第四話 初めてだらけの旅のはじまり・3
「……ふぃー」
通路を歩きながら、なんとなくの息を吐く。
今日はあれから、他の人が戻ってくるまでグリップを握りながら話したりしつつ時間を潰していた。
……そう、時間潰し。
現状僕は旅の目的や賞品を知っても、全力でレースに参加する気にはなれなかった。
いや、勿論やる気はあるのだ。やるからには負けたくないとは思っている。
だが、同じレースに参加しているというヴェルさんの姉弟達が併走しているわけでもないので、モチベーションを保てなかった。
そんな僕とは対照的に、群雲君やオトネはモチベーションをずっと保っていた。
他の人達が戻って来た時に「少し休んだらどうですか?」とヴェルさんに言われて俺は休憩を選んだが、二人はそうしなかった。
案内された個室で少し休んでから戻ってきても、二人はずっと頑張っていた。
そんな二人に申し訳なくて、僕ももう少し頑張りはしたのだが……その分が速度に影響されているようには思えなかった。
僕がいてもいなくても速度数値は微妙な差でしかない、ような気がしていた。
群雲君達が込めた分がどれだけの速度になっているのか分からない以上、本当の所はどうか分からない。
だが、そうしてしっかり取り組んでいる人より貢献しているようには思えなかった。
(……まだ一日目だし)
そんな言い訳染みた言葉や、顔合わせの後すぐに降りていったサラリーマンさん達の言葉を拠り所にしようとする自分が情けなかった。
しかし、それも仕方ないと冷静に考える自分もいた。
そもそも僕は『旅』がしたくて、このバスに乗ったのであって、レースに勝つ為じゃない。
それらの事を知らされてもいなかった。
だから、僕がムキになる必要なんかどこにもない。ないのだが、他の人と違うようで、浮いているようで……。
「なんだかなぁー……」
それは、結局最近の自分と同じでしかないという事。折角思い切って旅に出たのに。
なら、そういう周囲を気にせずに、好きに適当に振舞えばいいのかというと、それもまた違う気が……。
「あー、やめやめ」
「何をやめるのかしら?」
「っと、おおおおっ!?」
「大袈裟ねぇ、後ろから声を掛けただけで」
「って、ヘクセ、さん?」
「あら、呼び名覚えててくれたのね」
そう言うと、いつの間にか僕の背後に現れていたヘクセさんはクスリと笑った。
「あ、まだこちら名乗ってませんでしたよね」
「聞いてたわよ。コウタ・アミクラ。ニッポンって国の教育機関に通ってる、でいいのかしらね? 解釈が違ってたらごめんなさいね。何分……」
そこまで言い掛けた直後、ヘクセさんの姿が煙のように消え果てた。
「えっ!?」
「……貴方から見ると昔々の時代に生きる野蛮人な魔女ですので。ご容赦くださいませ」
背後から声が聞こえて振り向くとヘクセさんはそこにいた……かと思いきや、すぐさまさっきいた場所に現れる。
驚くべき事に、それは、魔法、なんだろう。そして彼女は言葉通り魔女なのだろう。
「あ、はい、解釈、間違ってないです。それで合ってます」
「そう。ならよかった。で、何をやめるの? 旅しちゃうのをやめちゃうのかしら?」
「えっ!? いや、さすがに今日はじめたばかりでそれはないですよ」
「そう。でも、少し悩んでるんじゃないのかしら?」
「……え?」
「自分は他の人と違う。
レースがある事、賞品の事を知らなかった。
そのせいもあって、やる気はない事はないけど差は確かにあって、微妙に場から浮いてしまってるのかもしれない。
でも、折角の旅をやめちゃうのはもったいないし、情けないし、他の人からそう思われたくないし、迷惑掛けちゃうかもしれないし……ってところじゃないかしら?」
演劇のような……大袈裟に僕の真似をしてたのだろうか……調子で、ヘクセさんは一気に言った。
そして、それは今の僕の心情を的確に当てていた。
ゾクリ、と少し背筋が冷える。
殆ど初対面の人間の思考や精神状態をピタリと言い当てるヘクセさん……少し前、顔を見た時は単純に綺麗な人だと思っていたのだが、今は本当に魔女のように思えた。というか魔女なんだけど。
「そ、れは、そうです、ね」
「やっぱり。ふむ。時代が違えど、人の心の機微は変わらないものね、ええ。
そして少し小心者な御人好しの顔立ちも。お陰で自信が持てましたわ」
「それは、どうも」
「そのお礼も込めて提案が一つあるんだけど」
「っ」
その言葉と共にずずいと顔を近付けられて、僕は顔を引き攣らせた。
こんなにも人と顔を近付けさせた事はないし、そもそもそれがこんな綺麗な人だなんて尚更で。
そうして動揺する僕に、まさに妖艶な、怪しげな微笑みと共にヘクセさんは言った。
「貴方の代わりの速度、私が出してあげても良いわよ」
「え?」
「私が、貴方が出したいと思う、皆に迷惑を掛けない程度の速度を肩代わりしてあげるって事。
その代わりに」
顔を寄せたまま、ヘクセさんは僕の頬をつんつん、と指でつつく。――色々な意味で汗が出てきました。はい。
「レースに勝った時、貴方に与えられる賞品分の願い事を私に頂戴?」
「賞品を、貴方に……?」
「そ。賞品の事知らなかったんなら、別に譲ったって良いでしょ?
