第四話 似て非なる者達(前編)
学校の中で特に騒がしい場所は何処か。
それは学校によって様々なのだろうが、この学校においては今自分たちがいる学食が上げられる可能性が高いだろう……壱野夜はそう考えていた。
その推察が間違っていないだろう騒がしさに溢れた学食の一角に、先日の事件で誘拐された女生徒達と夜、鶴素子、西木慧悟がいた。
他の席が昼食中らしい喧騒にある中、なんとも気まずげな空気がその席付近には漂っていた。
「えーと、その。この間はありがとうございました」
「……礼を、言われるような事は……してないよ」
女生徒の1人が代表する形で告げた言葉に対し、ボソボソと答える慧悟。
夜が目の当たりにした先日の勇ましさはそこにはない。
むしろ発する空気・雰囲気が陰気で、そのせいなのか、なんというか話が続かない。
そんな様子に、この場を企画した夜は心の中だけで溜息を吐いた。
世田大が起こした事件から約1週間が過ぎていた。
あの事件については、開放された女子生徒達の証言から大が犯人である事が確定。
翌日、病院にいた大に意識が戻り、身体的には特に問題がない事もあり、彼はしかるべき場所へと移送された。
だが、現在大は事件への関与について否定している。
というより、正確な事実を答えられないでいる。
慧悟の語ったとおり、事件の事……『エゴイスト』に関する全てを忘れ去っていた為である。
しかし、夜が集めていた証拠や女生徒達を始めとする数々の証言もあるので、いかに否定しようとも言い逃れは不可能に近い。
最終的には少年院送りになる可能性が高いだろう、というのが夜の知り合いである刑事の言葉である。
デッドコード、西木慧悟について、夜は警察には語っていない。
まだ慧悟から詳しい話を聞いていない事、
既にエゴイスト……化け物について夜、警官、少女達が話しているものの、未だに信じてもらえていない事から、
信憑性が薄く、警察などのリアクションが期待できないからでもある。
E・G・Oという証拠がありはする。
しかし、それを証拠とするには”実演”する必要性がある事を否めない。
そこまで行う事に対してのリターンがあるかや、危険性など……あの力が如何なるものなのか分からないので……を考え、まだ話せないと夜は判断したのだ。
閑話休題。
そんなこんなで、引っ掛かる点が多少あるものの、
事件そのものの後始末は完璧とは言えないまでもある程度進み、
被害者達の状況もまた落ち着いたのでこうして話せるようになった。
なお、女子生徒達は服を脱がされてはいたもの、
最終的な意味合いでの性的な被害はなかったとの事で、夜は安堵していた。
更に言えば、夜の想像よりは彼女達の心身のダメージは少ないようだった。
彼女達が一種監禁状態にあった間、世田大がちょくちょく僅かな水や食べ物を持ってきて、与えていたらしかったからだ。
彼女達にとっては、大により心身に傷を負わされた事に変わりはない。
ソレはどうやっても覆せない事実だ。
そう分かっているのだが、それでもソレは、大の最後の良心だったのではないか……夜はそんな希望的観測を抱いていた。
「ね、ねぇ? ホントにこいつが?」
そんな思考をしていた中、助けられた女子の一人・狭山明子が夜に問い掛ける。
「ええ、貴方達を助けるのに彼の力は必要不可欠でした」
頷いてからの言葉の内容は紛れも無い事実である。だがしかし。
「……」
慧悟は彼女達の視線など意に介さず、黙々と食事を続けていた。
そもそも、彼のビジュアルは女の子受けするものではない。
話し難さもあって、淡々と食事は続き、女子達の食事が終わる。
それと同時に彼女達は席を立った。
「じ、じゃあ、私達はこれで」
「お礼は言ったからこれでいいでしょ?」
そうして誘拐された女の子達は去っていった。
何処か余所余所しい、少し逃げるような空気を漂わせながら。
「え、えっと、ありがとうございました。私からも言わせてください」
「……さっきも言ったけど、別に、気にしなくて……いい」
唯一残っていた素子の言葉にも、慧悟は淡々と、愛想のない小さな言葉で返すだけだった……。
「失礼な言い方になりますが……なんというか、もう少し、その……話せませんか?」
学食前で素子と別れた後、二人は揃って教室へと歩き出した。
帰るのが同じ教室である以上、別々に帰る理由もないからだ。
