第参話 既知にして未知の出会い(後編)
永久が去った後。
軽く食事を取ってから……注文は永久が来る前に頼んでいた為……、
ファミレスを出た二人は、この町に降りた時のものとは車道を挟んで反対側にある停留所に立っていた。
「じゃあ、今日はこれまで、ですね」
夜曰く、今日の予定は全て終了したとの事らしい。
「……ああ。そうだな……」
「どうかしましたか? 何か暗いですけど」
歯切れ悪い反応を見せる大に夜が尋ねると、彼は少し引きつり気味に苦笑した。
「あ、ああ、なんか色々驚かされてな。あの人美人だったし〜」
「……ああ、はい、そうですネ。
まぁ、それはともかく、今日は色々ありがとうございました。有意義でした」
冗談めいた大の言葉に対し呆れ気味な表情をしていた夜は、途中で普通の表情に戻した上で頭を下げた。
頭を下げられた大は照れ隠しなのか、頬を掻きつつ呟いた。
「……何の役にも立ってないけどナー」
「いえいえ。そんなことはありませんよ」
「……。
なら、いいけどな。で、これからどうするんだ?」
「私は帰ってから、得た情報を整理して、犯人を絞り込みます。
多分、今日の情報があれば、かなり絞り込めますよ。多分近く犯人が……」
分かります、そう夜が言い掛けた時だった。
「……えっ!?」
大が唐突に大きな声を上げた。
大の視線は、夜を越え、道の向こうを見据えており、その表情は驚きに満ちていた。
「どうかしましたか?」
「ちょ、ちょっと待ってくれ!! あれ!」
道の向こう側を何度も指さす大。
だが、その方向には特筆するようなものは何もない。
何人かが道を歩いているが、ただそれだけだった。
「今、見かけたんだ! 行方不明になった子!! 確かに見たんだ!!」
「え?! ちょっ!! 世田君っ!! 待ってください!!」
そう言って駆け出す大。
今の彼の耳には夜の声は聞こえていないようだ。
遠ざかっていく彼の背中、行き先を眼で確認しながら、夜は呟く。
「……そうですね。念を入れておいた方がいいですね」
大の走る先を確認し続けながら、携帯電話を取り出した夜は何処かへとコールする。
「なにやってんだ!! 早く!!」
少し離れた、向こう側に渡る為の横断歩道の前でこちらに呼びかける大。
ソレに頷いて見せてから、夜もまた走り出した。
道の向こう側、何かがあるらしい方向へと向かって。
人を抜け、ビルを抜け、道を走る事数分後。
「ここは……」
気がつけば、二人は裏路地に迷い込んでいた。
何処かの企業の高層ビル同士が隣接する奥に、同様の、それでいて一番高い新たなビルが建てられようとしている、そんな場所。
高い高い作り掛けの建築物の足元を見れば、重機や鉄材、資材、工事中を示す看板や幕が並び、置かれ、展開されていた。
何故か、周囲には人気がまるでない。
赤の最高値を通り越して、暗くなり始めた世界の一角のその場所は、何処か人を寄せ付けない雰囲気があった。
「あーそういや、何か工事してたな。なんか新しい企業の新社屋が出来るとか出来ないとか。
普通、こんな所来ないからな……もしかしたら、もしかするかもしれないぜ」
「……そうですね」
表通りから離れており、店があるわけでもない。
ゆえに、ある程度の時間が過ぎれば基本的に人は寄り付かないのだろう。
更に言えば、ここの工事は事実上停止しているらしい。
確かに、”何か”が隠されている可能性は低くない。
「おーい、誰かいませんかー!?」
無警戒過ぎじゃないかと思わせる、そんな大の呼び掛け。
それに反応して、なのか。
「……?」
「どうした?」
「いえ、今……」
鉄骨などが積まれた奥。
微かに、何かを覆うブルーシートが反応するように動いたような気がした。
少なくとも夜にはそう見えた。
「……そこにいてください。私が見てきます」
大にそう告げた後、小走りにそれに近付いた夜は、警戒しつつシートの端を掴み……一気に捲り上げた。
「……っ!?」
「なっ!?」
そこには衣服を剥ぎ取られ、猿轡を噛まさせ、ロープで縛られた三人の全裸の少女がいた。
そして、それは紛れも無く、行方不明になっていた少女達だった。
少女達の目の下にはハッキリと分かるほどのクマが出来ており、皆疲れきった表情をしていたが、彼女達は突然開かれた視界の中、夜を見て目を見開いた。
彼女達の反応が驚きなのか喜びなのかそれは分からないが……。
夜は唇を噛み締める。
もっと速く、もっと早く、ここに来れなかったのだろうか、と。
しかし、今は悔しがっている場合ではない。
一刻も早く彼女達を解放しなければならない。
「……遅くなってごめんなさい。今……」
そう語りかける最中、少女達の目が再び大きく見開かれる。
そして、その視線は夜ではなく、その後ろに向けられて……。
「はぁぁっ!!」
夜は確認もしないままに、回し蹴りを視線の先、自身の真後ろに放った。
その際、再びシートが女の子達に被せられるが、それに意識を向ける余裕は無かった。
何かがいる。
自分に、少女達にとっての敵となる何かが。
だから蹴りには躊躇いはない。
その蹴りは、一介の女子高校生が放つものとは思えない鋭さを持っていた。
相手が普通の人間であれば、間違いなく当たるだろうし、間違いなく怪我をさせるもの。
しかし。
あくまでそれは相手が人間の場合。
「壱野っ!!」
「っ!!?」
夜の足は掴まれていた。明らかに人間ではない、巨大な手によって。
「……っ!!?」
視線を持ち上げて、ようやく見えたその手の主の姿に、夜は言葉を失った。
それは、大きな白いものの塊。
白い毛に包まれた、異形の存在がそこにいた。
既存のもので表現するのなら、兎が一番近いだろう。
兎の頭に直接手足を生やしたような、不思議の国のアリスに登場するハンプティー・ダンプティーのような存在。
人より二周りは大きいソレは赤く、薄く光を放ってさえ見えるような爛々とした眼を夜に向けていた。
一瞬、きぐるみか何かではないかとも考える。
だが違う。直感的に、そう感じる。
(化け、物……!!)
