第五話 初めてだらけの旅のはじまり・4










 事の起こりは、少し前。
 緊張やら何やらで少し遅めになった目覚めの後、
 僕はとりあえず、バス最上階にあるメインルームこと第一操縦室――
 バスの中で最もバスっぽい、座席や運転席のある例の場所である――に向かった。

 そこには、運転中のヴェルさんの他、既に起きていた群雲君やオトネがいて、動力伝達用のグリップを握っていた。
 僕は、少し考えてから二人の近くの席に座った。
 微妙に遠慮というか、気恥ずかしさというか、そういうのがあったのは事実だが、
 昨日考えた事や群雲君の心遣いを無駄にしたくなかった事もあったからだ。
 自分のここでの役割がよく分からない以上、今の自分に出来る事をしたかった。
 あと、自分と話す事で二人の気分や退屈が少しでも晴れるのであれば良いと思ったからでもあった。
 ……それすら自分に出来る事なのかへの疑問とか、色々考えてしまう事はあったが、それは強引に心の内に押し込めて。

 ともかく、僕は前に進む事を考えつつ、仲良さげな二人の話に時折相槌を打ったりしていた。
 そんな事を数時間続けて、標準時刻でのお昼時、群雲君が僕とオトネに食事休憩を提案してきた。
 どうせなら三人一緒に、というと、群雲君はやんわりとそれを拒否。
 なんでも少しでもバスを前に進めておきたいから、という事らしい。
 あと、多分僕が少しぎこちない様子を察して、オトネと二人で話せるように、という心遣いなのだろう。
 正直二人だけだと尚の事話し難いような気が思いっきりしたのだが、昨日の事もあり、群雲君には借りがある。
 なので、素直に提案に乗って、僕とオトネはバスの真ん中くらいの階にある食堂に向かった。

 ヴェルさん曰く、このバスには長い旅路の中でバス内でも皆が退屈しないように様々な施設が設けられているという。
 少なくとも昨日僕が確認しただけでも、食堂、プール、スポーツジム、小さな映画館、ゲームセンターなどなどあった。
 僕的に興味津々な数々――
 ゲームは時代や世界を越えた様々なものがあり、映画も未知の作品がラインナップされている――
 なので、今度行ける時に行っておきたい。

 閑話休題。
 ともかく、僕とオトネは食堂に向かった。
 するとそこでは、ソージさんとサラリーマンさんが多少離れた席でそれぞれの昼食を食べていた。
 サラリーマンさんは、ごく普通の海苔弁を、何か本を読みながら遅いペースで口にしていた。
 ソージ君はスパゲティナポリタン、だろうか? ともかくそれに嬉々とした顔で夢中になっている。
 オトネはごく普通に、僕はそんな二人を邪魔しないように何処かコッソリとを意識して食堂に入る。

「はいな、いらっしゃいませー」

 そんな僕達に厨房から声を掛けてきたのは、この食堂を一人で切り盛りしているシェフさん。
 二十代前半くらいの、ボブカットで茶髪な女性――の姿をしたアンドロイドだ。
 疑う僕に腕の一部を展開して、内部を見せてくれたから多分間違いない。サイボーグって線も捨てきれないんだけど。

 このバスでは最上階のバス座席の他、全自動で食べ物を作る機械があちこちにあるが、
 それだけでは侘しいからと、人の手を介した食事を求める人用にこの食堂を開いている、らしい。

「今日は何食べる? 君、昨日はカレーだったけど」
「あー……なんでもいいんですよね?」
「勿論。どんな料理も取り揃えてるのが自慢だから。でも特に思いつかなかったら、ランチセットもあるよ」
「ランチセット?」
「アタシが適当に、だけど的確に組み合わせた献立と、おまけを一品」
「おまけ?! おまけってなにー!?」

 おまけと聞いて、オトネが目を輝かせた。……いや、僕もだけど。
 そんな僕達に可笑しかったのか、ニッカリ笑みを浮かべてシェフさんが言った。

「おまけってのは、食べる人にとっての、思い出の何か、かな。何が出てくるかはお楽しみってね」
「えー? 玩具とかじゃないのー!?」
「……すみません、もしあったら付けてあげてください」
「あいよ。ファミレスとかだとそういうのお約束らしいからね。ちゃんと準備してるよ」
「ありがとうございます。ちゃんと付くんだってよ玩具」
「おお、やったー!」

 そうして注文を終えた僕達は、二人とは少し離れた場所の四人用の席に着いた。
 ちなみにオトネには隅においてあるお子様用の椅子を、許可を得て一つ引っ張ってきた。

 しかし、この食堂、というかバス。
 旅の参加者は十人足らず、ヴェルさんやシェフさんみたいなスタッフ入れても、バスの搭乗者は多分二十人はいかないだろうに、無駄に大きい。
 そもそも何故バスなのか。ヴェルさんの実家は何をやっている家なのか、
 あとなんでヴェルさん本人が着ぐるみ着て運転しているのか、気になる事が多過ぎる。

 だが、それを聞きまくるのは気が引けた。
 人にはそれぞれの事情があるのだし、無理にそこに踏み込んでいくのは躊躇われる。

 僕がその手のことに臆病なのも理由だが、どちらかというと自他共に無遠慮なのが好きじゃないのが一番の理由だ。

「ねーねー、コータはどーしてバスに乗ったのー?」

 とか思っている矢先に、隣の席に座るオトネから子供らしい無遠慮な質問が飛んできた。
 とは言え、流石にこの程度だと不快に思うまでもないので、僕は少し考えてから答えた。

「……うーん。旅がしたかったから、かな」

 ヴェルさんに誘われた時や群雲君との会話を思い出しつつ、そう呟く。
 現実の諸々から微妙に逃げ出したかったとか、副次的な理由は数あれど、
 このバスに乗ったのは、最終的には旅そのものに惹かれたからに他ならないだろう、そう思う。

