ゆーとぴあ本舗・一周年記念作品







それはただ幸せな日々で







雪が、降っていた。

久しぶりに訪れたこの街は、相変わらずの『色』を持っていた。

何年振りになっても、この街が持つ空気は中々変わらない。

だからなのか。

俺は、思う。

思い出す。

昔、この街で過ごした日々の事を。

……今にして、思えば。

あの日々は、今まで生きてきた中で、一番幸せな時だったのかもしれない、と。







『朝〜朝だよ〜朝ご飯食べて、学校行くよ〜』

従姉妹の名雪の声……それが録音された目覚ましで、俺……相沢祐一は目を覚ました。

「――ねみぃ」

目を覚ましたが、寝不足だった。
少し前からこの家に居候し始めた殺村凶子……改め、沢渡真琴が昨日の夜に起こした騒動のせいだ。

もっとも、その報いは既に受けさせてやったが。

「あぅ〜」

その報いを受けて、廊下で出くわした真琴も寝不足のようだった。

「祐一のせいだからね。覚えてなさいよぉ」
「自業自得だろうが、うりうり」

昨日の事を思い出して腹が立ったので、軽く頭を小突き回してやる。
あぅあぅ言いながら、少し涙目になる真琴を引っ張って、俺は朝食の席に向かった。

そうして迎えた朝食の席には、寝ぼけたままの名雪、名雪お気に入りのぬいぐるみケロピー、そして。

「あ、祐一君おはよう」

何故か、昔この街で知り合った少女、月宮あゆが座っていた。

「なんで、お前がここに居るんだよ」
「え?外を歩いてたら秋子さんに呼ばれたんだよ」 

実に楽しげにそう答えるあゆ。
その後ろからコーヒーを載せたお盆を抱え、この家の家主であり叔母である秋子さんが現れた。

「食事は賑やかな方が楽しいでしょう?」
「……まあ、否定しませんけど……コイツ食い逃げ犯ですよ?
 犯罪者を朝食に招いても賑やかというかなんというか」
「ひどいよ祐一君〜!」
「……むにゃむにゃ、祐一はひどい〜」
「まったくよ」
「祐一さん、言いすぎよ」
「俺か!?俺が悪いのか?!
 悪いのは食い逃げをする行為であるべきだ!!」
「……じゃあボクは悪くないんだね?」
「んなわけあるかっ!!少しは反省しろ!!」
「――うぐぅ」

……そんな会話を交えつつ。

家族二人、居候二人、乱入者一人、ぬいぐるみ一体の食事。
こんなに人数が揃った朝食は、俺自身初めてだったかもしれない。



「そうだなー。
 最近は朝食を一緒に食う事さえ珍しいって話だしな」

場面変わって、学校の教室。

今朝の騒動の事を話すと、俺の前の席に座る北川はしたり顔でそう言った。
転入してきたばかりなのに、コイツは気さくに話し掛けてくる。

……まあ、悪くない気分なのだが、それを口にする義理はない。

「――そういうお前ん家はどうなんだ?」
「まあ、出来る限り一緒に食ってるぞ」
「へえ〜そうなんだ。――香里の家は?」

美坂香里。
このクラスのクラス委員で、名雪の親友だという。
彼女は名雪の質問に、微かに表情を曇らせた。

「あたしの家はともかく……あたしは最近一緒に食べてないわね」
「はあ?なんだそりゃ」
「言葉通りよ」

北川の言葉に香里は素っ気無くそう答えて、後は多くを語らなかった。



「言葉通りですよ」

昼休みの学校の裏庭。

アイスを食べながら、自称風邪引き、自称この学校の生徒の栞は言った。
……この寒い中よくもまあ、と思うがそれはさておき。

「つまり?」
「最近は家族全員揃って朝食を取る事は中々ありません、という事です」

今朝の事を栞に話すと、彼女は指を口の近くに当てて「んーと」と呟きながら、そう答えた。

「――まあ、風邪だしな。
 ”ふ・だ・ん”は寝てるんだろうからな。
 一緒に食べる機会はないかもなー」

普段の所に力を込めると、栞は顔を膨らませて言った。

「そんな事言う人嫌いですっ」
「はは、悪い悪い。冗談だよ。
 でも、実際ちゃんと寝てた方がいいぞ。
 風邪さえ治れば、朝食だっていくらでも一緒に食べれるし、俺らもいくらだって会えるんだしな」
「はい……そうですね」

その言葉に、栞は何故か、何処か悲しげな笑顔で答えた。



栞との昼食を終えて教室に戻ろうと階段を上がると、顔見知りにバッタリと出会った。

「あ、祐一さん。こんにちは」
「佐祐理さん、こんちは」

倉田佐祐理。
ある事で知り合った先輩で、見た目どおりの優しい女性である。

「今日はどうしたんですか?舞が寂しそうにしてましたよ」
「あ、いや……今日は先約……みたいなものがあって。
 って、舞が寂しそうだったって嘘だろ」
「いえいえ、そんな事はありませんよ」