夜はその可能性を考慮していないでもなかった。
だが、本当の本当に、化け物だとは。正直な所、全くの予想外だった。
『可愛いな、お前……』
「っ、しゃべっ……きゃあっ!?」
化け物は掴んでいた夜の足をそのまま無造作に持ち上げた。
当然ながら夜は逆さまの状態でぶら下げられる事となる。
「っ!」
スカートが重量、重力に従って動いた結果、その中身が露になる。
羞恥に顔を赤らめるが、今はそんな場合ではない。
(今は、なんとか……!)
スカート下に隠している幾つかの道具が落ちていないのは幸いである。
どれかを使って状況を打開しなければ……そう考えていた時だった。
「この野郎っ!!」
大が化け物へと、夜を掴んでいた手の方へと向かっていく。
だがしかし。兎の化け物は意にも介していなかった。
『ふんっ!!』
「きゃっ!?」
夜を空中に投げた後、彼女を掴んでいた手でいとも簡単に大を払い飛ばす。
その後、化け物は、ひっくり返って逆さま状態から逆転しつつ落ちて来た夜を再び捕まえた。
『無駄だ……』
声が聞こえてくる。
それに合わせて化け物の口が動いてはいたが、正確な声の出所は分からない。
口の奥……喉から発せられたようには聞こえなかった。
その事実を分析しつつ、そのまま身体を掴まれたままの状態で化け物を探りながら、夜は問い掛けた。
「……言葉が話せるようですから問い掛けます。
貴方は何者ですか? 私も彼女達みたいに捕まえるんですか? 何が目的なんですか?」
『……女、助かりたいか?』
一切の質問に答える事無く、化け物は呟いた。
恐らく問い返した所で無駄だろう。
そう判断した夜は返事を返す事にした。
正直、夜の内心はガタガタ震えていた。
しかし、ここで冷静さを失えば終わりだと、彼女は懸命に冷静さを保っていた。
「……出来れば。
ついでに言えば、私より他の子を優先させてほしいんですが」
『なれば、あの男を殺せ』
「なっ!?」
『俺は、そういうのが大好きなんだ。他人の苦悩とか苦痛とか、最高じゃないか』
「……ふざけた事を。そもそも、どうやって?」
『可能な、相応しい武器は持っているはずだ。この中に』
言いながら化け物はスカートの中に人間と比較すれば巨大すぎるほどの指を突っ込んだ。
瞬間、女としての危機を感じたが、それは今の所的外れだったようだ。
スカートの中の銃を取り出した化け物は、それを夜に強引に持たせた。
『さぁ、これであの男を殺せ。
さすれば、お前は見逃してやろう。気が向けば他の女も』
「……これで貴方を撃つ。そうは思わなかったんですか?」
『無駄だ。
その手の武器は俺に通用しない。
……それに、この状況で俺を怒らせるのは得策じゃないと思うぞ』
「ふん……正論ですね」
『さぁ、どうする?』
化け物の言葉に考え込む夜。その時だった。
「壱野……!! 撃て……!」
払い飛ばされた後、どうにかこうにか立ち上がっていた大の言葉が辺りに響く。
「世田君……?」
「いい。撃て! 仕方ないさ」
夜に向けてニヤリと笑う大。それは、やせ我慢か、それとも。
暫し、そんな彼を見つめていた夜だったが、考え込んだ末に顔を上げて……宣言した。
「……では、そうさせていただきます」
言うやいなや、夜は銃を撃った。微塵の迷いや躊躇いなく。
「……!!!!」
直後、展開された光景を見て、綺麗に地面に着地した夜は冷たい声音で問い掛けた。
「……おや? どうして貴方が彼を守っているんですか?」
「っ!!!!」
夜が撃った瞬間。大に向けて銃を撃った、その時。
化け物は夜を掴んだ手を離し、大の前に立っていた。
巨体に見合わぬ俊敏さには驚かされた。だが、それだけだ。
化け物が彼を庇った事には、夜は微塵も驚かなかった。
「ちなみに、これ弾は出ません。抜いてます。
それにこれは……そもそもにして単なるエアガンです。
脅し用に持ち歩いているものです。
法治国家日本で女子高生が本物の銃を持ち歩くようになったら世も末ですよ」
エアガンを投げ捨てながらの夜の言葉に、大はこれ以上ないほどの驚きを露にした。
「な、え? あ!?」
「予測どおり、ですね。出来れば当たっていて欲しくありませんでしたが」
「な、に……? ど、どうして」
狼狽を露にする大に対し、極めて冷静に夜は告げていく。
「実の所、私は最初から貴方が犯人だと思っていたんですよ。いえ確信していました」
「な、なんで?!」
「行方不明になった女の子全員と顔見知りで、かつ告白されている事。