「お願い事、やっぱりないんだねー」
「そうだね」 
「何か楽しい事かんがえときなよー たとえば、絵本が本当になるとかー」
「うーん、今もそんな感じな気がするけどね、僕は」
「そーかなー。ほかにはねー。なにがいいかなー。あ、そうそう。アタシのお願い事はねー」

 子供らしい二転三転する話題に苦笑しながら聞き入っていると、満面の笑顔でオトネは言った。

「死んだおねーちゃんを生き返らせるのー!」
「……え?」

 いきなり飛び出した重すぎる事実に、僕は言葉を失った。
 それに気付かないオトネは、変わらない調子で言葉を続けた。

「おねーちゃんが死んじゃってから、パパもママも元気ないからね。
 アタシがお願いして、生き返らせてもらうの。
 それまでは、ちょっとさびしいけど、頑張るの」
「そう、なんだ。……ヴェルさんは、それが出来るって、言ったの?」
「ヴェル? 着ぐるみさん? うん、出来るって。ちゃんときょーそーに勝ったら、だけど」
「……そっか」

 瞬間、僕の中に色々な考えが過ぎった。
 死者を生き返らせる事の物理的・倫理観的、両方の意味での可否、
 無邪気に死者復活を望み、それを信じるオトネに何か言うべきなのかどうか、
 それ以前にヴェルさんは何を考えてこの子を選んだのか。

 ただ、今の僕にはそれらへの答えが思いつかなかった。

「そう出来たら、いいね」

 そうして、僕は無責任だと分かっていながら、そう答える事しか出来なかった。

 事情も知らずに、やっちゃいけない事だ、と僕の十数年で作り上げられた倫理観で言い切る事はできなかったから。
 そもそも、本当にそれがやっちゃいけない事なのかどうか、オトネの顔を見ていると自信がなくなってくる。
 だから、今の僕にはそう言う事しか出来なかった。

「……ムラサキと同じ顔してるー」
「え?」
「おなじ話した時、ムラサキもそんな困った顔で笑ってたよー?」
「そ、そうなんだ」
「アタシ、何か悪い事しちゃった……?」
「あ、いや、そんな事ないから。大丈夫大丈夫」
「そっかー、うん、それならよかったー」  

 そうして僕らが笑い合ったそのタイミングで料理が運ばれてきた。
 というかシェフさん自らがレストラン用の台車で運んできた。
 そこから取り出された料理が並べられる。……目の前にはお子様ランチが二つ。

「えっと、これは……?」
「お子様ランチ2つだよー。今日はそれが良いかなって思ったもんでね」

 プスーッ!と笑いを噛み殺していると思しき声というか音というかが微かに響く。
 こちらの様子に気付いたサラリーマンさんのもののようだ。

「そ、そうですか。お子様ランチ好きですし、いいですよ、うん」
「コータお子様ねー」
「いや、オトネもお子様ランチだからね? お子様だからね?」
「アタシは特別なのっ!」
「あー、うん、そうなんだー」
「……ふむ。不満を隠すのが大人だとは限らないよ、網倉クン」
「いや、僕的に不満はないんですけど……」
「そう? まぁ意地を張るのもほどほどにね。っと、そうそう。こちらが思い出の一品よ」

 シェフさんがそう告げて、僕とオトネのそれぞれに置いたもの。
 オトネは……ウサギの形に切られたリンゴ(1個分を6等分してある)。
 僕は……ブラックコーヒー?

「え? 僕これ?なんですか?」
「そうだよ」
「砂糖とか、ミルクとかは」
「それがないコーヒー。見栄っ張りなコーヒー。
 今の網倉クンにはそれが一番良い思い出の品だと思ったのよ」
「はぁ」
「まぁ分からないんならいいさ。じゃあごゆっくり。アタシはちょっとだけ充電タイム」

 困惑を与えるだけ与えたまま、シェフさんは去っていった。
 正直僕には何の事だかよく分からない。だけど。

「うわーウサギさんだー! おねーちゃんが切ってくれたウサギさんそっくりー!」

 オトネの方には心当たりアリアリだったらしい。

「そうなの?」
「うんっ! かたっぽの耳がちょっと曲がってたりとか、耳が長かったりとか短かったりとか、そっくりだよっ」

 どういう事なんだろうか? オトネから話を聞いてた? 
 しかし、仮にそうだとしても正確に聞き出して、正確に再現できるのだろうか。
 まぁ、そもそもヴェルさんは普通知り得る筈のない僕の内面すら言い当ていていたのだから、
 同様にオトネの事を知っていても不思議じゃないし、それをシェフさんに伝えていたのかもしれない。

 そう考えると、僕に出されたこのコーヒーは何なのか。僕自身心当たりはないのだが……などと考えていたのだが。

「おぉぉぉぉっ!? それ赤リンゴだよな!? 赤リンゴなんだよなっ?!」

 横合いからそんな大声が響き渡り、その思考はいとも簡単に吹き飛ばされた。
 声の主は分かっていたが、半ば反射的に確認の為に視線を向ける。
 そこには子供のようにリンゴに目を輝かせるソージさんがいた。
 あんまりのはしゃぎっぷりにオトネすらただ驚くばかりである。

 なので、僕が代わりに返答する事にした。

「いや、うん、そうですけど」

 むしろ赤リンゴ以外の何に見えるのだろうか?