勿論、夜としては慧悟に聞きたい事がたくさんあったからに他ならない。
しかし、それはそれとして、まずこの話し難さをどうにかできないか。
そう考えた末の夜の言葉に対し、慧悟は少しの沈黙の後小さな声で返した。
「……慣れてないから。女の子に」
「西木君、妹さん、いらっしゃいましたよね?」
以前の出来事を思い返して呟く夜に、慧悟は「……妹は、別だよ」とボソボソと答えた。
「そういうものですか。一人っ子なのでよく分かりませんが」
「多分、そういうもの。……その……あれだ。
壱野さんは、俺と一緒に歩いてていいのかな」
「何の事ですか?」
夜がそう問い掛けると、慧悟は偵察でもしてるのかとばかりにキョトキョトと周囲に視線を流しつつ言った。
「……結構、視線浴びてるから。いつもより。君は、綺麗だし。注目されてるし」
「クラスメートと歩いてるだけですから。
それに、命の恩人を邪険に扱うなんて嫌です」
「そっか」
キッパリとした夜の言葉に、慧悟は何処となく安堵したような声音を零した。
「そう言えば、私はちゃんと御礼を言ってませんでしたね。
本当に、ありがとうございました」
「いや、こちらこそ。
正直君がいなかったら、もう少し解決に時間かかってたかもしれないし」
「どういうことです? ……ああ、そういうことですか。
あの日、あの場にいたのは偶然じゃなくて、私達をつけてたんですね?」
「……いや、そうじゃないよ。
君達を尾行しようと思っていたのは事実だけど、出来なかった」
「そうなんですか?」
「ああ、うん。そうだね」
なんとも変な返し方だったが、そこを突っ込むと話が途切れそうだったので夜は黙っていた。
その沈黙の判断が正しかったのか、慧悟は夜が思ったよりも早く口を開いた。
「実の所、あの日以前で世田大が犯人なのは俺の中では確定してた。
女子との繋がりについては色々聞いて廻ってたし、
エゴイストを使ったと思しき周辺で彼の姿を目撃してたし。
誘拐前に川上さんにも忠告はしたんだけど、聞き入れてもらえなかった。
……結果、彼女にも怖い思いをさせたのは、完全に俺の落ち度だけど。
だから、これ以上被害を増やすまいと、
世田を張ってたんだけど……知っての通り急いでいたら絡まれて。
放課後の世田の動き、ひいては君の動きを知る事が出来なかった。
放課後は放課後で、ホームルームの後で尾行しようと思ってたんだけど、
荷物をまとめてる間に君達はいつのまにかいなくなってたし、
昼間の彼らに話し掛けられるしで見失ってしまった。
だから、以前エゴイストの気配を感じた辺りを動き回る事しか出来なかった。
それでも、どうにか間に合ったのはよかった。
出来れば君にも怖い思いはして欲しくなかったけど」
なんというか、非常に分かり難い。
整理すると、慧悟は大が犯人だと掴んでいたものの決定的には出来ず、あの日も後手を踏んで、尾行が難しかったという所か。
ただ、夜としては気になる事が一つあった。
「エゴイストの気配って……西木君は、あの化け物の居場所を感じ取れるんですか?」
「常に、というわけじゃない。
誰かが、エゴイストを呼び出した瞬間だけ分かるって位。
しかも距離はある程度限定で」
「その瞬間だけ、ですか。なるほど、それなら色々辻褄は合います」
「だから、運が良かっただけだよ。礼を言われる事じゃない」
「そうは言いますけど、貴方がそもそも探す気がなかったら間に合ってもいなかったわけですから。
それに助けてもらった事に変わりありませんから。やっぱり、ありがとう、ですよ」
「……そう言ってもらえると、助かる」
言葉の直後、慧悟は視線を再度キョトキョトと彷徨わせた。
先程とは違い、何処となく落ち着いておらず、アタフタとした様子で。
もしかして、照れているのだろうか?と夜は考えた。
殆ど顔が髪に隠れている事もあり、よく分からないのだが。
「一つ聞いて良いですか?」
「……どうぞ」
「そもそも、どうして事件を追っていたんですか?」
「……泣いてたから」
「え?」
「君に最初に依頼をしてきた子が泣いてたから。
悲しんでいる誰かがいるって知ったから。
……もっと早くに気付けたらよかったんだろうけど」
少し熱の篭った言葉に、ふとデッドコードとエゴイストの戦いを思い出す。
大に対し、間違っている事に怒りを露にする姿を。
彼は、正しい事を貫きたい人、なのだろうか。
自分と似ているのだろうか?
