第六話 似て非なる者達(後編)
「……ここですね」
それぞれ制服からそれらしい……少なからず社会人、大人に見えるようにスーツに着替え、リムジンに乗って移動する事約30分後。
慧悟達は住宅街の片隅にある、リストの住所、その近くに到着していた。
今回訪れるのは片池創(かたいけはじめ)という名の職業フリーター・年齢25の青年だ。
年齢が若い事、フリーターという収入に不安定さのある仕事をしている事から、
比較的交渉の余地が高そうという事で3人で話し合って決めた。
慧悟達がそうする事が永久には最初から分かっていたのか、
片池創の名がリストの一番最初に書いてあったのが夜としては複雑であったが、それはそれである。
「では、お願い出来ますか?」
「お任せください。では参りましょうか」
夜の言葉に答えるのは、いかにも何処ぞの一流企業の会社員風なスーツ姿の瑞樹。
流石に会社からの回収役としては自分達では説得力が不足だろうと、
瑞樹にも今後の協力を願う形に昨日の時点で決まっていたのである。
出来る限り”他の誰か”を関わらせたくなかった慧悟としてはあまり気が進まないらしかったが。
「ええ、回収に行きましょう。車はお願いしますね」
リムジンの運転手であり、壱野家に使えてウン十年な老紳士・沖実(おきみのる)に声を掛ける夜。
すると、運転席に座る彼は見た目どおりの渋い声で静かに答えた。
「はい。かしこましりました。……それと、お嬢様」
「はい?」
「ご存知でしょうが、最近この近辺で盗難、暴行事件が頻発しております。
これから向かわれる先とは直接関係はないかと思われますが……」
「ええ、そうでしたね」
実の言う最近が正確にはいつ頃なのかは分からないが、街の空気が不穏なのは紛れもない事実。
先の世田大の起こした事件も少なからず街の空気に影響を与えている……いや、いたのだろう。
そもそも夜がE・G・Oにまつわる事件に気付き、探る事に至ったのは、
複数の事件の類似点の他、街の空気の変化……いや、悪化に気付いたからでもある。
これから回収していくE・G・Oやその所持者達が、それらに……街の空気の悪化に関係している、いやむしろその元凶である可能性は決して少なくない。
それを思えば、街の状況と絡めてこちらを心配する実の言葉は的外れではない。
むしろ的確な助言、危惧だと言える。
「ありがとうございます。重々気をつけます」
「はい。どうかお気をつけて。……勿論他の2人も気をつけてな」
「ええ」
「……はい」
そうして、実の言葉で気を引き締めなおした夜他2名は、徒歩による移動を始めた。
「ここ、ですね」
「間違いない、みたいだな」
数分後、3人は何事もなくアパートの入り口に立っていた。
数メートルほど離れた慧悟達の視界に収まる程度の小さなアパート。
片池創がいるのは、このアパート1階の一番奥の部屋らしい。
その部屋へと再び歩き出した最中、アパートの入口を少し過ぎた辺りで慧悟が足を止めた。
「西木君?」
「……俺は、ここで待つよ。俺がいると、色々こじれそうな気がするし」
「そんな事はない、とは言いたいですけど」
慧悟の服装は普通だが、彼自身の印象はあまりよろしくない。
年齢の事はさておき、少なくとも伸ばした髪は社会人・会社員という風貌ではない。
「でも、そんな風に言うのなら髪を切ってください。それだけでも随分印象が変わると思いますし」
「……面倒臭いから、気が、向いた時に」
「そ、そうですか。うーん……そういうことなら今回は私達だけで行きましょう」
「はい、お嬢様」
「……でもなぁ、やっぱり切った方が……しかし……」
そんな問答の後、2人は何事か呟き続ける慧悟を置いて歩を進めた。
そうして片池創の部屋の前に立った2人は顔を見合わせた後、チャイムを鳴らす。
「どちら様……?」
数十秒後現れたのは、慧悟程ではないが髪をボサボサに伸ばした青年だった。
その青年に対し、瑞樹はまず小さく頭を下げた。
「お忙しい所恐れ入ります。
私、貴方がお持ちのRDA専用ゲームソフト、
E・G・Oの開発元から権利委託された者の使いの部下で、篠崎瑞樹と申します」
この言葉には全く嘘がない。事実その通りなのである。
ただ、会社の権利だけを美味い事掠め取って、いいように利用しているのも事実だが。
「……!?」
そんな瑞樹の言葉に、片池創が微かだが驚きの表情を浮かべたのを夜はしっかりと読み取った。
しかし、彼の驚きがどういうものなのかまでは、流石に現段階では図りきれない。
そうして、その事について夜が思案している間にも、瑞樹は話を続けていた。
「もし、よろしければ、お話させていただきたいのですが。悪い話ではないと思いますよ?」
「……ちょっと待っててくれ。部屋を片付ける」
「いえ、こちらで構いませんが」
「……いや、片付けるから」
そう言って部屋の奥に消える事数分。
準備が終わったらしい彼は、2人を部屋の中へと招いた。
少し待たされた後通された狭い室内には、様々な『人形』が置かれていた。
(いわゆるフィギュアって奴ですね……)
(ええ。最近ニュースでよく見ますね)
創が飲み物を準備している間、2人は小声でやり取りを交わしつつ、部屋の様子を眺め、観察していた。