あははーっ、と笑って、佐祐理さんは言った。
……ちなみに舞というのは、この場にはいないが佐祐理さんと知り合うきっかけとなった少女である。

「今日は残念でしたが、よかったら明日は来て下さいね。
 佐祐理も舞も楽しみに待っていますから」
「舞はどうか分からないが、佐祐理さんが楽しみにしてるなら行くよ」
「あははーっ、ありがとうございます」

そうして佐祐理さんと別れた俺は教室に戻った。



放課後。

名雪は部活で、俺は帰宅部である以上、学校にいる理由もなく俺は商店街をなんとなく歩いていた。
その中で、俺は見覚えのある後ろ姿を見つけたので声を掛けた。

「おい、あゆ」

すると彼女……月宮あゆは、こちらを振り向いた。
それが俺だと知ると、彼女は嬉しそうに笑顔を浮かべた。

「祐一君も、今帰り?」
「まあな。――また探しものか?」
「うん、そうだよ」

あゆは何かをこの近辺に落として、それを見付ける為にこの辺りを徘徊している。
だが、何を探してるのかも分からない以上……はっきり言って見つけようもない気がするのだが……

「ありがと、付き合ってくれて」
「別に」

暇ゆえか、付き合ってしまう自分が悲しい。

「しっかし、見つからないな」
「……そうだね」

そう呟くと、あゆは微かに表情を沈ませた。
そんなあゆの顔を見るとどうにも落ち着かなくなるので、俺は言葉を付け足す事にした。

「あーまあ、とにかく。
 見つかると、いいな。
 それまで、俺も時間がある時なら付き合ってやるから。
 まあ、元気出しとけ」
「うんっ、ありがと!」

それだけで、あゆは笑顔になった。
それだけで、というシンプルさ……純粋さは、悪くないと思う。

それを少し羨ましく思いながら。
俺は、夕焼けの向こうに手を振りながら消えていく……あゆの背中をただ見送った。



「祐一?また出掛けるの?」
「ああ」
「何してるのか知らないけど……気をつけてね」
「おう」

家に帰って、夕食を取った後。
俺はまだ残していた予定があったので、より冷え始めた夜の空気の中に飛び出していった。

その行先は、学校。
その目的は、魔物が潜んでいるその場所で一人戦っている少女に会う事。

軽く意気込んで、忍び込んだ校舎の中。

昼間とは違う色を見せる廊下に、剣を持った少女が佇んでいた。
魔物を討つ者――川澄舞は、透き通った闇の中、ただ闇の向こうを眺めていた。

「どうだ、調子は?」
「……」

舞は答えるどころか、こちらを見ようともしない。

「あのな。いいか悪いかぐらい答えろよ」
「悪くはない」
「それまた微妙な答だな、おい。――食うか?」

夜食を取り出す事で、彼女はようやっとこっちに意識を向けた。

「……俺の存在は夜食以下かよ、おい」
「何を言ってる?」
「……分からないんなら、いい」

溜息を吐きながら、封を切る。
そうして、俺たちは揃って御握りを齧った。



「やれやれ」

思いのほか遅くなってしまった。
魔物は出なかったが、少し話し込んでしまった。
……と言っても、俺が一方的に話すだけなんだが。

その事に虚しさを覚えているうちに、俺は何事もなく水瀬家に辿り着いていた。
寒さに身体を震わせながら、ドアノブを廻す。

「……って、あれ?」

だが、鍵が掛かっているらしく、ドアは開かない。

仕方なくチャイムを鳴らそうと思った時、カチャ、と音が響いた。

「?」

再びドアノブを廻すと、今度はドアが開いていた。
首を傾げつつ、ゆっくりとドアを開ける。
すると。

「げっほっ!!がほっ!なんだ、これ……」

玄関にはもうもうと煙が吹き上がっていた。

火事か、と一瞬思ったが……それは杞憂だった。

何故かと言うと、視界の端に害虫駆除の煙を吐き出すブツが映っていたからで。
そして。

「げほっ!ごほっ!!あぅ〜!!煙たい〜」

それを其処に設置したであろう馬鹿がすぐ近くで苦しんでいたからだ。
どうやら俺が帰ってくるのを待ち伏せていたらしい。

「当たり前だ、この馬鹿っ!!」
「あうーっ!?」
「あらあら、何の騒ぎ?」
「うみゅー……何か、あったの?」

そんなやり取りに、他の住人達……いや家族達が姿を現す。

「お前のせいで、皆起きてきたじゃねーか!ちゃんと謝れよ、馬鹿!」
「馬鹿って言う方が馬鹿だって漫画に書いてあったんだからねーっ!祐一の方が馬鹿なのよ!」
「うー……賑やか……というか騒がしいのかな」
「二人とも、夜も遅いから静かにね」

