プロローグ 地上に在る星













 闇は多くのものを覆い隠す。
 美しいものも、醜いものも、関係なく。

 しかし、闇の中に瞬くものがある。
 闇でも隠しきれないものがある。
 闇の中なればこそ一際強く目に映るものがある。

 それは光。それは星。
 光は、星は、夜空という、あるいは宇宙という闇の中にあって見上げる人の目に留まる輝きを放つ。
 あるいは、闇の中だからこそ、なのか。

 しかし、夜空に瞬く星や光は遠くあればこそ、人にとっての希望であり、導きたりえる。

 強い光を近くに置けば、生物は……人間は目を焼いてしまうだろう。
 少なくとも、その輝きを直視し続ける事は出来ない。

 自ら輝く星に住まい、生きる事が可能な生命は基本的に存在しない。
 将来的に何かの手段や道具を用いれば不可能ではなくなるのかもしれないが、少なくとも現状の人間にソレが困難なのは明らかだ。

 そう。
 ”光”は、人のすぐ側にあれば害でしかないのかもしれない。

 ”光”のみならず、そういうものは確かにある。存在している。
 遠くから見ていれば美しくも見えるが、近くで見れば醜悪でしかないもの。

 人の願いも、そうなのかもしれない。
 大きく見て夢、希望とすれば美しいが、小さく見て欲望とすれば醜く感じる。

 そうして考えると、距離というものは重要なものだろう。

「……そう。
 お前は、自分の欲望に理性を、心を近づけ過ぎたんだ」

 よく言われる事だが、本能と理性は相容れないもの。
 その二つを近付け過ぎてしまった時点でこの結末は避けられなかったのだろう、と呟きながら”ソレ”は思った。

「お前、何だ、なんなんだ……!!」

 力を失い、崩れ落ちながら、男は必死の形相で問い掛ける。
 何処にでもある街の裏路地、暗闇の中、自身の眼前に立つソレを残り少ない気力で睨み付けながら。

 何処からか漏れる、微かな光に照らされるソレは異形だった。
 基本的には人の形をしていながら、そうではない姿。
 怪人、あるいは化け物と呼ばれてもおかしくない、否、そのものの姿を、ソレはしていた。  

 ごく普通のサラリーマンスーツを着た、中年と青年の境界にある風貌の男の側に立つソレは、跪き、今にも倒れそうな男を一瞥して小さく頷いた。
 何かに納得するような、あるいは憎悪を込めた男の視線を受け止めるような頷きの後、ソレは名乗った。

「デッドコード」

 デッドコード。
 それは近い将来、罵倒、怨嗟、憎悪を持って呼ばれる事になる存在の名前にして称号。

 様々な出来事の後にそうなっていく名である事など知る由もなく、それを聞き届けた男は、
 少なからず満足したのか、あるいは単純に体力の限界だったのか、地面に倒れた。

 そうして倒れた男の頭上には、別の異形がいた。
 地上から数メートルの辺りに浮かんでいたそちらの異形は、人の形をしていない。
 というより、既に元々の形から崩れ落ちつつあり、原形を留めていなかった。
 男が意識を失った瞬間を皮切りに、より加速度的に崩壊を進め、ついには塵となって消えていった。

「……デバッグ、終了」

 己が破壊したその異形が完全に崩れ去るのを見届けたソレ……デッドコードは、
 意識を失い、糸の切れた人形のように地面に倒れた男との距離を堂々とした足取りで歩み寄って更に詰める。
 正確に言えば、その男が持っていたと思しき、四角い、プラスチック製の……最新鋭の携帯ゲーム機との距離を。 

「ば、化け物……!」

 デッドコードがそうして動いた直後、その声が小さく路地裏に響いた。
 声の主は、男の向こう側……袋小路に座り込む一人の女性。
 腰を抜かし、壁に背を預けている彼女は最初からこの場所にいた。起こった事の一部始終を見ていた。

 ゆえに、恐れていた。
 後から現れた自らをデッドコードと名乗った存在が、自身をココに連れ込んだ男のように、自分も殺してしまうのではないかと。
 
 女性は気付いていない。
 男はただ意識を失っただけで、確かに生きている事に気付いていない。それゆえの誤認だった。

 デッドコードはそんな女性にちらりと視線を送る。
 そうして彼女の全身を確認すると興味を失ったように、改めて地面に転がっていたゲーム機に視線を移した。

「……ん?」

 倒れた時に落としたのか、皹が入ったゲーム機を眺めていたデッドコードが不意に顔を上げる。
 その耳には遠くからこちらに近づいてくる足音が微かに、だがハッキリと響いていた。 

「……行くか」

 近づいてくるものが何であれ、自分の得にはなりえないだろう。
 そう判断したデッドコードは、ゆっくりと足を持ち上げ、ゲーム機を踏み砕いた。
 念入りに磨り潰した上でゲーム機の破壊を確認した後、地面を蹴る。
 デッドコードは一跳びで数十メートルの高さのビルを越える、人間を明らかに逸脱した跳躍力により、夜空へと昇っていった。

 そうしてデッドコードがこの場所から姿を消した時点で、角から……表通りの方から一人の少女が姿を現した。
 何処かの学校の制服を着ているその少女が辺りを見回すも、
 そこにいるのは気絶している人間一人と、何かへの恐怖からかガタガタ震えている女性が一人。
 少女の目的……そうアタリを付けている何かしらの存在は見当たらなかった。

(仕方ありませんね……)

 内心でそう呟いた少女は、気絶した男の側に座り込むと、怪我や脈の有無を確認した。
 命に別状はない事を確認し、安堵の息を零す。
 女性の方も怯えて震えているが、外傷などはないようだった。
 それらを確認した上で、彼女は携帯電話を取り出した。

「……瑞樹さん。救急車の手配をお願いします。その後迎えに? 
 はい、お願いします。はい、ええ、今回もです。
 ……? あ、いえ、なんでもありません。それでは」

 携帯による会話を終えた少女は、地面に散らばっている何かに気付き、しゃがみ込んでそれを観察した。

「何かの破片……? これは、RDA……ですよね、多分」

 後で調べて確認する必要がある……
 そう考えて、彼女はその砕け散った様子を携帯電話のカメラに写した。
 出来れば現物を持って行きたいが、流石にそれは問題があるし、現場検証をするであろう警察に迷惑を掛けてしまう。

(しかし、これは……)

 携帯を閉じながら思考を続ける少女。
 そんな少女の耳に、女性の声が届く。

「ば、化け物……化け物が……」
「大丈夫です。もうここには化け物はいません。安心してください」

 少女は、恐怖で震える女性の下に歩み寄り、しゃがみ込んで彼女の手を優しく握り、包み込んだ。
 彼女の手の震えはまだ収まっていない。収まらない。

(こんな状態で話を聞くのは、流石に酷ですね……)

 少女は、女性から話を聞く事をとりあえず諦めた。
 今は無理だろうが、いつか彼女に無理がない時に話を聞ければいいだろう。
 一体ここで何を見たのかを。

 そう少女が考えていた時だった。女性が、その名前を口にしたのは。 

「……デッド、コード……って……デッドコードって、なに、なんなの……!?」
「デッド、コード……?」

 女性が零した単語を、彼女は鸚鵡返しに呟く。

 彼女……少女、壱野夜(いつの よる)は知らなかった。

 ここから先、自身がデッドコードと名乗った存在に深く関わっていく事を。
 そして。

「…………」

 今、そのデッドコードが、すぐ側のビルの屋上から彼女を観察するように見下ろしている事も含めて、この時はまだ知らなかった……。










 ……続く。









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