2人が座らされた椅子、テーブルをほぼ中心として広がっている片池創の部屋。
その中で特に目に入り、否が応でも目立つのは、やはり所狭しと飾られたフィギュアだった。
割合としては、アニメやゲームに登場するのであろう少女……所謂美少女フィギュアが八割で、ロボットや男キャラクターが二割程度。
「これ全部ご自分で作られたんですか?」
警戒を解す為半分、興味半分で夜が問う。
そんな問いに、2人へのものなのかお茶を準備しているらしい創は、その手を休める事無く答えた。
「3分の1が完成品で、3分の1がガレキとかの組立て、あと3分の1が自作。
っと、最近は完成品がやたら増えたから正確な所は分からん」
青年の言葉に、夜は改めて部屋を見渡した。
が、自作、組み立て、完成品の区別はあまりつかなかった。
ただ、未開封なのかまだ袋や箱に入ったままのフィギュアが部屋の隅に山積みされているのを見て、やたら増えたという言葉についてはなんとなく理解した。
(ふむ? 何か、引っ掛かるような)
先程からの会話などに、夜は自身の頭に何かが過ぎったような、そんな気がした。
だが、思い当たる事はすぐに浮かばなかったので、その思考は放棄して、会話の方を優先する事にした。
「凄いですね……。私、不器用ですから、細かい作業とか苦手で。
こういうの作れる人、羨ましいです」
「ああ、そう……」
「やっぱり綺麗に出来ると良い気分になれるんでしょうね。
あと、これだけ並べると、コレクター魂的にも壮観でしょうし。
とても大切にされてるんでしょうね」
何かを集める、という事の楽しさに関して言えば、夜はよく理解できた。
昔、もっと子供だった頃は、学校で流行っていたキャラクターシールを集めていた事があるからだ。
もっとも、そうして集めたものの殆どは今は何処へやったのか分からないのだが。
いつの間に、何処にやってしまったのだろう、と頭の片隅で考えながらの夜の言葉に、青年の動きが一瞬だけ、ピタリ、と止まる。
「……ああ、そうだな。その筈だった」
「?」
疑問符を浮かべる夜達の前に湯のみが置かれた。
100円ショップに売ってありそうな湯のみの中には、少し色が薄いウーロン茶らしきものが入っている。
「ありがとうございます」
「それで? 何の用事なんだ?」
「それは私からご説明いたします」
3人ともに席に付いた時点で、瑞樹が説明を始める。
E・G・Oの回収を行っている事、その理由(未完成品を売ったのが申し訳ないのでというでっち上げ)などなどを。
「証拠はあるのか?」
黙って話を聞いていた創は、瑞樹が一通りの事情を語り終えた頃にそう尋ねた。
疑問を口にする彼の眼は、こちらへの疑いを露にしていた。
「今日の所は持ってきていませんが、権利証明は出来ます。
不満があれば裁判もどうぞ?」
瑞樹の発言、姿はこれ以上はないというほどの堂々さである。
社会人として働いた場所が壱野家のみだというのが信じられないほどの会社員としての説得力がそこにはある。
瑞樹とは十年来の付き合いであるが、未だに彼女の底は知れないと思う夜であった。
「そんな訳でして。このソフト、回収させていただけませんか?
勿論代金はお返しします。ご希望であればもう少しだけ上乗せも……」
「……そうか」
出来ますが、という瑞樹の言葉を遮ったのは創の言葉だった。
微かな動揺が走る2人を他所に、彼は言葉を続ける。
「来ると思ってたよ。こんなに早いとは思ってなかったけど」
「???」
「正直、少し考えたが、断る。折角手に入れた、この力……」
『願いは何だ……』
「っ!?」
夜がその僅かな音声に気付くも、既に時遅し。
片池創の手には既に何処からか取り出していたRDAが握られており。
夜達の訪問直後に準備されていたE・G・Oが起動している……!!
「渡してたまるか!! コイツらを始末しろ!!」
直後、男の背中から黒い霧が湧き上がり、塊になり、形成されていく。
「くっ!!」
夜は椅子を弾き飛ばす勢いで立ち上がり、すぐさま男を取り押さえようとするのだが……。
「っ!?」
「お嬢様ッ!!」
瑞樹に引っ張られ、それが出来なくなる。
しかし、それは、瑞樹がそう出来なくしたのは、結果としては正しかった。
もし瑞樹の動きがなければ……
2人の目の前に確かにあったはずのテーブルのように、真っ二つにされた後、バラバラにされていただろう。
「大丈夫ですかお嬢様!」
「大丈夫です……助かりました」
「……へぇ、やっぱりな」
パラパラと、砕け散った……というより機械により加工・切断されたような……テーブルの破片が落ち切る頃、
テーブルのあった場所から、テーブルを破壊しつつ現れたソレは確かな形で2人の眼前に立っていた。
言うなれば巨大な人形。
人よりも一回り大きな、球体関節人形の出来損ない。
人形と明確に違うのは、人間にはない尻尾が付いている所だろう。
異様な関節の形状と動きを見せるその人形の至る所からは糸が伸び、ウネウネと蛸の足のように動いていた。
それこそが片池創の”エゴイスト”だというのは疑いようもない。
そんなエゴイストの背後に隠れた創は、ふん、と荒い鼻息を零した。
「あまり驚かない……という事は、やっぱりこの力の事を知ってんだな?