「いや、勘違いしてほしくないんだけどさ。いくら俺でもリンゴは知ってるよリンゴは。
 でも赤リンゴは見た事なかったんだよ」
「赤リンゴを見た事がない?」
「というか、赤って色を血以外で初めて見たのがこのバスの中っていうか、あのスオウって子だったって言うか」
「スオウ……? えっと、あの髪や目が真っ赤な、あの女の人ですか?」
「そうそう。
 俺のいたコロニーは、極端に争い事を拒絶してる所でさ。
 血を思い起こさせるような色――要は赤色系統が使われないようになってるんだよ。
 だから俺、自分が転んだ時とか以外殆ど赤色なんか見た事なくてさ。
 そもそも怪我も稀っていうか」
「コロニー……? ひょっとすると、宇宙コロニーとか、そういうもの?」
「むしろそれ以外の何があるんだ?」

 さも当然に言われて、僕は一瞬言葉を失った。
 赤色を見た事がない、宇宙コロニー育ちの人。……もう、ホントに常識は投げ捨てた方が良いのかもしれない。

「やっぱお前、つーかお前たち、か。昔の人間なんだよな。地球育ちなんだろ?」
「ええ、少なくとも僕はそうですけど」
「へー。羨ましいな。
 赤色とか、エロ本とか、漫画とか、ゲームとか、特に規制されてないんだろ? 
 いいよなぁ。なんで俺のコロニーは……って、そんなことより」

 そこまで言うと、ソージさんはお子様椅子に座ったままぼんやりと話を聞いてたオトネに視線を合わせて言った。

「なぁなぁ、これ一個俺にくれないか?」
「いやいやいや、シェフに頼めばいいじゃないですか」
「まぁそうなんだけど、今丁度いないし、いつ帰ってくるか分からないじゃないかよ」
「というか、見てのとおり中身は赤くないですよ?」
「分かってるって。赤リンゴの味に興味があるんだよ。だから、な? 
 今度俺の食事にデザート出たら分けるから」
「ホント?! ならいいよー」
「おお、マジか。サンキュな、えっと……オトネ」
「うんっ。あ、でも」
「じゃ、いっただきまーす」

 オトネが言葉途中だったことに気付いていなかったのか、
 ソージさんは一個ヒョイッと皿から掬い上げて、即座に齧った。

「うお、この酸っぱさ。調整されてない頃のリンゴこんなんなのか。
 でも、なんか新鮮だな。悪くない。
 青リンゴのと大差ないといえばそうだけど、自然の味って感じ……」
「……オトネ? どうかした?」 

 ソージさんがリンゴを掬い上げた直後、皿を凝視するオトネの様子がおかしいことに気づき、僕は声を掛けた。

「……たのに」
「え?」
「耳曲げたの、アタシが食べようと思ってたのに……!」

 ああ、言い掛けたのはその事だったのか。僕が推察した、その直後。

「ああ、悪いわるぅぅぅっ!?」

 顔を上げた涙目のオトネが、ソージさんを睨みつけた次の瞬間。
 ソージさんの身体が少し離れた食堂の壁に吹き飛ばされ、叩きつけられた。……見えない力で、だ。

「そ、ソージさんっ!? っておおおおおおっ!?」

 慌てて駆け寄った僕の身体もまたソージさんの隣に磔にされる。 
 多分ソージさんに向けられている力の余波なんだろうが……。

「ちょ、お前ら何してんの? 新しい遊び?」

 そんな僕達に起こっている異変に気付いたらしくサラリーマンさんがヘラヘラと笑いながら近くに寄ってくる。

「ぎぎ、ちょ、近付かない方が……!」
「というか、誰か呼んで来てくれよ、オッサン……!」 
「オッサンとはなんだオッサンとは。こりゃあ、説教してやらんっとぉおおぉおぉっ!?」
「何してんのアンタァァァァッ?!」

 そうして説教の為になのか不用意に僕達に近付いたサラリーマンさんもあっさりと磔にされ。
 ……というのが、現状である。

「ふえぇぇぇぇぇんっ!」 

 どうやらこの見えない力の源はオトネらしく、彼女が泣くたびに僕達に掛かる圧力が強くなっていくわけで。
 ぶっちゃけ僕たちはかなり瀕死の状態であった。

「こ、これ、もう、ヤバイ……」
「うぎ、ぐぐ」
「……っ、オトネ、やめ、なさ、ぐぅぅ」

 懸命に声を上げようとするものの、いかんせん難しかった。
 そんな中。

「こうなったら、しゃあ、ない、か……コネクト、アクセス……!」

 一番潰れ度が高かったソージさんが渾身の力を込めて壁を叩いた。
 瞬間、青く光る波紋のようなものが壁に伝わり、広がっていく。
 その直後、食堂の天井に備え付けてあった消火用スプリンクラーから水が降り注いだ。

「ふぇぇぇぇ……え? 雨? あ、天井から……」

 それにより気が逸れたのか、僕達に掛けられていた圧力が消失し、僕ら3人は床に落下・転がった。

「うわぁ、すごーいっ」

 喜ぶオトネ……凄い勢いで水に濡れてるが、大丈夫だろうか、風邪とか……をよそに、僕達はどうにか立ち上がる。

「二人とも、大丈夫、ですか?」
「ああ、なんとか、な。所で、お前さんさっきのは……?」
「ん? ああ、一時的にこのバスの一部をコントロールしたんだよ。
 俺ら世代だとインターフェースなしでもこのぐらい楽勝だからな」
「……ハッキングしたって事?」
「違うけど、まぁそんな感じでいいさ。……んな事より、さっきのはなんだったんだ? お前知ってる?」
「いや……」
「言っとくが俺も知らんぞ」
「知ってるよ。知ってたらオッサン不用意に近付かないだろ」
「オッサン言うな」