その代わり、貴方は速度の事を気にせずにただ旅を楽しめば良いわ。
周囲の目が気になるんならある程度フォローもしてあげる、だ・か・ら……」
そうして、キスでもしようとしているのか、より顔を近付けて来た次の瞬間、ヘクセさんの姿が消えた。
その代わりに。
「っ!? って、うひぃぃっ!?」
僕の眼前にはピタリ、と木刀が突きつけられていて、僕は思わず腰が抜けた。
うわぁ。びっくりして腰が抜けるなんて漫画みたいだなぁ。情けないです、はい。
ともかく状況を把握しようと顔を上げると、そこには群雲君が立っていた。僕に突きつけた木刀を持って。
「おー怖い怖い。というか乱暴ね」
そんな僕の影から様子を窺うようにヘクセさん。
いざという時は僕を盾にする気満々なのは気のせいなのだろうか。いや、多分気のせいじゃない。
そんなヘクセさんに、群雲君は不機嫌そうに言った。
「どうせ当たらないでしょう? 気付いていたんですから」
「ふむ。気付いていたのに気付いていたんなら、冗談だって察してくれても良さそうなのに」
「じょ、冗談だったんですか?」
「ウン、ソウヨー」
僕の言葉に、ヘクセさんは外国人タレントの少しわざとらしい片言っぽさで答えた。
うん、これは誰がどう聞いても。
「……嘘ですね。少なくとも半分は本気だったでしょう」
「あらバレた。鋭いのね、ムラサキちゃん」
あっさり認めてカラカラと笑うヘクセさん。
先程の妖艶さはそれこそ煙のように消え果てていた。
「貴方のような魔術師とは何度か戦った事がありますので。魔術師は……」
「嘘を吐くのが仕事のようなもの。嬉しいわね。
私の伝えた言葉が、ずっと未来の私の知らない国にまで伝わっているなんて。悪い気はしないものね」
「……そういう職業性質なのは分かってますが、その辺りを知らない人を甘言で惑わせないでください」
「知らない人じゃないと騙せない、なんてつもりはないけど、
知らない人だからこそ上手く騙し転がして楽しむものじゃないのー?」
「……!」
ヘクセさんの言葉を聞いて、群雲君が目を細めた。
なんというか怒りのオーラを燃え上がらせているような感じである。
「おお、凄い殺気っぽいお怒り。怖い怖い」
「言いながら僕を盾にしないでくださいっ!?」
「あはは。……ふむ。
楽しかったし、嬉しかったから今日はここまでにしておきましょうか。
でも、その気になったらいつでも言ってね、コウタちゃん」
「あ、はい。……って、じゃなくてっ!?」
「うふふふ。じゃあ、また明日ねー。と、そうそう。
あのオトネって子と遊ぶ時は気をつけなさいね。怪我したくなければ、ね」
そう言うと、ヘクセさんの姿がまた消えた。凄いなぁ魔法。というか今日は色々と驚かされる日だ。
改めてに更に改めて、僕は未知の世界にいるんだとシミジミ実感する。
「大丈夫? 網倉さん」
そうして呆然としている僕に、群雲君が手を差し出してくれた。
うわー凄くかっこ悪いぞ僕。更に言えばかっこ悪さを倍増させる事実がもう一つあるのです。
「あ、うん。ありがとう。でも腰抜けちゃってるから、とりあえず手助けはいいです」
「……ごめんなさい。驚かせちゃって」
差し出した手を引いて、その場に正座すると群雲君は軽く頭を下げた。
何処までもイケメンである。顔立ちは中性的美少年寄りだがイケメンである。
「いや、謝らなくても……というか、その、助けてくれてありがとう」
あのヘクセさんの楽しげな様子から見て、自分が危ない状況にあったのかはよく分からないのだが、少なくとも助け舟を出してくれたのは事実だったのでお礼を告げる。
「……余計なお世話じゃなかったかな」
「いや、そんな事は……多分、ないと思う。うん。大丈夫。群雲君が来てくれなかったら、どんな事になってたのか分からないし」
実際、群雲君がいなかったらどうなっていたのかは想像出来ないのだが……よもやファーストキス? いやいやいや。