この嘘吐きどもめ」
「……嘘を付いていた事については謝罪します。
ですが、私達は、危険なこの力を……!!」
「集めて独り占めしようってんだろ! そうは行くかぁ!! やっちまえ!!」
夜の謝罪、願いを聞き入れるつもりなどないのか、創が命令を下す。
直後、轟音が吹き荒れ、部屋が破壊されていった。
片池創が大切にしているはずの、フィギュアもろともに。
(……エゴイストの気配!!)
エゴイストの気配が展開されるのを、慧悟は感じ取った。
直後、轟音がアパート内外に響く。
その音は気配より確実に慧悟に異常を伝えた。
即座に2人が入った部屋の方に顔を向けると、入口のドアや周辺の壁がバラバラにされ、もうもうと煙が上がっている所だった。
ソレを認識するのと同時か、それよりも少し早く慧悟は駆け出す。
彼の手には既にRDAが取り出されていた。
『……』
「俺のエゴ。すなわち正義。纏繞転化……デッドコード!!」
慧悟がゲーム音声に応えた瞬間、黒い穴が慧悟の体中に開き、
そこから黒い根が侵食、巻き付き……変化を遂げる。
デッドコードの姿へと、変貌を、纏繞を遂げる。
「壱野さんっ!! 篠崎さん!! 無事か!?」
叫びながら破壊されたドアを越え状況に飛び込む慧悟……否、デッドコード。
乱れた部屋の中。
窓際で化け物の背に隠れている青年、それと対峙している2人の視線がデッドコードを向く。
瞬間。
デッドコードを、その姿を目の当たりにした瑞樹の眼が恐怖に彩られた。
「……っ!?」
「大丈夫です、瑞樹さん。話したでしょう? あれは西木君です」
「あ、あれが……?!」
「……」
状況を見極める為か、2人の無事をとりあえず確認して安堵したのか、デッドコードの動きが停止する。
ただ、その視線は瑞樹に向けられているような、夜にはそんな気がしていた。
「ふん、お仲間か」
停止したデッドコード、言葉を失った瑞樹、状況を”観察”していた夜……3人が生んだ微妙な間に気付かないままに、それを壊す声を上げたのは、エゴイストの主たる片池創だった。
「お前なら、お前を使っている奴なら、分かるだろ?
この力は金で買えるモンじゃない。
人間の枠なんか簡単に破れる凄い力だ。
これは有効活用するべき力だろ。
そうとも、俺はっ!
この力で、もっともっと楽しく暮らすんだ……!!」
「……ああ、知っている。
だが、だからこそ、その力……お前みたいな、欲しいものがある奴には使わせない。使わせるわけにはいかない」
「ちっ、金に眼が眩んで力を貸してるんだな?
もしくは、力を独り占めしようってんだろ?」
「そうじゃない。
その力は、その力じゃ欲望は満たせないんだ。どうやっても」
「何……?」
「一つ訊く。
最近、満たされない、と感じた事はないか?
好きな事を思う存分やっているはずなのに、気分が極端に高揚しなくなった事はないか?」
「……っ!!?」
そんな慧悟の問い掛けに、創は目を見開き、息を呑んだ。
「心当たりがあるなら、それが、力を使うべきじゃない理由だ。
このままその化け物……エゴイストを使えば、取り返しのつかない事になるぞ」
「わ、訳の分からない事を……!!
どうせ戦いを避ける為の理由付けだ!
邪魔するんなら痛い目を見せてやる……!! やれ!!」
エゴイストが身震いする。
次の瞬間、操られるのを待つばかりにぶら下げられた人形、その糸のように、天に向かって延びていた『操り糸』が三人に向けて放たれる。
「気をつけてくださいっ!! あの糸は!」
「ああ」
デッドコードは部屋の惨状から、攻撃をある程度推察していた。
ゆえに、それに対抗する武器を精製する。
「把握してる!!」
デッドコードの右手がピースサインを形作る。
直後、中指と人差し指の間から薄い透明の板が急速に伸び、展開され、剣の……所謂レイピアのような形を作った。
その一見して細く頼りない刃は、部屋中を荒らし、破壊するだけの鋭さを持っていたであろう斬撃を繰り出す糸を、いとも容易く切り裂き返す。
「ちっ!! 今度は撃てっ!!」
糸を迎撃されたと見るや、エゴイストは股間に空いた穴から黒い液体状の弾丸を打ち出した。
「な、何か嫌な攻撃ですっ!!」
「同感だ!! でも白くないからまだマシっ!!」
言いながら背中の排気筒の一本を抜き放つデッドコード。
それを排気が出る方をエゴイストに向け、銃の様に構えた。
正確に言えば、様にではなく、ソレはまさしく銃。
向けた先から、灰色の光弾が打ち出され、黒い液体を悉く撃ち落した。
「ちぃっ!!」
「ふぅ、危ない危ない。あれを女性陣には当てるわけには行かないな」
「いや、そういうものじゃないから。って、お前らも分かってたよな?」
「……二人とも、大丈夫か?」
創の発言をスルーしつつ、かつ油断なく状況を見据えながら、慧悟は二人に問い掛けた。
「は、はい」
「なんとか。……瑞樹さんがフォローしてくれたので」
「そうか、それは良かった。……さて、どうしたもんか」
慧悟としてはこの状況は余りよろしくなかった。
庇う対象があるこの状況では決め技であるルナティックデバッガーは使い難い。
というより、あの技に移行するまでの流れを作り難いのだ。
対する創、そのエゴイストも難しい状況にあった。