あるいは……。
色々な疑問が湧き上がり、彼女の中で膨れ上がる。
だからこそ、西木慧悟と話したいと思った。
エゴイストの事だけではなく、彼自身の事も含めて。
「……正直、もっと色々聞きたい事とか出てきたんですけど、ここじゃ難しいですね。
今日の放課後、お時間ありますか?」
「あんまりないけど、ないこともない」
「どっちなんですか?」
「……今日は作るよ」
「時間を作る……お付き合いいただけるということでいいんですか?」
「ああ、うん、そう」
なんというか苛つく、とまでも言わないまでも引っ掛かる話し方なのはいただけない。
自分の都合で申し訳ないのだが、もう少し話し方を考えてくれると助かるのだが。
命の恩人に対し、そんな自分勝手さを押し付ける事を考えている自分に少しうんざりしつつも、夜は言った。
「では、今日の放課後裏門でお待ちいただけますか? 用事を済ませてから行きますので」
「うん」
そうして約束を交わした直後、教室に到着した2人はそれぞれの席に座る。
次の時間の教科書とノートを机に出した直後、
夜がなんとはなしに慧悟の方を見ると、彼もこちらに視線を向けていたらしく、目が合った瞬間、彼は慌てて眼を背けていた。
(……怖いのかな、女の子、ううん、人が……)
アレだけ強いのに不思議だ。彼はもっと堂々としていていい。
慧悟の事がよく分からないなりに、なんとなくそう思う夜だった。
「じゃあ、今日は用事があるのか」
友二の言葉に、夜は頷いた。
そこは体育館。
放課後、そこではバスケットボール部の練習が行われていた。
夜がここに来たのは、友二への連絡の為だった。
夜に用事がない時などは図書室での勉強の後、下校時間が重なることもあり、一緒に帰る事も多いので、一応話しておくべきかなと思ったのである。
そんな2人の姿に、彼女達が付き合っているのではと思う人間も少なくないが、そうではないのは本人達が一番よく分かっている。
フィクションなどでは異性の幼馴染はよく恋愛対象になるが、現実は必ずしもそうではない。
彼ら2人もそうであるだけだ。
「そうか、じゃあ気をつけてな」
「うん。友二君も頑張って」
そうして幼馴染に別れを告げた夜は、待ち合わせ場所である裏門へと向かった。
夕焼け色に染まる裏門では、既に来ていた慧悟があくびをしていた。
「すみません、お待たせしました」
「……。いや、なんだ、その、そんなに待ってない」
夜の声に反応してだろう、慧悟は慌ててあくびを噛み殺す。
あくび位でそんなにビクビクしたり慌てたりしなくてもいいのに、と思う夜。
その一方で、夜は慧悟がどうも挙動不審な……小刻みに視線を彷徨わせたり、頬を掻いたり……動きをしているのに気付いた。
「どうかしたんですか? なんかモジモジしてますけど」
「いや、別に」
会話の流れがどうにもよろしくない。
昼間もこの調子だったから、御礼を言われてもいい筈の人達にさえ引かれてしまっていた事を思い出し、夜は胸が少し苦しくなった。
自分勝手だし、余計なお世話かもしれないが、もう少しなんとかならないだろうか……。
「西木君。少し不躾かつ乱暴な物言いかもしれませんが、言いたいことがあるのならハッキリ言ってください」
「……ああ、その、えっと」
何処か警戒するような、というよりおっかなびっくりな慧悟。
そんなに自分の事が怖いのだろうかと考えた夜は、それならばとこう言った。
「どうか遠慮なさらずに。
余程の事でなければ別に怒ったりしませんから」
子供か動物を相手にしている気がしてきたが、
これで慧悟が話しやすくなる可能性を少しでも上がるなら、と考えての言葉。
しかし、実際の所。
