ここではない何処かに行きたいと、誰もがたまに思う時がある。
夜空を、青空を見上げて、ここでない場所に想いを馳せる時がある。
ある少年は、自分の意味を探していた。
ある少年少女は、正しい自分の形を探していた。
ある男は、大人になりきれないまま大人になった自分が嫌いだった。
ある青年は、その社会では禁じられたモノが見たくてたまらなかった。
ある少女は、自分の世界では叶わないものを見てみたかった。
ある子供は、二度と取り戻せないものを取り戻したかった。
ある女は、そもそも人生に飽きていた。
ある男は、世界そのものに飽きていた。
だから、何処かに行きたかった。
何かを見つけられる場所に、あるいはそんな悩みを忘れられる場所に、旅立ってみたかった。
だから、彼らは選ばれた。
幾つかの条件と、可能性の果てに。
これは『ここではない何処かに行きたい』と思った誰かに捧げる、
そう思った誰かさん達の、壮大だけど、ちっぽけな旅物語。
第一話 壮大でちっぽけな旅への誘い
自分という存在は、何をすべきで、何処に行くべきなのか。
多分誰もが一度は考えた事があるだろう。
僕はそれがつい最近の事だった。
僕、網倉孔汰(あみくらこうた)は17歳、時期的にはもうそろそろ高校三年になる。
進路の事とか、将来の事とか、色々考えた先に、そういう事まで考え出した、そういう事だ。
県内でもそれなりに進学校に入り、そこそこの成績なので、
今の所、無駄に高望みをしなければ、それなりの大学に行ける……担任にはそう太鼓判を押されていた。
だからなのか、僕は周囲から浮いていた。
それなり以上の大学を目指して息吐く暇もない様に勉強するクラスメートや同級生達から。
彼らがおかしいんじゃなくて、僕がおかしいのは分かっていた。
親に勧められるがままに、それなり以上の大学に行き易くする為に今の高校を選んだ、
にもかかわらず、皆のように真剣に大学の事を考えられない僕の方が。
かと言って、明確な目標を決められないままに良い大学を受験するのも何かが違う気がしていた。
結局の所、夢とか、目標とか、そういうものがないがゆえのただの我が侭なんだろう。
日課の予習復習の後なんとなく考え出して、
布団の中に入ってからも数時間掛けて色々考えた挙句、
現時点での結論がそれなのだから、つくづくうんざりする。
こんな調子では人生という長い長い道に迷うのは必至だろう。
まぁ、もっとも『その日』は普通に進む道にさえ迷い、挙句の果てにとんでもない道に入り込んでしまうのだが。
運命の日、そういっても過言じゃなかったその日は二月十四日。
その時の僕は、少し先に起こる事を想像すら出来ずに、走りながら内心でぼやいていた。
(色々考えて夜更かししすぎたなぁ……)
昨夜の夜更かしのせいで寝坊した僕は、
今まで無遅刻無欠席を誇っていた事もあって焦り気味にバス停に向かっていた。
吐く息はまだ白く、肌寒い季節だったが、走っていれば暑くなってくる。
寒がりな為に基本厚着で、今も厚手のコートを着ているのだが……正直すげぇ脱ぎ捨てたい。
走る動きを阻害してもいるし脱ぐのはいいのだが、手荷物になるのもまた邪魔くさい。
脱ぐ時間も惜しいし、何よりもうすぐバス亭に着くし、
などと曲がり角を曲がりつつ、内心で葛藤というには軽過ぎる思考をしているうちにバス停が見えた。
おまけに、緩い坂道の向こうからバスが丁度やってくるのも視界に入る。
時刻を確認する暇もなかったが、家からココまでの感じだとアレに乗れればどうにか間に合うはずだ。
そう思い余裕が出来たからか、視界内の情報がもう少し入ってくる。
下ってくるバス、その混み具合や、バス停に一人佇んでいる女性の姿。
僕と似たようなロングコートを着込んでいる為、
通勤なのかそれ以外の用事なのか今一つ分かり難いその女性は、バスとこちらを交互に見て、表情を微妙に曇らせた。
バスの混み具合から察するに、乗れるのは一人というところだろうか……そんな、僕と似たような事を考えたのだろう。
無理をすれば二人乗れない事もないかもだが……
誰にとっても少しでもスペースがある方が良いだろうし、
僕的に無理に乗る事で混雑にうんざりしたり、
他の人に同じ思いをさせたくもなかったので、バス停をスルー、
バスを見てスピードを上げた事が運転手に誤解を招くかもしれないので、全力でバス停を駆け抜けていく。