これだけでも十二分に怪しいですよ。
私に対し最初から自らでその可能性を提示する事で怪しまれないようにしたつもりでしょうが、いくらなんでも甘いです。
演技過剰なんですよ、貴方。
貴方は自分への恨みがあるっぽい誰かさんの犯行へと誘導しようとしていましたが、それも無理があるんですよ。
西木君と女子生徒達の間に、接点はゼロなんです。少なくとも事件前までは」
「……!?」
「基本的に人付き合いの少ない西木君なので、誰かと一緒なら目立ちます。
最初の依頼を受けて以後、ずっと調べて回りましたが、そういう目撃情報は事件前にはなかった。
そもそも、そういう目撃情報が多数、いえ、それなりにでもあれば彼の事がもっと噂になっていたはずです。
……彼は、あまり人に好かれていなかったようですし」
ゆえに、夜は慧悟の事をあまり疑ってはいなかった。
事件が起こり始めて以降の彼の動きについては気になるが……それは今考えなくてもいいだろう。
今考えるべきは……。
「なにより、餌を撒いたら貴方はここまで案内してくれました」
「え、餌?」
餌に確実に反応した、目の前の人物の事。
「私があのゲームを知っている事。そのリストを持っている事。犯人が近々分かる事。
それを仄めかせば、近い内に仕掛けてくると思ってました。
まぁ、それが今日だとは思いませんでしたが。
貴方自身が言っていたように、調子に乗っているようですね」
彼の調子の理由である化け物を一瞥して、否、警戒の為に意識は向け続けながら呟く。
「……そ、それだけじゃ……! 西木の疑いが完全に晴れた訳じゃないだろ!!」
「そうですね、貴方との共犯の可能性や西木君の単独犯である可能性もありますね。
ですが、貴方は一つ勘違いしています」
「!?」
「私は生憎、探偵や警察じゃない。確実な証拠云々は関係ないんです。
まぁ、とは言え、これだけの状況証拠が揃ってますし。
女の子達も証言してくれるでしょう」
「……」
「おまけに、貴方。今さっき化け物が現れたのを、何故黙っていたんですか?」
「?!」
「私の後ろに化け物が急に現れたにせよ、落ちて来たにせよ。
僅かな声や叫びを上げる間もなかった、とは思えませんし、気付かなかったはずはないんです。
位置関係から考えて、発見した女の子達の方に意識が向いている限りは確実に視界に入る筈ですし、気付くはずなんです」
「……」
女の子達を発見した時。
夜が大に動かないように言ったのは、彼が犯人である可能性を考えた上での警戒だったのだが、
結果としてそれが彼が犯人である事の……少なくとも関係者である事の証明となった。
「もし気付かないとするなら理由は二つ。
余所見が出来るほどに、あの状況にいた女の子達に驚く理由がなかったか。
あるいは、化け物が現れるのに驚く理由がなかったか。
どちらにせよ、貴方があんな化け物を見ても驚かなかったという事実は、貴方が事件に関わっている状況証拠になりえます」
「……」
「つまり。
今ある情報を並べると……どう考えても、西木君より貴方の方が疑わしい。
というよりも、そもそもにして最初から貴方以上に疑わしい人間がいないんです」
こんな単純な、トリックもクソもない事件。
名探偵でなくても犯人を割り出せる。
それをややこしくしているのは、化け物、という存在ただ一点だった。
あの化け物がいれば誘拐は容易い。
ここまで人を運ぶ事も容易ければ、目撃者を消す事だって簡単だ。
ただ、ソレだけが特異だったのだ。
「鶴素子さんの依頼は良いタイミングでした。
どう貴方を炙り出すべきか、少し悩んでいたので」
「……」
「では、そろそろ本当の事を話してくれませんか? 何故、こんな事を?」
話しながら、夜は捕まったままの女の子達を庇うようにしつつ、化け物との距離を取っていた。
どれだけ自信たっぷりに真実を見抜いたのだとしても、この圧倒的に不利な状況に変わりはないのだ。
化け物への対応策は全く浮かばないが、浮かばないなりに状況を少しでもいいものにしなければならない。
(最悪時間稼ぎをして、それから……)
そんな状況打開の為の思考を止めたのは、大の言葉だった。
「…………欲しかったんだよ、恋人が」
「は?」
「俺の理想とする恋人が欲しかったんだ。ただ、それだけだ」
彼が何を言っているのか。夜には全く理解できなかった。
それゆえに、それまで必死に展開させていた状況打開の為の思考が完全にそちらへとシフトする。
「――何を、言ってるんですか?