そんな夜の考えは、慧悟にとっては渡りに船だった。
「本当に?」
「ええ。だから焦らずに話してくださいな」
柔らかな声音でそう言われ、気が楽になった慧悟は、
少し戸惑いながらも考えていた事を言葉に変換していく。
「えーと。うん。じゃあ。
……その、さっきのやりとりがデートっぽかったから。なんとなく恥ずかしくなって、つい」
そうして慧悟が発した言葉は、今までに比べると格段に聞き取りやすかった。
いままでのどもり気味の言葉は、自分に色々過剰に気を遣っていたのか、過剰に緊張していたのか、だったのだろう。
しかし、まぁ、それはそれとして。
「そ、そう言われるとこちらまで恥ずかしくなるじゃないですか」
「いや、その、申し訳ない」
「……あっ、その。いえ、こちらこそ」
ペコリと頭を下げた慧悟を見て、夜は普段の彼女には珍しい多少慌てた様子で声を上げた。
「聞き出しておいて言い掛かりをつけるような真似をして、すみませんでした」
「いや、こちらこそ変な事言って、ごめん。
それと、その、ありがとう。
あー。うん。うん。
それで、これからどうするんだ? 何処で話したりするんだ?」
話し難い事を言った事で、何か吹っ切れたのか、慧悟の言葉は安定していた。
変な所で切ったり、どもったりする気配が先程までより薄くなっている。
「あ、そうですね。もう少しだけ待ってくれますか?」
「ん? これ以上何を待つんだ?」
「迎えが来ますので……と、噂をすれば影ですね」
そう言って夜が向けた視線の先にあったのは、坂を登ってくる一台の黒いリムジン。
そのリムジンは静かに、そして丁寧さを感じさせながら二人の前に停車した。
傷一つない、神々しいまでの黒に染められたリムジンのドアが開いて、何者かが外に降りて来る。
そうして二人の前に現れたのは、スーツを着込んだ長身の女性だった。
彼女は戸惑いを見せる慧悟とその様子をそれとなく観察している夜に一礼した後、声を発した。
「お待たせしましたお嬢様。そして、はじめまして。西木慧悟様」
「……は、はじめまして」
女性の一礼に、おっかなびっくり礼を返す慧悟。
「わたくし、夜様の執事である篠崎瑞樹(しのざきみずき)と申します。
先日はお嬢様の命を助けてくださったとの事。
本来ソレはわたくしどもの為すべき事。
そのことについて深く謝罪するとともに、深く感謝申し上げます」
そう言って、先程より深く頭を下げる瑞樹。
実は、先日の事件の際、彼女は夜の頼みで近くに待機していたのだ。
夜の手助けをする、その為に。
だが結局の所、急展開だった為夜は警察に連絡をするのが手一杯で、
瑞樹が事件に気付く前に全てが終わると言う形になり、彼女は何も出来なかった事を悔いていたのだ。
ソレゆえの謝罪により頭を下げられた事に、慧悟はオロオロと動揺を露にする。
「あ、いや。頭を上げてください。
俺は俺の思うままに行動して、その結果だっただけなので」
「それでも、お嬢様を助けていただいたのは事実ですので。
執事として、私個人としても、このご恩、いずれお返しさせていただきます」
「あ、ああ……じゃなくて、その、何度も言うようですが、気になさらずに。
というか、年上の方にそうされると、どうにも、その」
「気になりますか? ……それなら、フランクに話した方がいいのかしら?」
「えと、その、お任せします」
「では暫くは丁寧にさせていただきます。
恩義を忘れない意味でも。その先はいずれ、ね」
「瑞樹さん、からかっちゃ駄目ですよ」
「うふふ。すみません。それではどうぞ」
瑞樹に案内され、二人はリムジンに乗り込んだ。
リムジンに揺られる事……と言っても、車内の揺れはほぼなかったのだが……十数分後。
