな」
「どうして、そう思うんです?」
「また危ない事に首を突っ込んでるからな。
そしてまた新しく出来た友達に過保護になってる」
友二の言葉に、夜の肩が小さく震える。
友二はそれを見逃さなかった。
そして、それにより自分の考えている事が間違っていない事を確信した。
「それで何度も友達がいなくなった事、忘れたわけじゃないだろうにな。
それでも繰り返すのは……」
「……引きずらないわけ、ないじゃないですか。私は……」
「おっと、そこまでだ。何度も言ってるだろ。お前は悪くない」
夜としては、そう友二が言ってくれるのはありがたかった。
友二の他、あの事を知っている人達は、皆言ってくれている。
瑞樹も、実も、両親も。『お前のせいじゃない』と。
だけど。
あの時出来なかった事、いや、しなかった事で引き起こした事は、到底許せるものではない。
(……そんな事を思ってる顔だな)
そうですか、と答えて黙り込んだ夜を見て、友二はそう思った。
友二は知っている。
壱野夜は、決して自分を許さない。
例え、これからどんな生き方をしたのだとしても。
あの時の自分自身を決して許さない事を。
……続く。