女性が何かを言ったような気もしたが……多分呼び止めてくれたか何かだろう……
停まると、その人やバスの運転手さんに余計な気遣いをさせてしまいそうで、僕はあえて振り向かなかった。
脇を通り抜けていく際一瞥した女性が結構美人さんだったような気がしたので、
自分勝手な満足感をプラスアルファさせつつ、僕は坂を上りきった。
「あー……まずったなぁ」
坂の向こう側少しの辺りでバスの姿が消える位まで待ってから、僕は呟いた。
後悔をしている訳ではないが、困った事にはなってしまった。
確か次のバスまでは結構な時間が空いている。
それを待つよりは、走っていく方がまだマシだろう。
もしくは、坂道を下りきって少し先にある大通りのバス停なら、他路線からの次のバスが来るかもしれない。
そうと決まれば、とばかりに、僕は走り出した。今来た道ではなく、別の方向に。
いつか、数ヶ月前だったか、我が家と自宅が近いクラスメートに通学の近道があると聞いた事がある。
大通りに出るのにもそちらが近い筈だ……そう考えて僕はうろ覚えな近道へと向かった、のだが。
「あかん、迷った」
特に意味なく関西弁を使いつつ、足を止める。
やはり途中の小道を正しく通らなかった事がまずかったのだろうか。
いやでも、しかし。
小道の一つは、子猫達がくつろいでたんだもの。邪魔するのはしのびなかったんだもの。
「ああ、どうしようか、これもう」
この年になって迷子だとかとか、遅刻確実になってきたとかで内心焦りまくる僕。
しかし、このまま考えているだけでは状況は悪くなる一方だ。
「……んー、よし」
このまま戻っても遅刻はほぼ確定。
なら、もう一度正しいルートを目指して進んでみよう。
ダメだった時は素直に諦めて来た道を戻ればいい。
そう考えて、僕は再び走り出した。
あまり車が来ない事が推測出来る細い道を進み、抜けた……その瞬間だった。
「えっ?」
その時は、正直そんな間の抜けた声しか出なかった。
目の前の広がる光景が、自分の考えていた道の先とあまりに違いすぎていたから。
いや、正確には違う。
光景は、風景は、僕の想像とかけ離れていなかった。
一か八かの賭けに勝った結果の大通りがそこにはあり、
道路は朝らしく車が多く、
そんな道路を挟んで人々がそれぞれの向かう場所へと行き交っている……いや、いた。
そこにあるものの全ては停止していた。それどころか、目に映る全てがセピア色だった。
そして、さらに。
「うわあぁっ!? なん、だ、これ……!?」
そんな世界で僕以外唯一動くもの、色が付いたものがあった。
だけど、それはあまりにも大きくて、
この場所とは場違いで、見た事もないもので、
僕は眼前で走り抜けていくそれと距離を取りつつ呆気に取られる事しか出来なかった。
例えるなら、なんだろう、車っぽい宇宙船? 巨大な箱? いや、それよりもなんというか……。
「でっかい、バス?」
そう。それだ。
少なくとも、その時の僕には他に表現する術を持たなかった。
所々変なものが付いていたりするが、
全体的には昔の観光バスっぽいデザインや、
少し落ち着いた赤と白のカラーリング、申し訳程度についたタイヤが、僕にそう思わせた。
途轍もなく大きな大きなそれが何処からかやって来て、
車体サイズに見合ってない道路を走り……ちょうど車体の真ん中辺りが僕の目の前に差し掛かったところで停車した。
「いや、ちょ、こんな所に停まったら皆踏み潰しちゃうんじゃっ!? って、ど、どうなってんのっ!?」
その『バス』は確かにそこに存在しているのに、何も踏み潰したり、壊したりしていなかった。
潰しているように見える場所にある車や人は、すり抜けていた。
「立体映像か何かか……?」
「いいえ、そういったものではありません」
唐突に、俺の独り言に応える、女の人っぽい言葉が響き渡る。
周囲を見渡してもそれらしい人物はおらず、
他に思いつかなかった僕はバスを、正確に言えば声が響いたと思しきバスの上部を見上げた。
すると、そんな僕の反応とは裏腹に、
目の前にあったらしい自動ドアがプシュウ……と音を立てて開く。
そっちかよ、と思いながら、目の前に注目していると、ドアの向こうから変なシルエットが現れた。
丸っこい二頭身キャラ? ご当地ゆかりのゆるい着ぐるみキャラクター?