 そうして僕達がオトネに微妙に視線を送りながらも、話しかけられずにいると。

「……どーかしましたか? 制御系が一部奪われたのですが」
「何か……って、これ、どうしたの……? まさか、オトネちゃんが……?」
「はぁ……さて仕事再開……ってなにこれぇぇっ!?」

 異変に気付いてやってきたらしいヴェルさん、その付き添いらしい群雲君、休憩を終えて帰ってきたシェフさんの声が食堂に響く。
 人口の雨によって食堂は水浸し、僕達は微妙に憔悴しており、水浸しの中、オトネは雨遊びを楽しんでいる。
 この状況をどう説明したらいいものかどうか。

 なんとも言えない男三人はただ顔を見合わせることしか出来ず、オトネが遊ぶ声がただ響いていた。








「……はぁ」

 翌日。
 僕は上機嫌とは言い難い表情で最上階……第一操縦室と名の付いた、バスっぽい空間に向かうエレベータに乗っていた。

 昨日の出来事もまた、僕に色々な事を考えさせた。
 オトネもまた明確な目的を持つ、何かの力を持った選ばれたもの。
 そんなオトネの力に、僕は正直多少なりとも萎縮させられてしまった。
 怖い、というほどではないが、どうにも話し難くなっていたのである。
 そう思っていたのが態度や表情に出ていたからか、あの後は微妙にオトネに避けられていた、というか微妙に目を逸らされていたというか、そんな気がする。

 折角群雲君に励まされたというのに、あっさりと情けない自分に逆戻り。

 ……昔からこうだった。
 何か少しでも自分を変えようと思うと、そうはさせじとカウンター的な出来事が起こる。
 泣き虫だった自分に決別しようともう泣くまいと決意した当日に喧嘩で泣かされたり、そういった事だ。

 結局旅に出ようがなんだろうが変えられないものは変えられない。そういう事なのだろう。
 だが、それでもそんな自分を変えたい気持ちもあって、でもそうするとそれを抑え込もうとする様な出来事が起こるのではないかと思ったり。

「はぁ……」

 そんな憂鬱さから二度目の溜息をついた直後、エレベータが最上階に到着。 
 僕は自分の不景気面を意識して普通に戻して、から扉の向こうに出て行った。 

「おはようございますー」
「網倉さん、おはよう」
「孔汰さん、おはようございます」

 努めて明るくした挨拶に二つの返事が帰ってくる。
 そうしてくれたのは運転席に座るヴェルさんと群雲君。どうやら今ここにいるのもその二人だけ……じゃなかった。
 サラリーマンさんもいるのだが、レバーを握る事無く座席でぐーすかいびきをかいている。

「あれ? オトネは?」
「まだ来てないんだ。
 昨日はこの位の時間には起きてたんだけど。疲れて眠ってるのかな」
「……僕、様子を見てくるよ」

 群雲君の言葉に、俺は少し考えてからそう答えた。

「そう? じゃあ、お願い」
「うん。オトネの様子次第じゃちょっと遅れるかもしれないけど、なるべく早く戻ってくるよ」

 オトネについて負の面で色々考えてしまうのは事実だが、それはそれ。
 その逆の気持ちもあるし、子供を気に掛けている優しい人間、という見栄を崩したくない事もあって、俺はオトネの部屋へと向かう。

「オトネー? 起きてるー?」

 割り振られていたオトネの個室のドアをノックしながら声を掛ける。

 だが、返事はなかった。まだ起きていない、のだろうか?
 しかし、直後重い何かが床に落ちる音が響いて、そうではない事が分かった。

「オトネ、悪い。ドア開けるよ……?」

 躊躇いつつもドアノブを回すと鍵が掛けられていなかったらしいドアはあっさり開いていく。
 そこにあったのは。

「オトネっ!?」

 パジャマのまま床に倒れているオトネの姿だった。
 僕は慌てて靴を脱ぎ、ホテルというよりアパートの一室という感のある部屋の中に入っていく。
 部屋の中は、いかにもこの位の年の子供部屋といった感じで、キャラクターの絵柄の壁紙含めて何処か懐かしさを覚える。
 普通に訪れたのであればもう少し観察しているのだろうが、今はそれに注目している場合ではない。

「オトネ、大丈夫っ!?」
「あ、コータ……ごめんね、起きようと思ったんだけど、身体がうまく、動かなくて……」

 僕に抱き起こされたオトネは荒い息を吐きつつ、そう言った。
 凄い汗に凄い熱だ。風邪、なのだろうか? いや、そうとは限らない。
 オトネがどういう所から来た人間なのか分からない以上、安易に判断するのは危険だ。
 何か未知のウィルスに犯されていないとも限らない。

「ううぅ、熱いよぉ……」

 余程辛くなってきたのか、涙をポロポロと零すオトネの顔を見て、瞬間昨日の事が頭を過ぎる。
 泣き出す事でアレが起こるのなら、と不安に思う。

 だけど。

「くるしいよぉ……」

 苦しそうにしているオトネを見ていると、そんな不安は吹き飛んだ。どうでもよくなった。
 いや、正確に言えば警戒はしている。頭の端でだが。
 だけど、それより何よりも苦しそうなオトネの顔を見るのが辛かった。

 ……ふと、妹の顔を、思い出す。ずっと昔インフルエンザで寝込んで苦しそうにしていた時の。
 あの時僕は、病気が移るといけないから、と親に言われ、妹から遠ざけられた。
 看病をしたかったのにと思いながらも、その反面でああなりたくない気持ちもあって、心の何処かでホッとしていた僕。

 そう言えば、あの日だって、妹ともう少し仲良くしたいと思っていた矢先だった。

 だからなのか、あの日の事は深く僕の心に刻まれていた。 

 思えば、妹との微妙な距離感が生まれたのも、その頃だったのかもしれない。 

 そんな妹とこの子は違う。全くの他人だ。
 それでも、今この子を見ていて辛いという気持ちは湧き上がってくる。助けたいと思っている。
 自分のその思考が見栄かもしれない事は、代償行為なのかもしれない事は、僕自身よく分かっている。
 そんな事は十二分に承知だ。