いきなり現れた同類は的確にこちらの攻撃手段を推察、迎撃している。
なんというか、戦い慣れている印象があった。
……実際の所、慧悟が戦い慣れているのは事実なのだが、それを創が知る由はない。
ともあれ、そうして両者が膠着状況にある内に壊れた入口や窓の外から覗く人間……野次馬が現れ始めていた。
「な、なんだ? 何かの撮影?」
「にしてはハデじゃね?」
「ばっ、化け物が二匹……?」
「何、化け物?!」
時折聞こえてくる『化け物』という単語。
確かに言わんがする事は分かる。
夜自身、初めて見た時は近い印象を持った。
だが違う。
エゴイストとは違い。
デッドコードは、西木慧悟がエゴの姿を纏っているだけ……人間なのだ。
それを、今の夜は明確に理解していた。
「は、早く警察を呼べよ!! あの化け物どもをなんとか……!!」
「違います……!」
だから。
堪りかねて、夜は声を上げた。思わず上げていた。
「この人は、化け物なんかじゃ……!!」
「い、今だ、逃げるぞ!!」
夜の声に皆の意識が……
慧悟の意識さえも向いたその隙を突いて、
蜘蛛の様な体勢を取った人形の背に乗った創は、エゴイスト共々既に半壊していた窓を、更に破壊しながら飛び出し、逃走を開始した。
「ちっ! 逃がすかっ!!」
後を追って窓から飛び出そうとするデッドコード。
そんな彼の背に夜が慌てて声を掛けた。
「待ってください! 私も行きます……!!」
「でも……」
「邪魔になる、のは分かっています。
でも……見届けなくちゃならないような、そんな気がするんです……お願いします!」
視線を交わしたのはほんの一瞬。
自分を見据える夜の視線から、彼女が退かない事を察したデッドコードはすぐさま決断を下した。
「……分かった。少し恥ずかしいけど、それでもいいか?」
「え? ええ……きゃっ」
彼の言葉が何を意味しているのか分からず考える夜だったが、それを即座に把握する事態となった為、結果的にそれは無駄な思考となった。
そう、お姫様抱っこである。
「嫌ならやめておくけど」
「い、いえ、このままで構いません。瑞樹さんは……」
「私もリムジンで追います。に……デッドコード様、お嬢様をお願いします」
それと、その、さっきは……」
「……気にしないでください。当たり前の反応ですから。では、行きます」
そうして、エゴイストを追うべく、
夜を抱きかかえた状態のデッドコードは、窓をこれ以上破壊する事無く、街へと飛び出していった。
「壱野さん、大丈夫か?」
家の屋根や壁を蹴って、同様に移動しているエゴイストを追うデッドコード。
夜の目には風景が線の様に流れていくように見えた。それほどに彼らの移動は速かった。
「ええ、大丈夫です」
しかし、不思議と揺れは少なく感じられた。
速度とは裏腹に、自身に掛かる負担は殆ど無い、そう言っていいレベルのものだった。
「そうか。衝撃を最小限に抑えてたつもりが、つもりでなくて安心した。
あと、話しかけといてなんだけど、舌噛まないよう気をつけて。
今からもう少し速度を上げる」
「は、はいっ!?」
直後、デッドコードの動きが、さらに、段違いに上がる。
移動についてのある程度のコツを掴んだのか、エゴイストとの距離がぐんぐん詰まっていく。
「くそがぁ!! やれ!! アイツラを撃ち落せ!!」
エゴイストの尻尾が変形し、組み変わり、新しい頭部を作る。
その頭部から、カチカチと歯をぶつけた事で生み出された火炎の弾丸が何発も発射されていった。
そうして、デッドコードを狙っていると思しき炎弾の群れが、デッドコードならびにその周囲に降り注がんと迫り来る。
「っ!! 西木君っ!!」
「分かってる! させない!!」
肩近くの排気筒の一つが独りでに動き、銃口を炎へと合わせる。
そのまま肩越しから灰色のエネルギーの塊が撃ち出され、炎を吹き散らしていく。
撃ち出された光弾の命中精度は極めて高く、炎をただの一発も逃がさなかった。
そんな攻防を目の当たりにして、夜は思わず叫んでいた。
「どうしてこんな事を!? こんな事をすればどうなるか、少し考えれば分かるはずなのに!」
今彼が行った事は、単純に火事を起こしかけた事だけに留まらない。
こうして日の当たる場所でこんなにも目立つ事をやれば、多くの人の目に触れる。
その結果最終的にどうなるのか、想像すらしない、出来ないはずはない。
如何にエゴイストが強力でも、それを生み出しているのは生身の人間。
それが単独であり、素性が割れているのであれば、最終的な被害の増加を省みなければいくらでも対処法は存在するだろう。
その先に待つのは……恐らく虚しい結果だけだ。
いや、そもそもにして。
彼は自身が大切にしていたであろうフュギュアを、部屋ごと破壊している。
おそらく、エゴイストの力で奪い、盗んできたのであろうものを。
そんな、追い詰められているだけでは説明し辛い片池創の過激な、短絡的とも言える行動に、夜は驚いていた。
「自分のエゴを形にして使う、というのはこういう事なんだ」
「え?」
迎撃を続けながらのデッドコードの、慧悟の答に、夜は思わず声を上げていた。
デッドコードは、速度を維持したまま淡々と呟きを続ける。
「一時的にでも、自我を、エゴを放出してエゴイストを形作る。