私には、貴方が何を言っているのか、解せません。分かりません。
こんな事を言うのはなんですが、貴方の容姿なら、お付き合いできる方はたくさんいたはずです。
実際何人かと付き合っていたはずです。
その、下世話かもしれませんが、その先のことだって」
「お前もか」
「え?」
「お前もか、お前もかお前もか!
お前も、そんなフザケタ要素でしか俺を見ないのかっ!!」
学校では見せた事などない怒りを発しながら大は吼えた。
「ドイツもコイツも顔が良い素敵可愛いかっこいい……そんな理由でしか擦り寄ってこない!
挙句の果ては、俺と付き合う事がステータスっ!?
ふざけるなふざけるなぁぁっ!!」
「……」
正直な所、驚かされた。
明朗快活、運動神経抜群、多くの人に将来を期待されている彼に、そんな苦しみがあったなど。
いや、あった事は考えられたが、それにこうまで押し潰されそうになっているとは思ってもみなかった。
普段の大からは、そんなにも彼が繊細な事を読み取る事は難しかった。
しかし、その叫びに呑まれたのは僅かだけだった。
それに夜としては彼の気持ちも少なからず分かる。今更ながらだが、分かる。
夜もまた、お金持ちのお嬢様や変人としての枠組みでしか自分を見ない人間の存在に痛んだ事が少なからずあるからだ。
ゆえに、彼に対し一方的な見方をしていた自身を恥じた。
「その……すみませんでした。そういう見方をしていた点については謝ります」
「……」
「謝りついでになってしまいますが、こうして犯罪が露見した以上、これ以上の抵抗はやめていただけませんか?
仮に今私をどうにかできたとしても、今日の聞き込みなどで、貴方への疑惑の線は残してあります」
実は、今日のルートは既に情報収集を終わらせていたルートだった。
それでもあえて再び廻ったのは、回数を重ねる事で自分達の存在を印象付け、なおかつ不特定多数の誰かに大への疑念を残す意味合いもあったのだ。
「ゆえに、今は無理でもいつか誰かが貴方に届きます。
そうなった時、今より貴方は状況が悪くなってしまいます。
私は、これ以上の罪を貴方に重ねて欲しくありません。
私自身が今助かりたい気持ちがあるのは否めませんが、貴方に罪を重ねて欲しくない気持ちに偽りはありません」
「……」
「私は思うんです。今日の貴方の言葉全てが偽りではないと。
私を油断させたりするだけのものではないと。
だからこそ、その時その時の私も嘘偽りなく話せたのだと思いますから」
夜が自分の行動の理由を語った時。
それに対しての大の言葉に嘘は感じられなかった。
甘いかもしれないが、夜にはそう感じられたのだ。
であるなら、きっと。
きっとまだ、最悪の結末を避ける事は出来る筈だ。
「だから、もう、ここまでにしましょう?」
そんな希望を載せて、夜が問い掛けた直後。大は。
「やっぱりいいなぁ、壱野」
「え?」
そう言って、ニタァ、と笑った。
それは歪で楽しげで、薄暗い、そんな笑みだった。
「確認作業は上手くいかなかったけど。
お前は、そういう奴だと思ってたよ」
確認作業。
おそらくそれが事件を起こした理由であり、夜をここまで誘い込んだ理由なのだろう。
ここで夜相手に行われた一連の流れ。
それは今シートの下にいる彼女達にも行われたであろう、
自身を命懸けで守ってくれる、思ってくれる……そんな理想の恋人を探す為の儀式、確認作業。
放置されていた彼女達は彼のお気に召さなかった。
では、夜はどうなのか……。
「ああ、十分だ。
お前の心は、合格だよ。
だからこそ、俺のものにしたいなぁ……」
その”結論”を口にしながら、大はあるものを取り出した。
携帯ゲーム機『RDA』。
掌サイズでありながら、高画質高性能、さらには高度な音声認識を持つ、最新鋭のゲーム機。
そして、その中には、十中八九永久という女性と話したとおりの”何か”を持つソフトがセットされている……!
「っ! それは!!」
『……願いは何だ……』
夜は息を呑んだ。
それは、まさしくあのゲーム、E・G・Oの10番目の問い掛けだった。
『……願いは何だ……願いは何だ……願いは何だ……願いは何だ……願いは何だ……』
「アイツを俺のものにしろっ!」
『……了解した……』
ゲームが、否、ゲームに見せかけた何かが繰り返し問い掛ける言葉に大が答え、化け物が再び動き出した。
(そうか、あれが……!)