 だけど、それでも。

「ごめんね、オトネ。少し、もう少し我慢しててくれな。
 薬とかお医者さんとか、頼んでみるから」

 そう言って僕は撫でるようにオトネの頭に触れた。
 映画とかドラマだと、小さい子をこうして安心させる事が多かったから、それに倣って。
 少しでも安心させられるように。

「……コータぁ」
「ん? 何かほしいものとかあるの? 水とか持ってくる?」
「コータは、アタシ、怖くない?」
「え?」
「……変な事、昔から、あって。
 アタシ、アタシがやったことなのか、よく分からなくて、謝ったほーがいいのかも、わからなくて」

 オトネの語るそれが昨日の不思議な力の事だと理解するのに、僕は数秒擁した。
 その間もオトネの言葉は続いていく。

「だから、皆怖がって、ふつうのともだち、いなくて、おねーちゃんしか、いなくて」
「……」
「こわく、ないの?」
「……正直に言うと、ちょっと、怖かったよ。うん。でも……今は怖くなくなった」

 僕は笑って、オトネの頭を撫でた。
 嘘は言ってないけど、100%本当でもない。怖くないと言い切るのはきっと嘘だ。でも。

「オトネの顔、ごめんなさい、って、ちゃんと言ってる顔だからさ。
 そんな顔してる子が、怖いわけないよ」

 不安げにこちらを見上げるオトネの顔を見て、僕は思った。
 どんな力を持っていようが、オトネは子供、女の子なんだ。
 力は正直今でも少し怖い。でも、オトネって女の子を怖がる理由は、きっとない。

「それに、オトネがやったって決まってないんだろう? だったら、今は気にしなくていいさ」
「そう、かな」
「うん」
「……そう、なんだぁ……えへへ……」

 ホッとしたように笑みを零すオトネ。
 そうだ。こんな子を怖がるなんて馬鹿げてる。だったらもう、ちんたらしてる場合じゃない。
 とりあえずオトネを抱え上げ、ベッドに戻し、布団を掛ける。

「さっきも言ったけど、オトネ、ちょっと待ってて。薬とかお医者様とかないか聞いてくるから」
「……うん、アタシ、待ってる」
「良い子だね、オトネは」

 そう言って立ち上がった僕は部屋に備え付けにされている――
 僕の部屋にもあったので、きっとあるだろうと確信していた――
 ホテルでいう所のフロント直通電話、
 ここでは最上階の第一操縦席直通回線の受話器を取って、ヴェルさんを呼び出した。

『はい、ヴェルです』
「ヴェルさん、大変なんです。
 オトネが熱出して……風邪じゃないかとは思いますけど、
 正確な所は僕じゃ分かりませんから、医者を呼んでくれませんか?
 色々スタッフさんがいるんだし医者だって……」
『すみません。医者は……次に停車する世界で合流予定なんです』
「なんですって……?!」
『一番最初に立ち寄る世界だから、それまでは大丈夫だと思っていたんですが……』
「何か、薬はないんですか?」
『医務室に薬はあるのですが、
 何分、過去現在未来、様々な薬を取り揃えておりますので、何を処方するべきか……私では判断が出来ません』
「……そう、なんですか」
『すみません、ちょっと失礼します。網倉さん、何があったの?』

 僕が現状に落胆している間に、ヴェルさんに代わって群雲君の声が受話器の向こうから響いてきた。
 会話の様子からただ事ではないと思ったのだろう。
 僕はそんな群雲君に簡単に事情を説明する。

『そう、なんだ。でも次の世界到着まで、まだ四日程掛かる……一体、どうしたら』

 群雲君がそう言った事がキッカケだったのか、僕の頭にある事が閃いた。
 実際には閃いたというにはおこがましい、シンプルすぎる考えだ。
 だが、現状それしかない。

「群雲君……僕、皆に頼んでくる」
『え?』
「皆に全速力をだしてもらえるように。一日でも一秒でも速く、次の世界に到着できるように」

 このバスは、皆の『前に進む』意思でより速くなるのだという。
 なら答は簡単だ。可能な限りの人員で、可能な限り速度を上げる、それしかない。

『うん、それが一番良いね。……ヴェルさん、可能ですか?』

 それは出来ます、と少し遠くからヴェルさんの声が響く。
 だが、ヴェルさん曰く加速に参加出来るのはレースの参加者だけ。
 ヴェルさんやシェフさん達、スタッフ側の人達は協力する事ができないという。
 人命最優先を理由にしても仕様の変更は難しく、可能だとしても、そうした仕様変更はレース失格の可能性が高いらしい。

 ……歯痒いが、僕達だけの判断で勝手にレースを放棄するわけにはいかない。
 皆それそれの事情や理由があってここにいるのだ。
 あと、オトネの病気が、すぐ治る風邪の可能性もまた否定は出来ない。
 だからと言って放置するつもりはないが。