「……」
慧悟は瞬きを繰り返した後、首を捻ったりしていた。
彼の、正確に言えば彼らの眼前には、文字通りの豪邸があった。
リムジンに運ばれた先には、白い洋風の、後一歩進めば城と言ってしまえるかもしれない、大きな邸宅があった。
(此処が、彼女の家か)
その事実をもう一度反芻するように心の中で呟いてから、慧悟はもう一度首を捻ってみた。
確かにそこに存在しているのに、納得出来ないような思いからの動作だった。
「ど、どうしたんですか?」
「いや、驚いてた。こんな漫画みたいな豪邸が存在してたんだなって」
もし彼女と知り合っていなければ一生縁がなかっただろう。
そう思いながら邸宅を見上げる慧悟に、夜が言った。
「……してたじゃなくて、してるです。なんで過去形なんですか」
「いや、別に深い理由はなくて。……ふむん。壱野さんは言葉に厳格なんだな」
「普通です。では、どうぞ」
そうして夜に案内され、開かれた扉と言うべき豪華なドアの向こうは、慧悟の知らない世界だった。
まず、劇場のホールではないかと見紛うばかりの空間があった。
床には踏むのも躊躇われると言うか、貧乏人が踏んだら浄化消滅でもされるんじゃないかと思えてしまうような絨毯。
見上げて見上げてようやく見える天井には、言わずと知れたシャンデリア。
内装は派手ではないものの、どこぞの外国の宮殿ではないかと思える。
「……なるほど、流石、壱野家だ」
「お褒めに預かりありがとうございます」
「いや、壱野さんは褒めてないんだけど」
「え?」
「壱野さんは壱野さんだろ。家は関係ない」
「そう、ですか」
彼の眼には嘘はない。
むしろ『何言ってんの?』という本気さがヒシヒシと感じられた。
「……。少し待っててください。部屋を整理してきますので」
「あ、ああ、うん」
「もし待つのが退屈なら、応接間で……」
「いや、その、ここで、待つよ。誰か呼んだりして気を遣わなくていいから」
「そうですか。では、少しだけ待っていてください」
「私もおもてなしの準備をさせていただきますので、とりあえず失礼します」
そうして慧悟を1人残し、夜と瑞樹は歩き出した。
「……良い人じゃないですか」
道すがら、瑞樹が呟く。
彼女の顔には優しげな笑みが浮かんでいた。
「そう、ですか?」
「ええ。少なくともお礼にあんなにあたふたする子を悪い子だとはとても思えません。
それにこの家を見て、お嬢様への見方を全く変えたりしないのも素敵です。
個人的には好みかな」
「……なんか突っ込むべきなのか悩みます」
ニコニコと笑う瑞樹に気が削がれ、突っ込み出来ない夜。
しかし、瑞樹の言う事には内心で同意していた。
”ある事実”を知っても態度を変えない。
漫画などではよくあるが、実際には難しい事だからだ。
事実、家まで連れてきた人間の中には、
露骨に態度を変えたものが少なくない……というか殆どそうだった。
そうでないというだけでも、正直な所嬉しかったし、好ましく思えた。
取り入る為の演技だと言う可能性もないでもないのかもしれないが、そんな事が出来るほど慧悟は器用には見えない。
「では、私はここで。後でお菓子などお持ちします」
「ええ。いつもどおりノックとか要らないから」
途中で瑞樹と別れ、部屋の整理を済ませた夜は階下に降り、今度は慧悟を伴って自室までやってきた。
「ここが私の部屋です」
言いながらドアを開き中に入る夜。
が、慧悟はドアの前で立ち止まったままだった。
「どうしてドアの前で止まってるんですか?」
「……いや、その。入っていいのかなぁって思って」
「はぁ」
「俺が入る事で部屋が穢れたりしないだろうか……?