夜は気付く。
あのRDAこそ、E・G・Oこそが、
化け物の源であり、化け物のコントローラーなのだと。
そうして、化け物が再起動する中で。
「な、なんだっ!?」
「これは一体……!!」
異形の向こう側……夜達がやってきた方から現れたのは、警察官二人だった。
彼らは、事件の顛末を予測して、抑止力として、女の子達の救助だけでも行ってもらえると先んじて夜が呼んでいた存在である。
しかし、この状況は夜の予測を遙かに超えてしまっている。
警察官2人だけでこの状況をどうにか出来るとは夜には到底思えなかった。
「逃げてください!! そして、増援を……」
「させるかよ、やれ!!」
RDAへの呼びかけなのか、そのものへの呼びかけになのか。
いずれにせよ、大の願いに応えて化け物が動く。
化け物は大きく跳躍して、警官の一人の前に降り立ったかと思うと身体を振って、その短い腕を叩きつけた。
それをまともに受けた警官は大きく宙を舞い、地面に叩きつけられる。
「動きを止めろ!! さもなくば発砲する!」
そうして警官の一人が動かなくなる間に、化け物から離れつつ銃を抜いていたもう一人の警官が警告を発した。
しかし、化け物は意に介さず警官との距離を歩いて詰めていく。
「くっ!! 止むをえん。発砲する!!」
パンッパンッ!!と銃声が響いた。
真正面なのもあって、銃弾は確実に当たっている。
にもかからわず、化け物は止まらない。
銃弾を飲み込んで、なお進み、先程同様の動きで、動揺で動けない警官を弾き飛ばした。
「……っ!」
いともあっさりと警官が返り討ちに遭うのを目の当たりにして、夜は唇を噛み締める。
見積もりが甘過ぎた。
そのせいで、警官二人に怪我をさせてしまった。
そんな憤りを感じつつ。
「はあっ!!」
警官に気を払い、生まれていた隙を突かんと化け物へと拳を放つ。しかし。
「くっ!!」
一瞬体表にめり込んだ夜の拳は不可思議な感触と共に押し出されてしまう。
当然と言うべきなのか、並の人間なら腹に入りさえすれば一撃で悶絶させられる一撃を、化け物は全く意に介していなかった。
その事に夜は動揺し、隙が生まれていた。
今度は化け物がその隙を突く形で、夜の手を掴む。
「なっ!?」
夜は先程の轍は踏まないよう警戒していた。
にもかかわらず、あっさりと掴まれてしまった事に声を上げる。
警戒の上をあっさり行かれてしまうほどの、姿に見合わない速さだった。
「おい、ソイツには手加減しろよ」
「っ!!」
そんな大の言葉を考慮したどうかどうか判然としない勢いで放り投げられる夜。
しかし彼女は、クルリ、と空中で回転し、叩きつけられる事無く、綺麗に地面に着地した。
「おお、すげぇ。一人で暴走族のしたって話は眉唾じゃないのな」
「……。なんですかっ!? なんなんですか、それは!」
今現在進行で展開されている不可思議な事態、存在に、夜は思わず叫んだ。
「教えてやるよ、これは……」
そんな夜の憤りの篭った疑問に対し、ニヤニヤと笑いかけながら大が答え掛けた……その時。
「エゴイスト。
知っている人間は、そう呼んでいる。
ゲームソフト、エレメント・グレート・オーブが人の魂に干渉する事で生み出された、人のエゴを形にしたもの。
今回は、世田大という人間の心の形だ」
「っ!?」
「誰だ!!?」
2人にとって全く想定外の声が響く。
ゆえに2人は驚きと共に声のした方……警官達が現れた方向……に顔を向けた。
一体いつからそこにいたのか。
気付かれないようにやってきたのか、それとも、互いの存在に集中していた2人が気付かなかっただけなのか。
ともあれ、2人が気付かないままにそこに現れていたのは、二人共に見覚えのある姿であり、人だった。
「西木、君?」
西木慧悟。
陰気で何を考えているのかよく分からない、クラスメート。
そんな存在が、そこにいた。
「遅くなってごめん。
出来れば確信に至る証拠なりを事前に揃えたかったんだけど。
どうにもそうはなってくれなかった。現行犯でしか、裁けなくなった」
昼間とは違う、朗々とした言葉で話す慧悟の姿に夜は驚かされ、目を奪われていた。
髪の隙間から覗く、目付きが悪い、鋭い、刃のような目に。
大は夜が注目した部分にさして気を払っていなかった。
気を払うべきは他にあったからである。
そう。
そこに立つ陰気なクラスメートが”知っている”事。
それこそが、大にとって注目すべきところだった。
「よく知ってるじゃないかよ……お前、まさか?!」
「……その通り、というべきか。
それより、世田。
お前は何処でソレを手に入れた? 誰からもらったんだ?」
「ふん……どうせ、お前も色々噂を聞いてるんだろ?
詳細は違うんだろうが、大体はお前の思ったとおりだろうよ」
「……なるほど。これ以上の情報は期待できない事は理解した。
なら、ココから先はいつもどおりだ」
「いつもどおり? なんのつもりだ?