 つまり今の僕達に出来るのはレースの仕様、ルールに乗っ取ったままで全速力を出すことだけだ。
 その上でどうにもならない時は、改めて皆で相談するしかない。

「じゃあ、僕は皆に頼んでくるよ」
「うん、分かった僕も……』
「いや、皆への呼び掛けは僕がやる。
 群雲君は一端こっちに来て、オトネを上まで連れて行ってくれないか?」
『え? ベッドに寝かしておいた方がいいんじゃ……』
「皆が皆操縦席に上がったら、オトネの様子を看れなくなる。
 かと言ってオトネの看病の為にここに一人回すと、速度が落ちる。
 ならオトネを上に運んで、様子を見ながら加速させた方がいい。
 僕が呼び掛けた後連れて行ってもいいんだけど、ここに皆いるとは限らないからさ。
 ……って、そうだ。ヴェルさんに代わってくれる?」
『分かった』
『……はい、もしもし代わりましたが』
「ヴェルさん、スタッフの人に一時的な看病が可能な人っています?
 様子を看てくれるだけでいいんで」
『……残念ながら、今いるスタッフは皆アンドロイドなので。
 学習させれば不可能ではないかもしれませんが、専門外の事を不用意に任せる訳には……』
「そうですか、わかりました。群雲君にまた代わってください」
『はい』
『……もしもし、網倉さん、代わったよ』
「うん。スタッフの誰かが見てくれるのなら部屋で寝せてようかと思ったんだけど、そうもいかないみたいだ。
 やっぱりさっき話したとおり、群雲君はオトネを上まで連れに来てくれないかな?」
『分かった。すぐに行くよ』

 そうして会話を終えた後、僕はオトネに一声を掛けてから部屋を出た。
 周囲を見やると、お客様用の個室が十部屋分、左右五部屋ずつ並んでいる。
 何処に誰の部屋があるのか殆ど分からないので、僕はオトネと群雲君の部屋を除く全てのドアをノックしながら叫んだ。

「すみませんっ! 皆さん、起きてくださいっ!」

 あらん限りの声で叫び、全力でドアを叩いたのが功を奏したのか、次々に顔を出す。

「なーによぉ……ふわぁ……こちとら夜型なのよ」
「……」
「なんだなんだ騒がしいな……」

 ヘクセさん、まだ名前はおろか、言葉すら聞いていない男性、ソージさんが顔を出す。
 ドアから半身だけ出しているヘクセさんは服を着ていない状態らしく、
 この状況で余計な事を考えてられない僕は顔に集まる熱を無視し、懸命に視線を上気味に向けながら言った。

「皆さんすみません、今すぐ操縦席に上がって、バスの速度を上げてください……!」
「……ふむ」
「なんだよ? どーかしたのか?」

 僕は簡単に事情を説明する。
 オトネが熱を出している事、何の病気なのか分からないので油断するわけにはいかない事。
 次世界に医者がいて、その合流の為に可能な限り急ぎたい事。

「……そういうことなら、分かった。ほっとけないよな、うん。全力で協力する」

 ソージさんはそういうとパジャマ姿のままで部屋を出て、エレベータに向かった。

「ソージさん……! ありがとうございますっ」
「ふーん。私はどうしようかねぇー。コータちゃん、君の願い事の権利……」 
「あげますから来て下さいっ!」
「……何よ、もう。冗談で聞こうとしたのを本気に取らなくても良いじゃない」

 不満そうな表情をしつつドアを閉じるヘクセさん。
 着替えの為だったらしく、数秒も経たない内にドアを開き、彼女もまたエレベータに向かってくれた。

 残るはあと一人。

「……」

 無言で全てを見下ろしている、黒髪に青い目をした大柄の男性。
 何を考えているのかまるで分からない。
 言葉に関しては、このバスに乗った時点で通じるようにしてあるらしい。
 なら、今はそれだけで十分だ。

「お願いします……どうか、オトネを、助けて、ください……! 
 僕には、そう頼むことしか出来ません。お願い、します」

 すると、男性は無言で目を伏せ、エレベータに向かって歩き出してくれた。

「あ、ありがとうございますっ、皆さん」

 そうして僕が礼を言うのと同時に、通路の先のエレベータが開き、同時に群雲君が飛び出してくる。

「群雲君、悪いけど、オトネを頼む。僕は、えと、スオウさんを探してくるよ」

 ここにいなかった以上、何処にいるのかは分からないのだが……。

「あ、ちょい待て」

 群雲君と入れ替わりでエレベータに乗り込んでいたソージさんはそう言うと、あの時のように壁を叩いて見せた。
 どうやら、スオウさんの居場所を探してくれているらしい。
 捜索の為か、暫し瞑目していたソージさんだったが、やがて目と口を開いた。

「……スオウは、二階下の植物園にいる。
 入口付近の青い薔薇眺めてたから、今から行けばきっとすぐ見つかる」
「ありがとうございますっ! 分かりました、そっちに行ってきます」
「おう。……ああ、そうだ。大事な事、聞いてなかったな。お前なんて名前だっけ」
「孔汰。網倉孔汰です」
「そっちは頼むぜ、孔汰」

 エレベータに乗った三人に頭を下げ、
 群雲君となんとなく頷き合った後、僕は階段を使って二階下の植物園に駆け込んだ。

 植物園内は、何がどういう仕掛けになっているのか分からないのだが、天井はなく青空が広がっていた。
 とりあえず立体映像か何かだと思うことにして、僕は人影を探す……と、確かにすぐ見つかった。

 ボサリとした赤い髪を無造作に伸ばし、薄汚れたマントを着込んだその女性は、ぼんやりと木々や空を眺めている。
 そんな彼女に慌てて駆け寄った僕は、初めてなので少し躊躇いつつ話しかける。

「あの、スオウさん、ですよね? 
 名前、ソージさんから聞きました。すみません、勝手に」
「謝る、事じゃ、ない」

 何処かたどたどしい調子で答えつつ、振り返るスオウさん。

「……気にせず、スオウ、でいい。
 改めて、はじめ、まして。スオウ、クリムゾン。ワタシの、名前」
「あ、僕は、網倉孔汰です」 
「コータ。……話すの下手で、ごめん。ワタシ、あまり人と話したことがないから」
「いえ、気にしないでください。それより、頼みたい事があって。話を聞いてくれませんか……?」