「だから、改めてありがとう」
「……うん。助けになったのなら、よかった」
ペコリ、と頭を下げると群雲君は目を逸らしながら照れ臭そうに頬を掻いた。
なんか凄く可愛いんですが。……いやいやいや。
湧き上がる色々な雑念を振り払いつつ、というか振り払う為に、僕は必死に話題を口にした。
「そ、それにしても、群雲君も、魔法使い? なのかな。なんか事情詳しそうというかだったけど」
「魔法使い、じゃ、ないかな。
先祖代々魔物や妖怪を相手にしてて、そういうのと戦う為の術を受け継ぐ家系で、
その関係で古い武術とか陰陽術とか色々使えるけど」
「おおぉ……そんな人が現代日本に存在していたなんて」
「そういうの、変かな? も、もしかして、怖かったりする、のかな?」
「事情も知らずにこういうと怒られるかもだけど……僕的には羨ましいです」
「……そう?」
「うん。こう、漫画の主人公とか、正義の味方っぽいっていうか」
「そ、そうかなっ」
僕の言葉に、群雲君は目を輝かせた。そうして、少し熱を帯びた調子で言葉を続けていく。
「うん、実は僕もそう思ってて、一生懸命覚えたんだよね、うん。
これで困ってる人達を助けられたらなって」
「そうなんだ。……凄いなぁ」
そう呟いたのは目の前の群雲君だけの事じゃなくて、ヘクセさんの事も含めてだった。
「やっぱり、皆ちゃんと選ばれた人達なんだなぁ」
「選ばれた?」
「ヴェルさん言ってたじゃない。
皆、この旅の為に自分が見込んだ面子なんだって。……僕はなんか違う気がするけど」
「そんな事ないと思うけど……」
「でも、僕、二人みたいな力持ってないんだけど。ちゃんとした旅の目的だってないし」
そこまで言ってしまうと、後は簡単だった。
少し興奮していた事もあって、口が滑り易くなってしまっていた。
普段は喋りもしない癖に、ペラペラと余計な事が口から吐いて出る。
「なんていうか、その今の自分が、周りと凄く浮いてるような気がしてたんだ。
進学校に通ってるんだけど、皆受験勉強必死に頑張ってるのに、僕はそんな気になれなくて。
皆は行くべき所とかちゃんと決めてるのに、僕はそういうのがなくて。
だからヴェルさんに誘われて、僕は旅したい、って思ったんだ」
顔が熱くなっている。
なんでこんな事を喋っているんだろうか? 今日会ったばかりの、年下の子に。
恥ずかしいし、情けない。少し目頭も熱い。涙を零すほどじゃないけど、ギリギリに。
日常から切り離された事に今更気付いて不安になってるんだろうか。
あるいは、懺悔、してしまいたかったんだろうか。
皆と違うんじゃないか、っていう不安を。
ともかく、僕はなんとなく、それでも止められないままに言葉を紡ぎ続けた。
「今の生活から離れて、今まで見た事のないようなものを見たら、
自分が何をしたいのかとか、何処に行きたいのかとか、分かるんじゃないかって。
いや、旅そのものが凄く面白そうだってのも同じくらいの理由だったんだけど。
だから、その、皆みたいじゃなくて、結局、ここでも浮いてる気がして……」
「網倉さん……」
「あー……うん、ごめん。ただの、愚痴になってた。うん。ごめんっ」
全て話し終えると、ただ只管にいたたまれない。
もう、なんというか、言葉にならない、言葉以上の恥ずかしさである。
なので群雲君の顔も見られず、僕は立ち上がり背を向けようとする……が。
「はうぐっぅ!?」
「ちょっ!? 網倉さん!!」
腰抜かしていたのを忘れていたので、立とうとした勢いのままに思いっきり滑る僕。
……ああ、もう、情けないにも程があるなぁ、畜生。
「……」
「……」
それから、どうしたかというと。
僕は群雲君に背負われた状態で通路を進んでいた。……まぁ進んでるのは群雲君なんだけど。