どうやら、俺の事を色々嗅ぎ回ってたみたいだが……」
「なんのつもりも、こんなつもりもない。
今すぐエゴイストを消して、RDAを捨てて、お縄に付け。
お前のやっている事は、間違っている」
「なに……っ!?」
「自分の思い通りにならないからと女の子を誘拐、自分の都合で心身を傷つけた。
明らかに間違っている事だ」
「ふざけんなっ!! それは、こいつらが……!!」
「問答無用ッ!!」
大の意志を、言葉を、慧悟は一喝で簡単に打ち消して見せた。
ソレは、大はおろか、夜でさえも驚かせ、圧されるほどの力に満ちていた。
2人がそれに呑まれている間に、慧悟はなおも言葉を紡いでいく。
「色々言いたい事はあるんだろうが。
何処からどう見ても間違っている事に、言い訳は要らない。
だから、お前の我侭は、ここまでだ。
……壱野さん、ここから先は、出来る限り他言無用でお願いするよ」
ウヒヒ、と声に出しているわけではないのに、
何処かそうやっているような、聞こえるような気持ち悪い笑いを浮かべる慧悟。
そんな慧悟に戸惑いながら夜は問い掛ける。
「どういうことですか? 貴方は、一体?」
「別に。特別な事は何もないさ。
俺は……どこにでもいる、ただの”正義の味方”だ」
言って、彼が取り出したのは……RDA。
「それはっ!! まさか、貴方も……!!」
『……』
慧悟が手にするゲームから声が漏れる。
しかし、それは音声設定が小さいからか、大の時のようにはっきりとは聞こえなかった。
その小さな音声とは対照的に、慧悟は朗々と『応えた』。
「俺のエゴ。すなわち正義。纏繞転化(てんじょうてんげ)……デッドコードッ!!」
夜の動揺を他所に慧悟が吼えた後、彼の身体に変化が起こる。
孔が開いていく。
素肌の上に、シャツの上に、ズボンの上に、至る所に穴が開いていく。
そうして体中に開いた孔から、黒い根としか形容出来ないものが慧悟の身体を包み込んでいく。
それが全身を覆い、慧悟は完全に真っ黒になる。
それは、真っ黒い人型。
絵の参考などに使うデッサン人形を黒く染めたような、のっぺらぼうの人型。
それが一瞬だけボゴボゴッ!と歪に膨れ上がったかと思うと、皹が入り割れ、砕け散る。
そして、砕け散った黒い人型の中から、その姿が現れた。
「……っ!?」
「お前……?!」
そこには、異形がいた。
場面だけを切り取れば、ヒーローの登場シーンだろう。
だが、そう言い切るには難しいほどに、彼は異形だった。
個々のパーツを見れば、あるいはそのパーツのどれか一つのデザインで統一されていれば違った印象を誰もが持っただろう。
だが、そうではなかった。
アンバランスという言葉が生温く感じるほどに彼の姿は統一されていなかった。
右腕の全てが硬質的な……機械の鎧のようなものであるのに対し、
左腕は肩から肘までが右腕とは趣が異なる鎧の形状をしており、肘から下は生物を思わせる禍々しい形だった。
腕だけでもそれだけの差異があるのに、足もまた同じ様にチグハグな違いに溢れている。
一見すると差異が少ない……統一性があるように見える身体も、
左と右の胸部の筋肉とも装甲とも思える箇所がデザイン違いの上、厚みと言うか、膨らみ方が違っていた。
その背中からはバイクの排気筒のようなものが6本それぞれ微妙な歪みを持ちつつ生えており、その先端は全て地面を向いている。
そして頭部。
顔の部分は無貌……目や口が存在していない。
漆黒の鏡に顔の形に添った丸みを持たせたような仮面でしかない。
頭は兜を被っているような形状なのだが、それもまた異形。
左右の耳部分に付いたヘッドホンのような外観から伸びた角らしきものは、右は真っ直ぐ、左はグニャリと折れ曲がっている。
後頭部には、素直に額の辺りに付けていれば見栄えがあるだろう角が地面を差して生えていた。
そして、それらの身体を覆う『色』もチグハグ。
灰色、白、黒が全体的に混ざり合い、それぞれに存在を主張する姿は色彩的な不快感を与える代物だった。
それらを総括すれば、彼……西木慧悟の姿は。
(醜い……)
そう。禍々しく醜かった。
統一された醜さを持つ、世田大が生み出した化け物よりも、夜には醜く見えた。
そんな慧悟が変わったと思しき姿を一瞥して、詰まらなそうに大は言った。
「ふん。やっぱりお前も同じものを持ってたのか。
つーか、自分自身を変身させるなんて事が出来たんだな。
でも、まぁ、その醜さじゃなぁ。俺はごめんこうむるがな」
「同じじゃない。
君達が使うのはエゴイストで、俺はエゴイストの中の、デッドコードだ。
あと、美醜に勝ち負けをつけるのは感心しない。そんなもの人それぞれだ」
ケタケタと普段の好青年ぶりが欠片も感じさせない笑いを上げる大に対し、
慧悟は普段とは逆に静かに、それでいてはっきりとした言葉で彼の言葉を否定した。
「デッドコード? 何か聞き覚えあるけど、なんだそれ?
それに、お前……そんな事言って恥ずかしくないの?」
「デッドコードの意味は話すと長くなるから言わない。
あと恥ずかしいかどうかだけど、それが俺のエゴだから別に恥ずかしくはない。
まぁそれ以前に恥ずかしいかどうかなんてどうでもいい事だけど。
そんな事より、顔見知りのよしみでもう一度だけ聞く。素直に自首するなりする気はあるか?」
「あるわけないだろ? そもそも、そんななりでコレに勝てると思ってるのかよ?」
「……分かった。じゃあ、遠慮はしない。
さて……行くか」
その呟きの後、慧悟ことデッドコードは地面を蹴った。
直後、夜は思わず息を呑んだ。
デッドコードの速さに舌を巻いた。
夜は、流れている噂通り、趣味と実益を兼ねて護身術や格闘術を自身に叩き込み、かつ毎日努力し続けている。
彼女の師匠と呼べる人物には、プロの格闘家にならないかという勧誘(本気)を受けるほどの実力を持ってもいる。
そんな彼女が、デッドコードの動きを完全に見失ってしまっていた。
(人間以上の、速さ……?!)