それは、自分の中からエゴを解き放っているという事。
解き放たれたエゴは、物質としてこの世界に確かに顕現、実在する。
でも、それゆえにエゴイストを使っている間、その人間のエゴはガランドウになる。
だから、エゴの力を使っても、それで欲しいものを手に入れても、心は乾き続ける。満たされないんだ」
「!!」
「その満たされなさを満たすために、よりエゴの力を使い、欲望を満たそうとする。
でも、エゴの力を使う限り、完全に満たされる事はない。
それゆえに、混乱していく。
大事なものが、大事だと思えなくなる。
わけが分からなくなり、徐々に人としての形が崩壊していく。
自分自身さえ省みれなくなる。
エゴの力を使う事をやめられないままに。
そうして、エゴイスト顕現の度にエゴを形作る魂や心、命は消耗され、エゴイストを使っていなくとも、乾くようになる。
一度エゴの力を使えば、もう理屈じゃなく、ただ只管に引きずられるだけなんだ。
そして、それが限界まで達すれば……エゴイストの方が、本体に成り代わるだろう。あらゆる意味で」
「そんな……」
慧悟が語った事は、恐らくどうしようもなく真実だ。
何故なら、それが事実なら腑に落ちてしまう。納得出来てしまう。
大切だったはずのフィギュアを自らの手で壊してしまった片池創の行動も。
理想の恋人を追い求めながらも、歪な願いの先に、そうなってほしいと願った少女達を傷つけた世田大の行動も。
ふと、自分を抱きかかえるヒトの顔を、夜は見上げた。
ソレは。
目の前の彼も同じなのだろうか。
彼もいずれは……。
「こ、この野郎っ!! ! あっちだ! あっちも狙え!!」
そんな中、いよいよ追い詰められつつあった創は、何を思ったのか、単なるやけくそか、デッドコードだけではなく地面をも指した。
そうして撃ち出された炎弾の先にはデッドコードと、たまたまそこを通り掛っている母子がいた。
「通行人に!!?」
「くっ!!」
即座にデッドコードの放ったエネルギー弾は、3発。
1発はデッドコードを狙った炎弾を撃ち落とし、1発はエゴイストに当たり、エゴイストを屋根から地面に撃ち落とす事に成功した。
だがもう1発は、親子を狙った炎弾を狙った光弾は、焦りゆえか外れてしまい、地面を抉るのみだった。
結果、炎弾の勢いは削ぎ落とされる事無く、変わらぬ速度で親子に突き刺さらんと空を裂く……!
「当たるっ?!!」
「させるかぁあっ!」
咆哮と共に、いや咆哮より速く、デッドコードの姿が変わる。
世田大のエゴイストを倒した時の形態へと。
瞬間、デッドコードの身体能力が飛躍的に上昇する。
それは、10の力を100にし、100の距離を10にする形態。
その力を存分に発揮した結果。
「……間に、合った」
デッドコードは、炎弾を背中に受けて、親子を庇う事に成功していた。
痛みが無いわけは無い。
着弾の瞬間、慧悟が上げた苦悶の声を、夜は聞いている。
「大丈夫ですか?」
それでも、そうして痛みを感じる中でも。
炎弾の接近に、あるいは化け物の存在に驚き、転んでしまっていた母親に、デッドコードは優しく声を掛けた。
しかし。
「う、うわああああああっ!」
デッドコードの異形を目の当たりにした子供は、泣きながら母親の前に立った。
デッドコードから母親を守るように。
そして、子に庇われた母親もまた、こう叫んだ。
「やめてっ!! その子に手を出さないで!」
「……」
母親の言葉を受けて、デッドコードは頷く。
手を出さないという言葉への肯定?
いや、違う。それも含んでいるかもしれないが、そうではなく。
二人の無事を確認できた事に頷いたのではないかと夜は思った。思えてならなかった。
「ここは、危ないです。早く逃げて」
言いながら、デッドコードは抱えていた夜を地面に下ろす。
そうして、自身を見上げる夜にデッドコードは言った。
「あの親子さん達をお願い」
「は、はい! 立てますか?」
「……さて」
母親を立たせ支える夜の姿を横目で確認した後、デッドコードは向き直った。
地面に落ち、転がった事で足を挫いたのか捻ったのか、
身動きが取れない創と、その創の前に立ち、庇おうとするエゴイストに。
「く、くそ、俺は……!
まだなんだよ! まだたくさん集める……創る、そうでないと……!」
「問答無用ッ!!!」
創の言葉を完全に遮り、打ち消した後、デッドコードは宣言する。終わりの言葉を。
「我侭の時間は終わりだ」
再びデッドコードの姿が変わる。
無貌の奥にある両目に赤い光が灯り、背中の排気筒が展開されていく。
「こ、殺せぇぇぇぇっ!!」
「させるかっ!!」
疾風迅雷の速度でエゴイストへと駆け出したデッドコードは、
人間の目では追えない動きで、エゴイストから放たれた全ての、全種類の攻撃方法を切り裂き、打ち砕き、撃ち砕いた。
回避も出来た。
しかしそれでは背後にいる夜達を巻き込む。ゆえに全てを迎撃したのだ。
そうしてエゴイストとの距離を詰めたデッドコードは、エゴイストを空中高くへと蹴り上げた。
「ルナティック……!!」
そうして無防備に、回避出来ない状態になったエゴイストに跳躍し、追いつき、大きく上半身を反らし。
「デバッガー!!」
反らした分の力を込め、白い光に染まった頭を振り落とし、粉々に、砕く……!!