――そうして。

そうして、一日が終わる。

騒がしくて、面倒臭くて、でもなんとなく笑ってしまう、そんな一日が終わりを告げていく。







「……そう、だな」

駅前のベンチに座って、俺は雪が降る空を見上げ、呟いた。



『だったのかもしれない』じゃない。

あの日々は幸せだったんだ。

家族が居て。

友達が居て。

少し変な奴らが居て。

ちょっと不思議な事があって。

心動かされる事があって。

言葉には出来ない、様々な出来事があって。

家の中は、あたたかで。

それをより強く感じさせる、冬の冷たさがあって。



きっと、あの日々には何かが有った。

人が人として望み、求める全てが……もしかしたら、あの日々にはあったのかもしれない。

そんな、冬の街での日々。

それを、俺は恋しく思う。

世界に、社会に、一人立つようになって思う、あの日々への愛しさ。

それは、あの時に有ったものの、殆どが失われたからなのかもしれない。

もう、あの家に俺は住んでいない。
……両親が居ない間の一時的なものでしかなかったから。

あの時、出逢った少女たちの何人かは、行方さえ分からない。
……素性さえ分からなかった少女もいたし、そもそも連絡を取ろうとするような少女達ではなかった。

帰る家は、少しばかり静か過ぎて。
……あの家があまりにも騒がしかったから。

繰り返す毎日は、不満こそないが、時々味気ない。
……あの冬はあまりに特異で、特別過ぎたから。



「あー……」

白い息と共に、視線を白い地面に落とす。
見上げ続けると、辛いからだ。



あの、嵐のように、あっという間に過ぎ去った日々。

その中で。
俺はただ、自分と、一番大切な少女の為に歩いた。

あの中で、自分は何か出来ただろうか、と思う。

もっと、たくさんの事が出来たのではないか、と思う。

でも、それは……きっと考えてみても仕方がない事だ。

この世界にIFはない。

分岐点はあっても、築かれるのは一本道だ。

人は生まれ。

人は出会い。

人は別れ。

人は死ぬ。

それが繰り返されていくのが、俺たちの世界だ。

その中で。



「――――」

名前を呼ばれて、顔を上げた。

あの街で出逢った、一番大切な少女。

いや、一番大切な女性がそこにいた。

彼女の顔を見て、『会う為に戻ってきた』事を俺は思い出した。



そう、その中で。

選び取っていく自分の道を、歩いていくしかない。

今しているように、後悔に似た思いもきっとするだろう。

今感じている寂寥感を再び感じる時も来るだろう。

そして、その後悔や寂寥感さえ忘れてしまう日も……きっといつかやってくるのだろう。

それでも。



「ああ、分かってる。時間勿体無いもんな。
 明日には戻らないと仕事あるしな」



俺達は生きていく。



「……ああ、もう少しの辛抱だ。
 そしたら、迎えに来る」



日々の生活に押し潰されそうになりながら。



「そしたら、ずっと、一緒だ」



かつてあった幸せな日々を、それ以上の日々を、自分の、自分達の手で掴み取る為に。



それが、一番大切なものに『出逢った』あの日々にできる、ただ一つの恩返しだと信じて。



「―――」




その決意の代わりに、彼女の名を呼んだ。

一番大切な人は、穏やかに微笑んだ。







………END







後書き

一周年記念という事を、考えた結果、この作品が生まれました。

何故なのかは分からないのですが……理由の一つに、時間の流れがあると思います。

時は流れています。

僕がKanonと出会った後も確実に流れています。

好きという気持ちを忘れたわけではないのに。

好きになったあの頃は確実に失われていて。

思うように描けなくなってしまった事を痛感しています。

でも、僕はKanonと出会った事だけは忘れません。

忘れる事なんて、出来ないでしょう。

どんなにくさかろうと、なんだろうと。

笑われたって、構いません(それが僕に対してモノならば)。

僕は、この作品を愛しています。

とても、とても大好きです。

そして、この気持ちに共感してくれる人たちが、きっとたくさん居てくれるだろう事が嬉しいです。

多くの人たちが描くKanonが、その事を教えてくれています。

その形は、絵だったり、SSだったり、詩だったり、千差万別です。

でも、そこから湧き出る気持ちが一緒なら、どんなに心強い事か。

その気持ちを共感した、記憶と記録がある限り。

二次創作作家としての、情野 有人は歩き続けていきます。

……この作品は、もしかしたら、その決意表明だったのかもしれないです。



2004年 6月11日 情野 有人。