実は、昨日風呂に入っていないんだ……!」
断腸の思いとばかりに言う慧悟。その表情を見て、夜は思わず笑みが溢れてきた。
(……ああ、そういう人なのか)
今日半日彼を見てきた事で、少しだけだが判ってきた気がする。
彼・西木慧悟は、色々細かい事を考えすぎてグルグル回ってしまう人なのだ。
それが周囲から見れば訳が分からない思考や行動に見えてしまい、遠ざけられてしまうのだろう。
以前絡まれた時も恐らくはそんな感じで様々な事を考えた結果、周囲から見れば理解しずらい行動や言動を零し、それを理由に絡まれてしまったんだろうと、夜は納得した。
だが、その様々な思考は絡まれるような内容ではなかったのだろう。
実際の所は分からないが、少なくとも今彼の思考を占めている”過剰なまでのこちらへの気遣い”から考えれば、それが人を害するものとは思い難かった。
だからなのか。
夜は溢れてきた笑みをそのまま慧悟に向けた。
そうしたいと思った心のままに。
「……大丈夫ですよ。私だってたまにお風呂に入り忘れる事ありますし」
「あー、その、もしかして気を遣ってくれてる?」
「そういう事は聞かない方が良いですよ。ではどうぞ」
「お、お邪魔します」
笑みを浮かべる夜に導かれ、慧悟は彼女の部屋に足を踏み入れた。
夜の部屋の内装は、慧悟の予想よりは豪華でもなければ派手でもなかった。
広さも極端に広いわけでもない。
それでも慧悟の部屋の倍以上はあるようだが。
部屋は大きく二つの空間に分けられているようだった。私室と応対用に。
ベッドよりの、絨毯が敷かれた方は私室。
客を呼んだ時の為なのか、喫茶店にあるようなテーブルと椅子(勿論質は全然違うのだろうが)が置かれた、絨毯が敷かれていないフローリングの方は応対用。
そのどちらも全体的に白くまとめられたがゆえの清潔感があり、慧悟は彼女の部屋に素直に好感を持った。
だが、その反面、その清潔感に自分の存在が異物でしかないのではと不安を抱いた。
「……改めて聞く様でなんだけど、壱野さんの部屋でよかったの?」
「まぁ、その。少し恥ずかしかったりもしますが、
こういう場合自室に招くのが当たり前ですし、失礼じゃないですし……」
友達を呼んだ時の当たり前ではないか。
そんな言葉を夜は飲み込んでしまっていた。なんとなく、そう言えなかった。
それがネガティブな感情によるものなのか、ポジティブな感情によるものか、分からなかったが故、なのかもしれない。
あるいは、断定してしまうのが、恐かったのか。
(……まったく)
自分の中にある拭い切れないモノに内心で歯噛みしつつも、表には出さず夜は慧悟に笑顔のままで言った。
「ともかく、気にしないでください。どうぞ掛けて。
お菓子やお茶は後で瑞樹さんが持ってきてくれますから」
「ああ、その」
「座って穢れたりとかしませんから」
「う、うん」
そうして、おそるおそると慧悟は席に着いた。
そんな慧悟に改めて苦笑しつつ、夜もまた向かい側に座る。
「じゃあ、そうですね。
とりあえず、お茶とお菓子が来るまでお互いに質疑応答しましょうか」
「……レディファースト」
「私が先でいいという事ですか?」
夜の解釈に頷く慧悟。
分かり難いというか、説明不足だ。
学校……クラスで話す人間が少ないのも、その辺りが原因の一つなのかもしれない。
だが、決して悪い人間ではないのは今までのやり取りで十分に理解できていたので、当初に感じていた悪感情に近いものは随分薄くなっていた。
なので夜は、数時間前と比較すればずっと話し易い調子で、内容的には話し難くなるかもしれない疑問を口にし始めた。
「じゃあ、先に質問させていただきます。
まず、そうですね。貴方の……デッドコードの力。
それは何時何処で手に入れたものなんですか?」
「……手に入れたのは約半年前。
何処で、という明確な場所については答えられない。
適当かつ必死に逃げ回った先でもらったものだから」
「逃げ回って、もらった?」
「……そもそもの最初から説明した方がいいかな。
始まりは、この……ゲーム、ソフトだった」
言いながらゲーム機、その中のソフトを取り出す。