 こちらの切羽詰った様子を察してくれたのか、スオウさんは無言で頷いてくれた。
 それに感謝しつつ、僕は上で三人にも説明した事情をスオウさんにもした。
 全てを聞き終えたスオウさんは、どこかぼんやりとした様子でブツブツと呟く。

「……自然の、摂理に従うのなら、その子は放置すべき、なんでしょうね」
「えっ!?」
「でも、それは、あくまで、私の世界の話。なにより、子供が死ぬの、みたくない」
「そ、それじゃあ」
「……手伝う。私に出来る、全てで」
「ありがとうございますっ!」 

 一瞬ドキリとしたものの、協力してくれるらしい。
 そうして了解を得て僕がスオウさんを連れて第一操縦室まで戻ってくると、状況は既に整えられていた。

 中央にはほぼベッド状にした座席で横になっているオトネ。
 オトネの身体にはシートベルトが装着されている。
 その隣の座席で、オトネの手を握りつつ、もう一方の手でグリップを握っているのは群雲君。
 他の皆はそれぞれの席でグリップを握ってくれている。
 眠っていたサラリーマンさんも起きてくれていて、真剣な面持ちでグリップを取り出している最中だった。

「皆さん……っ」
「礼は良いから、お前達も早くな。
 全速を出すのは皆揃ってからの方が良いって着ぐるみねーちゃんが言ってたから、お前らを待ってたんだぜ」
「慣性制御装置は付いてますが、
 可能な限り速度を上げた時点でどの程度慣性を殺せるかは未知数なので。
 皆さんが揃って、状況を整えた上の方が良いと判断しました」
「分かりました。……お待たせしてすみません」
「……ごめん」

 スオウさんと二人揃って頭を下げた後、僕達は席に向かう。
 僕は何処に座ろうか少し考えて、もう片方空いているオトネの隣の座席につく。
 荒い息は変わらないままに、眼を閉じているオトネ……僕は躊躇いながらも手を伸ばし、オトネの手を握った。

「コータ……?」

 薄く眼を開き、僕の存在に気付いたオトネが僕の手を微かに握り返すのを感じて、
 僕はその分を、オトネの分や、その他諸々の気持ちを込めてグリップを握った。

 そして、ただ念じた。一分、一秒でも早く、次の世界に着くことを。

「皆さん、準備は万端ですね? では、念じてください……!」

 それだけしか、僕に出来る事はなかったのだから……。








 結論を言うと……オトネの病気はただの風邪だった。
 合流したお医者様曰く心的不安による疲労の蓄積と水遊びのせいだろう、との事。
 その言葉に、皆の個室、その階の真下にある医療専門ルームに集まったレース参加者達ほぼ全員は安堵の息をついた。

「それにしても、この子を助けたい一念で予定より四日も早く到着するとはね」

 お医者様(おそらく僕と大差ない時代の欧米人の男性)は、
 どうやらこのバスには乗りがいがありそうだと語って笑っていた。……僕も同感である。

 初対面の人たちとの旅を不安に感じていた僕だったが、今回の事で正直かなり安心した。
 このバスに乗っている人達は、命の危険にある子供を放っておけない、そんな人達だと分かったからである。
 少なくとも、そんな状況にあってうだうだと変な事だったり、細かい事だったりを考えていた僕よりは遥かに信頼に値する人達だ。

「……はぁ」

 何とはなしに溜息を吐く僕。
 折角の青空の下で、ここもまた未知の世界なのに勿体無いとは思うのだが、こういう性分なのだ。

 僕達は今、お医者様合流後の次の世界にある海で一時停車、海水浴を行っている。
 かなり予定を早めた事や、オトネの病気回復のお祝い、皆の親睦を兼ねて、らしい。
 風邪引いた後の海はどうかと思うのだが、全快した本人のたっての希望である。まぁ今度はお医者様もいるし。

 そんな訳で、皆は南国風味の夏の海に出て大騒ぎしていた。
 ちなみにちゃんと海水浴に問題のない海だと確認した上である。

 はしゃぎまくる面子の中、特にはしゃぎまくっているのは、意外な事にスオウさん。
 なんでもスオウさん、綺麗な本物の海と空を見るのは初めてとの事。
 そんなスオウさんを追いかけてはしゃぐのはソージさん。やっぱり赤いからなのだろうか?

 サラリーマンさんは離れた所で釣りを堪能し、カナミさんはそれを見物している。

 名前も知らないあの人は何処にいるかさえ分からない。

 僕は砂浜に刺したビーチパラソルの下、コーラ片手にそんな皆を眺めていた。
 と、そう言えば、オトネと群雲君は何処に……。

「何溜息吐いてるのー、コータ」

 その声に振り向くと、真っ白いワンピースにフリルな水着を着たオトネと、
 黒いパンツタイプの水着を穿いて、上半身にパーカーを着込んだ群雲君がいた。
 前開きのパーカーからチラリと覗く引き締まった身体が実にカッコいい。
 僕のふつーのゆるい体付きが恥ずかしくなるくらいに。

 そんな二人の少し後ろには、二人の手による砂の城が建設中である。
 まさに砂上の楼閣というか、すぐに崩れそうな感じなのだが。

「いや、まぁ、色々とね。
 ……あのさ、オトネ。この際だから一つ謝っておきたい事があるんだ」

 ソレはただの自己満足だ。だけど、ちゃんと言っておきたかった。
 僕のここでの存在価値はあまりないような気がするが、少なくとも正直ではありたかったから。

「ん? なに?」
「オトネが風邪引いて皆が急いでた時なんだけど……」

 僕が憂鬱気味だったのは、主にこれが原因。
 その時の事についてのある事実をヴェルさんから聞かされたからであった。

『あの時の速度は通常時の百倍。
 皆さん、それだけ集中してくれました。
 あ、でも、その中に一人、速度上昇にあまり貢献してない人がいたりもしましたね。
 いえ、その人なりに意識はしていたんだと思いますよ。
 通常時よりはかなり意志力を込めてくれてましたし……』

