第三話 初めてだらけの旅のはじまり・2









「了解しました。全員の意思確認終了。では……世界間航行バス、発車いたしますっ」

 ヴェルさんの言葉が終わるやいなや、バスが動き出す。
 ゆっくりと、ゆっくりと風景が動き出す……と思った次の瞬間、世界がひっくり返った。

「えっ!?」

 窓の外の風景が線状になったかと思いきや、その窓の外はまるで違うものへと変わっていた。

 形容し難い風景だ。
 なんというか、全てがそこにある、とでも言えばいいのか。
 空間そのものは、夜空。
 ありとあらゆる色の光を放つ星が瞬いている。
 そんな星の狭間で、色々な世界が蜃気楼のように投影され、揺らめいていた。
 ビルの群れがあった。それと対照的な廃墟があった。雪が降る世界があった。雨が降る世界もあった。罅割れた大地があった。緑豊かな大地があった。改めて言うが、全てがある、そんな気がした。

 そんな空間が何処までも広がっている中を、バスは進んでいた。
 とんでもない大きさのバスが、ちっぽけに見えるほどの広がり。

「……すごい……!」

 体感のないまま――慣性が働いていないのか、そういうのを打ち消す装置があるのか分からないが――流れていく世界を見て、そんな単純な言葉しか、出てこなかった。
 だけど、この景色を見られただけでも旅に出ると決意した、その価値がある、僕にはそう思えた。それだけの光景がそこにはあった。
 なんですが。

「おー、俺もはじめ見た時はそうだったなぁ。ま、じっくり感動に浸ってくれや」
「まぁ見慣れるとただの風景だものね。じゃあね、坊や。自己紹介は一眠りした後で」
「……」
「え、ちょっ!? 皆さん、何処にっ!? というか、レースはっ!?」

 先程までとの状況やテンションの違いについていけず、思わず叫び気味の声を上げる。
 すると、この場を去っていく面々は、エレベーターに向ける足を止める事無く、口々に言った。

「最初からムキにならなくてもいいだろ。多分長期戦なんだろうし」
「今は色々様子見でしょうね。多分他の連中もそうじゃない? 気楽にいきましょうよ。じゃあねー」

 そうしてサラリーマンさん、ヘクセさん、名前はおろか言葉を発する事すら確認できなかった大柄の男の人がエレベータの向こうに消えた。

「ええええええ? そ、それでいいのかなぁ?」
「構いませんよー」

 そう答えたのは運転席に狭そうに座っているヴェルさん。
 ……運転する時も着ぐるみなんだ。というか手も触れずにハンドルを動かしてるような。

「現時点の速度は、そう悪いものではありませんし。ほら、上にある数字、見えますか?」

 言われて、フロントガラス上部に立体映像として浮かび上がっている三つの数字を眺める。

「この数字は、上から、姉、私、弟の載る移動手段……私達の場合はバスですが、その速度を表示してます。
 また、宝玉が手に入ったら数字の横でその数の分だけ☆マークが点灯します。
 互いの状況がある程度分からないと、参加者としてはつまらないですし、不安でしょう?」
「なるほど」

 速度と思しき数字の単位は分からないが、上から90、120.70と出ている。少なくとも現状では僕らのバスが一番速いという事になる、らしい。

「というか、さっきは色々考えて気付かなかったんですけど、レースなのに一緒に走ったりしないんですね?」
「それぞれコースが違うんです。
 時としてコースが重なる時もありますが、それがいつどこかなのかは私にもわかりませんし、タイミングが違えば出会う事もないでしょう」
「……ちなみに、レース中互いを妨害するのはありなんですか?」
「勿論ありです」
「勿論ですか……」

 僕の知ってるレースはそういうものじゃない気がするのだが……まぁそれはそれ、これはこれなんだろう。そう納得する事にした。

「ところで、その着ぐるみ、脱がないんですか?」
「脱ぎません」
「……そうですか」
「ところで、どうします? しばらくゆっくりしたければ個室に案内しますけど」
「あー、いや」

 周囲を見渡して、僕は考える。
 残っている面々は、ハンドルレバーを握り続けている。
 真剣な表情だったり、本を読みながらだったり、うとうとしていたりとそれぞれだが。
 そんな中で変えるのはなんだか申し訳ないというか気まずいというか。なので。