目の前のバスと同じ赤と白で彩られた、犬のような、猫のような、どちらともとれるようでとれないような、まぁ可愛いとは思えるデザインの存在がそこにいた。
ただ大きさが僕より一回り大きく……僕の身長は177cmくらいである……更に横幅も結構あるので妙な威圧感があり、可愛げが台無しになっている気がする。
ただし表面は着ぐるみにありがちな布っぽい感じではなく、硬質的なプラスティックな光沢を放っていた。
触ってみたわけではないが、多分そういう肌触りもするんじゃなかろうか。
ともあれ、そんな着ぐるみ存在は、
訝しげに眺める俺に愛嬌でも振りまいているのか、フラフラとした動きをしつつ、言った。
「……やはり、貴方はこの道を選びましたね。ええ、予想通りです」
「はい?」
「おっと、失礼。私の名前はヴェル。このバスの運転手兼旅の案内人を務めております」
「あ、やっぱりバスなんですか……って、運転?」
「えー? 食いつくのはそこなんですか」
「いやだって、その格好で運転手って、事故ったりしません? それとも中の人が運転するんですか?」
「な、中に人はいませんよっ!?」
「えー、いや、うん、まぁ、そう主張するのは自由だと思います、はい」
「可哀想な人扱いっ!?」
そう言いながらヴェルさんとやらは、
短い足でピョンピョン跳ねながら、
同じく短い手(犬猫の手足をデフォルメした肉球付き)をバタバタと僕への抗議なのか振り回した。
どうやって動かしてるのかはともかく、その所作は中々に可愛い。大きさを無視すればだが。
「って、そんなことより、本題です」
暫くそんな動きをして満足(?)したのか、ヴェルさんは咳払いのような動作の後、こう言った。
「網倉孔汰さん。貴方は旅に出たい、そう思った事はありませんか? いえ、思っているはずです」
「な、なんで僕の名前をっ!?」
「失礼ながら多少調べさせていただきました。
網倉孔汰さん。県立慶備高等学校二年A組。出席番号1番。成績は上の中。
趣味は特に無し。強いて言えば小説や、漫画、テレビなどで物語に触れる事、インターネットを見る事。
女の子の好みは、長い黒髪、清楚で優しい感じ、体付きはとやかく言わないが巨乳であればなおよし……」
「ちょっ!?」
なんでそんな事まで、と言おうとした僕だったが、それはヴェルさんの次の言葉であっさりと封じられてしまった。
「昨日の夜、自分は何をすべきで、何処に行くべきなのか考え過ぎて寝坊」
「……えっ」
「その悩みを、中学生の頃からずっと慢性的に解決できないままに抱え続けている……違いますか?」
先程までのテンションは何処へやら、冷水を掛けられたような心地になる僕。
可愛くも見えた着ぐるみが、表情が見えない為か今は何処か不気味に見える。
だって、そうだろう。
他の、僕の成績とか、好みとかはともかく、いや、それだってどうやって調べたのかは気になるけど。
昨日僕が考えていた事を、ずっと悩んでいた事を、なんでこの人は知っているのか?
それは今まで誰にも口にした事がない、両親、姉さんや、妹、友達とかに口にしようものなら馬鹿にされてしまうんじゃないかと言えなかった事なのに。
「そ、それは、そう、です、けど」
だけど、そうして問い掛けられてしまっては肯定せざるを得なかった。
出来るだけ、嘘は吐きたくない性分だし、この状況に圧されてしまっていたのもある。
ともあれ、そうして僕が頷くと、ヴェルさんは言った。
「そんな悩みの答えを探す為の旅、してみたいですよね?」
「いや、そんな確定事項みたいに言われても……」
「どうなんですか?」
「お、おおぅ」
ずずいっ、と詰め寄られて僕は呻く。そうして精神的圧力を掛けられ、僕はのろのろと答えた。
「し、してみたくない、なんて事はないですよ」
旅。興味はないどころか、むしろ大有りだ。
今まで生きてきて見聞きしてきた情報や物語から育まれた強い憧れは確かにある。
自分の知らないものを見て、聞いて、世界を知る。
そんな中で、自分の中にある疑問の答えを知る、あるいは知る事そのものが目的の旅。
そんな浪漫に憧れない人間がいるだろうか?