「が、あ……っ!?」
ガラスが割れ、砕かれるような音がした直後。
その音が示すようにエゴイストが粉々に砕かれた影響を受けて、男は崩れ落ち、RDAを取り落とす。
そうして地面に落ちたRDAを。
「デバッグ、終了……!」
着地するついでと言わんばかりにデッドコードが踏み砕き、RDAもろともゲームソフト、E・G・Oは粉々になった。
『……』
デッドコードは、言葉無く自身を見ている3人の視線に気付きながらも、何も言わず、振り返りもしなかった。
エゴイストがいなくなった以上、今の姿の自分が、彼女達に出来る事、言える事など何も無い。
少なくとも慧悟はそう思っていた……。
それから約十数分後。
「やれやれ……」
自分達が呼んだ救急車に搬入される片池創を、
既に纏繞を解いた慧悟と夜は少し離れた角から半ば身を隠すように眺めていた。
姿を変えていた慧悟はともかく、夜はあの場所にいた事をそれなりに目撃されている為、距離を取っているのである。
「西木君……あの……」
夜は、色々な所に隠している便利道具の一つであるオペラグラス……
救急車の中の様子まで見ていた……を仕舞っていた位置に戻した後、慧悟に声を掛けた。
いや、正確に言えば掛けようとした。
だが上手く言葉にならなかった。先程から、ずっとそうだった。
そんな夜に、慧悟は言った。
「気にしなくていい。言われ慣れてる」
慧悟の言葉は、確かに夜が言葉にしようとして出来ないでいた事柄……少なくともそれにまつわる事への言及だった。
だが、慧悟があっさりとそれに見当をつけて答えてみせた事が、逆に夜を不安にさせた。
それこそが慧悟が本当は気にしている証明なのではないか、と。
「……そんな事より、直接的な人的被害が出なくてよかった」
淡々とそう言いながら慧悟は夜に背中を見せる。
周囲の状況、被害を確認しているらしく、キョトキョトとあちこちに視線を向ける慧悟。
その為に背を向けただけ。
そう分かっているのだが、先程からの思考のせいか、何故か、ただ背を向けただけのはずなのに、彼の背中は酷く寂しそうに夜には見えた。
「間接的にも無いみたいだし、うん、よかった。
今後はもう少し接触に気をつけないと。
その辺り、正直俺の考えが浅かったよ。
2人を、周辺住民を危険に巻き込んじゃったし」
「……」
夜が未だ何を言うべきなのか分からずにいた、そんな状況の中、近くの角から現れた車が2人の近くで停車した。
他ならぬ、壱野家のリムジンである。
そのリムジンのドアの1つが開く。
中から慌てた様子で現れたのは、当然ながら篠崎瑞樹だった。
「西木様、お嬢様、お怪我はっ?!」
「瑞樹さん」
「篠崎さん。ええ、大丈夫です」
「そ、ソレは何よりです。
……すみません、取り乱しました。
そろそろ警察が来ます。ここは一旦離れましょう」
「うーん……本当はある程度事情説明とかしたいんだけど、今後の事を考えるとしょうがないか」
「……そう、ですね。行きましょう」
そうして事件関係者を乗せたリムジンは逃げるように(というか実際逃げているが)その場を後にした。
その後、彼らが向かったのは慧悟の家。
元々今日の事が無事に終わったら家まで送る事になっていたのである。
「わざわざ家まで送っていただいてありがとうございます。沖さん、篠崎さん、壱野さん」
送り届けられた西木家玄関前で、慧悟は3人に頭を下げ、別れの挨拶を告げようとする。
「今日は、ご迷惑をお掛けしました。
じゃあ、その、これで……」
「あ、あの、ちょっと待ってください」
「ん?」
回れ右して家に入ろうとした慧悟の動きは、夜の制止で止まった。
「その、お聞きしたい事があります」
「……別に、いいけど」
小さく首を傾げる慧悟。
その向こう側、夜の背後では、瑞樹と実が無言でリムジンへと乗り込んでいった。
自分達がいては話し難い事の可能性を考え、気を遣ったのだろう。
夜は、日頃から二人のそういう気遣いに助けられている事を改めて実感する。
帰ったらお礼を言おう、そう思いながら夜は慧悟への疑問を口にした。
それは先刻の事件の後失っていた言葉の代わりでしかなかったが、訊かなければならない疑問でもあった。
「エゴの力を使えば、満たされないのは、デッドコードも同じなんですか?」
「……ああ、うん。そうだ」
何処か躊躇うような夜の問いに対し、あっさりと慧悟は答えた。
まるでなんでもない事のように。
その事に内心動揺を隠せない夜を尻目に、慧悟は淡々と言葉を続けた。
「エゴを制御できるのがデッドコードだから、
エゴイストに比べたらマシというか最小限なんだけど、空虚感って言うのかな。そういうのはある。
前に比べて、感情の触れ幅は少なくなった気がする。
誰かの力になれても、なんか、心が軽くて、実感がないんだ。
今日みたいに戦ったりする分にはその方がいいのかもしれないけどね」
そう言って、薄く笑う慧悟。
浮かべた彼の笑みは嘘くさい……というか、何処か薄く、希薄なものだった。
そんな慧悟の笑みを見て、彼の妹、流理が言っていた事を夜は思い出した。
『あんまり笑わなくなったと言うか、楽しそうじゃなくなったというか。
元々分かりにくい人なんだけどそれがますます分からなくなって……』
デッドコードとして戦う事で、慧悟は削られている。
しかも、それは決して誰かに賞賛されたりはしない。
彼が今現在やっている事。それは表立って出来る事ではないからだ。
仮に、それが出来るようになったのだとしても。
『化け物』
表立ってそれを行った時は、あの姿がネックになってしまう。
誤解を受ける、敬遠されてしまう姿、異形なのは紛れもない事実だから。
今日の瑞樹がそうであったように。
何故あの姿なのか、夜には理解できなかった。
あれが慧悟のエゴの姿というのを、夜は認められなかった。
もっともっと、綺麗な、カッコいい姿でいいはずなのに。
だが。
仮に、慧悟の姿が夜が思い描くような姿であったとしても。
あるいは、姿への偏見を通り越して、誰かに賞賛されるようになったとしても。
今度は慧悟自身の、それらを感じる為の感覚や感情が削られていて。
「それで……」
「?」
「それでいいんですかっ!?