RDA。
最新鋭の携帯ゲーム機。
メディア媒体としても有能な反面、
その幅広い応用力ゆえに違法コピーなどの問題も起こっている、
今現在のゲーム業界で最も話題なゲーム機。
E・G・O。
弱小企業が作り上げたRDAを最大限に生かしたRPG、その準備ソフト。
それらをテーブルに並べて置きながら、慧悟は言葉を続けた。
「俺は、ぶっちゃけ日陰者だって事を除けば、普通の学生だった」
「……いや、それはないですよ。色々な意味で目立ってたじゃないですか」
「そう?」
「ええ。
まぁ、その、自分で振っておいてなんですが、話の続きをお願いします」
「……釈然とはしないけど了解した。
普通の学生だったと思しき俺は、ごく普通にゲーム好きで、ごく普通に面白そうなゲームソフトの存在を知った」
「それがE・G・Oだったわけですよね」
「ああ、それは知ってるんだな。
それなら多分知ってると思うけど、このソフトには色々問題はあった。
だけど、俺的には惹かれるものがあったから注文した。
そして発売日に届けられたんだけど」
「だけど?」
「その届けられた時に、全てが始まったんだ」
「??」
「届けられて、開封してセットした直後だったかな。
怪我をした一人の女の子……女性、って言った方がいいかも知れないな。
ともかく、その人が、家にやってきたんだ。
届けられたゲームについて話があるって」
「無視とかしなかったんですか?」
「普通にチャイムが鳴って、ゲーム片手に普通に出たら、
怪我した人がいたって感じだったから、無視とかは考えられなかったなぁ。
驚きとかが先に来て、思考停止気味だった。
まぁ、ともかく、その人が自分の事はいいからって話し始めた直後、
窓の方から化け物が……エゴイストが現れたんだ」
「エゴイスト……」
先日の化け物を思い出す。
ああいう存在がいるという事を認識し、夜は微かに震えた。
「……その、大丈夫?」
「あ、ええ。なんでもありません。続けてください」
「……。ソイツは元々その人を追っていて、差し出せばこっちはどうでもいいって感じだったんだけど。
怪我した人を化け物に差し出せるわけなんかなかった」
「それで、女の人を連れて逃げたわけですね」
「……それはそうだよ。俺はごく普通の……」
「それは分かりましたから。それで?」
「えと。そう。その女性と一緒に逃げた。
でも、エゴイスト相手にはどうしようもなかった。
とりあえず撒いてもすぐ追い付かれるのは眼に見えてて、いよいよ駄目かって、思った時だった。
女性から、貴方なら出来るかもしれない、って言われたのは」
感慨深そうに話す慧悟。
うんうんと、シミジミと何かに頷きつつ、彼は話を続けた。
「俺は彼女の言う通りソフトを裏向きに入れて、ゲームを起動した。
そして、例の質問を全て答えて……デッドコードになったんだ。
その後は、女性の言う事を聞いて、どうにかエゴイストを倒した。
操ってた奴は気絶したから、後で病院に連れて行った」
「律儀と言うかなんと言うか……」
「……なら壱野さんは放っておく?」
「あー、いや。放ってはおかないでしょうね」
そんな夜の答に対し、二ヒヒと声が付きそうな笑みを零す慧悟。
その笑い方は何とかした方がいいと思う、と思いながらも話の流れを折りそうだったので、とりあえず夜は今回も黙っておくことにした。
「なるほど、大体の流れは分かりました。
しかし、そもそも、なんでその女性が西木君の所に?」
「彼女曰く、ソフトが各自に送られる際に”間に合った”唯一の人間が俺だったらしい。
当時のあの人が動ける圏内にいて、かつ手が届いたのが俺だけだった、って。
本当は俺にも使って欲しくはなかったらしくて、何かしら説明した上で廃棄するつもりだったんだと」
「その人の目的はなんだったんですか?」
「今でも、よく分からないんだけど。
なんでも、エゴイストを増やそうとしている奴等がいて、
あの人はそれを阻止したいらしい。
この力を制御できるならともかく、制御できない人間に委ねるわけには行かないからって。
怪我をしたのは、そのゴタゴタの中でらしい」