「暫くは、ここで速くなるよう頑張ります」
「わかりました。個室へのご案内その他用事がある時は言ってください。
 次の世界に到着するまで、今回はかなり時間もありますし」
「次の世界……?」
「この世界の狭間にずっと居続けるのは、あまり良くない事なんです。
 どちらかというと、精神的、魂魄強度的な意味でですが。
 なので、ある程度進むと皆さんの休憩とバスの点検も兼ねて通常世界に出る事になります。
 現状の速度を考えると……一週間後、ですね」
「結構掛かるんですね」
「世界間の距離にも寄りますが、これは結構遠い方ですね。
 比較的安全なルートを通っているからでもありますが。
 さておき、皆さんにはそうして降りた世界の何処かにある宝玉を捜してもらったりもしますので」
「……今さらっととんでもない事を言ってません?
 宝玉がどんなのかまだ聞いてないですけど、今から行く世界世界全てで宝玉を捜して回らないといけないんですか?」

 それは流石にキツイというか無茶苦茶というか。砂から針とか砂金を見つけ出す所業というか。

「ご安心ください。宝玉のある世界についてはちゃんとバスが教えてくれますし、ある程度自動探知して近くにバスが行くようになっておりますので」
「……それなら、なんとかなる、かな。それにしても一週間後かぁ」
「やっぱり個室に行かれますか?」
「……や、初志貫徹でここで暫くレバーを握ります」
「分かりました」

 ヴェルさんとの会話を終えた僕は、改めてグリップを握った。
 そうしつつ、何か、こう、前に歩いたり走っていくイメージを頭に作る。
 すると、ちら見した表示速度が微妙に……120から123へと……変化した。
 逆に足を止めるイメージをすると……119へと微妙に落ちる。

 確かに、意志力が影響しているようだ。何度か試してみて、その事を確信する。
 本当にイメージが力になるんだなぁと感心しつつ、漠然と前に進むイメージを浮かべ、窓の外を眺める。
 多少気を逸らしても特に速度が落ちないのは、ある程度を満たしていれば大丈夫という仕様なのか、他の人の速度が僕をカバーしてくれているのか。
 そうして色々考えていると。

「ちょっと、失礼するよ」

 僕の隣の空席に――当然ながら僕らの人数分以外の数十席は皆空席である――イケメン男子学生が座ってきた。

「あ、うん」

 彼がここでもグリップ一式を取り出し、握り締めるのを眺めつつ返事をする。
 やっぱり何処の座席でもグリップ出るのかとか、話しながらも速度を上げる気なんだろうかとか思っていると、彼が口を開いた。

「その、さっきは自己紹介を遮って、ごめん」

 そうして、僕の目を見据えた上で頭を下げた後、申し訳なさげに視線を彷徨わせる。
 さっきまでは前髪が結構長いので微妙に表情とか分かり難かったのだが、今は距離が近いので把握出来る。

「皆、急いでるんじゃないかなって思って、自己紹介より出発とか説明が先で良いんじゃないかって考えたものだから。
 君の気を悪くさせてしまったのなら、申し訳ないなって」
「え? あ、いや、気にしてないよ。
 僕さ、賞品の事とかレースの事とか知らなかったから、他の人が急く気持ちが分かってなかったと思うし。
 こっちこそ、不愉快にさせたんならごめん」
「……じゃあ、お互い様って事で良いかな?」
「うん、それでチャラって事で」

 すると、彼は空いた方の手を差し出してきた。
 ……握手って事なんだろう、と素直に考えて同じ様に手を伸ばし、握手する。
 その解釈に間違いなかったようで、彼は軽く握り返しながら――手の内側は何処となく硬かった――薄い笑みを向けてくれた。……くっ、笑顔が眩しい。

「改めて、自己紹介させてもらうね。
 苗字は群雲、名は紫で、群雲紫。日本人の中学三年生だよ」
「えっと……網倉。網倉孔汰。日本人で、高校二年生」

 握手を解きながら、思ってたより年下なのに僕より大人びて見えるなぁとか、色々な所から集めた割に日本人の学生が二名もいるのはどうなんだろうとか、色々考える。
 だが、少なくとも全く言葉を話せなかったり、価値観がまるで違っていたりするよりはずっとありがたい。
 って、言葉。明らかに日本人じゃないのに通じてた人いたけど、どうなっているんだろうか。