そんなの、なんか、悲しいです……
あんなに頑張って、ひどい事も言われて、それでも……満たされなくて……そんなの……」
誰かの為に戦う慧悟への見返りは何もない。
強いて言えば”自己満足”がそうなのかもしれないが、
自分の理解が正しければ、その自己満足さえ満足に出来なくなる。
エゴイスト、デッドコードになる、その力を使うという事は、そういう事のはずだ。
それでは、報われない。
あまりにも、報われなさ過ぎる。
そんな思いと共に吐き出した夜の言葉を受け止めた慧悟は、何かを少し考えるように、あるいは彼女の言葉に聞き入っているように、数瞬瞑目した。
そうした後で、開いた目で真っ直ぐに夜を見据え、慧悟は言った。
「……怒ってくれて、悲しんでくれて、ありがとう。でも、俺はそれでいいんだ」
「……」
「満たされなくても、いい。
そもそも、全部満たす必要なんか、なんか何処にもないし。
ただ、それでもやりたいって、ほんの少しでも誰かの役に立ちたい、助けになりたいって、俺が勝手に思ってるだけだから」
「っ!」
ああ、そうか、と夜は感じていた。
慧悟の言葉に反射的に反発しようとして出来ない、逆に彼の言葉になんとなく納得してしまう自分が心の何処かに存在している事に、夜は気付いた。
何故なら、それは自分と同じだから。
根本的な方向性は、違うのかもしれない。
それでも同じだ。
自分の行動の結果が、自身にとって良い方向として返って来なくても構わないという考え。
それは、贖罪にならなくても贖罪を求める、自分の形と同じなのだと理解したから。
だからきっと、慧悟を止める事は出来ないのだ。
今の自分が……壱野夜がやってきた『何でも屋』や、エゴイストが関わる事件を追いかけているのを、止められないように。
「……」
「……壱野さん、覚えてる?」
そうして言葉を失っていた夜に、慧悟が言葉を掛ける。
先程からの、穏やかな声音のままに。
「え?」
「今日の放課後、俺が、急に君が俺のそばにいない方がいいって言った事。
なんであんな事を言ったのか、今になって分かった気がする。
俺は、俺はきっと怖いんだと思う。
いつか何も感じなくなってしまって、親しい人を傷つけたりするのが。
今みたいに俺の事を心配してくれた、優しい壱野さんを傷つけるのが怖いんだと思う」
「……」
「やっぱり、君は俺の近くにいない方がいいと思う。
なんだか余計な事を考えさせるみたいだし。
エゴイストの事は全部終わるまで、協力は、してほしいんだけど……基本的には。
身勝手で悪いけど」
「……あ、あのっ……」
「じゃあ、その、バイバイ」
そう言って、慧悟は夜が言葉を捜しているうちに背を向け、そそくさと家の中へと入っていった。
夜が何か言い掛けていたのを、知っていたはずなのに。
夜が慧悟を掴もうとしてか、手を伸ばしかけていた事には、気付かないままに。
「……」
「お嬢様……」
慧悟が家に入って暫し。
戻らない夜を心配して車内から瑞樹が声を掛ける。
そんな瑞樹に答えてか、単なる独り言なのか、その場に立ち尽くしていた夜は口を開いた。
「……納得、出来ません」
「え?」
「私、納得出来そうにないです。ええ、もう、絶対に」
慧悟の消えた玄関を真っ直ぐに睨み付けて、夜はぶつぶつと何事かを呟き続ける。
瑞樹は、そうして一人呟く夜の背中にどことなくなんとなく慧悟の姿をダブらせつつ、声を掛けるべきなのか図りかね、途方に暮れた。
翌日。
昼休みに入った教室の中、慧悟は1人ぼんやりと弁当を広げていた。
そうして、自分の席で食事を始めようとした時、慧悟の前、空席だった其処に誰かが座った。
前の席の住人でである藤原はこの時間帯は学食でいないはず……そう思って慧悟が顔を上げると。
「こんにちは。昼食ご一緒してもいいですか?」
ニコニコと笑顔を浮かべた壱野夜が座っていた。
当然と言うべきか、昨日と同様に教室内の空気がざわつく。
が、彼女はまるで気にも留めていない。
「そこは藤原の席……」
「彼女に許可は取りました」
「昨日の事は……」
「ちゃんと覚えてますよ。その上で私はここにいます」
「えと、その」
「一応言っておきますが、私は傷ついたりしませんよ」
「……ど、どうして?」
「貴方が、色んな意味で変人で、不器用だけど、優しくて、いい人で、正義の味方だって、知っているからです」
「……正義の、味方?」
「言ってるじゃないですか。俺のエゴ、すなわち正義だって。
なら、ソレを守る貴方は、正義の味方です」
正義の味方。
昨日までは躊躇って言えなかった事を、今度は迷う事無く口にした。