「それで、その人は今は何処に?」
「分からない。
俺が彼女といたのは一週間位だけ。
デッドコードの力の使い方を教えてもらったりしたぐらい。
その後、やるべき事があるからって、何処かに行ってしまったんだ。
……色々な理由からまた会いたいと思ってるんだけど、今の所会えてない」
「もしかして、それが、エゴイストと戦う理由なんですか?」
「いや、それはあくまでついで。
俺のメイン目的は、人を助ける事と、人に迷惑掛ける馬鹿をとっちめる事。
デッドコードの力で誰かの為になる、出来る事をする事。
それがエゴイストと繋がる事が多いってだけ。
勿論、あの人の言うように、これ以上エゴイストを増やさないようにソフト回収・破壊もしないとだけど。
そっちは正直中々上手くいってない。
この半年間、動き回ってどうにかしたエゴイスト、ソフトは19だけ」
その事実を呟いた慧悟は、憂鬱そうな深い溜息を吐いた。
「所詮一介の高校生に過ぎない俺に集められる情報はたかがしれてる。
俺に出来るのはエゴイストの反応を元に動いて、一つ一つ説得なり潰すなりしてく事だけなんだよな。
でも、出来るだけの事はしないと」
「……そう、ですか」
貴方は、まるで。
続けてそう口にしかけて、夜は口を噤んだ。
慧悟が語る”メイン目的”。ソレを元に活動する存在。
それを世間一般では……いや、自分自身がなんと呼び、定義するのか。
夜は知っていながら何故か形に、言葉に出来なかった。
その事に、何処か後ろめたさにも似た息苦しさを感じながらも言葉を失っていた夜に、慧悟は言った。
「勿論、壱野さんの言うように、あの人に会いたい事は会いたいんだけど」
「も、勿論なんですか?」
「勿論」
「そ、そうなんですか。えーと。
あのっ、もしよければ、その人の名前を教えてもらえますか?
力になれるかもしれませんし」
何故自分がそんな事を言い出したのか。
善意はあったが、それも夜はよく分からなかった。
分からない事が多い慧悟につられて自分もよく分からなくなる、なんて変だ、と夜は思った。
しかし、そんな夜の内面など知る由もない慧悟は純粋にその善意を受け止めていた。
そして、純粋に受け止めたが故の素直な反応を口にする。
「そう? うーん。じゃあ、その。
名前と容姿しか分からないんだけど。
名前は永久。えいきゅう、って書いてとわと読むのが今の名前だって言ってた」
「え?」
そうして慧悟の口から出たその名前は、聞いた事がある。
というか、名乗った人間と、出会っている。
「……」
「壱野さん、どうかした?」
「……あの、西木君。
その人は、
全身黒尽くめで肌を余り露出してない、
不思議な髪と眼の色をした、綺麗な女の人ですか?」
「えっ?!」
今度は慧悟が声を失う番だった。
実際に声を失っていた時間はごく僅かだったが。
「そ、そうだよ!! その人!! ど、何処でっ!? 何処で会ったの?!」
「きゃっ!?」
思わず声を上げる夜。
それというのも、慧悟がいきなりずずいっと顔を寄せてきたからだ。
直後ガタッと立ち上がったかと思うと、いきなり小さなテーブルを挟んだまま身を乗り出し、夜の肩を掴む慧悟。
髪の隙間から覗く眼は真剣そのものだった。
「壱野さん、教えてくれ! あの人とは何処で……?!」
「ちょ、その、落ち着いて」
よほど興奮しているのか、さらに肩を掴んでグラグラ振り回すので、夜は目を回す。
そこに、菓子やカップ、ポッドを乗せたお盆を持って瑞樹が入ってきた。
「失礼します、お嬢様。……わぉ。……取り込み中のようでしたら暫し待ちますが」
「へ、変な気を遣わないでくださいっ!! それで何か」
「お菓子をお持ちしました。あと、部下がお預かりしてあったものをお届けに」
「なんですか?」
「お嬢様にお手紙が届いております。……宛名には永久とだけ書かれております」
『はい?』
瑞樹が発した思わぬ人物の名前。
その名前により二度目の驚きの声を上げた後、2人は思わず顔を見合わせた。
自分達の間にあった距離が、いつのまにやら結構縮まっていた事に気付かないままに。
……続く。