「でも、そう簡単にはいかないですよ」
だが、現実に出来るのか、というと色々な制約がある。旅費。今の生活。時間。考えれば考えるだけある。
「お金とか、時間、っていうか休みっていうか、色々ありますし」
「ふむ、至極御尤も。しかしですよ、周りを見渡してみてください」
「え?」
「今、この世界の、この時間帯は全てが停止しています」
そう言えばそうだった。
現状絶賛異常事態継続中なのを、僕はすっかり忘れてしまっていた。
「貴方が旅を終えるまで、この状態を維持する事をお約束します。
これで時間の件は解決ですね。
旅費については必要ありません。
むしろ旅の間必要になる資金はこちらが提供しましょう。
ある程度の制約はありますけどね」
「え?」
「衣食住に関しても保障します。というかこのバスにはそれらが完全完備なのです。
まぁ洗濯などはご自分でしていただく事になりますが」
「え、ええ? ちょ、どうして、そんな……?」
「ああ、心配なんですね? どうして、そうまでして自分を旅立たせたいのか。
成程、当然の疑問です。
それにはこちらの事情がありまして……ですが、その事情を強制はしません。
貴方はただこのバスに乗って、旅が終わるまで、
あるいは貴方がこの旅を終えたいと思うまで、旅してくれればそれで良いのです」
「……旅を、するだけ?」
「ええ。基本このバスの中にいていただければ、トラブルは最小限で、命の危険もほぼ皆無です。
ただ、旅というのは、悲喜交々、様々な事が起こるものです。
こちらの事情絡みの厄介事も少なからずあります。
私としてはご乗車の皆様の命を可能な限り保障し、お守りする所存ですが、
不測の事態というものはいくらでも起こるものです。
万が一が起こらない、起こさない、とは決して申し上げられません」
それは、確かにそうだろう。
どんなに細心の注意を払ったところで、
起こるべき事は起こるし、避けられないものは避けられない。
旅に限らず、どんな事だってそうだ。それが人生だ。
こんな事を誰かに言うとポエマーとか言われてしまうかもしれないが、それが人生という名の旅なんだろう、と思う。
「私が貴方を騙していない、騙さない、という保障はありません。
私はそうでないと主張出来ますが、初対面の私を信用しろというのに無理がある事は分かります。
私が嘘を吐いていないとしても、その私自身の気が狂っていないとも限らないでしょうし、そう疑われても仕方がないと思います。
そも旅に出ても貴方が求めるような答が見つかるとは限らないし、
何より、貴方自身にどうしても旅についていくような強過ぎる動機がない……」
ヴェルさんの言っている事は、全て的を射ている。
初対面の存在を、こんな状況をありのままの現実として受け入れる? 難しい。
ただ夢を見ている、そう思う方が簡単だし、納得がいく。
狂っている、とまでは言わないが、近い形で疑ってしまっているのも事実だ。
そして、僕自身、旅に出るための強い動機がないのも間違いのない事実。
僕自身や家族や友達を納得させられるものが何もない。
例えば、誰かや何かが危機でそれを救う手段を求めてとか、
絶対に欲しいものがあるとか、行きたい場所があるとか、そんなものが何もない。
全くもって、彼女(?)が言うとおりだ。
でも。だけど。
「ですが、誰もが夢見るような、貴方が望むような旅の機会は、おそらくこの機会をおいて他にありません」
「……っ!」
「強制はしません。選択は自由です。
今までの話と情報、この状況を踏まえた上で、貴方が旅を望むのなら……」
言いながら、ヴェルさんは手を差し出した。
身体と不釣合いな短くて、着ぐるみの、ふざけた手。
だけど僕には、それは神聖な儀式に誘う、たおやかな手に思えた。
「この手を取りなさい、網倉孔汰」
そして、その瞬間、僕は見た。
ヴェルさんの後ろに広がる光を。無限に広がる星空、世界を。
実際に見えていたかどうか、そんな事は分からない。
でも、その時の僕には、間違いなく、そう見えていたんだ。
だから、僕は……一歩進んで、タラップに足をかけ、手を伸ばし、ヴェルさんの手を握った。
誰か、僕かの都合の良い妄想、都合の良い夢であったとしても。
ならせめて覚めるまでは、そう思ったから。
ヴェルさんの後ろに見えた果てしない何かに続く旅をしてみたいと思ったから。
今の自分から少しでも前に進みたいと思ったから。
「……ふふ」
すると、ヴェルさんが笑った。子供を優しく見守る母親のような、穏やかで優しい声音で。
「ようこそ。
縦横無尽で天地無用な、遠くて近く、近くて遠い道を何処となく果てしなく行く旅人よ。
……なんて、誘い文句はどうでしょう?」
「……。いいんじゃ、ないでしょうかね」
そこで、ようやく僕は正気に返り、ヴェルさんの手の感触を認識した。
うん、やっぱりプラスティックだな。少なくともたおやかさは幻覚っぽい何かだったようだ。
まぁ、それはそれとして。
「ところで、その、大事なコトを聞いてませんでした」
「なんですか?」
「旅って、何処が目的地の、どんな旅なんんですか?」
「ああ、そうでしたね。私とした事が、すみません」
僕を引っ張り上げつつ……物を掴める様な形状じゃない代わりなのか、不思議な吸引力で僕の手はヴェルさんの手にくっついていた……ヴェルさんは答えた。
「世界の果ての果て。そこを目指して、100次元空間年進む旅です」
……続く。