「じゃあ、網倉さん、で、いいですか?」
「あ、いや」

 そんな横に逸れた思考をしていたせいで、群雲……群雲君の言葉への反応が遅れてしまった。
 自分の呼び方なんて深く考えた事がなかったので少し考えてから答える。
 というか、さっきまでさん付けとかじゃなかったのは同い年くらいに見られてたという事で。
 僕が子供っぽいのか、彼が大人っぽいのか……明らかに後者なんだろうなぁ。ヘクセさんには坊や呼ばわりされてたし。

「堅苦しいし、苗字でも名前でも呼び捨てでもなんでもいいよ」
「じゃあ……」
「じゃあ、コータって呼ぶねっ!」

 唐突に群雲君の背後から響いた大きめの声に、僕は少しびっくりして、その少し分だけ身を引いた。  
 群雲君の後ろには、あの金髪碧眼の小さな子がいた。
 彼女はそこだと話し辛いと思ったのかパタパタと走り、回り込んで、僕と群雲君の座席間の通路で立ち止まった。

「ねぇねぇ、いいかないいかな?」
「あ、うん、えっと……出来ればお兄ちゃんとかつけた方がいいんじゃないかと思うんだけど……」 

 僕的には呼び捨てでも構わないのだが、その辺り教育上正しいのかどうか、微妙に考えてみる。
 こういうのは親が考えるべき問題なのだろうが、その親はいないようだ……って、改めて考えるとそれは問題なんじゃないか?
 この位の年の子は色々と目が離せない時期なのではないかと、少し年の離れた妹を持つ身としては思う訳で。

 しかし、そうして色々考えている間にも彼女は愛らしい立ち回りで動き回りながらやいやい騒ぎ立てる。

「えー? ダメなのー? ムラサキには良いって言ったのにー?」
「う、ううーん」
「ねぇねぇ」
「……ああ、うん、コータでいいです」

 観念して僕は答えた。こんな小さな子にお願いされた事を無碍には断われない。子供の特権だろうね、コレ。

「わーい、ありがとーコータ」
「でも、他の人を呼ぶ時はちゃんと気をつけてね」
「何に?」
「えーと、その」

 何と言って説明すればいいのか、妹の時、親はどうやって教えていたのかとか考えていると、群雲君が助け舟を出してくれた。

「名前だけで呼ぶと怒ったりする人もいるから、そうしないようにって事だよ。
 若い男の人だったらお兄さん、お兄さんより少し上に見えたらおじさん……」
「それなら、オトネ、分かるよっ。
 おじいちゃんぽかったらおじいちゃんで、
 女の子だと、お姉さん、おばさん、おばあちゃんっ!」 
「そうそう、そんな感じ」

 自慢げに話す女の子の頭を撫でる群雲君。
 僕もあまりの微笑ましさにそうしたくなったのだが、先にやられてしまったので、出し掛けた手が空で彷徨う。

「コータ、なにしてんのー?」
「ああ、うん、手の運動、うん」
「ふーん。あ、アタシ、名前言ってなかったねー。ごめんごめん。
 アタシ、オトネ。
 本当はもう少しなまえ長いんだけど、忘れちゃった。だからオトネでいいよー」

 容姿は明らかに外国の子なのだが、オトネという名前の響きは日本人っぽい。
 ハーフとかクォーターなのだろうか? 少し気になるが、ここに親がいない以上本当の所は分からない。

「ああ、うん、分かったよ。オトネちゃん」
「オトネ」
「……オトネちゃんだよね?」
「オトネ」
「……オトネちゃん」
「オートーネー!」
「網倉さん、オトネって呼び捨ててほしいって事だと思う」
「あぁ」

 群雲君の指摘で気付かされる。我ながら頭の回転が鈍い。

「ごめんごめん。オトネ。でいいんだよね?」
「そうだよー。コータはダメな人だねー」
「うぐぅ」
「そんなこといわないの、オトネちゃん」
「ムラサキがそういうのなら」
「あれ?! 群雲君はちゃん付けいいのっ!? 差別?!」

 そうして僕達は暫くグリップを握りつつ、時に食事を取りながら、会話を交わしていった……。









 ……続く。






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