勿論、抜けた腰が全く回復していなかったからに他ならない。
ちなみに、微妙な沈黙がそこにはあって、聞こえる音と言えば群雲君の足音位である。
しかし、群雲君は凄いとシミジミ思う。
背は僕の方が高いし、体重だって重いはずなのに。
全く疲れたり足取りが重くなったりする事なく、普通に歩いている。
おぶわれている事から察せられる群雲君の体付きは割と細身な感じなのだが、それでいてガッシリしているような、そう思った。
「その、網倉さん」
「……なにかな」
「僕は、旅がしたいから旅をするって、間違ってないと思うよ」
「そう、かな?」
「うん。僕だって、賞品の事とかなかったら、網倉さんみたいに、ワクワクできる大冒険っていうか、そういう旅がしたいってきっと思うから。
そういうの……多分、男の子の憧れだと思う」
何処か他人事のように、というと語弊があるかもだが。
何か微妙に距離を感じさせるような、そんな調子で群雲君は言った。
だからなのか、瞬間それまでガッシリとして頼りがいがあると感じられていた群雲君の体が少し頼りなげに思えた。
「それに、その。僕は、網倉さんがいてくれてよかったよ」
「え?」
「正直ちょっと心細かったから。
他の人達、歳が離れてたり、住んでた所とか文化が全然違ってるみたいだし。
こう、なんていうか、気付かない所で怒らせちゃわないか凄く心配だったから、普通に会話するのにもつい気を遣っちゃって」
群雲君の言葉に、僕は「それは、そうかも」と呟きつつ納得した。
どうやら殆ど同じところからきたらしい僕達とは違い、他の人達は何処から来たどんな人なのか、計りかねる部分がある。
昔読んだ小説やアニメには些細な文化の違いから戦争が始まる物語があり、僕達がそうならないとは限らない。
群雲君が気を遣うのは不思議じゃない、というか、むしろ正しくて、その思慮深さに感心する。
「だから網倉さんがいて、よかったよ。
多分、オトネちゃんもそう思ってると思う。だって、あんなに小さい子なんだよ?」
「……そう、だね」
確かに、僕達よりちょっと、いやかなり、なのか、ともかく年下の女の子なのだ。
そんな子が何故ここにいるのかはさておき、あの子は僕達以上に心細く、不安の筈――いや、僕的には今日のはしゃぎっぷりを見てるとそう思えなかったんだけど――ともかく、そのはずだ。
そんな子が僕の存在で少しは心細さを紛らわせる事が出来たのなら、まぁ、いいのかもしれない、うん。
「だから、なんというか、その、気にしないで」
「……ありがとう、群雲君」
正直年下の子にこうしてフォローされているのはかなり情けないのだが、かと言って沈んだままではなお情けない。
なので僕は少しだけ無理をして、明るい声を出すように努めた。
「うん、お陰様で元気出てきたよ。
この分、オトネちゃ、いやオトネにも分けてあげないと。明日は色々話したり遊んだりしてみようかな」
「そっか。うん、お願いするよ。勿論僕も手伝うけど」
そうして僕は群雲君との会話で現金にも元気を少し取り戻した。
その元気分を少しはオトネに還元してあげられたらいいなと、そう思ってもいた。
多少なりとも年上として出来る事はしてあげたい、という気持ちに嘘はないからだ。
そこに見栄とか、モラルとか、常識とか、色々なものが付いているのは事実だけど、嘘じゃない。
ところが、まぁ、そう思いどおりに行かないのが人生である。
「うえぇぇぇぇぇぇえっぇぇんっ!」
「ぎ、が、ぐぅぅ?!」
「おおぉぉぉぉっ!?」
「つ、潰れるぅぅぅぅ!?」
翌日の昼。
僕とソージさん、サラリーマンさんの3人は、バス内にある食堂の壁に磔にされていた。
正確に言えば、見えない力で持ち上げられ、叩きつけられ、そのまま壁にグイグイと押し込まれているのだが。
そして、それを行っているのは、どうやら絶賛号泣中のオトネ、らしかった……。
……続く。