躊躇っていたのは、慧悟の本質が分からなかったから。
本質がハッキリと分からずにそう言い切って、決め付けてしまうのが、嫌だったからだと夜は気付いた。
自分と同じものを、近い方向を見ていると勝手に決め付けて、勝手に信用して、
万が一裏切られた時勝手に落ち込みそうな自分が嫌だったのだと。
でも、もう躊躇わない。
ただ自分が嫌だと思うだけで、今目の当たりにしている”納得出来ない事”を納得出来ないままにしたくはない。
「正義の味方が、誰かを無意味に傷つけたいなんて思ってるわけありません。
だから、ソレを知ってる私は傷ついたりしません」
「いや、その、確かに、俺は、そういうのになりたいと思ってはいるけど……
というか褒めすぎだと思うけど……」
「そんな事はないと思います」
「……あー。えと、俺は、その。そうだ。
一緒にいても別に面白い話題とかないし。話下手だし。多分変な事言うし」
余程夜を傷つけたくないのか、そんな事を言い出す慧悟。
慧悟のそんなあたふたとした様子が、こちらを気に掛ける優しい心が、夜には微笑ましく思えた。
だから夜は、その心のままに慧悟に微笑みを向けながら、それでいてキッパリとした強い声音で告げた。
「そんなの、気にしなくていいんです」
「なんで?」
「話下手でもいいんです。
友達と一緒の時間を過ごすのに、いちいちギャグやネタはいらないでしょう?」
「……友、達? 俺と君が?」
「はい。私・壱野夜と、貴方・西木慧悟は友達です」
そう。
夜には納得出来なかった。
こんなにも素敵な人間の側に誰もいないなんて。
友達になれないなんて、親しくなれないなんて、どうしても納得が出来なかった。
「……嫌、ですか?」
「そんな事は無いけど。むしろ嬉しいけど。でも……」
その先の言葉は、昨日と同様、周囲が向ける目が壱野夜に与える影響を気にしてのものなのだろう。
だが、その心配は無用のもの。
だからこそ、夜は迷い無く慧悟の言葉を遮った上で言った。
「なら、いいじゃないですか。周囲の事は関係ありません。
私が貴方を友達だと思い、貴方が私を友達だと思う。
それ以上の事が必要ですか? 貴方はそう思っていますか?」
夜の問い掛けに、慧悟は少し悩んだ末、渋い表情を浮かべながら答えた。
「いや、思わない」
「ですよね。貴方はそういう人だと思ってました」
西木慧悟なら、そう思う筈だ。
そして、こうして真正面から問い掛けられた以上、答えたくなくても真正直に答えるしかない筈だ。
その確信から組み立てた会話の流れに、少しの満足と、少しの自己嫌悪を織り交ぜた感情が湧き上がるのを感じつつ、夜はその感情を無視して、一番優先すべき思いと共に慧悟に向けて右手を広げ、差し出した。
「じゃあ、これからは友達という事でよろしくお願いします、慧悟君」
昨日は微妙な距離を取られて戸惑い、なんとはなしにそのままにしてしまった。
手を伸ばす事にを躊躇っていた。
だが、今日は違う。
慧悟が自身から距離を取るのなら、自分からその距離を詰めればいい。
それこそが、慧悟の危惧した形では自分は傷つかない、という何よりの証明になるはずだから。
「……」
そんな思いと不安で差し出された夜の手、彼女の心。
彼女の正確な感情を慧悟は推し量れない。
だが、正確に推し量れなくても、分かる事はある。明確な事はある。
そうして下した答と思いのままに 慧悟は恐る恐る右手を伸ばし……夜の手を握り、握手を交わした。
「……あーその。えと。よろしく。壱野さ」
「慧悟君?」
「……あー……夜、さん」
「はい。呼び捨てでも構いませんよ?」
「さん付けでいい。その、なんだ。照れ臭いよ、今はまだ」
「そうですか。
……実はそうされたら私もちょっと照れてたと思うんで助かりました」
「そ、そう」
「はい。じゃあ、昼食にしましょうか」
「……うん。そうしよう」
そうして、それぞれの笑顔を浮かべながら、2人は握っていた手を離した。
少しの名残惜しさと、照れ臭さを感じながら。
「では」
「うん」
『いただきます』
そうして昼休みは過ぎていく。
その短い時間の中でも夜は知っていった。
西木慧悟。
彼の事はまだまだ分からない事だらけだ、と。
でも、これだけは言える。
彼は正義の味方。
そうなりたいと、そうなろうという正しい方向へと進む心を持っている、優しい男の子。
それが分かっていれば十分だと、
彼となら一緒に事件に立ち向かえると、
友達になれる、親しくなれると、夜は思った。強く強くそう思えた。
……続く。