 ヴェルさん曰く、あれだけの速度は余程じゃないと出ないらしい。
 皆が一定以上の意思を込めていたからこそ可能だった事で、自分の選んだ面子に間違いはなかった……
 そういう自慢げな世間話をしたかっただけなのだろう。

 だけど、僕的には素直にそう受け取れなかった。

「皆一生懸命念じてたから、凄い早くお医者様に会えたんだけど……
 その中で一人あんまりスピードアップの手伝いが出来てなかったんだって。
 僕は、多分それ、僕なんじゃないかなって思ってるんだ。だから、ごめん」
「……んー? ヴェルはコータがそうだって言ったの?」
「いや。言ってないよ。でも、僕は……」
「じゃあコータじゃないかもしれないじゃない。だったら気にしない気にしない。
 コータだって、アタシにそう言ってくれたじゃない」
「……あ」
「それに、コータとムラサキ、ずっとアタシの手握ってくれてたじゃない。
 だから、アタシ、それでいいと思うのっ」
「……」
「ほら、そんな事より、お城作るの手伝ってよー」
「……ん。分かった。これ飲んだらすぐ行くから先にやってて」
「おっけー!」

 オトネは満面の笑みでそう答えると、パタパタと駆け出して行った。

「……網倉さん、ちょっと泣きそう?」
「うん、実は少しね」

 オトネの純粋な優しさが嬉しかったのがまず理由の一つ。でもまぁそれだけでもなくて。

「嬉しかったのが一番の理由なんだけど、
 まぁ、その、凄い年下の女の子に慰められる男ってどうかなっていう情けなさも少しあって」
「そういうもの?」
「少なくとも僕はそう」
「そんなに情けなく思わなくたっていいのに。
 あの時の網倉さん、僕には凄く必死に見えたよ。
 オトネちゃんを凄く心配して、その為に出来る事をやってくれてた」
「多分そう見せてただけだよ。全部がそうだとは言いたくないし認めたくはないんだけど。
 でも、基本的に僕はいい子ちゃんのふりをした見栄っ張りだから」
「……なんでそう、わざわざ自分を卑下するのかな」
「少なくとも自分が善人だって言い切るよりは嘘じゃないからね」

 僕は、善人になりたくないわけじゃない。
 むしろなれるのならそうなりたい、そうありたいと思っている。
 だけど、本質的に僕はそうじゃない。余計な事ばかり考えてしまう中途半端な人間だ。

 ああ、そうだ。
 だから、少なくとも善人じゃないと自覚して、周りに周知しておけば、致命的な所で嘘を吐かずに済む。そういう事なんだろう。
 ……こういう所が見栄っ張りなんだって思うんだよね、うん。 

「網倉さんは、嘘を良くない事だと思うの?」
「吐く嘘次第なんだろうけど、いいイメージはないかなぁ」
「……そう、なんだ」
「難儀な性格してるのねー、コータちゃんは」
「うっひょぉおわっ!? ヘクセさん、いつからそこに!?」

 いつの間に来たのかサッパリ分からないが、背後からヘクセさんがスルリと僕の背中に持たれかかってくる。
 その際押し付けられてくる、2つの胸の膨らみが、大きいのがっ。
 初めての感覚に僕の意識や神経の殆どが背中に、ヘクセさんに集中する。

「うふふ、若いわねぇ。……それはそうと、ムラサキちゃん。そのままでいいの?」
「何が、……っ!」

 ヘクセさんの何かの指摘に、群雲君は慌ててパーカーの前を閉じながら僕達に背を向けた。
 ヘクセさんに意識を向けていた僕には、何の事なのかよく分からなかったのだが。

「ちょ、ごめん、網倉さん。すぐ戻ってくるから、それまでオトネちゃんと遊んでてっ!」
「あ、うん」

 何かを隠すように腕を組みながら、群雲君はバスの中に駆け込んでいった。
 ちなみにバスは偽装モードになっており、小さな……普通サイズのバスの姿だけが投影されていた。
 本体は次元空間に潜航している、らしい。

「なんだろ? どうかしたのかな」 

 特に隠すようなものは何もなかった、と思うのだが。
 体付きに関しては、同じ男として、こちらの方が恥ずかしくなるくらいだったし。

「まぁ、人にはそれぞれ事情があるのよ。貴方が自分自身の事をまるで信じられないようにね」

 言いながら、ヘクセさんは僕の体から離れる。ああ、名残惜しい。……って僕は馬鹿か。
 ともあれ、そう言われると納得せざるを得ない。

「あ、そうだ。……一応言っとくけど、お願い事、君の権利取ったりしてないからね?
 ちゃんと契約もしてないのに分捕るとか魔術師としての沽券に関わるから念の為」
「はい。ありがとうございます」
「そこ、御礼言う所なのかしらね……」
「コーター!? まだぁ!?」
「ごめんごめん、すぐ行くよっ!」

 そうして僕は色々な疑問と自分への鬱屈をとりあえず置き去りにして、オトネの元に向かった。

 その日は結局、少しして戻ってきた群雲君や、
 興味深げに覗いて来たソージさんやスオウさんと共に砂の城を作り上げるのに夢中になって終わっていった。

 だから、その時見落としていたものがなんだったのかとか、
 自分の何気ない言葉が知らず群雲君を傷つけていた事に、その時はまるで気付いていなかった……。






 ……続く。






戻ります