夜自身、自分が人間として極めているとは言わないし、言えない。
だが、デッドコードの速さは彼女にそう思わせるのに違和感を感じさせなかった。
先程自分をいとも容易く掴んだ化け物の速さ以上に。
そんな人外さで飛び出したデッドコードは、その圧倒的な速度を乗せた跳び蹴りを化け物……『エゴイスト』に叩き込んだ。
まともにデッドコードの一撃を受けたエゴイストは、弾き飛ばされ、地面を数度バウンドした後、転がっていく。
「……え? なっ!?」
エゴイストが転がっていく姿を目の当たりにして、大は戸惑いの声を上げた。
そんな大に構う事無く、デッドコードはエゴイストに向かっていく。
「な、なにやってんだよ! そんな奴、潰しちまえ!!」
『……了解』
大の言葉に反応したように、エゴイストが動く、が。
それよりも速くデッドコードの二度目の蹴りが炸裂。
蹴り飛ばされたエゴイストは壁に衝突する……かに見えたのだが。
エゴイストは先刻の夜の動きによく似た動きで回転、体勢を整え、直後背後の壁を蹴って空へと舞い上がった。
そして、デッドコードに向かって急スピードで落下していく。
「!! ちっ!」
回避は出来た。
だが、自身が現在立つ場所で回避すれば、背後にいる夜が潰されてしまう可能性がある。
そんな逡巡をしていたデッドコードの上にエゴイストが落ちてくる。
「ぐっ!?」
自身より二回りほど大きなエゴイストの体をどうにか受け止めるも、僅かに体勢を崩すデッドコード。
そこへ着地したエゴイストが前足を上げて、押し潰しに掛かる。
二重の意味で避けられる状態ではなかった為、デッドコードは否応にもそれを力比べのような体勢で受け止めるしか出来なかった。
「潰せ! 潰しちまえ!!」
「っ!!」
最初は互角だったが、体格差か、重量か、純粋な力の差なのか、デッドコードは徐々に押されていく。
「やっぱり力はこっちが上だよな」
「……っ!」
「そのまま一気に……ってうおっ!?」
大が声を上げたのは、デッドコードの集中する余り完全に存在を失念していた夜が自身に足払いを掛け、押し倒したからだった。
夜は必死の形相で大を押さえ込み、RDAを奪おうとする。
それは状況を打開しようという、慧悟を助けようとする、彼女の判断であり、心だった。
「壱野!? ……く、苦し……た、助け……」
瞬間。
生みの親の危機に反応したエゴイストの意識がそちらを向いた為か、力が緩む。
それをデッドコードは見逃さなかった。
「はぁぁっ!!」
気合が溢れ返りそうな叫びと共に、デッドコードはエゴイストを投げ飛ばす。
それなりのダメージを負ったのか、地面に叩き付けられたエゴイストは即座には立ち上がれずにいた。
そんなエゴイストの目の前に堂々と、力強く立ちはだかりながら、デッドコードは告げた。
「もう一度言う。……我侭(エゴ)の時間は、ここまでだ……!!」
デッドコードの能面の仮面。
その奥にある二つの眼に赤い光が灯る。
直後、背中にぶら下がっていた排気筒が動き、翼のように広がっていく。
そして、ソレと共に後頭部で地面を指していた角がスライドし、額へと移動していった。
そこが本来の位置だと主張するように、角は天を突き刺し、貫かんとするような位置で停止する。
「変わった……!?」
「何してる!! やれ!! 始末しろ!!」
デッドコードの変化に意識が向く事で力が緩んだ夜の隙を突いて、エゴイストに命令を下す大。
それに応え立ち上がると、エゴイストはデッドコードに先程同様覆いかぶさっていく。
それにより、再び力比べが始まる。
が、しかし。
「は、ああああああああああああっ!!」
先程は同じ力比べの状況で圧倒したはずだったエゴイスト。
しかし、今度は逆にデッドコードに圧倒され、押し返されていく……!!
「な、なんで……!? さっきはっ!!」
「コレが俺のフルパワーだ。
冥土の土産に教えておくが、この状態になった場合、通常時の10倍以上の力が出せる。
正確な所は測った事がないから分からないけど、なっ!」
最後の言葉と共に、エゴイストを持ち上げたデッドコードは、再度、より強く地面に叩きつけ、即座に殴る。蹴る。
夜の攻撃や、銃弾ではびくともしなかった体が揺れ、エゴイストから苦渋の声が零れる。
それに構う事はなく攻撃を続けた果てに、デッドコードは止めとばかりに空へとエゴイストを蹴り上げた。
飛行能力はないらしく、エゴイストは空中で戸惑っていた。
手足をばたつかせるものの、ソレは何も為さない無意味な行為でしかなかった。
そして、その隙を見逃す理由は何処にもない。
「……っ!!」
無防備なエゴイストを追って、地面を蹴り、空へと舞い上がったデッドコードは、
エゴイストのいる高さを追い抜いた直後、思う様上半身を反り返らせる。
一連の動作の中、天を指す角に何処からか生まれた白い光が集まっていく。
そして。
「ルナティック……!」
上半身を反り返らせた体勢から、その瞬間に排気筒から放出されたエネルギーをプラスした勢いで。
輝きが最高潮になった角を。頭を。エゴイストの身体に。
「デバッガー!!」
叩き付けた……!!
「って、頭突き……!?」
頭を叩き付けられた部位からエゴイストは罅割れていき、最終的には身体を真っ二つに引き裂かれる形で砕かれた。
直後、ガラスが粉々に砕け散るような音が、強く当たりに響き渡る。
粉砕されたエゴイストは、バラバラになりながら、更に微細な黒い塵へと変化し、最後には風化したのか見えなくなっていった。
「……デバッグ、終了」
そう言って、地面に降り立ったデッドコードが立ち上がり、大に視線を向けた瞬間。
「がっ……!? くっ、あああっ!!?」
組み抑えられたままだった大は苦悶の大声を上げ、夜の下で意識を失った。
「世田君っ!?」
「……大丈夫。
肥大化した欲望部分を破壊されたショックで一時的に意識を失ってるだけだ。
後遺症は残るけど、それはどうしようもない」
「え? 後遺症って……?」
あまりに突拍子も現実感もない状況の推移に、夜は戸惑い、鸚鵡返しに呟くしか出来なかった。
そんな夜にデッドコード、慧悟は淡々と答える。
「別に長い目で見ればどうってことはない。
エゴイストの被害に遭った人達の事を考えれば」
怒りを思わせる言葉の内容とは裏腹に何処か冷ややかさを感じさせる、人間味を感じさせない慧悟に、夜は寒気を微かに感じた。
そんな夜の心情など知る由もないデッドコード、その姿が最初に変わった時のもの……慧悟の言葉を借りれば通常時へと戻る。
「……さっきは、ありがとう。お陰で助かった」
「え?」
「君の助勢がなかったら、もう少し手間取ってたと思うから」
「そ、そうですか」
「とにもかくにも、これで彼が事件を起こす事は二度とない」
「……どうしてそう言い切れるんですか?」
「エゴで形成されたあの姿が砕かれるという事は、文字通りエゴ……自我が壊れるという事。
再びE・G・Oを手に入れた所で、そう簡単に復活は出来ない。
それに物質化したエゴは云わばもう1つの自分。
それを砕くという事は、エゴに付随する記憶や人格その他を砕くという事でもある」
「……つまり、あの姿になっていた記憶や経緯を失うって事ですか?」
「そういう事。君はやっぱり頭が良いね」
「……皮肉ですか?」
淡々とした口調でそう言われ、夜は思わずそう呟いてしまっていた。
そこには何も出来なかった自分への苛立ちがあったが、その時の夜には気付く余裕がなかった。
「え? ……そう聞こえたんだ。この言い方は駄目なのかぁ」
「……もしかして、素直に褒めてくれたんですか?」
「その、つもりだったんだけど……悪かったね。
うーむ。ふむ。まぁ、いいか。それより、申し訳ないけど今回は後の事は頼むよ」
そう言うと、慧悟はシートの方を一瞬だけ見て、視線を戻した。
……どうやら『中身』を悟っている、否、知っているらしい。
「流石に状況が状況だ。俺がどうこうするのは色々問題だろう。
ただでさえ、俺は嫌われ者だし。特に女の子には」
「……その、西木君、何が一体……もっと詳しい話を……っ!」
そう言って、夜が近付こうとした時だった。
パンッ、と乾いた音が、銃声が響いた。
「そ、その女の子から離れろ、化け物……」
いつの間に意識を取り戻していたのか、地面に倒れたまま息も絶え絶えに銃を構える警官。
その銃からは微かな煙が上がっていた。
そんな警官にゆっくりとした動きで視界に納め、眺めるデッドコード。
それに対し、警官は震えた動きながらも確実にデッドコードへの狙いを定めていた。
下手をすれば一触即発な2人を見て、夜は慌てて声を上げる。
「ち、違うんです……彼はっ……」
「……まぁ、こういう姿だし。しょうがないよ」
慧悟は意に介した様子もなく肩を竦める。
慣れきっている、そう言わんばかりだった。
「じゃあ、説明は、また後日に。ああそうだ、最後に」
デッドコードは大のRDAを拾い上げ、まるで紙屑を丸めるように簡単に破壊する。
人間外の力を持っている事を、まざまざと夜に見せ付けるように。
「これで、また一つ根を断てた。先は長いな」
「……あ、あの……」
「じゃあ、また」
自身に何かしら声を掛けようとする夜を遮るような言葉を残し。
デッドコードは地面を蹴り、大きく大きく跳躍し、去っていった。
残された人々は、呆然とそれを眺める事しか出来なかった。
……続く。